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恋人ごっこまでの経緯

雨音に紛れて③

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 マリーがリシャールとお茶をした次の日。

「……来ない」

 その日も、マリー宛に任務終了を告げるユートゥルナからの鳩電報は届かなかった。
 それはリシャールがマリーの事を任務を任された修道女だと知らないためか。もしくは、試験のためにマリーをずっと監視しているはずの試験官がたまたまいなかったからか。
 そもそも今はマリーにとって休暇だから、試験期間ではないのかもしれない。
 マリーはほっとした。

「やっぱり、テオフィル殿下の依頼だったのかな? まさか王様? ……リシャール殿下だと、身元バレているだろうし、魔法を使った時点で速攻で失格だよね」

 マリーは窓辺に立ち、視界の前方に広がる王宮を見つめた。
 いくら考えても、真相は闇の中だった。
 
(でも……もし今回の潜入調査がテオフィル殿下の依頼だった場合、リシャール殿下に修道女だということ伝えるべきなのかしら。それとも極秘の潜入捜査だから、やっぱり最低限の人にしか言っちゃダメなのかな)

 ちなみにマリーは今までに軽い魔物退治はしたことがあった。
 魔物とは人々を困らす根源ーーつまり悪魔に近い。それは、元々精霊だったものが、害を与えるようになり、魔物と呼ばれている。
 姿形が、犬や竜だったり、魔女だったり、魔物と言われるものは様々だが、最近はもっぱら形がない。
 昔より魔物だとか精霊を信じず、重んじることが少なくなったため、力が弱まりつつあるらしい。
 恐れ、敬うことが彼らの力の根源だったのだ。
 だから、今回の魔物も、マリーでも封印できるような、具現化すらできない軽いものらしい。
 そしてその魔物は、人や物に取り憑き、悪さをしているらしい。
 魔物自体は大したものでなくても、取り憑いた人が執念や執着、憎しみが強ければ厄介だ。
 きっと己の欲望に呑まれ、事件を引き起こし、被害が拡大する危険性があるのだろう。
 だからマリーは、今回の任務については魔物を封印する、というより犯人を見つけることが優先される。

 ユートゥルナの事だ。
 マリーにできないことを無理にさせたりしない。
 だから、きっとマリーにできる解決の糸口があるはずなのだ。

(できればリシャール殿下に嘘はつきたくないけど……。仕事だしなぁ。リシャール殿下は修道院が嫌いだし、私が修道女だと知られたら話してくれないかも)

 リシャールは修道院を蔑ろにしていることは知っている。

 リシャールは何かの記事に自分は無宗教だと述べていた。 
 自分も氷の魔法が得意でありながら、現実主義で、魔物とか精霊とかどうでもいいらしい。

 リシャールは弟のテオフィルとも仲違いをしていると噂だ。
 宗教と戒律を重んじるテオフィルにとってリシャールは、いかに冷酷で無常に見えるのだろう。
 戦争に率先して行っているのも理由のひとつだ。

 リシャールの非情な王子だという世間体と、戦争を終わらせて平等な世の中をつくるという夢を語る横顔。
 
 リシャールの2つの顔が、マリーの頭の中をぐるぐる掻き乱していた。





********



 次の日の朝も、リシャールは教会にいた。
 その次の日も。

 相変わらず、例年にない雨は降り続けている。
 マリーもユートゥルナの本を読むか絵を描くぐらいしかできることがなく、かといって来たばかりの王都に行く所もなく、結局、リシャールがいる教会に足が向いているのだった。

 マリーは教会の絵画や装飾、所々にある不思議グッズに惹かれてスケッチに通っていた。
 壁際にある無数の壺やら鉱物やら剥製やら年季の入った甲冑やら……無造作に置かれたそれらはまるで珍博物館ーー『驚異の部屋』のようだった。

 リシャールはすっかり風邪を治し、低いのにやけに響く美しい声を取り戻していた。
 マリーはブラン侯爵の屋敷にいても暇だから教会に行っているが、どうやらリシャールは違う様だった。

 リシャールは祝日が終わってから、王族の紋章が入った上衣に腰に剣を刺し、いかにも王族の格好だった。
 耳に連なるピアスだけではなく、指輪、ブレスレットを幾重にも重ね付けしている。
 流石正真正銘の王子様。
 悪目立ちせず、おしゃれだ。
 上衣のポケットに指輪を無造作に入れていたのが嘘のよう。 

 リシャールは教壇の壁側にある質素な木の机で書類に目を通している。 
 教会の扉の前には休日にはいなかった体格のいい見張りの兵が一人だけ立っていた。 
 朝着いたら初日から見張りの兵は何も言う事なく、教会に通してくれた。
 王宮に執務室があるはずだが、リシャールは基本ここで仕事をしているようだった。

 リシャールは大抵中に一人でいたけれど、マリーがスケッチ目当てで通っても何も言う事なかった。
 教会のスケッチに飽きて時々リシャールをモデルに絵を描こうとしていたらすぐに視線が合い、睨まれ、断念するのを繰り返した。

 相変わらず、リシャールの机上には、複数の目眩止めやら吐き気止めやら頭痛薬やらの薬の瓶、マリーが毎日差し入れしている飴やクッキーなどのお菓子、ハーブティーのティーパックが入った缶が所狭しと並べられている。

 時々リシャールが書き物をしながら、頬に手を当て肘をついていると、煮詰まっているサインだ。
 マリーは礼拝室の裏にある小さなキッチンでお湯を沸かし、お茶と休憩を勧めた。
 これといって仕事中、リシャールと視線が合うことはあっても、話すことはなく、夕方になって見張りの兵が帰るまでお互い黙々と真面目に作業をしていた。

 夕方になってやっとマリー宛に鳩電報が届いた。
 そこには王都で起こった魔物関連を匂わせる事件がいくつか記されている。
 しらみつぶしに探りをいれて報告せよ、ということか?
 
 これはもうお咎めなしの任務続行と考えてもいいだろう、とマリーは思った。
 外傷の多い上司、ユートゥルナらしく、紙には少々血痕がついていた。

(ああ、また紙で切ったのかな? それとも思いっきり強打?)

 おっちょこちょいの度が過ぎているが、修道院から出ることのない神様だから、そこまで大惨事にはなっていないだろう。

(少し心配だけど)


********


 リシャールが公務を終え、初めて机から立ち上がったところでマリーは彼に声をかけた。
 リシャールは昼食もいらないと言ってずっと座って仕事していたのだ。

「少し街についてお尋ねしてもいいですか?」

 すっかり2人は世間話くらいする様になっていたから、すこしぐらいリシャールに王都について聞いてもおかしくないだろうと思い、マリーは訊ねた。

「最近変な噂とかあります? 事件とか」
「そんなこと、なぜ聞く?」
「田舎の友達が心配して手紙をくれたんです、それで気になって……」
「……田舎よりは物騒かもしれんが、しらんな。王都は今日もつまらないくらい平和だ。だいたい、兵の巡回も近頃は強化しているからな」

 王都には強力な結界もあるから一時は兵なんか街にいなかった。しかし、最近は休戦状態。
 結界を超えてくる猛者もいる。

「そうですよね、心配しすぎですよね」

 リシャールは事件について何も言わなかった。
 そしてリシャールは徐に薬の瓶から何錠かめまい止め、頭痛薬を取り出し、水で流し込んだ。

(ユートゥルナ様は外科的に、リシャール殿下は内科的な病だわ……この人たち、地位とか名声はあるけど、根本がなってないような気がする)

 マリーはリシャールが心配になった。
 だから、思わず声をかけてしまったのだ。

「すこし、お休みになったらどうですか?」
「お前ら庶民にはわかるまい。休戦状態で今は絶好の公務日和なんだ」
「ですが……お体に障ります」

 マリーの心配をよそに、リシャールは背筋が凍るほど険しい目つきで見据える。

「戦がないうちにしておかないといけないことは山ほどある。貴様ら庶民は労働条件がなんとか文句つけるが、私は休みがない」
「ですが……」
「そもそも私がどうしようと貴様に言われる筋合いはない」

 きっぱり言われてしまう。それははっきりした拒絶のようだった。
 構わないでくれ、と言いたげな。
 そのくせ、リシャールは今だってビンから薬を取り出し、飲んでいた。全然大丈夫ではない。

(強がりだなぁ、この人……)

 さすが王族、高いプライドが彼を支えているのかもしれない。
 リシャールは、もう少し人の言うことを訊いて素直になれば、その体調不良もよくなるはずだ。

 まぁ、マリーに王子を指図する権利もなく、無用なお節介だと重々承知しているが、リシャールが休憩に席を立った時に差し入れを置くのが日課になっていた。
 差し入れは、仕事をしながら、食べやすいサンドイッチやベーグル、スコーン等だった。
 栄養の偏りのある彼の為に、野菜を多めに使用している。
 お供のハーブティーも飽きない様に様々な種類を用意していた。
 食べてくれているかは知らない。
 朝になったら綺麗に片付けられているからだ。
 ……もしかしたらこの用心深い王子は捨てているかもしれないが。

(嫌なら私の事もここから追い出せばいいのに)

 そうすればうるさく構ってくる小娘が消えて、より公務もはかどるかもしれない。
 何も言い返せず、しゅんとなるマリーを横目に、リシャールは益々、気が障ったのか、不機嫌に腕を組む。

「なんだ、その顔は。不満ありげだな?」
「いえ、殿下。私こそ、殿下に物申す等……ご無礼でしたね。失礼しました」

 やけにマリーらしくない受け答えだった。
 いつもなら拒絶されても、あっさりにこにこ返せるのに。
 残念とも、悔しいとも違う、心配しているのに、なぜ? という感情なんだろうか。

「実に、嫌な顔をしている。私が貴様の言うとおりにしないことが不服なんだろう。嫌なら嫌と言ってみろ」

 マリーを不意に目をそらすが、顎を掴まれ、リシャールの苛立ちを帯びた視線とぶつかった。

「な、何する、ですか。……離してください」
「貴様が私から目を背けるから、親切に顔の向きを固定してやっている」
「どこが親切なんですか」
「ほら、もう私しか貴様の視界にはいないだろう?」

(なんだそれは……)
 
 もともとはリシャールがマリーの親切心をきっぱり拒絶したと言うのに。

(言っている意味が解らないし、どうしてこんなに近くに殿下の顔があって、なんで私こんな状況なの?)

 目の前にはあの端麗な顔がすぐ目の前にある。
 吐息が聞こえる距離、これは恋人の距離かもしれない。
 マリーが緊張して顔を紅潮させると、リシャールの形の良い唇がわずかに弧を描いた。

「どうした? 何か言え。……その様子だと言えないか?」
「……」

 リシャールはマリーの顎から手を離した。
 何もなかった様に、長椅子に腰かけ、すっかり冷めたハーブティーを飲んでいる。

「時期に日が沈むと物騒だから、早く帰れ。馬車を呼んである」

 マリーはどう返していいかわからず、礼だけして教会を後にした。





********






 マリーの居なくなった教会は静寂を取り戻し、リシャールのその一部になったかのように物憂げに佇んでいた。
 リシャールはマリーが毎日休憩の度に置いていく差し入れを口にした。

 リシャールは、どこの誰だかわからないような身分不明な、かつ隠し事だらけの娘とともにここ数日過ごし、彼女が持ってきた食べものを普通に食べていた。

 普段の彼は用心深く、食事に毒がないか念入りに調べたりするし、解毒薬も持ち歩いているくらいなのに。
 それは実に滑稽な話だった。

(単に昼食とれと言いたいだけだったんだろうな。そんなこと、言われたのはいつぶりか?)

 リシャールは思わず、らしくないと思い、笑ってしまった。
 少々、いたずらが過ぎたのが気がかりであるが。


 リシャールは憂鬱そうに頬杖をついた。

 彼女は今頃無事に家に着いたのだろうか。
 また熱心に絵でも描いているんだろうか。

 明日は来るかどうか、リシャールはそんなことばかり考えていた。
 リシャールは、実に自分自身が哀れで、哀れでたまらなく、こんな自分が嫌だった。
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