毒姫達の死行情動

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特別警戒区域アリス 制圧戦

其れが──私達の死行情動

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「茉白、今から帰るね。最期まで一緒に居ようね」

 蟲達に貪り尽くされた桐華になど微塵も興味を示さない弥夜は、虚空を仰ぎながら茉白への想いを馳せる。虚ろな瞳は潤んでおり、今にも零れそうな涙が犇めいていた。

「でも……悲しい報告があります」

 夜羅を失ったこと。喉奥から無理矢理に絞り出された声が多大な悲しみを孕んで震えている。早く会いたいと主張する感情とは裏腹に、踏み出された足が強く地を踏み締めて止まった。

「夜羅……」

 理由は至極単純。弥夜の胸中には、夜羅の言葉が断片的に蘇っていた。



『明けない夜は無いと、夜葉にそう言ったそうですね』

『今まさに、この国はタナトスによって永遠の夜を迎えようとしています。明けない夜は無いと、その答えを……私に教えて下さい』



 振り返った弥夜は障壁に覆われた建物を視界に収める。「此処で帰ったら茉白に怒られるよね」と、靴先が真逆を向いた。

 それは決意。

 弥夜の取った選択は久遠 アリスを殺すこと。
 
 そして──生きて帰ること。

「皆で生き抜くって……約束したもんね」

 夜羅を失い、茉白ですら失いかけている。果たされなかった約束だとしても彼女は前を向く。一歩、また一歩、共に過ごした過去を思い返しながら着実に歩みは進む。障壁へと辿り着いた弥夜は、軽く触れると同時に驚きの声をあげた。

「もしかして、誘ってるの……?」

 救いの街で私達を故意的に逃した東雲ならやり兼ねない。巡らされた思考と共に苛立ちが浮かべられた。嘘のように消失した障壁。淡い残光が夜闇の中で歪に映える。門を潜り建物を睨む弥夜に、不意打ちの如く魔力の矢が飛来する。貫かれた左肩が鈍い痛みを発して機能を停止させた。術者は左前方。間髪入れずに、とどめと言わんばかりに放たれた二本目の矢が迫る。

「こんなもん効くかよ糞共が……!!」

 相方のような台詞を吐いた弥夜は、少し嬉しくなって笑みを浮かべる。身体を捻り遠心力を利用した脇差での一太刀が、矢の先端を的確に真っ二つに切り裂いた。背後へと流れる矢の残骸。入れ替わるように猛進して来た毒蟲が牙を擦り合わせて威嚇する。「殺してもいいよ」と優しく諭した弥夜は、矢を放った者が喰らわれるさまを目に焼き付けた。今ここで騒ぎを起こせば瞬く間に囲まれて終わるだろう。解っていたからこそ、弥夜は毒蟲に合図する。






 ──け、と。






 鼓膜を突き破るほどの咆哮。音の波紋が視覚化し、宙を泳ぎ、拡散する。居場所を知らせる咆哮の意味はただ一つ。






 ──私は此処に居る。






 逃げも隠れもせず真正面から殺り合うと決めた、柊 弥夜の覚悟だった。ふいに、矢の術者を喰らった毒蟲が独りでに爆ぜて絶命する。何らかの能力を受けたことは明白であり、それを皮切りに数え切れないほどのタナトスの連中が表へと姿を見せた。

雁首がんくび揃えてお出ましだねえ」

 たった一人の少女の前に、雲霞の如く押し寄せる大軍。脇差に祈りを捧げて胸元にしまい込んだ弥夜は、新たに呼び出した毒蟲から四肢裂きの断鎌ワスレナグサを手にした。辛うじて機能する右腕一本で軽々しく取り回される断鎌。息を吐き心を鎮めた弥夜は、死ぬ為に生きることを自身に再び言い聞かせた。

「茉白にも言ったもんね」



 其れが──私達の死行情動トーデストリープだから。



 短い間だったけれどとても幸せでした、と過去が思い返される。大軍を見据える表情は殺意に満ち溢れており、瞳から漏れ出た光の線が虚空に尾を引いた。

「蛆虫共が……全員纏めて掛かって来い!!」

 毒蟲を喰らった弥夜は、脳内を犯す猛毒に恍惚の表情を浮かべる。ふわりと左右に揺れる尻尾が三往復目を迎えた時、彼女は強く地を蹴った。たった一人の少女が美しくも儚く戦場を舞う。命の再分配で崩壊した世界の中、抗うように、藻掻くように、己が胸中を全て晒す。もしも普通の世界で二人に出会えていたら、きっと今も笑い合えていたのだろう。家族や親友を失うことも無かったのだろう。皮肉に歪む口元が血に染まる。向かい来る者から無差別に切り裂く弥夜は、戦闘により疲弊し切った身体を更に使役する。

「こんなところで……止まる訳にはいかないの!!」

 限界を超えた身体の酷使。狭くなった視界が祟って華奢な身体には傷が増え始める。能力者達の猛攻は衰える様子も無く、とうとう膝をついた弥夜は自身に振り下ろされる巨大な大剣を目の当たりにした。

「終わりだな、柊」

「やってみろよ、死んでも呪い殺す」

「それは律儀なことだ」

 嘲笑を浮かべた男は一思いに大剣を振り下ろす。刹那、振り下ろされたはずの得物が宙を舞った。否、腕ごと引き千切れた為に弥夜の目にはそう映った。

「──ッ!!」

 次いで、たじろぐ男の胴体が残酷に引き裂かれた。返り血を浴びた弥夜の背後より、ひたひたと小さな足音が木霊する。現れた少女は顔を上げて小さく微笑むと、弥夜の手を優しく引いて立ち上がらせた。来訪者の正体はゆずりは 瑠璃るりであり、未だ記憶に新しい廃学校で出会った少女だった。

「瑠璃……?」

「こんばんは、柊さん」

 紡がれると同時に、瑠璃を護るように具現化した闇。もやがかる景色は次第に鮮明になり、彼女の背後で餓者髑髏がしゃどくろの形を成す。分厚い腕で周囲を薙ぎ払った餓者髑髏は、この世のものとは思えない雄叫びをあげた。

「助けに……来ました」

 荒んだ感情の代弁とも取れる雄叫び。激動する状況に感化され、この場には不釣り合いな白いワンピースが泳ぐように靡く。僅かに俯く瑠璃は、弥夜が一人であることを見て何かを察した。

「稀崎さんと、夜葉さんは?」

 儚げな表情で首を横に振る弥夜。誰にもぶつけることが出来ず、許容量を超えた感情が涙となって溢れ出す。口元を緩めて瞑目した瑠璃は、弥夜の頭に手を乗せると「そうですか」と優しく頭を撫でた。

「戦おう、柊さん」

 餓者髑髏は周囲に威嚇の如く怨嗟の声をばら撒き、僅かに気圧された大軍は攻撃の手を緩める。雑に目を擦り得物を握り直した弥夜は、軋む身体を無理矢理に黙らせると再び戦闘への意思を灯した。

「ありがとう瑠璃。でも……どうして此処へ?」

「柊さんは稀崎さんに、もっと素直に生きるように言ったんだよね」

「……うん」

「感情を押し殺して泣いて生きるなど死んだも同義ですからと、稀崎さんは私にそう言った。柊さんに背を押された稀崎さんは、不器用ながらも前に進んでいたのだと思う。それにね? もしも私が死んでしまったら、生まれ変わった世界でまた親友を見付けて仲良くします。稀崎さんはそう言ってた。だから大丈夫……向こうに行ってもきっと幸せになってくれる」

 『貴女はきっと可憐で強い女性になる』と廃学校で夜羅に言われた言葉を今一度噛み締めた瑠璃。そのまま胸に手を当て、揺らぐことの無い意思を瞳に宿らせた。

「感情を押し殺して泣いて生きるなんて死んだも同義、だから私は此処へ来た。一人ぼっちに出来ない親友の魂と共に」

「瑠璃……」

「泣くのは後だよ。稀崎さんが私にそうしてくれたように、戦いが終われば抱き締めてあげるから。たくさん泣いていいからね。でも今は……柊さんにはやるべきことがある」

 やるべきこと、今の私にしか出来ないこと。強く頷いた弥夜を確認した瑠璃は目付きを変えて激烈な魔力を放出する。まるで獰猛に荒れ狂う水面みなも。漆黒の魔力が彼女の足元に集うように収束した。

「素直に生きる。だから私は言いに来た。辛いと、悲しいと、寂しいと。そして……赦さないと」

 鋭さを増す漆黒の眼光。到底少女とは思えない圧が醸し出されており、寒気を感じた弥夜は無意識の内に身構えていた。

「此処は私一人で引き受ける」

「瑠璃? 何言って……」

「大丈夫だよ。私は還し屋。踏んだ場数は間違い無く柊さんよりも上だし、対多数の戦い方も知ってる。それに……柊さんより私の方が確実に強い」

 嘘偽りの無い想いが晒されると同時に、荒む胸中を代弁して咆哮した餓者髑髏。肩口に頭を預けるように寄り添ってくる餓者髑髏に、瑠璃は優しく撫でることで応えて見せた。

「おいで、此処からは私が相手をしてあげる『闇止まない冥府の底ダークネス・ワンダーランド』」

 あまりの魔力濃度に息苦しさを覚える弥夜。咳き込みながら苦し紛れに見開かれた片目は、小さな少女が扱うには不釣り合い過ぎる歪な能力を映した。

「すっご……」

 霧のように靄掛かる餓者髑髏。曖昧となった存在は不気味に揺蕩たゆたい、揺らぎ、明滅する。そのまま瑠璃の左右の手に宿った餓者髑髏は、その身を以てして鉤爪へと姿を変えた。一メートル程度の長さの鉤爪は漆黒の刀身を晒し、五本に別れた各々の刃が別々の形をする。波打つ刃、突き刺す如く直刃のもの、左右十本どれ一つとして同じ挙動は示さない。

れる怨爪……『脈動する特異点シンギュラー・ポイント』」

 獲物を求めるように蠢く鉤爪。二人を囲うタナトスの連中、その一点をぶち抜いた瑠璃は身体を振り回しながら弥夜へと視線をやる。それは端的なアイコンタクト。 先に行けと瞳で語る瑠璃の横を弥夜が駆け抜ける。「死なないでね」と声を発せず唇を動かした弥夜を見、瑠璃は表情を綻ばせた。

「気を付けてね柊さん。でもね、私の心配をするのは十年早いよ」

 小さな独白が戦闘の激しさの中に溶ける。親友を奪ったタナトスに対する憎悪が揺り返し、瑠璃は今再び戦うことを決意した。
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