6 / 43
第2話
パチモンの笑顔 (2)
しおりを挟むとりあえず、ではあったが伯家の侍女を追い返した琳華と梢は改めてこれからの方針を固めよう、と声を潜める。
ここは周家の屋敷ではない。誰が話を聞いているかも分からない。
「そもそもおしとやかな感じってどうしたらいいのかしら。猫を被るだけじゃ駄目な気がしてきたわ」
「そうですね……こう、儚げに視線を斜め下にして」
ふ、と伏し目になる梢に琳華はうんうんと頷いて妙な事を覚え始める。
「断ったものの、気分転換と称して外に出ることは可能でしょう。でもそれもあまり使えないから散歩が趣味とで吹聴しておこうかしら」
「先手必勝でございますね?」
「ええ。それが周家の家訓ですものね」
幼い頃から周家で育っている梢もしっかりと周家の家訓を学んでいる。小柄で可愛い顔をしているが中身は周家の覚えを深く胸に刻んだ強い女性だった。
だからこそ、琳華も梢のことはなるべく同等に扱う。世間体もあるのでそう言う所は考えつつも使用人と言う仕事としてよりももっと身近な存在でいて欲しいと思っていた。
もし、梢が傷つくようなことがあれば絶対に許さない。それくらいの気高さと気概を持ち合わせた女性が周琳華だった。
「そもそも宗駿皇子様の親衛隊長様ってどのような御方なのかしら。武官や武将の方はともかく、武功などのお噂は父上や兄上からも聞いたことがないし」
「旦那様が頼りになさるような武人、宗駿皇子様の護衛の一番偉い方ですからきっとこう、筋骨隆々のたくましい御方なのでしょうか」
「会えるかどうかはまだ分からないけれど、ちょっとくらい楽しみに思っても不敬ではないわよね」
ふふ、と笑う琳華に梢は少し驚く。
周琳華の性格上、長兄次兄の二人以外に男性に興味を抱くことはほぼ見受けられなかった。年齢も年齢であり、本当に興味がないのかとも……。
てっきり梢は琳華が我が道を一人で突き進む自立した女性を目指しているのだと思ったが何となく、今の主人の表情はときめいているように見える。それは、まったく悪い事じゃない。
「わたくしはつい、胸や肩をしっかり張りがちになってしまうから」
「柔らかな印象を、とのことならこうでしょうか」
「肩を落として……このお役目、梢にやってもらった方が合っている気がしてきた」
「んもう、またそのような事を仰って。お嬢様だからこその立派なお役目なのですから」
琳華にとって梢は子供じみた冗談も気兼ねなく、くすくすと笑い合える大切な存在だった。
・・・
伯丹辰からの誘いを断った琳華は部屋で食事を済ませたあと、逗留している寄宿楼から外に出た。もちろん衣裳は変わらず、白の上下に持ち込んだ薄桃色の羽織。本来、白色は弔いの色合いではあるが織りは上質で光沢があり、所々に大ぶりな柄が織られている。
とにかく、琳華たち秀女の立場はまだ後宮の客人でしかない。女官や宮女たちはそれぞれの部署や階級別に色の付いた上下を着ているので白一色で区別をしておいた方が扱いがしやすい。宮女たち側からすれば今の内に秀女たちに名を覚えて貰えば果ては将来の皇后、寵姫の侍女として取り入る絶好の機会だった。
「小川が流れているなんて珍しいわね」
夜でもそこかしこでかがり火が焚かれているのでそこまで暗くはない夜の後宮の庭。案内図では宗駿皇子が住まう東宮とも大きな門扉を境に通じてはいるようだが煌々と明かりがともされている門の警備は堅そうに見える。それはそうよね、と琳華は視線を戻すと梢を伴って夜の庭を小川伝いに散策し始める。
さくさく、と短い下草を少し踏む音。そよそよとそよぐ夜風。
「小川と言っても結構浅いし底も綺麗……どこかで水量が管理されている観賞用の小川かしら」
ねえ小梢、と振り向いた琳華はぬっと現れた人影に咄嗟に梢の手を引きそうになる。その人影は梢の真後ろに二つ、あった。
しかし手には足元を照らす提灯が提げられており、相手が警備の男性武官であることに気がつく。腰には許可されている者しか賜ることが出来ない白い組紐が提げられ、揺れていた。
「隊長、周琳華殿で間違いありません」
梢の真後ろに来ていた大岩のように体の大きな武官が振り向き、もう一人の武官に伝える。
「そうか。周先生の仰った通りではあるが」
驚きと警戒からまだ言葉を発せないでいる琳華たちに対し、体の大きな武官の後ろにいた人物が姿を現す。
「琳華殿、こちらの方は張偉明親衛隊長です」
「しん、えい……っ、わたくしは周琳華と申します」
慌てて小さくかしずく琳華にすぐ横に捌けた梢も深く頭を下げる。
しかし背の高い親衛隊長の鋭い目は琳華が侍女を咄嗟に守ろうとしたのを見ていた。
普通、瞬発力が無ければ出来ないような反応。それに他人を守れるほどの格闘の心得と、強い自信も伴っていなければ……気のせいだったろうか、と張偉明の切れ長の目は琳華をじっと見つめる。
「隊長、隊長ってば。周先生のご息女殿の前でその目はやめてくださいよ」
つんつん、と筋骨隆々な肘で小突かれた偉明は咳払いをしてから「周先生には大変お世話になっている。ゆえにこちらから先に挨拶をしようと思ったのだが」と自らが夜の後宮の庭に訪れていた理由を簡潔に述べた。
「それ、と。あー……此度の秀女への抜てき、おめでとう御座います」
しかし彼の澄んだ声による言葉はあまりにも棒読みだった。
その心にもない声に大柄な武官の方が平身低頭になっている。
「琳華殿、我々は周先生から多大なるご推薦を賜りまして……良き家柄の隊長はともかく俺は商家の出なのですが隊長付き、つまりは宗駿皇子様のお傍にいられるのは先生のお陰で」
「そ、そうだったのですね」
こちらこそ父がお世話になっております、とやはり琳華も若干の棒読みで言葉を返す。
「……良い歳をしてとんだお転婆だと話に聞いているが」
またしても偉明はじーっと注意深く琳華を見る。
人を見る目が厳しいのは衛兵としての癖なのだろうがその瞳は冷めていた。一体全体、父親はこの親衛隊長に何を吹き込んだのか。素を出してもならないし、とどう振る舞ったらいいかが分からない。
「例の紙帯だが」
あの炙り出し文字の事を言う偉明に琳華は地の部分が出ないよう、梢に手本を見せて貰ったように視線を少し下げていたのだが顔を上げてしまう。
「この時刻にここに居ると言うことは読めたようだな。一見、子供だましにも思えるがあれはれっきとした暗号文の法……ただし、それを子供時代に経験していなければ女人には香りの良い文程度にしか分かるまいが」
あまり見ないようにはしていたが皇子専属の親衛隊長である張偉明は……美麗なる男性だった。切れ長の目元もさることながら背の高い涼しげな立ち姿。帯刀以外の武装はしておらず、濃紺の長羽織を纏っている。その中は親衛隊の揃いの隊服らしい羽織と同じ濃紺の衣裳。長く真っ直ぐな髪は高く一つに結び上げられていた。
そんな彼の腰には絢爛豪華な白い組紐の飾りに発色の良い翡翠の細工が結び付けられている。
その飾りも繊細で、隣にいる筋骨隆々な部下の武官とは違う格式高い物を付けていた。
10
あなたにおすすめの小説
もつれた心、ほどいてあげる~カリスマ美容師御曹司の甘美な溺愛レッスン~
泉南佳那
恋愛
イケメンカリスマ美容師と内気で地味な書店員との、甘々溺愛ストーリーです!
どうぞお楽しみいただけますように。
〈あらすじ〉
加藤優紀は、現在、25歳の書店員。
東京の中心部ながら、昭和味たっぷりの裏町に位置する「高木書店」という名の本屋を、祖母とふたりで切り盛りしている。
彼女が高木書店で働きはじめたのは、3年ほど前から。
短大卒業後、不動産会社で営業事務をしていたが、同期の、親会社の重役令嬢からいじめに近い嫌がらせを受け、逃げるように会社を辞めた過去があった。
そのことは優紀の心に小さいながらも深い傷をつけた。
人付き合いを恐れるようになった優紀は、それ以来、つぶれかけの本屋で人の目につかない質素な生活に安んじていた。
一方、高木書店の目と鼻の先に、優紀の兄の幼なじみで、大企業の社長令息にしてカリスマ美容師の香坂玲伊が〈リインカネーション〉という総合ビューティーサロンを経営していた。
玲伊は優紀より4歳年上の29歳。
優紀も、兄とともに玲伊と一緒に遊んだ幼なじみであった。
店が近いこともあり、玲伊はしょっちゅう、優紀の本屋に顔を出していた。
子供のころから、かっこよくて優しかった玲伊は、優紀の初恋の人。
その気持ちは今もまったく変わっていなかったが、しがない書店員の自分が、カリスマ美容師にして御曹司の彼に釣り合うはずがないと、その恋心に蓋をしていた。
そんなある日、優紀は玲伊に「自分の店に来て」言われる。
優紀が〈リインカネーション〉を訪れると、人気のファッション誌『KALEN』の編集者が待っていた。
そして「シンデレラ・プロジェクト」のモデルをしてほしいと依頼される。
「シンデレラ・プロジェクト」とは、玲伊の店の1周年記念の企画で、〈リインカネーション〉のすべての施設を使い、2~3カ月でモデルの女性を美しく変身させ、それを雑誌の連載記事として掲載するというもの。
優紀は固辞したが、玲伊の熱心な誘いに負け、最終的に引き受けることとなる。
はじめての経験に戸惑いながらも、超一流の施術に心が満たされていく優紀。
そして、玲伊への恋心はいっそう募ってゆく。
玲伊はとても優しいが、それは親友の妹だから。
そんな切ない気持ちを抱えていた。
プロジェクトがはじまり、ひと月が過ぎた。
書店の仕事と〈リインカネーション〉の施術という二重生活に慣れてきた矢先、大問題が発生する。
突然、編集部に上層部から横やりが入り、優紀は「シンデレラ・プロジェクト」のモデルを下ろされることになった。
残念に思いながらも、やはり夢でしかなかったのだとあきらめる優紀だったが、そんなとき、玲伊から呼び出しを受けて……
七人の美形守護者と毒りんご 「社畜から転生したら、世界一美しいと謳われる毒見の白雪姫でした」
紅葉山参
恋愛
過労死した社畜OL、橘花莉子が目覚めると、そこは異世界の王宮。彼女は絶世の美貌を持つ王女スノーリアに転生していた。しかし、その体は継母である邪悪な女王の毒によって蝕まれていた。
転生と同時に覚醒したのは、毒の魔力を見抜く特殊能力。このままでは死ぬ! 毒殺を回避するため、彼女は女王の追手から逃れ、禁断の地「七つの塔」が立つ魔物の森へと逃げ込む。
そこで彼女が出会ったのは、童話の小人なんかじゃない。
七つの塔に住まうのは、国の裏の顔を持つ最強の魔力騎士団。全員が規格外の力と美しさを持つ七人の美形守護者(ガーディアン)だった!
冷静沈着なリーダー、熱情的な魔術師、孤高の弓使い、知的な書庫番、武骨な壁役、ミステリアスな情報屋……。
彼らはスノーリアを女王の手から徹底的に守護し、やがて彼女の無垢な魅力に溺れ、熱烈な愛を捧げ始める。
「姫様を傷つける者など、この世界には存在させない」
七人のイケメンたちによる超絶的な溺愛と、命懸けの守護が始まった。
しかし、嫉妬に狂った女王は、王国の若き王子と手を組み、あの毒りんごの罠を仕掛けてくる。
最強の逆ハーレムと、毒を恐れぬ白雪姫が、この世界をひっくり返す!
「ご安心を、姫。私たちは七人います。誰もあなたを、奪うことなどできはしない」
【完結】孤高の皇帝は冷酷なはずなのに、王妃には甘過ぎです。
朝日みらい
恋愛
異国からやってきた第3王女のアリシアは、帝国の冷徹な皇帝カイゼルの元に王妃として迎えられた。しかし、冷酷な皇帝と呼ばれるカイゼルは周囲に心を許さず、心を閉ざしていた。しかし、アリシアのひたむきさと笑顔が、次第にカイゼルの心を溶かしていき――。
辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました
腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。
しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。
銭ゲバ薬師と、思考過敏症の魔法機動隊長。
Moonshine
恋愛
昼も薄暗い、城のほとりの魔の森に一人で暮らす、ちょっと・・大分お金にガメツイけれど、腕の立つ薬師の少女のニコラと、思考過敏症に悩まされる、美麗な魔法機動隊長、ジャンのほのぼの異世界恋愛話。
世界観としては、「レイチェル・ジーンは踊らない」に登場するリンデンバーグ領が舞台ですが、お読みにならなくとも楽しめます。ハッピーエンドです。安心してお楽しみください。
本編完結しました。
事件簿形式にて、ミステリー要素が加わりました。第1章完結です。
ちょっと風変わりなお話を楽しんでいってください!
国宝級イケメンとのキスは最上級に甘いドルチェみたいに、私をとろけさせます
はなたろう
恋愛
人気アイドルとの秘密の恋愛♡コウキは俳優やモデルとしても活躍するアイドル。クールで優しいけど、ベッドでは少し意地悪でやきもちやき。彼女の美咲を溺愛し、他の男に取られないかと不安になることも。出会いから交際を経て、甘いキスで溶ける日々の物語。
★みなさまの心にいる、推しを思いながら読んでください
◆出会い編あらすじ
毎日同じ、変わらない。都会の片隅にある植物園で働く美咲。
そこに毎週やってくる、おしゃれで長身の男性。カメラが趣味らい。この日は初めて会話をしたけど、ちょっと変わった人だなーと思っていた。
まさか、その彼が人気アイドル、dulcis〈ドゥルキス〉のメンバーだとは気づきもしなかった。
毎日同じだと思っていた日常、ついに変わるときがきた。
◆登場人物
佐倉 美咲(25) 公園の管理運営企業に勤める。植物園のスタッフから本社の企画営業部へ異動
天見 光季(27) 人気アイドルグループ、dulcis(ドゥルキス)のメンバー。俳優業で活躍中、自然の写真を撮るのが趣味
お読みいただきありがとうございます!
★番外編はこちらに集約してます。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/411579529/693947517
★最年少、甘えん坊ケイタとバツイチ×アラサーの恋愛はじめました。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/411579529/408954279
不憫な侯爵令嬢は、王子様に溺愛される。
猫宮乾
恋愛
再婚した父の元、継母に幽閉じみた生活を強いられていたマリーローズ(私)は、父が没した事を契機に、結婚して出ていくように迫られる。皆よりも遅く夜会デビューし、結婚相手を探していると、第一王子のフェンネル殿下が政略結婚の話を持ちかけてくる。他に行く場所もない上、自分の未来を切り開くべく、同意したマリーローズは、その後後宮入りし、正妃になるまでは婚約者として過ごす事に。その内に、フェンネルの優しさに触れ、溺愛され、幸せを見つけていく。※pixivにも掲載しております(あちらで完結済み)。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる