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一章
1杯奢るよ
しおりを挟む外が暗くなりビジネス街のビルの灯りが輝く時間に、退勤の打刻をした藤ヶ谷と杉野。
予定よりも遅い時間になってしまったが、なんとか今日中に代わりのデザイナーに依頼することが出来た。
「良かったなぁ引き受けてくれて! 金曜日だし、お詫びも兼ねて1杯奢ってやるから付き合えよ!」
「2杯にしてください」
「しゃーねぇなぁ」
図々しいことを言う杉野の背中を、藤ヶ谷は上機嫌に叩く。
仕事はまだまだこれからだが、絶望していた今朝と比べると風船のように心が軽い。
そのせいで、藤ヶ谷はいつもより飲み過ぎてしまった。
「あー、それにしてもさー。お前がいるとほんっと仕事が楽だわー」
薄暗い店内をオレンジ色のランプが照らす、雰囲気のあるバー。
会話を邪魔しない音量でゆったりと流れる音楽が、空間を彩っている。
カウンター席に座った藤ヶ谷は、右にいる杉野の肩に腕を回して体を寄せた。
蒸気した頬に揺れる瞳、ふわふわとした口調。
完全にからみ酒だが、杉野は迷惑そうな素振りは見せずに好きにさせてくれる。
「それは良かったです」
緩く微笑む端正な顔を間近で見ると、やはり彼もアルファなのだと藤ヶ谷は再認識した。
鼻が高く彫りが深い、男らしい骨格のライン。
今抱いている肩は明らかに藤ヶ谷より広いし、ロックグラスを掴む手も一回り以上大きい。
そして何より、オメガを魅了する若々しいフェロモンが、ほのかに鼻をくすぐってくる。
藤ヶ谷は無意識に、頸を守るベージュのカラーに指先で触れる。
(セクハラとか言われたら困るな)
酔ってぼんやりとした頭に残った理性が警告してくる。
杉野が本気でそんなことを言うとは思えなかったが、一応、職場の先輩後輩だ。心地よい温もりから離れてテーブルに片肘を突いた。
顎を掌に乗せ、逆の手でカクテルグラスを揺らす。
「頭は良いし事務処理は早いし、取引先もアルファ相手だと態度が違うもんなー」
「……それは、本当に腹立たしいですよね」
「なんでだ? 俺は助かってるぞ」
声色が低くなった杉野に、藤ヶ谷はキョトンと首を傾げる。
杉野は苦々しい表情でグラスの残りを一気にあおった。
「新入社員の時ですら、藤ヶ谷さんではなく俺の方を見て皆さん話してたじゃないですか。あれ、イライラします」
乱暴に、しかし音は立てずにグラスをテーブルに戻す杉野を眺め、藤ヶ谷は目を細めた。
昼間のことといい、杉野は時にオメガよりもオメガへの差別に苦言を呈してくれる。
昔はヒートを起こしアルファの理性を奪う体質のせいで、オメガは忌み嫌われていたらしい。
だが現在では表面上の差別は少なくなってきている。
質の良いヒートの抑制剤やアルファ用の薬まで開発されたため、ほとんどのオメガが問題なく生活できているのだ。
それでも杉野の言う通り、日常では色濃く残る悪意のない差別。
取引先で名刺交換する際には藤ヶ谷よりも後輩の杉野が名刺を渡される。
契約の話も、相手の目線はほとんど杉野に。
それでいて、何かクレームの際にはまず藤ヶ谷を名指して電話をかけてきて、高圧的な態度をとってくるのだ。
藤ヶ谷としては鬱陶しいものの仕事なので問題ない。でも、クレームに気がついた杉野に電話を奪われると、先方の態度がガラリと変わることなどしょっちゅうだ。
(最初から杉野に話した方がスムーズに終わってんじゃねぇか、とは思うけど)
全部全部、オメガとして生きてきた藤ヶ谷にとっては普通のことだった。
杉野に指摘されるまでは、おかしいと気が付かなかったくらいだ。
というよりも、そういったことは細々と有りすぎてキリがない。
「そんなこと気にしてたら仕事出来ねぇよ」
「藤ヶ谷さんがそういうから、俺は我慢してるんです。本当はもっと……」
ギリ、と奥歯を噛み締め苦しそうな表情で杉野は黙った。
怒りにロックグラスを持つ手が震えているのを見て、優しい気持ちに胸が温かくなるのを感じつつも藤ヶ谷は焦る。
(映画みたいにバリンってなりそうだなアルファだし……)
厳ついロックグラスが人間の握力で砕けるわけもないのだが。
オメガの藤ヶ谷にとって、酔って力の制御が出来なくなったアルファの力は恐ろしいものだというイメージしか出来なかった。
場を和ませようと、俯き気味の頭に手を伸ばす。
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