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特別警戒区域アリス 制圧戦
最初で最期の我儘
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「夜葉さんが助けてくれたの」
「うちが辿り着いた時には既に死体の山だったろ。まさか楪がここまで強いとはな」
集う者達を見、毒に蝕まれる東雲が苦痛の表情を浮かべる。久遠アリスを失うという圧倒的な敗北に、苛立ちを代弁する歯軋りが不快な音を奏でた。
「楪、まだ動けるか?」
「え? うん……どうしたの?」
「弥夜を連れて特別警戒区域アリスを抜けろ。住所は外で伝えた通りだ。そこに、うち等が身を寄せていた稀崎のアパートがある。落ち着くまで身を隠していればいい」
有無を言わさず淡々と話を進める茉白。納得がいかないと言わんばかりに、身を呈して喰って掛かろうとする弥夜が無理矢理に瑠璃の元へと押し付けられた。
「ちょっと茉白!? 一緒に行かないの!?」
「うちにはもう少しやるべきことがある」
首を刎ねられたアリスの死体と茉白の左腕を見比べた瑠璃。何かを察した彼女は自身の背後で餓者髑髏を具現化させると、弥夜を決して離さまいと強く抱きかかえた。
「ちょっと瑠璃!! 待──」
「……行け!! 楪!!」
遮るように重ねられた言の葉。強い語気で吐き捨てた茉白は、それ以上は語らずに視線だけで合図する。薄暗い中でも色褪せない深紫の瞳は、到底形容出来ない多大な悲しみを孕んでいた。
「行くよ柊さん!!」
「でも!! 一緒に帰──」
「……いいから!!」
目を伏せた瑠璃は何かを堪えるような表情で言い放つ。無理矢理に弥夜を連れ去る彼女は、悟られないように涙を流した。
「弥夜……またな」
小さな足音が遠ざかり認識が難しくなった頃、膝をついた茉白は低い唸り声を発する。額に滲む脂汗。荒くなる呼吸が身体の異常を主張する。毒は全身へと回っており、華奢な身体を確実に蝕んでいた。
「桐華の毒に抗うことは不可能だと思っていたが……まさか気力だけで自我を保っていたとはな」
「……黙ってろよ東雲」
「相方への想いか? 本当に君達は下らない。心の底から憐れに思うよ」
「憐れ? 笑わせんな。弥夜の猛毒に侵されてお前も死にかけてるだろ。汚い地面に這い蹲って死を待つ、蛆虫野郎にはお似合いの最期だな」
「確かに君の言う通りだ」
表情一つ変えずに紡いだ東雲。身体中を駆け巡る猛毒が一切の動作を制限しており、指一本動かせない状況が続いていた。
「だが、勝ったのは我々だよ夜葉 茉白。いや……久遠 アリス」
「うちが自我を無くした時、能力が暴走してお前等の計画通りこの国に黒い雪が降る」
「残念だったね。仲間を失ってもなお、我々の計画を止めるには至らなかった」
「残念なのはお前だよ、東雲」
東雲の顔面目掛けて突き付けられた刀。鈍い煌めきを魅せる刀身が、まるで嘲笑うように仄かな照明を乱反射する。視線だけを切っ先に向けた東雲は喉を鳴らして嗤ってみせた。
「今更私を殺してどうなる? お前はもう久遠 アリスそのものだ」
「勘違いするなよ」
刀が弧を描いて百八十度反転する。腕を伸ばし両手で柄を握った茉白は、あろうことか自身の喉元へと切っ先を向ける。
「死ぬのはうちだ。そうすればこの世から久遠 アリスは消え、お前等の計画は終わる。うちが死に、それでこの物語は幕引きだ」
口角を上げて不敵な笑みを浮かべる茉白。深紫の瞳は死を前にして美しくも儚く煌めく。喉元へと向いた切っ先に迷いなど無かった。
「この戦争……うち等の勝ちだ」
「所詮は餓鬼。愚かな選択に変わりはない」
「久遠 アリスの死に様……よく見てろよ東雲ええええええ!!」
一思いに引き寄せられた腕。だが、別の力により制された刀がそれ以降の軌道を描くことはない。刀身を横から鷲掴みにする色白の手。その手から滴る血液が幾らか思考を冷静にさせる。それでもなお茉白は、刀を掴んだ人物に対して驚愕を示した。
「稀崎……?」
稀崎 夜羅。蓮城と相討ちしたはずの存在がそこには在った。視線を合わせた夜羅は無言で首を横に振る。
「……離せ稀崎」
「賛成し兼ねます」
「何のつもりだ」
「まだ自我があるのなら助かる道を探しましょう」
鼻で笑った茉白は刀を下ろしブレザーの袖を捲り上げる。晒された左腕は黒く変色しており、久遠 アリスの右脚全体を蝕む黒い毒素と酷似していた。
「見ての通りだ。毒はもう身体中を侵食してる。この腕を切り落としたところでどうにもならないことくらい解るだろ」
「それでも私は……貴女を救う道を選びます」
「馬鹿かお前は。天秤のもう一方に乗っているのは世界そのものなんだぞ」
「世界なんて知ったことではありません。私は貴女を助けたい。私の心を救ってくれた貴女を……今度は私が救いたい」
桐華の弾丸に穿たれた腹部からは出血が続いている。致命傷に至るほどではないのか、雑に巻かれた布の切れ端が出血を緩和させていた。自身の傷口に視線が向いていることに気付いた夜羅は、服のポケットよりシガレットケースを取り出す。
「正真正銘、生きていますよ。残念ながら成仏どころか、死にそびれてしまいましたが」
「それは?」
表面に枝垂れ桜の刻印が施された金属製のシガレットケース。親友である優來が使っていたものであり、弾丸に撃ち抜かれたのか小さな風穴を晒していた。
「貴女と初めて柊の事務所に行った時、ソファの隙間で拾ったものです。夜葉が雑に立ち上がらなければ見付からなかった」
「なるほど、その煙草入れが弾丸の威力を軽減した訳か」
頷いた夜羅は愛おしそうな表情で穿たれたシガレットケースを見据える。多大な悲しみを宿す瞳の奥底には、決して揺るがない覚悟がチラついていた。
「私は優來にまだ生きろと、死ぬなと……そう言われた気がしました」
「だったら生きろ。その為にうちが消えるんだ」
「貴女を助ける為に生きろと、優來はそう言っているのです。だからこそ彼女は私を生かした……生かしてくれた」
目を伏せた茉白の薄い唇が微かに動く。
「お前は生きろ、稀崎」
巡る記憶。夜羅の脳内に、アパートでの茉白の言葉が蘇る。
『お前は生きろ、稀崎』
『ようやく過去を超えたんだ、その目で色んな景色を見て回ればいい。うちにとっては生きる価値の無い世界でも……お前にとってはそうでないかもしれないだろ』
何度も何度も頭の中を駆け巡った。だからこそ、夜羅は──
「共に生きましょう、夜葉」
「言っただろ、うちはもうどうにもならない。うちがうちである内に……綺麗なままで逝かせてくれ」
紡ぐと同時に胸を押さえて崩れ落ちる茉白。毒素に蝕まれた左腕が凄まじい熱を持っており、常人には形容し難い苦痛が代弁された。
「夜葉……!!」
倣って屈み込んだ夜羅は、茉白を支えるように手を添える。「……悪いな」と吐息混じりに吐き出した茉白は喉奥より声を絞り出す。
「稀崎……頼みがある」
「……頼み?」
「うちの自我が失われ久遠 アリスと化したと、弥夜にそう伝えてくれ。そうすればうちを殺すしか選択肢は無くなる。身体の自由も効かなくなってきた……別の意志が邪魔をして自害も出来そうにない」
苦しそうに肩を上下させながら「それともう一つ」と夜羅の耳元に口を寄せる茉白。紡がれた言葉を聞いた夜羅は目を見開き涙を流す。奥底から込み上げる想いが、留まることを知らず身体から溢れ出した。
「────と弥夜に伝えてくれ」
「嫌です、訊けません。それを了承してしまえば私は……貴女が死ぬのを認めることになる!!」
「うちの最初で最期の我儘だ」
苦しみに蝕まれていながら浮かんだのは優しい笑み。普段は決して見せることの無い表情が、暗闇の中で一際儚さを醸して夜羅の胸を締め付けた。
「最期だなんて言わないで下さい。私達は死ぬ為に戦って来た。でも……こんなのあんまりでしょう!! 共に生きると約束しただろ!! 生きることから逃げるなよ……夜葉!!」
「……いいから聞けよ稀崎!! お前は以前、うちを失いたくないと言ってくれたな。それはうちも同じなんだよ!! お前等を死なせたくないんだよ……!!」
涙の温度さえ忘却して歯を食い縛る夜羅。抵抗なく頬を伝う涙が、壊れた心を代弁するように幾度となく続く。喉で突っかえる言の葉を押し戻そうと試みるも、優しく手を握られたことにより最後の箍が外れた。
「貴女は私に……一番辛い役目を押し付けるのですね……」
「……悪いな」
低い唸り声を発した茉白は夜羅を遠ざける。自身の内に巣食う別の人格と戦うように、無差別に腕を振り回し、声を荒らげ、脚を何度も縺れさせた。
「早く行け!!」
「夜葉……私は……!!」
強く噛まれた下唇より血が滴り、漆黒の瞳が強く淀む。最期の面影を噛み締めるように、夜羅は茉白の姿を真っ直ぐに正視した。
「稀崎……世話になったな。弥夜のこと……護ってやってくれ」
躊躇う背を押す優しい囁き。覚悟を踏み躙る訳にはいかないと苦渋の選択をした夜羅は、茉白を残しその場を後にする。建物内に反響する間隔の短い靴音。無我夢中で駆ける彼女は弥夜の元へと急いだ。
「もう少しだけ堪えてくれよ……うちの身体」
反射的に顔を上げた茉白の目に映ったのは、先程までは地に屈していたはずの東雲だった。余裕綽々と言わんばかりに煙草を燻らせており、毒に蝕まれていた形跡など微塵も存在しない。
「弥夜の毒にやられたんじゃなかったのかよ」
「私の能力で猛毒を模倣したんだよ。あまりにも強い毒性に時間が掛かったけれどね。対処を少しでも誤れば死んでいたよ」
「だったら今死ねよ」
雑に刀を薙いだ茉白は、自身と同じ刀で軌道を遮られたことに気付く。夜羅の足音は完全に聞こえなくなっており、安堵した茉白が鼻で笑った。
「それが弥夜の言っていた模倣の能力か。随分と滑稽な力だな」
刀越しに交わる視線、鍔迫り合いの要領で圧し合う双方。模倣した能力よりも格段に上をゆくはずの東雲は、茉白を圧し切れないことに苛立ちを露にする。
「まさかここまでとは……夜葉 茉白」
ふいに大きく引かれた刀により、東雲の体勢が前のめりに崩れる。その隙が見逃されるはずもなく、茉白の刀が綺麗な弧を描いた。
──はずだった。
身体を蝕む激痛が意識を朦朧とさせ、踏ん張られていた両脚がぐらりと揺らぐ。主導権を失い始めた身体に抗うように腹の底から咆哮する茉白。深紫の瞳が一際強く輝き、湧き上がった巨大な蛇を成した魔力が、東雲を穿つ如く引き剥がした。
「やってやるよ……久遠 アリス。うちに根付いたことを後悔しろ」
視点の定まらない虚ろな瞳で踵が返される。壁面に身体を強く打ち付け吐血した東雲は、不敵な笑みで去り行く背を見据えていた。
「無駄だよ。もう時期君の自我は失われ、能力による暴走が起こる」
「そうかよ、それは楽しみだな」
「何処へ行くつもりだ?」
「お前が一番よく解ってる筈だろ……蛆虫野郎」
縺れる脚を律しながら足掻く。意識と人格だけは手放さぬよう強く歯が食い縛られた。突き刺すような言葉を最期に、茉白はその場を後にした。
「うちが辿り着いた時には既に死体の山だったろ。まさか楪がここまで強いとはな」
集う者達を見、毒に蝕まれる東雲が苦痛の表情を浮かべる。久遠アリスを失うという圧倒的な敗北に、苛立ちを代弁する歯軋りが不快な音を奏でた。
「楪、まだ動けるか?」
「え? うん……どうしたの?」
「弥夜を連れて特別警戒区域アリスを抜けろ。住所は外で伝えた通りだ。そこに、うち等が身を寄せていた稀崎のアパートがある。落ち着くまで身を隠していればいい」
有無を言わさず淡々と話を進める茉白。納得がいかないと言わんばかりに、身を呈して喰って掛かろうとする弥夜が無理矢理に瑠璃の元へと押し付けられた。
「ちょっと茉白!? 一緒に行かないの!?」
「うちにはもう少しやるべきことがある」
首を刎ねられたアリスの死体と茉白の左腕を見比べた瑠璃。何かを察した彼女は自身の背後で餓者髑髏を具現化させると、弥夜を決して離さまいと強く抱きかかえた。
「ちょっと瑠璃!! 待──」
「……行け!! 楪!!」
遮るように重ねられた言の葉。強い語気で吐き捨てた茉白は、それ以上は語らずに視線だけで合図する。薄暗い中でも色褪せない深紫の瞳は、到底形容出来ない多大な悲しみを孕んでいた。
「行くよ柊さん!!」
「でも!! 一緒に帰──」
「……いいから!!」
目を伏せた瑠璃は何かを堪えるような表情で言い放つ。無理矢理に弥夜を連れ去る彼女は、悟られないように涙を流した。
「弥夜……またな」
小さな足音が遠ざかり認識が難しくなった頃、膝をついた茉白は低い唸り声を発する。額に滲む脂汗。荒くなる呼吸が身体の異常を主張する。毒は全身へと回っており、華奢な身体を確実に蝕んでいた。
「桐華の毒に抗うことは不可能だと思っていたが……まさか気力だけで自我を保っていたとはな」
「……黙ってろよ東雲」
「相方への想いか? 本当に君達は下らない。心の底から憐れに思うよ」
「憐れ? 笑わせんな。弥夜の猛毒に侵されてお前も死にかけてるだろ。汚い地面に這い蹲って死を待つ、蛆虫野郎にはお似合いの最期だな」
「確かに君の言う通りだ」
表情一つ変えずに紡いだ東雲。身体中を駆け巡る猛毒が一切の動作を制限しており、指一本動かせない状況が続いていた。
「だが、勝ったのは我々だよ夜葉 茉白。いや……久遠 アリス」
「うちが自我を無くした時、能力が暴走してお前等の計画通りこの国に黒い雪が降る」
「残念だったね。仲間を失ってもなお、我々の計画を止めるには至らなかった」
「残念なのはお前だよ、東雲」
東雲の顔面目掛けて突き付けられた刀。鈍い煌めきを魅せる刀身が、まるで嘲笑うように仄かな照明を乱反射する。視線だけを切っ先に向けた東雲は喉を鳴らして嗤ってみせた。
「今更私を殺してどうなる? お前はもう久遠 アリスそのものだ」
「勘違いするなよ」
刀が弧を描いて百八十度反転する。腕を伸ばし両手で柄を握った茉白は、あろうことか自身の喉元へと切っ先を向ける。
「死ぬのはうちだ。そうすればこの世から久遠 アリスは消え、お前等の計画は終わる。うちが死に、それでこの物語は幕引きだ」
口角を上げて不敵な笑みを浮かべる茉白。深紫の瞳は死を前にして美しくも儚く煌めく。喉元へと向いた切っ先に迷いなど無かった。
「この戦争……うち等の勝ちだ」
「所詮は餓鬼。愚かな選択に変わりはない」
「久遠 アリスの死に様……よく見てろよ東雲ええええええ!!」
一思いに引き寄せられた腕。だが、別の力により制された刀がそれ以降の軌道を描くことはない。刀身を横から鷲掴みにする色白の手。その手から滴る血液が幾らか思考を冷静にさせる。それでもなお茉白は、刀を掴んだ人物に対して驚愕を示した。
「稀崎……?」
稀崎 夜羅。蓮城と相討ちしたはずの存在がそこには在った。視線を合わせた夜羅は無言で首を横に振る。
「……離せ稀崎」
「賛成し兼ねます」
「何のつもりだ」
「まだ自我があるのなら助かる道を探しましょう」
鼻で笑った茉白は刀を下ろしブレザーの袖を捲り上げる。晒された左腕は黒く変色しており、久遠 アリスの右脚全体を蝕む黒い毒素と酷似していた。
「見ての通りだ。毒はもう身体中を侵食してる。この腕を切り落としたところでどうにもならないことくらい解るだろ」
「それでも私は……貴女を救う道を選びます」
「馬鹿かお前は。天秤のもう一方に乗っているのは世界そのものなんだぞ」
「世界なんて知ったことではありません。私は貴女を助けたい。私の心を救ってくれた貴女を……今度は私が救いたい」
桐華の弾丸に穿たれた腹部からは出血が続いている。致命傷に至るほどではないのか、雑に巻かれた布の切れ端が出血を緩和させていた。自身の傷口に視線が向いていることに気付いた夜羅は、服のポケットよりシガレットケースを取り出す。
「正真正銘、生きていますよ。残念ながら成仏どころか、死にそびれてしまいましたが」
「それは?」
表面に枝垂れ桜の刻印が施された金属製のシガレットケース。親友である優來が使っていたものであり、弾丸に撃ち抜かれたのか小さな風穴を晒していた。
「貴女と初めて柊の事務所に行った時、ソファの隙間で拾ったものです。夜葉が雑に立ち上がらなければ見付からなかった」
「なるほど、その煙草入れが弾丸の威力を軽減した訳か」
頷いた夜羅は愛おしそうな表情で穿たれたシガレットケースを見据える。多大な悲しみを宿す瞳の奥底には、決して揺るがない覚悟がチラついていた。
「私は優來にまだ生きろと、死ぬなと……そう言われた気がしました」
「だったら生きろ。その為にうちが消えるんだ」
「貴女を助ける為に生きろと、優來はそう言っているのです。だからこそ彼女は私を生かした……生かしてくれた」
目を伏せた茉白の薄い唇が微かに動く。
「お前は生きろ、稀崎」
巡る記憶。夜羅の脳内に、アパートでの茉白の言葉が蘇る。
『お前は生きろ、稀崎』
『ようやく過去を超えたんだ、その目で色んな景色を見て回ればいい。うちにとっては生きる価値の無い世界でも……お前にとってはそうでないかもしれないだろ』
何度も何度も頭の中を駆け巡った。だからこそ、夜羅は──
「共に生きましょう、夜葉」
「言っただろ、うちはもうどうにもならない。うちがうちである内に……綺麗なままで逝かせてくれ」
紡ぐと同時に胸を押さえて崩れ落ちる茉白。毒素に蝕まれた左腕が凄まじい熱を持っており、常人には形容し難い苦痛が代弁された。
「夜葉……!!」
倣って屈み込んだ夜羅は、茉白を支えるように手を添える。「……悪いな」と吐息混じりに吐き出した茉白は喉奥より声を絞り出す。
「稀崎……頼みがある」
「……頼み?」
「うちの自我が失われ久遠 アリスと化したと、弥夜にそう伝えてくれ。そうすればうちを殺すしか選択肢は無くなる。身体の自由も効かなくなってきた……別の意志が邪魔をして自害も出来そうにない」
苦しそうに肩を上下させながら「それともう一つ」と夜羅の耳元に口を寄せる茉白。紡がれた言葉を聞いた夜羅は目を見開き涙を流す。奥底から込み上げる想いが、留まることを知らず身体から溢れ出した。
「────と弥夜に伝えてくれ」
「嫌です、訊けません。それを了承してしまえば私は……貴女が死ぬのを認めることになる!!」
「うちの最初で最期の我儘だ」
苦しみに蝕まれていながら浮かんだのは優しい笑み。普段は決して見せることの無い表情が、暗闇の中で一際儚さを醸して夜羅の胸を締め付けた。
「最期だなんて言わないで下さい。私達は死ぬ為に戦って来た。でも……こんなのあんまりでしょう!! 共に生きると約束しただろ!! 生きることから逃げるなよ……夜葉!!」
「……いいから聞けよ稀崎!! お前は以前、うちを失いたくないと言ってくれたな。それはうちも同じなんだよ!! お前等を死なせたくないんだよ……!!」
涙の温度さえ忘却して歯を食い縛る夜羅。抵抗なく頬を伝う涙が、壊れた心を代弁するように幾度となく続く。喉で突っかえる言の葉を押し戻そうと試みるも、優しく手を握られたことにより最後の箍が外れた。
「貴女は私に……一番辛い役目を押し付けるのですね……」
「……悪いな」
低い唸り声を発した茉白は夜羅を遠ざける。自身の内に巣食う別の人格と戦うように、無差別に腕を振り回し、声を荒らげ、脚を何度も縺れさせた。
「早く行け!!」
「夜葉……私は……!!」
強く噛まれた下唇より血が滴り、漆黒の瞳が強く淀む。最期の面影を噛み締めるように、夜羅は茉白の姿を真っ直ぐに正視した。
「稀崎……世話になったな。弥夜のこと……護ってやってくれ」
躊躇う背を押す優しい囁き。覚悟を踏み躙る訳にはいかないと苦渋の選択をした夜羅は、茉白を残しその場を後にする。建物内に反響する間隔の短い靴音。無我夢中で駆ける彼女は弥夜の元へと急いだ。
「もう少しだけ堪えてくれよ……うちの身体」
反射的に顔を上げた茉白の目に映ったのは、先程までは地に屈していたはずの東雲だった。余裕綽々と言わんばかりに煙草を燻らせており、毒に蝕まれていた形跡など微塵も存在しない。
「弥夜の毒にやられたんじゃなかったのかよ」
「私の能力で猛毒を模倣したんだよ。あまりにも強い毒性に時間が掛かったけれどね。対処を少しでも誤れば死んでいたよ」
「だったら今死ねよ」
雑に刀を薙いだ茉白は、自身と同じ刀で軌道を遮られたことに気付く。夜羅の足音は完全に聞こえなくなっており、安堵した茉白が鼻で笑った。
「それが弥夜の言っていた模倣の能力か。随分と滑稽な力だな」
刀越しに交わる視線、鍔迫り合いの要領で圧し合う双方。模倣した能力よりも格段に上をゆくはずの東雲は、茉白を圧し切れないことに苛立ちを露にする。
「まさかここまでとは……夜葉 茉白」
ふいに大きく引かれた刀により、東雲の体勢が前のめりに崩れる。その隙が見逃されるはずもなく、茉白の刀が綺麗な弧を描いた。
──はずだった。
身体を蝕む激痛が意識を朦朧とさせ、踏ん張られていた両脚がぐらりと揺らぐ。主導権を失い始めた身体に抗うように腹の底から咆哮する茉白。深紫の瞳が一際強く輝き、湧き上がった巨大な蛇を成した魔力が、東雲を穿つ如く引き剥がした。
「やってやるよ……久遠 アリス。うちに根付いたことを後悔しろ」
視点の定まらない虚ろな瞳で踵が返される。壁面に身体を強く打ち付け吐血した東雲は、不敵な笑みで去り行く背を見据えていた。
「無駄だよ。もう時期君の自我は失われ、能力による暴走が起こる」
「そうかよ、それは楽しみだな」
「何処へ行くつもりだ?」
「お前が一番よく解ってる筈だろ……蛆虫野郎」
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