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三章
ヒートトラップ
しおりを挟む「同じオメガとしてほんとごめん」
藤ヶ谷は濡らしたハンカチを山吹の赤い頬に当てる。
神社の近くにある広い公園には、縁日のようにたくさんの屋台が出ていた。
運良く空いていた白いベンチに、藤ヶ谷と山吹は並んで座る。
杉野はもっと冷やせるものがないか探してくると言って、屋台の人混みの中に入っていった。
八重樫の受け売りを言った藤ヶ谷に対し、山吹はハンカチを自分で押さえながら可笑しそうに笑う。
「自分で撒いた種ですよ。遊びはほどほどにだねぇ」
「それは本当にそうだぞお前」
藤ヶ谷は仕事中とは違う砕けた口調で頷く。
先ほどのオメガは山吹の恋人ではなく遊び相手で、いわゆるセックスフレンドだったのだという。
少なくとも、山吹はそう認識していた。
それがここ最近、相手が本気で山吹を好きになったらしく「番いたい」と言いだした。
今までその申し出をのらりくらりと躱していた山吹だったが、今日は一服盛られてしまったのだ。
フェロモン異常が無いかなどを検査する時に飲む「抑制剤無効薬」を。
「抑制剤を無効にする薬かぁ……」
「怖いですよねぇ。まさか持ってきてくれてたコーヒーに仕込まれてるなんて思わないじゃないですか。しかも外ですよ」
医療用のため体に害はないが、あのオメガ男性はヒートの誘発剤を飲んで山吹を人気のないところに誘った。
とんでもないヒートトラップである。
途中で気がついて抑制剤を飲んでも、効かないのだから。
山吹が正気を取り戻せたのは杉野の持っている薬のおかげではなく、藤ヶ谷の抑制剤の効果でオメガ男性のヒートが収まったからだった。
決して許されることではないが、何の未練も無さそうな山吹を見ていると少しオメガ男性に同情する。
藤ヶ谷はパチンッと人差し指で山吹の額を跳ねた。
「気をつけろよな。好きになったら、誰でも必死になるんだから」
やって良いことと悪いことはあるが、思い詰めたら人はどんな行動に出るかなど予想はできない。
藤ヶ谷が杉野のことをすぐに諦められないように、あのオメガ男性も山吹への気持ちをコントロール出来なかったのだ。
真剣な藤ヶ谷の言葉を聞いて、山吹は目を瞬かせる。
「好きな人でもできました?それも、結構本気のやつ」
「な、なんで……っていうか、俺はいつも本気で」
図星を突かれて立ち上がり掛けた藤ヶ谷の肩を、山吹はグイッと抱き寄せた。
「そういうのいいですからー」
すぐ近くに見える眼鏡の奥の瞳がキラリと光っている。
面白いおもちゃを見つけた目だ。
「いつもなら、『好きな人に断られたらすぐ諦めろよ』とか言いそうだから」
「う……」
「出来たのは、好きな人どころか恋人かな?」
「ち、違う違う。片想い……なんだけど」
逃がさないと言うように顔を覗き込まれ、目線を逸らすことも表情を誤魔化すこともできなくなった。
観念した藤ヶ谷は、両手を上げて首を左右に振る。
共通の知り合いだとバレると気を遣わせるだろうと、名前は出さないことにした。
「でも、その人には他に好きな人がいるんだ」
「なんだいつものやつじゃないですか。どこのおじさんですか?」
「どうせいつもおじ様に一目惚れして撃沈してますよーだ」
拗ねた藤ヶ谷が膨らませた頬を、山吹は肩を震わせながら突っついてくる。
確かにパートナーのいるおじ様を好きになるといういつもの状況と、今の状況は一見すると変わらない。
だが、いつもと違う部分が問題なのだ。
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