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第二話、同じ穴のなんとやら

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 なんだろう、今日は凄い疲れた。
 仕事自体はどうってことなかったけれど最後のアレが効いていたのだと分かる。少し休憩、と私は夜でも賑やかな駅前の植栽を囲むベンチに腰を下ろして紙袋の中身を確認する。

 妙な疲労と言うかもやついた感情のせいで拠点の一つにしているビジネスホテルにこのまますぐ帰る気にはならなかったからだ。

「ドーナッツ……」

 しかも渋いオールドファッションが三つ。一つは何もついていないクラシカルなもの、もう一つが半分だけチョコレートが掛かっていて最後の一つは白いから多分、シュガーコーティング。
 どうしてそんな物を極道者の男が持っていたのか、とバッグのポケットからスマートフォンを取り出そうと手を突っ込んだ瞬間、何だかとても嫌な予感がしてしまう。

 今日、更新されたと通知が入ったショート動画のタイトル。
 私にこの紙袋を差し出して来た男の手の甲にあった二つのほくろ。

 そして……あの声。
 少し低めの、軽やかな口調。

 いや、ナイ。
 絶対に無い。

 私の唯一の楽しみである動画の推しの配信者がさっきまで私の背後で“裏・社会科見学”をしていたなど、あり得ない。
 頭の中が珍しく混乱しているが確証には至っていない、と恐る恐るショート動画の再生ボタンに触れる。

 私の“推し”は動画本編を配信する前に必ず予告としてショート動画を投稿する。その動画では決まって最後に完成品を見せてくれているが今、手元の中で流れるごく短い動画と私の膝の上にある茶色の紙袋の中にあるオールドファッションドーナッツの内容は――完全に一致していた。

「あれ?私の動画の視聴者さんだった?」

 大きく、息を飲んだ。
 発声元を見上げようとして、出来ない。
 座っている私に対して体を屈めて「ね、やっぱりちょっと“夕食”に付き合ってくれないかな」と……騒音に近いこの駅前の音を無い物とする低い声のただひとつだけが私の耳に吹き込まれる。

 私の左右を取り囲んでいるのはブラックスーツのガタイの良い男。それでも申し訳なさそうに「射手、どうしても若頭が」と言うけれど抵抗した場合は私を加害する意思は一応持っているらしい。
 そうね、横暴とは言え裏の世界では飼い主の言う事を聞くのが第一だもの。

 今ここで私が傍らに置いてあるライフルではなくカットソーの裾の中、伸縮性のある携行用バンドを使って腰に挿している護身用の小型のハンドガンを取り出そうとしても腕の一本、圧し折る気はあるらしい。

 ゆっくりとした動きで私はスマートフォンの画面に触れて流しっぱなしになっていた動画を止める。ちょうど止めた所に映っているのは生のドーナッツ生地を型抜きしている男性の手元。勿論、その手の甲にはほくろが二つ。

「午前中にソレ作ってたんだけど、編集作業してたら急に親父から“たまには現場を見て来い”って言われてしまってね」

 仕事の後に尾行される事は今までもあった。
 弱みを握りたかったんだろうけれどそれは本来ならばご法度だ。
 自分たちの手を汚さずにカネだけ出して我々部外者に“殺し”を頼むのだから、それ相応に筋を通して貰わないと。

「それで君さ、ちょっとの間で良いから私のお嫁さんになってくれない?」
「は……?」

 今夜二回目の私の間抜けな声。

「最近色々あって、歳の近そうな君を見て咄嗟に思いついたんだよね。だから夕食ついでに話を……と思ったんだけど私の視聴者さんなら話が早い」

 私の左右に立っている構成員も「射手なら」「普通の女よか頑丈だろうし」と言い出している。

「なに、勝手な事を」

 いよいよ顔を上げて声の主を見上げた私は繁華街の夜でも明るいその中で初めてまじまじと目の前の……推しの顔を見た。

 悔しい。
 悔しいくらいにカッコイイと言うか私の思い描いていたあのお洒落なキッチンスタジオでエプロンをしてお菓子作りをしていた“推し”の爽やかな笑顔がそこにあった。

 どんな顔をしているのか、いくらでも想像した。
 その本人が、目の前にいる。

 声は多少知っていても顔を知らない。でも手の甲にある特徴的な二つのほくろの存在、そしてずっと見て来た繊細な指先が「車の中で食べよっか」と言って私の膝から紙袋を取って。それが合図だったように構成員が私の商売道具であるケースを奪ってしまう。

「ああでも食前にドーナッツは重いか。スノーボールクッキーブールドネージュにでもすれば良かったな。どう?次の動画から暫くクッキー特集とか」

 言葉に出来ない私と勝手に話を進めている推し。
 さあ行こう、と言い出す推し。

 私の、推し。

 左右の屈強な男二人を見れば「射手、申し訳ないが若頭の話だけでも付き合ってくれないか」と言う。そっちはそっちで本当に困り果てているようだった。

「こんなの、どうかしてる……」
「悪いようにはしないからさ」


 人にはそれぞれ生業がある。
 たとえば私が裏社会で暗躍する“殺し屋”であるように、移動中の車内の私の隣で夕食前だからと半分に割ったオールドファッションドーナッツの製作過程を心地よい声音で話している男が“そう”であるように。

「美味しい……」

 悔しい。
 一度でいいから食べてみたかった推しの作った手作り菓子。
 甘すぎない、私が想像していた通りの素朴な味わいの中にも良い材料を使っているのだと分かる品の良い口当たり。

 ずっと食べてみたかった。
 なのに、どうして。

「お手拭き足りる?」

 ドーナッツを食べている私に甲斐甲斐しく世話をしてくれる推しがまさか“同じ穴の狢”だったとは誰が想像できようか。
 それに「お嫁さんになってくれない?」とは一体どういう事なのか。

 訳が分からないまま私は黒塗りの後部座席で今、推しの作ったオールドファッションドーナッツを味わっている。
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