5 / 43
第2話
パチモンの笑顔 (1)
しおりを挟む琳華と梢はお互いに顔を見合わせ、もう一度図面を覗き込む。
「小梢、赤いシミもだけれどこの紙……少し柑橘の匂いがしない?」
くんくん、と図面の匂いを確かめる琳華は梢にも同じように確かめさせた。
「図面はどのお部屋にも置いてあるみたいなのですがこの寄宿楼を含めた各棟や宮の配置も持ち歩くような難しい感じではなくて」
「そうね。覚えられないほどじゃないし、多分行ってはいけない場所には門番や衛兵が必ずいて引き留めると思う」
丁寧に折られた図面の外側には一枚の懸紙に『周琳華』と筆書きが施され、中にも図面をまとめておく少し糊付けされた帯状の紙が一枚、輪になるように掛けられていた。つまりは秀女一人一人に名指しで同じ物が行きわたっていることになる。
さらに琳華はその懸紙や帯の匂いを確認する。
「やっぱり、いい匂いがするのは帯の方だわ」
「それってもしかして」
「ええ。私たちなら“分かる”やり方で誰かが何かを伝えようとしている」
とりあえずお湯が冷めてしまわないように梢は茶の支度をし始めるが琳華は椅子から立つと部屋の隅の卓にあった燭台を持ってくる。そして梢が探索の際に炊事場で分けて貰って来たと言う火を付ける為の火種が仕込まれている手の平ほどの細身の竹筒から蝋燭に火を灯した。
「小梢、見て」
糊付けされていた紙の帯など誰もが破ってすぐに捨ててしまう物。
しかし貴族の子女でありながらも兄たちと野山を駆け、梢とも元気に遊んでいた琳華はそれがとても重要な紙の帯だと見抜く。
蝋燭の火の上、焼け焦げないくらいに離して端から紙の帯を炙ればすぐに茶色い文字が浮かび上がる。筆で記された茶色い丸印の横には時刻が記されており、まるでその時間帯に誰かがそこにいるかのようだった。
「多分、図面と共に配られている時間割の別紙にもあるように日が暮れてからは各自、朝まで自由な時間になっているみたい。なんならそれくらいしか自由がないから許されているのかもしれないけれど……この隠し文字の時刻って」
お茶を差し出す梢にも琳華は帯を見せ、浮かび上がっている茶色い文字を読ませる。そしてもう一度、図面に記されている赤い点と帯の文字を照らし合わせてみればどうやら自分たちがいる角部屋にも誰かが通過するかもしれないような時刻の記述があった。
「等間隔に並んだ三つの点は凄い時間ですね。真夜中で……でも時刻を追うと各外廊下に沿うように、全体を回っているようですね」
「そんな時間に外を出歩けるのは」
男性の警備兵しかいない。
この朱王朝時代、後宮は慣例であった宦官の制度を徐々に廃止しており、厳しい審査を受けて合格した男性の武官が夜警をしていると父親から聞いていた。その目印として白い組紐で出来た飾り結びが通行手形代わりに彼らの腰に提げられているそう。
それぞれの部隊により結びの形が違い、高位の者の場合は翡翠の玉が提げられている、とそんな話も父親から聞いていた琳華は梢にも教えながら一先ずお茶を口にする。
「多分この炙り出しの細工は父上の差し金……いえ、ご指示だと思う。わたくしと小梢が柑橘の匂いに気が付くことを前提にしている」
「子供の頃にこうして遊んだことが無ければ気がつきませんよね」
「ええ。それにこの書かれている時間帯の警備兵の中に父上、あるいは兄上と通じている方が必ずいる、と」
これは推測よりも確信に近い。
そしてこの仕掛けが施された紙帯のこと――貴族の娘がいくら幼いころとは言え火を使った遊びの経験があるなど……。通いで子供たちに手習いを教えている琳華は一度もそんなヤンチャなことを見たり聞いたりはしていなかった。やはり、自分たちが少々特殊な育ち方をしたのを知っている人物たちが随所に関わっていることを知る。
(でも、この胸のどきどきとした感覚は何なのかしら。不安とは違う、色々な思いが混ざったような複雑な感じ……)
琳華はこれから自分は本当に皇子の為に後宮で暗躍をしなければならないのだと身をもって知る。見た目はおしとやかな貴族の娘を装いながらも裏では後宮、皇子に向けられる黒い影を探る。
「そう言えば父上は宗駿皇子様に仕えている親衛隊長様にも話が通してある、と仰っていたのだけど」
「外の感じだと女官様や宮女の方々ばかりで会えそうにないような気がしますが……まさしく、女人の園」
「わたくしも同意見よ。見回りの兵はあくまでも兄上が勤めているような部署の方々で許可された人数も多くはない。皇子様の警護を専門にされている方とそう易々と会えるとは」
うーんと悩む琳華と梢。
とりあえず紙の帯は誰にも見せられないので覚えたら燃やすなりして処分をしなくてはならない。
「父上も今は事務職の官僚とは言え元は武官。親衛隊長様とも何かしらのご縁があるのかもしれないわね」
紙の帯を卓に置いた琳華が今夜にでも早速、散策ついでに印のついている場所に赴いてみようかと梢と話を始めた時だった。
部屋の扉がとんとん、と軽やかに叩かれる。
咄嗟に梢が腰を上げ、出入り口の方に向かうと「どちら様でしょうか」と問いかけた。宿舎楼に逗留する秀女たちを世話する後宮の宮女ならば先に名乗る筈だ。
「周琳華様のお部屋でお間違えないでしょうか」
次いで出て来た言葉は「伯家の侍女に御座います」との言葉。
扉の前にはすぐに部屋の中が見えてしまわないように一枚の衝立があり、梢はその横から顔を覗かせて琳華に扉を開けても良いか視線で問いかける。そして浅く頷いた主人を確認すると部屋の扉を開けた。
「お休み中のところ申し訳ございません。私、伯家の侍女で御座います」
平身低頭のその侍女は改めて身分を名乗ると部屋の奥に琳華がいることを確認しているようで梢はそれを隠すように扉の前に立ちはだかる。一介の使用人として不躾な、と心の中で憤慨しつつも用件は何かと問いただす。
「各自、居室にてお夕食かと存じますがその後に秀女の皆様でお話しがしたい、と主人が申しておりまして琳華様も是非に」
急な伺いは梢の可愛い顔をきつくさせる。
「申し訳ありませんがそう言ったお誘いは……いえ、少々お待ちください。伺ってきます」
扉の前から踵を返し、梢は琳華の元へ行くと状況を説明する。
「伯家……伯丹辰様ね。父上からの情報提供によるとうちより格下だった気がするけれど」
「お嬢様、どうしましょう」
梢の視線は卓の上にある案内図と機密とも言える警備時刻が記されている紙の帯に向けられる。
「断れそうだったら断って貰っていいかしら。なんかこう、儚い感じで」
「承知いたしました。この梢にお任せ下さいませ」
強く頷く梢は「追い返してきます」とまた扉の方へ向かった。
10
あなたにおすすめの小説
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません!
花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」
婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。
追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。
しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。
夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。
けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。
「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」
フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。
しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!?
「離縁する気か? 許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」
凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。
孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!
※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。
【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】
物置部屋に追いやられた伯爵令嬢ですが、公爵様に見初められて人生逆転しました〜妹の引き立て役だったのに、今では社交界の花と呼ばれています〜
丸顔ちゃん。
恋愛
伯爵家の令嬢セレナは、実母の死後、継母と義妹に虐げられて育った。
与えられた部屋は使用人以下の物置、食事は残飯、服はボロ。
専属侍女も与えられず、家の運営や帳簿管理まで押し付けられ、
失敗すれば鞭打ち――それが彼女の日常だった。
そんなある日、世間体のためだけに同行させられた夜会で、
セレナは公爵家の跡取りレオンと出会う。
「あなたの瞳は、こんな場所に閉じ込めていいものではない」
彼はセレナの知性と静かな強さに一瞬で心を奪われ、
彼女の境遇を知ると激怒し、家族の前で堂々と求婚する。
嫁ぎ先の公爵家で、セレナは初めて“人として扱われ”、
広い部屋、美味しい食事、優しい侍女たちに囲まれ、
独学で身につけた知識を活かして家の運営でも大活躍。
栄養と愛情を取り戻したセレナは、
誰もが振り返るほどの美しさを開花させ、
社交界で注目される存在となる。
一方、セレナを失った伯爵家は、
彼女の能力なしでは立ち行かず、
ゆっくりと没落していくのだった――。
虐げられた令嬢が、公爵の愛と自分の才能で幸せを掴む逆転物語。
冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない
彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。
酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。
「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」
そんなことを、言い出した。
【完結】何故こうなったのでしょう? きれいな姉を押しのけブスな私が王子様の婚約者!!!
りまり
恋愛
きれいなお姉さまが最優先される実家で、ひっそりと別宅で生活していた。
食事も自分で用意しなければならないぐらい私は差別されていたのだ。
だから毎日アルバイトしてお金を稼いだ。
食べるものや着る物を買うために……パン屋さんで働かせてもらった。
パン屋さんは家の事情を知っていて、毎日余ったパンをくれたのでそれは感謝している。
そんな時お姉さまはこの国の第一王子さまに恋をしてしまった。
王子さまに自分を売り込むために、私は王子付きの侍女にされてしまったのだ。
そんなの自分でしろ!!!!!
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。
冷遇妃ライフを満喫するはずが、皇帝陛下の溺愛ルートに捕まりました!?
由香
恋愛
冷遇妃として後宮の片隅で静かに暮らすはずだった翠鈴。
皇帝に呼ばれない日々は、むしろ自由で快適——そう思っていたのに。
ある夜、突然現れた皇帝に顎を掴まれ、深く口づけられる。
「誰が、お前を愛していないと言った」
守るための“冷遇”だったと明かされ、逃げ道を塞がれ、甘く囲われ、何度も唇を奪われて——。
これは冷遇妃のはずだった少女が、気づけば皇帝の唯一へと捕獲されてしまう甘く濃密な溺愛物語。
冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎
王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。
……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。
追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。
無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」
騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる