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らぶこめ

第百四十話 妹にライバル!?

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 俺の背後に浮かぶ蓮華にも火の粉が移り燃え上がっていく。
 赫き炎は怒りの証。
 蒼き炎は恨みの証。
 無数の火の玉を背負って立つ俺は生者を呪う怨霊。
 良心が少しでもあるのなら、その俺を前にして鼻で笑うなんて真似は出来ない。
 だがくせるは怨霊を前にして鼻で笑って一笑に付す。
「妄言ね。私は極楽浄土に送ってあげたのよ、恨みなんて残っている訳ないわ」
「ふんっ独りよがりもそこまで行くと滑稽だな」
 くせるは数多くの人を殺しておいて恨まれてないと言い切る。
 恨みなど怖くないじゃない。
 恨まれてないと言っている。
 虚勢じゃ無い、自然と言い切っている。
 狂気の妄言、そういう物には禍々しさが宿るがくせるからは感じられない。
 ならばこの息苦しさの根源は何なんだ?
「貴方死が怖くない?」
 恐ろしいほどに真摯で優しい問い掛けに、胸の思いを吐露したくなる。
 魔なのか催眠術なのか、逆らうことは出来る。だが敢えてここは乗る。
「怖いさ。この自我が無くなることがこの世の何より怖い。
 己が無になる世界を思考実験してみたが数秒で気が狂いそうになった。
 座禅でもすれば無になれるかと思えば無理だった。
 何も考えなかろうが、何も考えない自分を観察する自分がいる。
 思考を無に出来ようが己を認識する己は消せない。
 見るでも無い。
  聞くでも無い。
   感触でも無い。
    匂いでも無い。
     味でも無い。
 五感を消し六感たる思考を消してなお我はある。
 我は俺を認識する」
「重みのある発言ね。貴方なら本当に六感を絶ったことがありそうね」
「丁度いいことに薬学部と脳医学の知り合いがいてな。色々協力して貰って、夜中に独り部屋で五感を絶って思考を絶つ深い瞑想に挑戦したこともある」
「本当にしてたんだ。どうだったの?」
 くせるはちょっと驚いた顔で言い、多少してやったりと思う。
「あれは夢か幻か、はたまた真実か。己を認識する存在、まさしく魂としか呼びようが無い存在を認識した」
「随分とあやふやね」
「まあな。手に入れた薬と手に入れた神経経路の秘点を付いて五感を絶ったが、危うく死にかけた。なんせ次に目が覚めたら二日後だったからな」
「良く生きていたわね」
「まあ運だな。あれはもしかしたら単なる臨死体験だったのかも知れないな。流石の俺も怖くてそれ以来再現実験はしてない。
 だが一度で十分。
 世界全てが俺を見捨てようとも我だけは俺を認識していてくる。
 それが分かれば十分、人は強くなれる」
「流石廻ちゃんが気に入る訳ね。貴方も大概まともじゃ無いわ」
「そうさ俺の心はとっくに壊れている。バグったOSで動く人間さ。
 だからこそ、その我すら消える無へと繫がる死が怖い」
 こんなこと話せる奴はいない。話せばまた変わり者のレッテルを張られ迫害される。今俺の周りにいる連中も確実に俺を憐憫の目で見て離れていくだろう。だからこそ独りひっそりと胸に秘めていた。そういった意味ではくせるはいい話相手だ。
「そうね、死は怖いわ」
 死が怖いというくせるの言葉に嘘は感じない。
「そうさ怖いさ。
 死の恐怖が分かっていて、何より恐ろしい死の恐怖を与えて。
 なぜ恨まれないとお前は思える?」
 殺した恨みが怖くないのは、死が怖くない者のみ。
 作用反作用、死の恐怖を与えたものはそれと同様の作用恨みを恐れる。
 死の恐怖を知っていて恨みを恐れない。
 人を超越した思考、次元の異なる思考、暗号にも近い思考を解読する糸口を探るべく俺は恐怖に悴む口を開く。その先には俺とは次元の異なる死考の世界があるかもしれない。
「知らないの?」
 くせるは怖がる幼子に秘密を教えて安心させる母のように問い掛ける。
 聞いてはいけないと本能が告げている。
 だが好奇心が抑えられない。
 これこそがくせるの本質。
「何をだ」
 生唾を飲んで聞き耳を立ててしまう。
「穏やかな死を迎えた人は極楽浄土に行けるのよ」
「そんなものは妄想だ」
 そんなものが本当にあるなら、この世界で歯を食いしばって生きているのが馬鹿らしくなる。
 くだらねえくだらねえ、えせ宗教家と同じレベルかよと侮りつつもくせるがこの程度で無いとの恐怖も払拭出来ない。
「それは違うわ。
 だってこの世は生き地獄、ならこの世からの解放は極楽浄土への旅立ち」
「生き地獄の点は否定しないが、死ねば極楽浄土は納得できねえな。
 そんなものは信者獲得のための絵空事だろ」
「そうよ。
 ただ死ぬじゃ駄目、ただ殺すじゃ駄目。
 二度と生き地獄に舞い戻ってこないように輪廻転生終わらせる。
 死を自ら受け入れる未練残さぬ穏やかなる死。
 それこそが答え」
「そんなものをお前に与えられるとでも言うのか?」
「ここにいる人達の顔を見なさい、皆穏やかでしょ」
「それがどうした?
 穏やかだろうが苦しかろうが死は死、自我の消滅に変わりない。
 死は苦しいから苦なのでは無い、自我が無くなるから苦なのだ。
 苦しさから逃れるだけなら、クスリでトリップして死ねばいい」
「それこそが苦の元だと分からない?」
「分からねえな」
「我執こそ苦しみの根源。
 穏やかなる死、我執捨て去り未練無く死を受け入れる穏やかさ。
 例えるなら個体という我が気体に昇華して穏やかに世界に拡散するようなもの。
 死んで魂源に帰ること無く、魂源から切り離されて再び現世の生き地獄に蓮華の種として撒かれることも無い。
 自我という妄執を捨て彼等は永遠無辺の極楽浄土の世界と一となる。
 私の使命は一人でも多く、生き地獄から解放して極楽浄土に送ること。
 全ての蓮華の種をこの生き地獄から救い出し、人類最後の独りがいなくなるまで救い続ける」
 くせるは天を見上げて宣言した。
 その顔に狂気無く澄み切った慈悲のみ。
 今分かった息苦しさを原因とはこれだ。
 泥鰌は清い水の中では住めない。
「その誓い。本物か?」
「本物よ」
「なら俺に証明して見せろ。
 納得したら受け入れてやるよ」
 俺は自分が泥鰌か見極めるべく、くせるに向かって一歩踏み出した。
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