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第5章 高校1年生 3学期

   閑話 私の大事なお姉様

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 一条 和泉。
 それが私のあこがれのお姉様の名前ですわ。
 
 初めてお会いしたのは、小学校に上がる少し前。
 ご宗家のお嬢様だと紹介されたお姉様は、それはそれは愛らしい容姿をしていらっしゃいましたの。
 テレビで見る芸能人なんて目じゃありませんのよ。
 お姉様とは比べるのもおこがましいですわ。

 私は一目見た時から、お姉様の虜になりましたわ。

 お姉様は人見知りをするものの、一条家の令嬢にふさわしい器量の持ち主でしたの。
 奥ゆかしく、慎み深く、それでいて自分というものをしっかり持っていらっしゃいますの。
 まさに、理想のお嬢様を絵に描いたような方でしたわ。

 お姉様は、また、自分にとても厳しい方でしたわ。
 お姉様の悲しいお生まれの境遇については箝口令が敷かれていたものの、やはり人の口に戸は立てられぬもの。
 令嬢として、生まれてから数年間のハンディキャップを取り戻そうと、お姉様はいつも必死に自分を磨いておられましたわ。

 私はお姉様に少しでも近づこうと、懸命に励みましたの。
 お姉様の通う塾や習い事に行かせて貰えるよう両親に頼み、その背中を追いかけ続けましたわ。

 小学校、中学校と進学しても、お姉様は常に人々の中心にいらっしゃいましたわ。
 お姉様が強いて望まなくても、その周りには自然と人が集まってくるんですの。
 それは、高い香りを放つ花に蜜蜂が集まるような、必然のことだと私は思いましたわ。

 中学に上がる頃、私は自分に違和感を覚えていましたの。
 周りの子が素敵な殿方の話をしているのに、全くついていけないことに気づいたのですわ。
 私の目が行くのは、いつもお姉様やその周りにいらっしゃる麗しい女性ばかり。

 私は、自分が同性愛者であることを自覚しましたわ。
 そして怖くなりましたの。
 自分の性的指向が露見して、お姉様に距離を置かれたらどうしましょう、と。
 そんなことを考えて、夜な夜な枕を濡らしていましたわ。

 私の心配をよそに、お姉様はいつも私によくして下さいましたわ。
 常に一番近くに置いて下さり、仁乃さん、仁乃さんと気安く声をかけて下さったんですの。
 私は自分の想いをしっかりと隠しながら、時には冗談めかしてそれを解消することで、お姉様の一番のお気に入りという地位を確保していましたわ。

 それが揺らいだのは中学の中頃。
 お姉様は急に厭世的な空気をまとい始めましたの。
 そうして、何となく。
 何となくではありますが、人を遠ざけ始めたのですわ。

 それは私も例外ではありませんでしたわ。
 次第にお話する回数が減り、一条と二条の両家を行き来することも減っていきましたの。

 そして極めつけが、高校の入学式。
 同じ寮になったことを喜ぶ私に、お姉様は、相互不干渉を宣言なさいました。
 私は思わずくってかかりましたけれど、お姉様はどこふく風。
 HRでもぼっち宣言をし、近づくなオーラを振りまく様は、あの理想の令嬢だったお姉様の所業とは到底思えませんでしたわ。
 入学式での生徒代表挨拶を務めていらっしゃる時も、思わず視線がきつくなるのを抑えられませんでした。

 でも、それは杞憂だったのやもしれません。
 なんだかんだで、やはりお姉様の周りには人が集まりました。

 東城家の次期当主である冬馬様。
 そのご友人で少しチャラい所のあるバイオリニストのナキ君。
 人懐っこくて朗らかないつねさん。
 冷静で実直な誠君。
 どこか人を安心させてくれるような雰囲気の実梨さん。
 ツンデレを地で行く佳代さん。
 大人だけれどオタクなのが玉に瑕な幸さん
 ガラは悪い時もあるけれど、お調子者で明るい嬉一君。
 真面目な人柄の遥さん。

 みんな、お姉様の周りに集った人たちはいい人ばかりで、私も居心地がよかったですわ。
 私はお姉様のルームメイトとして、物理的な距離は最も近かったですけど、心理的な距離が最も近かったのはいつねさんだったように思いますわ。

 だから、いつねさんがお亡くなりになった時、お姉様がどれだけお悲しみになったかは想像を絶するものがあると思いますの。

 お姉様は抜け殻のようになってしまいましたわ。
 学園にも顔を出さず、寮にこもりきりになってしまわれましたの。
 食事も取っておられない様子で、私、それはそれは心配しましたのよ。

 そうして気をもんでいるうちに、あの日がやってきましたの。

 その日もお姉様は学園には来ず、寮の部屋で過ごされていました。
 食事を薦めてもいらないと仰るし、せめてスポーツドリンクをと言っても飲んで下さらない。
 私は諦めてお風呂を薦めましたわ。
 令嬢としての理性がかろうじて残っていらっしゃるのか、私が最後この日まで確認できた限りでは、お姉様はお風呂はかかさずに入って着替えていらっしゃいましたの。

 ところが、その日はいつまでたってもお姉様が浴室から出ていらっしゃいませんでしたの。
 私は心配になって何度も声をかけましたわ。
 それでも応答はなく、これは何か起きていると直感した私は、無礼を承知で浴室に入りましたの。

 そしたら、お姉様は冷水のシャワーを浴びて、浴室の床に倒れていらっしゃいましたの。
 私は大慌てでタオルをお姉様の身体に巻き付け、部屋の暖房を最大にしましたわ。
 そうしてタオル越しにお姉様の身体を温めて差し上げましたの。
 身体の芯まで凍えきったお姉様は、意識が朦朧としていらっしゃるようでしたわ。

 でも、水に濡れたお姉様はとてつもなく美しく、儚げで、私は自分の本能が動き出すのを止めるのが難しくなりそうでしたの。
 この女性を抱きしめたいという本能と、今はそんな場合ではないという理性がせめぎ合っていましたわ。

 そして私は、本能に屈しました。
 お姉様を求め、そして、手ひどく振られましたわ。

 確かに、お姉様の言葉にも傷つきましたわ。
 けれど、そんなことよりも、お姉様が弱っていらっしゃることにつけこんで、お姉様を求めようとした自分の浅はかさ、卑劣さが許せませんでしたの。

 こんな私を知られてしまっては、もはやお姉様のもとにいることは出来ませんわ。
 そう思い、休学届を提出して、学園を去りましたの。

 二条の家では、突然の帰宅に何があったのかと当然訊かれましたわ。
 私は、お姉様に酷い無礼を働いた、もうお側にはいられないとだけ言って、部屋に閉じこもりました。

 お姉様のように、私も自分の殻に閉じこもってしまったのですわ。
 ろくに飲み食いもせず、次第に痩せ細っていく私に、両親も慌てた様子でしたわね。

 心療内科にもかかりましたわ。

 その時に、初めて私は自分が同性愛者であることを両親に打ち明けましたの。
 両親はとても驚いていましたけれど、頭ごなしに否定することだけはしませんでしたわ。
 そのことは、私にとってとても大きな救いとなりましたの。

 診察の結果は、抑うつ症状とのこと。
 放っておけば、重症化してうつ病になる可能性がある、と言われましたわ。

 医師の言葉を聞いた両親は、学園にはいつでも戻れるから、今はとにかく休養しなさいと言ってくれましたわ。
 私はその言葉に甘えて、学園を正式に休学することにしました。

 お姉様のいない、日々。

 それはどうしようもない喪失感を私にもたらしましたわ。
 私にとってお姉様とはそれほどに大きい存在だったのです。
 おそらくお姉様は、いつねさんを失ったことで、こういう気持ちになっていらっしゃったのだろうな、と今更ながらに気づきました。

 休学したまま時は過ぎ、今は春休み。

 私は縁側に掛けて、庭の椿を眺めています。
 すると、どなたかがいらっしゃるような気配がありました。

「仁乃」
「はい?」
「来客だ。着替えて応接間にいらっしゃい」
「申し訳ありません、お父様。仁乃はどなたとも会いたくありませんの」
「来客は和泉お嬢様だ」
「!」

 お姉様が来て下さった?
 でも、どうして?

 いえ、今更おめおめと会える訳がない。
 お姉様に向ける顔がない。

「無理です。後生ですから」
「そうか……。え? ちょっ、和泉お嬢様!」
「ここだったわね。こんにちは、仁乃さん」

 父を押しのけて、お姉様が無理やり部屋に入っていらっしゃいました。

「お姉……様……」
「仁乃さん、私、あなたに謝らないといけません。貴方のまごころを踏みにじって、本当に申し訳ありませんでした」

 そう言って、お姉様は膝と手をついて頭を下げ――つまり、土下座なさったのです。

 私は慌てましたわ。
 そんな真似、一条の令嬢たるお姉さまがしていい所作ではありえなかったから。

 お父様も慌てました。

「おやめ下さい、和泉お嬢様!」
「いいえ。これは私がすべき当然の謝罪。私は仁乃さんを酷く傷つけました。謝罪も出来ずに、何が一条でありましょうか」

 そう言って、お姉様は頭を下げ続けました。

「お姉様! 私はお姉様の弱みにつけこんで、ひどいことをしようとしましたのよ!? 謝らなくてはいけないのは、私のほうですわ!!」
「いいえ。仁乃さんは悪くありません。仁乃さんのしたことは、恋愛という戦争の中では当然許されてしかるべき戦術に過ぎません。対して私の言った言葉は、決して許されざるべき不誠実でした。どうかお許し下さい」
「許します! 許しますから! どうかお顔をお上げになって下さいまし! お姉様にそのような醜態を強いていると思うと、私はもういたたまれません!」

 泣き声でそう訴えると、ようやくお姉様はお顔を上げられました。

「許して下さるんですね……ありがとうございます」
「いいえ……。私の方こそ、こんなことになってしまって……」
「少し痩せましたね」
「……ええ」

 鎖骨の浮き出た胸元をそっと隠す。

「私も一時期食事が出来ませんでしたけれど、今は回復しています。仁乃さんも早く回復できるといいですね」
「お姉様が来て下さったのですから、もう大丈夫です。でも……その……」
「?」

 私が言い出せないでいると、お姉様は怪訝な顔をなさいました。

「私が同性愛者であること……。受け入れて頂けるのでしょうか……」

 私は思い切って聞いてみた。

「仁乃さんの気持ちに応えることは、残念ですけれど出来ません。私には既に好きな人がいると気づきましたから」
「冬馬様ですわね?」
「はい」

 そうですの……。
 2人は無事に収まるところに収まったのですわね。

「仁乃さんが同性愛者であることは、仁乃さんを構成している要素の一部分に過ぎません。差別はしません。もし、そのような扱いを受けていると感じたら、遠慮なく言って下さい」

 きっぱりと言い切ったお姉様は以前にもまして凛と輝いていらっしゃるようで。

「仁乃。私の親友になってくれますか?」

 差し出された手が、まるで天使のようで。

「はい……よろこんで!」

 私はやっぱりお姉様が大好きだと思うのでした。

 それからの私の回復は、医者も驚くほどでしたわ。
 食事も気力ももう以前と変わらないほどに回復していますの。

 医者は治りかけが危険というので、まだ療養生活をしているけれど、早く学園に戻りたいですわ。
 学園に戻れば、お姉様がいるのですから。

 私の初恋は叶いませんでしたけれど、その代わり、親友という地位を得ることが出来ましたわ。
 いつねさんの身代わり、だなんて考えません。

 私はお姉様のかけがえのない親友であることを、生涯の誇りとするでしょう。
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