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第1章

2.出逢い

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 馬を走らせて湖の近くに降り立ち、馬を木につないだ瞬間だった。


 人の気配に気づいて、振り返る。

 1人の人間の姿を目に映し、オレは息を潜めた。
 剣を静かに手に取り、気配を消し、近づく。


 この辺りには、獰猛な獣が出る。
 誰もここに来ないからこそ、オレは今、ここに息抜きに来た。

 何でこんな所に、人が居る?
 

「――――…!」


 すぐ背後に立った瞬間、その人物はびくりと身体を震わせて振り返ろうとした。それを後ろから抑え付け、動きを封じた。


「……何をしている…?」

 声を低くして尋ねる。


 町から随分離れた人気のない湖。


 近づいて分かるが、かなりの軽装。
 何の武器も持っていない気はするが。

 けれど――――……。
 薄衣をまとっただけの軽装の人間がここに居る事がそもそもおかしい。


「……ここで、何をしていた?」


 首に押し当てた刃に、身体が小刻みに震えている。

 声も出ないような、そんな感じにも受け取れるけれど、それが演技でないとは言い切れない。


「――――……いいか? ゆっくりと振り向け。少しでも妙な動きを見せたらどうなるか分かるな……?」


 相手が震えながら、小さく頷くのを確認し、押さえ付けていた腕からゆっくりと力を抜いた。
 ゆっくりゆっくりと、腕の中の人物が振り返った。



「――――……」

 息を、飲む。

 年は、まだ若い。17、8才前後。オレと同じくらいか、もう少し下か。


 全体的に色素が薄い。
 白い肌。青い綺麗な、大きな瞳。柔らかな金色の髪。

 ――――…怯えているのか、青ざめて、震えている華奢な身体。


 男、だよな……?
 ……およそ、男の要素が見受けられないが。


 王城には、美しい人間はたくさん居る。侍女の中にも、それは居るし、王城に来る貴族達の娘にも、着飾った綺麗な人間は、たくさん、居た。


 けれど――――……。


 着飾っていない、薄衣のみの、男の肢体。

 それをこんなに美しいと思ったのは――――…初めてで。



 透けるような白い肌に、息を飲んだまま、動けなかった。

 心細そうに眉を顰めて、目の前の人間は、まっすぐに、オレを見上げている。



「――――……こんな所で何をしていた?」

 少し、声が掠れる。



「……怪我、してて」


 黙ったまま俯いた視線の先を追う。
 その足首から、鮮やかな血が流れていた。結構な血の量に見える。オレは、思わず眉を顰めた。


「――――……怪我をしているのか……。血を洗い流していたのか?」


 そんな問いかけに、そいつは、小さく頷いた。


「――――……見せてみろ」


 オレは、その足元に、ゆっくりと身を屈めた。



 この人間がもしも、自分に向けられた刺客だったとしたら。
 これは、まるで自殺行為。今の状況下では、それも考えなくてはならない。

 けれど。…… 別に、決して自棄になっていた訳ではない。
 ただ、こんな華奢で美しい人間が刺客として送られてきてしまうような事があるのであれば。――――……このまま殺されてやってもいいなどと、決して誰にも口には出せない想いが、一瞬だけ胸に浮かんだ気がする。

 それでも――――……ほんの一瞬だけ、掠めた死は、訪れなかった。


「――――……」



 傷口を見た後、オレは顔を上向けて、不安そうな顔をしているそいつと目を合わせた。


「――――……名は?」
「……名……」

 戸惑ったような返事に、オレはもう一度聞く。


「お前の名前は何だと聞いてる」


 すると、しばらく視線を宙で移ろわせ、その後、小さく声を出した。



「………ル、イス……」

「……ルイス?」


 オレが呼び返すと。


「……多分……」
「多分? ――――……何を言ってる?」


 訝しげに聞いたオレに、ルイスと名乗った少年は、心細そうに瞳を揺らした。


「――――……とりあえず 話は後だな。傷が結構深い」

 この森の奥には、獰猛な獣がうようよしている。
 これ以上奥へ進むとなれば命の危険も覚悟しなければならない程で。


 多分その内の何らかの獣に襲われた傷であろうと見てとれた。余程深く傷ついたようで、足首から血が次々に溢れ落ちてくる。

 血の匂いで獣が集まってきても、面倒だ。



「……来い」

 その身体をゆっくりと動かし、オレはルイスの背中を木に押し付けた。


「少し我慢してろ」

 羽織っていたマントを短剣で切り裂くと、それでとりあえずの止血を試みた。
 痛むのか、ルイスが小さくうめき声をあげる。 


「……ッ……」
「我慢しろ……」

「……う……」

 唇を噛みしめる様子が伺える。
 手早く止血をしてやってから、オレはゆっくり立ち上がり、ルイスを真正面から見つめた。

 辛いのか、額に汗を浮かべ、瞳にはうっすらと涙を滲ませていた。
 その姿に不謹慎にも、ドキ、と騒ぐ胸を押さえつけ、オレはルイスを見つめる。


「止血はしたが医師に見せた方が良い。お前の家は? ここから近いのか?」

「家……」


 しばし後、ルイスは 小さく、首を横に振った。


「ルイス? 家は、どこだと聞いてるんだが…… 言えないのか?」


 少し緊張した空気に、ルイスは慌てたように首を振った。



「……何も――――…… 覚えて、なくて……」

「何?」


 オレは眉を顰め、青ざめた顔で縋るように見つめてきている目の前の瞳を見返した。



「何も、分からなくて――――……」


 一瞬言葉を失い、それからまっすぐにルイスを見つめた。



「ルイスという名は?」

 心の内を探るようにそう言ったオレに、ルイスは少しの沈黙の後、呟いた。



「……名と言われて、それが浮かんだから……多分……」


 先程の「多分」の意味をようやく理解し、オレはため息を付いた。



 記憶が無い。

 獣に襲われたショックか、それともその前からか。
 この様子からだと、恐らく、嘘ではないと、判断した。


「……一緒に来るか?」
「……?」


「行くべき所が分からないのだろう? 怪我の手当てもしないとまずい」


 身元も分からないこんな少年を城に入れるとなったら、間違いなく色々言われそうだとは思いながらも、このまま放ってはおけなかった。


 縋るような瞳で見つめてくるルイスの頬にオレはゆっくりと手をかけた。


「――――……オレは アレックスだ」
「……アレックス?」


「とりあえず城に戻る。一緒に来い」

「――――……城?」

 首を傾げたルイスに、一体何者なのだろうという視線で見られて、オレは苦笑した。


 ちょうどその時――――……。


「王子ー!!」
「アレックス王子ー!?」

 遠くから、オレを呼ぶ声が聞こえてくる。しびれを切らした護衛の部下達が探しに来たのだろう。


「此処に居る!今行くからそこで待っていろ!」

 叫んで置いてから、オレは馬を木から離して、ルイスの隣に立った。



「早く決めろ。一緒に来るか?」
「――――……王子さま、ですか?」

「アレックスで良い。良いな、連れていくぞ」


 オレは馬に跨って体勢を整えてから、ルイスの腕を掴み、そのまま抱き上げて、馬に乗せた。


「あの、王子さ」
「アレックスで良い」


「……アレックス、あの――――……」

「――――……何だ?」


 自分の前に乗せ、落ちないようにしてから手綱を握り、戸惑ったような声を出すルイスを見つめた。


「……オレみたいな得体のしれない人間を城になんか……」


「――――……まあ、どうにかなる」


 父王さえどうにか説得できれば。

 ふ、と笑うと。ルイスはオレをじっと見つめてくる。



「良いから、一緒に来い」


 命令口調になったオレの言葉に、逆らう気も削がれたようで、ルイスは大人しく頷いた。
 馬の手綱を握り直し、軽く走り出す。


 言葉は悪いが、面白いものを見つけた気分。


 誰よりも美しいこの少年は、何も覚えていないと言う。

 この上なく儚げな、心細げな表情で、縋るように自分を見つめて来る。



 男に、興味なんて全くなかったけれど。
 このたたずまいと表情が、妙に気に入ってしまった。


 隣国との緊張関係の中、自由に出歩く事も制限されるようになった王宮の中の暮らしが、少し楽しくなりそうだなんて、思ってしまった。



 まさかそれが――――…。

 後々、どんな騒ぎを巻き起こすかも――――…知らずに。





  


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