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第四話、やっぱり味見したいじゃん?

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 着いたよ、と肩を揺すられて息を飲む。

「君たちって息をするように“そう”するよね」

 男の脇腹に突き付けたハンドガン。
 急な強い眠気に呑まれた私は薬でも盛られたのかと思いもしたけれど……睡眠不足と、単に甘い物、油と炭水化物の塊を幾つか口にして急激な血糖値の変化に眠くなってしまっただけらしい。

 何処をどう回ってきたのか分からなくても、タワーマンションの上階から見渡す景色でここがどのあたりなのかすぐに分かった。

 部屋に通されればカウンターキッチン。
 私が憧れていた場所がそこにあった。

「……スタジオ借りてたんじゃないんですね」
「ん?そうだよ、ここが私の城」

 撮影機材と言っても照明が置いてあるくらい。確かに手元を映しているのが殆どだし思い返してみればカメラアングルは固定だった。

「寝る前にお風呂入っておいで」
「コンビニ寄りたかったんですけど」
「ああそれなら下に入ってるから行って来ようか」
「……下着」
「黒で良い?」

 舎弟たる構成員はどうした、と言いたい所だけど正直私は眠かった。男はパウダールームの場所やトイレ、タオルやローブ、ある物は勝手に使っていて良いと言って本当に私の下着を買いに行ってしまった。そう言うのは普通、下っ端がすることだろうに。
 位置情報の機能を使ってマンション名で軽く検索をしてみれば本当にそこは下層階にコンビニやちょっとした商業施設が入っている事が判明する。

 必要最低限の小物と予備の弾倉が入っているハンドバッグはともかく、身に着けていたハンドガンだけは広いバスルームに持ち込んで傍に置いたままシャワーを浴びる。ふと、そこに置いてあるシャンプーやボディーソープの類いがどれも流行りのボディケアショップの物ばかりでつい、手が伸びてしまった。

 生業柄、香水はもとより匂いが強く残る物は避けて来た。でも今夜くらい、と思ってしまったが最後。何故か歯止めが効かなくなってしまった私は全身くまなく、良い匂いに包まれてしっとりすべすべに仕上がってしまっていた。

 上がる頃には戻ってきているだろうと思ったのに。
 パウダールームにコンビニの袋はなく、素肌の上にローブを羽織って濡れ髪のままリビングに行ってもまだ、男の姿はなかった。もしやショーツが売ってなくてコンビニをハシゴしに行ってしまったのだろうか。

(暴力団組織の若頭が一人で?)

 それを考えればなんだかおかしくて、こんな女のショーツ一枚を買いに……私も私だ。本来ならば仕事だけの関係の筈が、マンションにまで上がり込んで。

 不眠が私を惑わせているのだと言い聞かせてパウダールームに戻って髪を乾かす頃には「ただいま」と袋を提げた男が「ほかほかだね」と笑ってすぐに出て行った。
 袋の中にはちゃんと黒い半袖のインナーとショーツ。流石にカップ付きインナーは無かったとしても彼なりの配慮だったのだろう。しかも歯ブラシとか化粧水や乳液の小袋が入ったお泊まりセットまで買ってきてあった。
 ブラジャーだけは使いまわして、有り難くショーツは穿かせて貰う。洗ってタオルに挟むなりドライヤーでも掛ければすぐ乾くけれど……私の眠い頭では思いつかなかった。

 またローブを羽織り、腰の紐を結んでリビングに行けば「もう寝る?少し飲む?」と問い掛けてくる。

「ソファーを借りても」
「眠いならベッドにしなよ」
「床でも良い」
「全く……部外者は側近くらいしか来ないから、私のベッド使って。客間はあっても何も置いてないんだよ」

 甲斐甲斐しく世話をしてくれる男はこっち、と私を寝室に通してしまう。男が言っている事は本当だろう……一般人の女を連れ込むにはリスクが高い。遊びで抱くだけならどこかのハイクラスホテルの方が都合が良い――ただ私は、同じ裏の世界に生きる同業者。住居について口を割る事は無い。

「考え事してる」
「……隙だらけとかのレベルじゃないくらいには頭が回ってないですけど」
「今夜くらいゆっくりして」

 シーツも掛布団も清潔で、お菓子作りをしている男の気質が伺えた。

 仮眠とは言ったものの、泥のように眠れたのはいつぶりだっただろうか。
 目が覚めれば多少は寝乱れていたけれど私は普通にローブを纏い、隣に男はいなかった。
 枕元に置いておいたスマートフォンを見ればまだ朝の八時、寝室から出てリビングに行けばコーヒーの良い香りと共ににこやかに「おはよう」と言う男がいた。

「クッキー食べる?真ん中にジャムついてるやつ」
「食べる……」

 コーヒー淹れておくから顔洗っておいで、と――本当にこの男は私に一切触れていないようだった。リビングに鎮座している大きなソファーには畳まれていないブランケットが一枚、と言う事はそこで寝ていたらしい。

 別に、私の体になんて興味無かったのだろう。
 良い女なんてこの男の回りには腐る程いるのだから……私、何か勘違いしている。この男とは仕事上の付き合いだけの筈。たまたま私の推しであっただけで結局は裏社会の人間だ。

 ソファーに座るにしても、と勝手にブランケットを畳んでアームレストに掛ける。何気ない行動だった。
 だって、座るのに邪魔だったから。

「ああ……今の良いね、すごく良い」

 何がだ、と思ってみてもただ私は自分が座るのに邪魔なブランケットを畳んで置いただけ。

「お嫁さんみたい」
「違いますけど」

 溜め息と一緒に座り込む。
 少し、寝過ぎたかもしれない。

「はい、どうぞ」

 差し出されたのはコーヒーと、配信の中でも見た事があるオシャレな小皿に盛られた型抜きクッキー。くまさんがナッツを抱いている物まで乗っていた。

「赤がクランベリーで、黄色がアプリコットかと思いきやマンゴー、緑っぽいのがキウイ味」
「相変わらず凝ってる……」
「どう?」

 ジャムは市販を煮詰めたんだよ、と言うけれどいつの間にか私の隣に自然と座った男はまた味の感想を求めて来た。

「甘酸っぱい」

 口の中がきゅ、となる。

「あ、今の可愛い」

 ハイクラスの黒塗りの後部座席は独立したシートだったのでそこまでの距離感は感じていなかったけれどこうして隣に何も遮るものが無く座られると、近い。
 それにわりと恥ずかしげもなく私の言動にコメントを残す。
 そうやって言葉巧みに良い女を持ち帰っては喰っているのだろう。まあこの顔じゃそれだけで釣れるか。

 仮眠の筈が思いのほか深く眠れた事だし、一度拠点に戻ろうと持ってきていたスマートフォンを見れば通知が一つ。
 引き受けてある仕事をキャンセルしたいとの依頼人からのメッセージが入った。

 妙だな、と思う。
 私に依頼してくれるからには依頼人の殺意は高い筈なのに高くないキャンセル料を支払ってまで直前で延期もせずに白紙に戻すとは。

 私をキープしておくからには前金、手付金が必要だった。
 完全にキャンセルする場合はそのまま私が貰う事になる。通常、私の仕事が完遂された事が相手にもしっかり確認がとれてから成功報酬を徴収していた優良フリーランス。

「どうしたの」
「仕事の話だから黙秘」
「そっか」

 調べなら拠点に戻ってからすればいい、とついもう一枚に手が伸びてしまう。食感はサクサクで、ジャムが濃くて。

「次、仕事があったら請けますよ。特別に格安で」

 コーヒーも起き抜けに飲むには丁度いいさっぱりとした浅煎りで……正直、喫茶店のように居心地が良い。

「仕事を請けると言っても、私が生きていたらの話ですけど」
「このままもう一泊しちゃえば良いのに」
「私は売るような媚びは持ち合わせていない」
「……いくら積めば君の事、買えるの?」

 隣に座っていた男もコーヒーを片手にまた軽口を叩く。
 これくらいなら話に乗ってやってもいいか、と思った私も「一千万一本」と冗談交じりで言ってしまった。

「そう、じゃあ振り込んでおく」
「は……」
「一日、いや三日くらいはとりあえずいて欲しいな」

 嬉しそうな声音ですぐにどこか、金庫番にでも連絡をしてしまう男を私は止められなかった。彼が本気だとは思わなかったから。

「この前の口座で良い?」
「え、いや……」

 暫くしてから私のスマートフォンに特定の通知が入る。仕事用として使っている裏の口座への入金の通知。しかも三本。
 仕事の依頼でもせいぜい高くて一本が私の相場だと言うのに唖然としている私に「私が君の三日間の命を買い上げたってことで」とソファーが僅かに軋む。深く沈み込む私の傍ら、逃れようとしたけれどいつの間にか踏まれていたローブの裾。

「だからちょっとだけ、味見させて」
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