毒姫達の死行情動

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特別警戒区域アリス 制圧戦

夜羅の残した力

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 まるで研究施設だった。茫洋な空間内で規則正しく並んでいるのは淡緑色の液体に満たされた装置。内部には何も入っておらず、絶えず湧く気泡が下方より昇っては消える。薄暗く灯る電灯だけが無機質な景色に拍車を掛けていた。

「あれは……?」

 その最奥、一際大きな装置が目を引く存在感を放っている。辺りをくま無く見回しながら歩いていた弥夜は装置の中で眠る少女を捉えた。固く目を瞑り、全身をプラグのような分厚い線に繋がれた全裸の少女。生きているのは確かで、呼吸を示す泡が口から放出されている。金色の明るい髪が、液体の中で意思を持つ生き物のように泳いでいた。

 ──此奴こいつが久遠 アリスに違いない。 

 全てを察した弥夜の瞳が殺意に染まる。その矛先は装置の中の少女ではなく、傍らで装置を見上げている東雲だった。

「まさか此処まで来るとはね。蓮城や桐華も所詮は役立たずか」

「救いの街で私達を逃がしたことを後悔させてあげる」

「大口を叩かない方がいい。私から見れば、君もただの能力者に過ぎない」

 まるでゴミを見るような目だった。煙草に火をつけた東雲は両手を広げ歓迎の意を見せる。歪に吊り上がった口角が気味の悪さを助長していた。

「でも、来てくれて嬉しいよ。ちょうど私も会いたいと思っていたところでね」

 矢で貫かれた左肩より血液が滴る。地面に形成された斑模様が、仄かに灯る電灯の光を取り込んで真黒に煌めいた。

「夜葉や稀崎は残念だったね。何処から引っ張って来たのか解らない外で戦っている餓鬼も、少しは強いみたいだが直に死ぬだろう」

「お前も久遠 アリスも殺して瑠璃の助けに戻る。もう誰も死なせやしない」

「本気で言っているのかい? 我々に楯突いた時から、こうなる未来は視えていただろう。誰一人として生き残らない。心配は無用だよ、どうせ久遠 アリスの力で……この国はもう時期終わりを迎える」

 装置内の少女に視線をやる東雲は心底愛おしそうな表情をする。憧憬、羨望、狂気まで孕んだ瞳が神を崇めるとでも言わんばかりに負の光を宿す。

「お前達が牛耳る下らない世界の為に能力者全ての命を奪うつもりか。命の再分配で荒廃した世界だから……こんな世界だから……何をしてもいいとでも思っているのか」

「下らない世界とは随分な物言いだね。新たな時代の幕開けと言ってもらおうか。久遠 アリスが目覚め次第、世界は新たな歴史を刻む」

「……下衆野郎が」

「それは君達だろう? 罪も無い人を殺し、好き勝手に車や物資を奪い、挙句の果てには妹や仲間を殺されたからと憤る。君達も同じことをしてきたじゃないか。餓鬼の我儘わがままにしか見えないがね」

「勘違いしないで。私は誰を殺そうが誰が死のうが、そんなものはどうだっていいの。茉白や夜羅、それに瑠璃と共に居られれば他には何も要らない」

「死した者に価値は無い、何も出来ないのだから。我々が創ろうとしているのは今よりも格段に平和で、安全で、何不自由なく暮らせる世界だ。解るだろう? いつの時代だって人を導く存在は必要だ。それを望むからこそ、能力を持たない者達が君たち反乱因子に牙を剥く」

「人を導く存在? それがお前達だとでも言うの? 例え黒い雪が降り、能力者が死滅して新たな歴史が訪れるとしても……そこにお前達は要らない」

「まだ解らないのかい? 支配する存在が必要なんだよ。しるべを無くした者は路頭に迷う。だからこそ我々がその役目を買って出るんだ。夜葉も言っていただろう? 世の中には二種類の人種しか存在しないと。一つは支配する側、もう一つは確か──」

「支配という権限を振り翳した豚共に……抗って喰い殺す側だよ!!」

 救いの街での茉白の言葉を一言一句借りた弥夜は、左肩を蝕む痛みを押し殺し断鎌を振り抜く。体幹を軸とした遠心力に乗る断鎌は月のように美しい弧を描いた。

「君ごときでは私は殺れない。夜葉や稀崎が居れば、また話は違ったかもしれないがね。君は彼女達に比べれば弱い……弱過ぎる」

 軌道を遮られ止まる断鎌。目を見開いた弥夜は東雲が手にする得物に視線を釘付けにする。まごうこと無き四肢裂きの断鎌ワスレナグサであり、自身が手にするものと何一つ相違は無かった。

「全ての能力は私の前では無意味。対峙する者の能力を完全に模倣し、本来の数倍の力で返すことが出来る」

 衝突する得物越しに交わる視線。歯を食い縛る弥夜に相反して、東雲は涼し気な表情を浮かべていた。東雲の扱う断鎌が大きな弧を描く。刃先が空間を裂くように泳ぎ、容易く押し切られた弥夜は胸部を切り裂かれ装置へと衝突。そのまま複数の装置を突き破り壁面に叩き付けられると、ずり落ちるように崩れ落ちた。時間にして僅か数秒、断鎌の柄を支えに立ち上がった弥夜は口内の不快感を吐き捨てる。併せて吊り上がる口角は、未だ戦闘の意思が消えていない証だった。

「へえ、ただのコピー? 扱い慣れない力で私と殺り合うつもり?」

「残念ながら熟練度も思いのままさ。解るかい? これが最強であり、私が組織を束ねる王である所以ゆえんだ」

「だったら能書き垂れてないでかかっておいでよ」

「どんな逸脱な能力を持つ者でも私の前では無に帰す。解るだろう? 必殺の手段を持っていたとしても、それを遥かに凌ぐ模倣が私にはあるからだ」

 突如として、弥夜を護るように出現した毒蟲が哭く。これ以上弥夜に手を出すなと言わんばかりに突進する毒蟲は、衝突寸前で断鎌により両断された。たった一撃、的確に急所を狙った一太刀。即死したであろう毒蟲が東雲の足元で静かに生命活動を終えた。

「一つ訊く。夜葉 茉白は何処に居る」

「お前には関係無い。此処で全て終わらせて、私が最期まで寄り添う」

「寄り添う? 毒に侵食されての死か、目を醒まし久遠 アリスと化すかのどちらかしか未来は無い。もはや死んだも同然、生きているとさえ言えない」

「それ以上……私の相方を侮辱するな!!」

 激情に身を任せて距離を埋めた弥夜は、東雲へと肉薄する寸前に近くの装置を切り裂き視界を遮る。飛び散る硝子片と溢れ出す膨大な質量の液体が、一瞬ではあるが互いの姿を隔て隠した。 

「何をしても無駄だ」

 周囲で次々と破砕する装置。圧倒的な速さでの移動に、至る所で不可解な風圧が巻き起こる。何処から来るのかと研ぎ澄まされる神経。東雲は上方より形容出来ない殺意を感じ取った。そこには尻尾を地に突き立て跳躍した弥夜の姿。身体の捻りによる威力を上乗せした断鎌が激烈な勢いで薙ぎ下ろされた。

「東雲ぇぇええええ!!」

 器用に反応する東雲。齎されるは得物同士の反発。僅かに身体の浮いた弥夜は、それすらも取り込んで更に身体への捻りを加える。次いで、威力を増した二撃目。堕ちた衝撃は全てを両断するかと思われたが否。下方から振り上げられた断鎌が、弥夜のそれを容易く弾き返した。

「言った筈だよ。私は能力を模倣し、本来の数倍の力で返すことが出来ると」

 四肢を曖昧にもつれさせながら装置へと叩き付けられた弥夜。背に突き刺さる硝子片が激痛を誘発する。破れた衣服から灼けただれた背の傷痕が露になり、彼女は揺り返す激痛に大きな舌打ちをした。

「言わば君は、私の劣化版に過ぎない。これが、どんな能力者も私には敵わない絡繰からくりさ」

「他人の力で戦うしか能の無い臆病者が、能書き垂れるなんて滑稽だねえ」

「夜葉の居場所を吐けば助けてやってもいい」

 何故そこまで茉白に固執するのかと思考が巡らされる。だが即座に結論に至った弥夜は、突き刺さったままの硝子片を無理矢理に引き抜くと雑に投げ捨てた。

「なるほど、ようやく解ったよ。後ろの久遠 アリスが目醒めなかった場合の保険として茉白を手中に収める。それがお前の狙いか」

「ご明察。桐華は死に、もう適合者を探すことは出来ない。何百何千と撃ち抜いて来た中でフェーズ2に入ったのは、此処に居る女と夜葉 茉白の二人のみ。まさか、我々に楯突く者の中に適合者が居たとは驚いたよ」

「誰が教えるかよ。例え戦えなくなったとしても茉白を売るくらいなら……この喉をさばいて死んでやる」

 血を流しながらも更に鋭さを増す眼光。下らないと言わんばかりに嘲笑を浮かべた東雲は獰猛な毒蟲を喚び出す。初めて敵となった愛くるしい存在に弥夜は心を痛めた。

「ごめんね、殺したくなんてないのだけれど」

 毒蟲は十六本の鎌のような脚を使役して襲い掛かる。蜘蛛に酷似した下半身から放出された分厚い糸を断ち切り、脚と断鎌による剣戟が繰り広げられた。鋭さを代弁する金属音。薄暗い空間に、哭くように散る火花が何度も瞬く。徐々に毒蟲の脚を切り落とした弥夜は、最期の一本を腕力のみで引き千切った。

「大したものだ。君の扱うものよりも数倍は強い筈なのに」

 全ての脚を失い、体勢を崩した毒蟲が愛くるしい声で哭く。儚げな表情で毒蟲を撫でた弥夜。「もう苦しまなくていいよ」と囁いた彼女は一思いに命を奪った。

「ねえ、東雲。私とろうよ」

 靴底に魔力を集め、断鎌を大きく振り翳して地を蹴る。硝子片により傷付いた身体から滴る深緑の血液が、まるで弥夜の軌道を追うように続いた。

「君達に最初から勝ち目なんて無いんだよ」

 全身全霊を以てして振り下ろされた断鎌はまたしても静止する。命を懸けた一振りでさえ東雲の喉元には届かない。弥夜は歯を食い縛っており、目元を覆う髪が表情を覆い隠していた。

「自暴自棄になったか。敵わないと悟ったら呆気の無いものだな」

 弾かれた断鎌が東雲の背後の装置を貫き割り、広範囲に飛散した硝子片が雨のように鈍い煌めきを発する。そんな中で体勢を崩した弥夜は、前のめりに倒れながら口元を不気味に歪ませる。静かな吐息が、熱を孕んだ。

「能力を模倣され、更には数倍の力を有する。最初からじゃ勝てないことくらい解ってんだよ蛆虫野郎」

 懐にしまい込んでいた夜羅の脇差が取り出される。蒼白の刃が薄暗い照明を乱反射して怪しげに光った。目を見開く東雲の鳩尾みぞおち付近に突き立てられた脇差。切っ先が皮膚を突き破り、更に奥深くへと沈んでいく。断鎌を投げ捨てた東雲は弥夜の腕を押し返そうと力強く掴んだ。

「死した者に価値は無いと言ったな。何も出来ないと言ったな。これはお前の模倣が及んでいない夜羅の残した力だ。お前が冒涜した死者の遺した想いだ!! 私は一人じゃない……皆と一緒に此処へ来た!!」

 半分ほどの刀身が鳩尾へと沈んだ頃、身体に迸る激痛が弥夜を襲う。無情にも開いた傷跡。その一瞬を見逃さなかった東雲は、腕を押し返すと同時に腹部に蹴りを叩き込む。

「……死に損ないの餓鬼が」

 己の勝利を確信した東雲は、絵の具さながら地面に血を塗りたくり吹き飛んだ弥夜に視線をやる。深緑色の血液が、汚いキャンパスを更に汚れたものへと変えた。

「終わりだ、柊 弥夜」

 ふらつきながらも立ち上がる弥夜。尻尾は引き千切れ、牙は元の八重歯へと回帰し、重瞳は失われている。圧倒的不利な状況下でありながら、彼女の口元には相応しくない笑みが浮かんでいた。

「終わりだね。私の勝ちだよ……東雲」

「何を言っ──ッ!!」

 唐突に膝を付く東雲。予兆無しに跳ね上がる鼓動が身体の異変を報せる。体内の血管が焼き切れたような妙な感覚が東雲を蝕んでいた。

「無様につくばれよ。お前の最期に相応しい」

 崩れ落ちた東雲は、解せないと言わんばかりに動かなくなった四肢に辟易する。蒼白の脇差を差し出した弥夜は見せ付けるように眼前に掲げた。刃に付着しているのは深緑色の液体。刃先を伝って地へと落ちた血液は、地面に小さな血溜まりを形成した。

「私は夜羅の脇差を懐に潜ませていた。お前が私の胸部を切り裂いた時、刃には私の血が付着した」

「……なるほど、毒か」

「毒? 猛毒だよ。私の猛毒が体内に入れば神経が麻痺して細胞が徐々に死滅する。つまり放っておいてもお前は死ぬ」

 身体の自由が効かない東雲の腹部が蹴り上げられる。柔らかい腹部に食い込んだ靴先が内蔵を抉るように振り抜かれた。血と胃液の混じった液体を撒き散らし、薄汚れた地面を転がる東雲。弥夜は吹き飛ばされた断鎌を拾い上げると、冷めた目で久遠 アリスの浮かぶ巨大な装置を見据える。

「そこで見てなよ、東雲。お前達の計画が終わる瞬間をね」

「やめろ……久遠 アリスを殺すな!!」

「黙ってろよ蛆虫」

 やけに重く感じる得物が振り上げられた時、巨大装置の硝子が突如として飛散した。腕で顔面を護った弥夜の身体に突き刺さる硝子片。痛みに顔を顰めながらも見開かれた目は、導かれるように装置から飛び出した全裸の少女を捉えた。


 
 ──久遠アリス フェーズ3。



 考え得る最悪の展開だった。
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