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単話『これからも、ずっと』
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そんな楽しいひと時から暫くして。
クリスマス当日、これといった物のプレゼントと言うよりは一緒に過ごせる事の方が千代子にとっては何より嬉しかった。クリスマスマーケットに行った日の司からのディナーがプレゼント代わりで、千代子もまた買い出しや下拵えに勤しんだ今夜の夕飯が司へのプレゼントだった。
夕方五時。
いつもより早く帰って来てくれた司を「お帰りなさーい」と出迎える声。どうやら手が離せない様子だったのとふんわりといい匂いがしている事に司は目を細める。これは、焼き菓子の匂い。いつもだったらホットケーキをよく焼いているが今日はその甘さに香ばしさとお酒の風味が合わさっている。
司は「夕食の時にこれ、開けよう」と途中で寄って買って来たリカーショップの紙袋を千代子に見せれば「お家だから私もちゃんと飲める」と言う……千代子は極端に弱い訳ではないがやはりのんびりと飲むには部屋でゆっくりしている時の方が良いと自分でも分かっているようだった。
スーツを脱いで、ネクタイも抜いて来たラフな格好の司も「手、洗ってくる」と一旦リビングから離れてまたすぐに戻って来ると「手伝う事ある?」と聞く。
「では味見を。お酒と一緒ならもう少し濃くてもいいかな、って」
そんな事で良いの?と言いたくもなる司だがキッチンは千代子の城、ここでは彼女が自分のボスだ。
小皿とスプーンを受け取ってミルクシチューの味を確かめる。
「もう少し煮詰めるようならこれくらいかな」
野菜の煮込み具合から察するに、と鍋を覗く司に「じゃあシチューは暫くこのままで、時々混ぜて貰っていいですか」と三口のコンロの端へごく弱火にして火にかける。
過度な遠慮は無しだよ、と司に言われている千代子はだんだんと何かを頼む事について素直に言葉にして伝えられるようになっていた。
「司さん似合う」
しっかりとワイシャツの袖を捲って木べらを持って鍋の中をかき混ぜている司に笑う千代子はどうやら焼けたらしいケーキを取り出す為に厚手のミトンを手に嵌めて、オーブンレンジの扉を開ける。普段、電子レンジの温め機能しか使わない司は「本当に自宅でも焼けるんだ」と表面はこんがりと良い色になっている丸いフルーツケーキを見る。
竹串を刺して焼けているか確認する千代子が「司さんのブランデーを少し拝借したので、好みだと思います」と型から上手にケーキを抜くと「このブランデーシロップを表面に塗ってください」と次は調理用の刷毛を手渡してくる。
「本当は一日置いた方がしっとりして良いんですけど、こうして自分で作らないと柔らかい焼き立ての食感は味わえないですから」
頼まれる事は小さくても、頼ってくれるだけで良い。
楽しそうに笑う恋人が見られるだけで良い。
出来るだけ片付けの方を率先していた司と、食卓の支度をしていた千代子。
付けていたリビングのテレビでは年の瀬の特集、帰省ラッシュの混雑予想がしきりと流れているがぱたぱたと二人で自分たちだけのクリスマスのディナーの支度をしている内に都内のターミナル駅周辺の中継へと場面は変わっていた。
グラスに注がれたのはシードルだった。
司が買って来て冷蔵庫にしまったので普通のシャンパンかと思いきや香り立つリンゴの芳香に千代子が気づく。
「あんまり度数高くないからちよちゃんでも美味しく飲めると思う」
再会したばかりの頃に缶チューハイもひと缶持て余すようになっていると言っていたのをちゃんと覚えていた司。だからと普通のワインやシャンパンよりも優しいアルコール度数の物を、と考えていたらリカーショップの店員に勧められた。
確かにシードルは千代子の食の好みに合うし、今夜の料理の内容にも合う。予め知っていて良かったな、と司は思った。
乾杯、と最後は二人で用意したクリスマスディナー。
「そう言えば司さん、仕事から帰って来てそのままだった」
「ああ……わりと体力ある方だから大丈夫」
さらりと言う司にそれは、とちょっと考えてしまう千代子。駄目だ、今そんな事を考える時間じゃない。
「お肉の味付け、流行りのシーズニングにしてみたんです」
スパイスが色々入っているので便利なんですよ、と言う千代子の作った料理は不思議と何でも美味しい。この感覚をどう表現をしたらいいのか、この前のクリスマスマーケットに行った日のディナーだって美味しかった。けれど味付けが多分……自分の好みに寄せてくれているのではないのだろうかと司は勘付く。千代子の調理のセンスも良いが、それをしっかり学習して好む味付けに寄せている。
これがきっと、自分たちの家庭の味になるのかもしれない。
「司さんのお休みまであと少しですね」
「芝山と松戸にも休んで貰う為には私がしっかり休まないと」
千代子は自分が知り及ばない部分が多くある事を理解していた。
裏社会に君臨していた巨大な組織の解体が一筋縄ではいかない事も、燻る反発も……それらから自分を切り離してくれているのは司の優しさだった。
特別難しい調理はしていない家庭料理を「美味しいね」と言い合える仲になれたのは今も奇跡、夢なのかもしれないと千代子は思ってしまっていた。それくらい、この暮らしは楽しかった。
「シードルって美味しいんですね」
「気に入った?」
頷けばそれなら良かった、と嬉しそうにしてくれる人。
「そうだ、余ったドライフルーツで今度ホットワインしませんか」
「それはした事がないな」
「お砂糖を少し入れるからほんのり甘くて、体が温まるんです」
クリスマスのディナー。
デートも良いけど、と二人だけの静かな夜が更けてゆく。
クリスマス当日、これといった物のプレゼントと言うよりは一緒に過ごせる事の方が千代子にとっては何より嬉しかった。クリスマスマーケットに行った日の司からのディナーがプレゼント代わりで、千代子もまた買い出しや下拵えに勤しんだ今夜の夕飯が司へのプレゼントだった。
夕方五時。
いつもより早く帰って来てくれた司を「お帰りなさーい」と出迎える声。どうやら手が離せない様子だったのとふんわりといい匂いがしている事に司は目を細める。これは、焼き菓子の匂い。いつもだったらホットケーキをよく焼いているが今日はその甘さに香ばしさとお酒の風味が合わさっている。
司は「夕食の時にこれ、開けよう」と途中で寄って買って来たリカーショップの紙袋を千代子に見せれば「お家だから私もちゃんと飲める」と言う……千代子は極端に弱い訳ではないがやはりのんびりと飲むには部屋でゆっくりしている時の方が良いと自分でも分かっているようだった。
スーツを脱いで、ネクタイも抜いて来たラフな格好の司も「手、洗ってくる」と一旦リビングから離れてまたすぐに戻って来ると「手伝う事ある?」と聞く。
「では味見を。お酒と一緒ならもう少し濃くてもいいかな、って」
そんな事で良いの?と言いたくもなる司だがキッチンは千代子の城、ここでは彼女が自分のボスだ。
小皿とスプーンを受け取ってミルクシチューの味を確かめる。
「もう少し煮詰めるようならこれくらいかな」
野菜の煮込み具合から察するに、と鍋を覗く司に「じゃあシチューは暫くこのままで、時々混ぜて貰っていいですか」と三口のコンロの端へごく弱火にして火にかける。
過度な遠慮は無しだよ、と司に言われている千代子はだんだんと何かを頼む事について素直に言葉にして伝えられるようになっていた。
「司さん似合う」
しっかりとワイシャツの袖を捲って木べらを持って鍋の中をかき混ぜている司に笑う千代子はどうやら焼けたらしいケーキを取り出す為に厚手のミトンを手に嵌めて、オーブンレンジの扉を開ける。普段、電子レンジの温め機能しか使わない司は「本当に自宅でも焼けるんだ」と表面はこんがりと良い色になっている丸いフルーツケーキを見る。
竹串を刺して焼けているか確認する千代子が「司さんのブランデーを少し拝借したので、好みだと思います」と型から上手にケーキを抜くと「このブランデーシロップを表面に塗ってください」と次は調理用の刷毛を手渡してくる。
「本当は一日置いた方がしっとりして良いんですけど、こうして自分で作らないと柔らかい焼き立ての食感は味わえないですから」
頼まれる事は小さくても、頼ってくれるだけで良い。
楽しそうに笑う恋人が見られるだけで良い。
出来るだけ片付けの方を率先していた司と、食卓の支度をしていた千代子。
付けていたリビングのテレビでは年の瀬の特集、帰省ラッシュの混雑予想がしきりと流れているがぱたぱたと二人で自分たちだけのクリスマスのディナーの支度をしている内に都内のターミナル駅周辺の中継へと場面は変わっていた。
グラスに注がれたのはシードルだった。
司が買って来て冷蔵庫にしまったので普通のシャンパンかと思いきや香り立つリンゴの芳香に千代子が気づく。
「あんまり度数高くないからちよちゃんでも美味しく飲めると思う」
再会したばかりの頃に缶チューハイもひと缶持て余すようになっていると言っていたのをちゃんと覚えていた司。だからと普通のワインやシャンパンよりも優しいアルコール度数の物を、と考えていたらリカーショップの店員に勧められた。
確かにシードルは千代子の食の好みに合うし、今夜の料理の内容にも合う。予め知っていて良かったな、と司は思った。
乾杯、と最後は二人で用意したクリスマスディナー。
「そう言えば司さん、仕事から帰って来てそのままだった」
「ああ……わりと体力ある方だから大丈夫」
さらりと言う司にそれは、とちょっと考えてしまう千代子。駄目だ、今そんな事を考える時間じゃない。
「お肉の味付け、流行りのシーズニングにしてみたんです」
スパイスが色々入っているので便利なんですよ、と言う千代子の作った料理は不思議と何でも美味しい。この感覚をどう表現をしたらいいのか、この前のクリスマスマーケットに行った日のディナーだって美味しかった。けれど味付けが多分……自分の好みに寄せてくれているのではないのだろうかと司は勘付く。千代子の調理のセンスも良いが、それをしっかり学習して好む味付けに寄せている。
これがきっと、自分たちの家庭の味になるのかもしれない。
「司さんのお休みまであと少しですね」
「芝山と松戸にも休んで貰う為には私がしっかり休まないと」
千代子は自分が知り及ばない部分が多くある事を理解していた。
裏社会に君臨していた巨大な組織の解体が一筋縄ではいかない事も、燻る反発も……それらから自分を切り離してくれているのは司の優しさだった。
特別難しい調理はしていない家庭料理を「美味しいね」と言い合える仲になれたのは今も奇跡、夢なのかもしれないと千代子は思ってしまっていた。それくらい、この暮らしは楽しかった。
「シードルって美味しいんですね」
「気に入った?」
頷けばそれなら良かった、と嬉しそうにしてくれる人。
「そうだ、余ったドライフルーツで今度ホットワインしませんか」
「それはした事がないな」
「お砂糖を少し入れるからほんのり甘くて、体が温まるんです」
クリスマスのディナー。
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