俺嫌な奴になります。

コトナガレ ガク

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第六十一話 引き返せぬ道

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「この女の頭を握り潰されたくなければ大人しく石皮音様を離せ」
 皇の頭は鬼の指が食い込むほどにがっしりと掴まれ釣り上げられ、宙に浮いた足をばたつかせている。皇は振りほどくことは諦め必死に鬼の手にしがみついて首への負担を軽減しようとしている。そうでなければ軽く縊死寸前首の骨が折れる。それでも皇のか細い手では首への負担は相当のようで眉は八の字に歪みそそるような苦悶の表情を浮かべている。
「断る」
 苦しむ皇の姿を見てなお鬼が放つ定番の台詞に俺はきっぱりと拒絶した。
「なっなんだと、この女がどうなってもいいのか?」
 鬼が少し手を振れば、倍になって皇が揺れてますます壮絶な表情になっていく。
「その女は危険を承知で付いてきたんだ、覚悟は出来ているだろ」
 俺は店に入る前に危険を説明し、それでも皇は己の生き様を求めたのだ。もはや俺が関与するところでは無いだろう。
「ふんハッタリだな。これならどうだっ」
 鬼は俺が演技をしていると思い挑発する為、皇の襟元に手を掛けると一気に腕を降ろした。悲鳴のような引き裂かれる音と共に床に舞い散っていく皇の服の破片。
 晒される美しい双丘の乳房から鍛え上げ引き締まる腰のラインから収束する艶めかしい臍の穴アクセント。臍の穴はまるで呼吸するが如く蠢いている。
 美しいとは思い性欲も湧くが、心は湧き上がらなずただ一つの問いが口から漏れた。
「皇。その鬼に対してお前は十数年積み上げたものを余すこと無く発揮したんだ、悔いは無いだろ?」
 苦悶と恥辱外入り交じった表情を浮かべる皇はどう答える。
 もしこれで助けてくれと言われたら、俺はどうするのだろう?
 分からない、その答えに俺の壊れた心はどう共鳴するのだろう?
「ある」
 皇は苦しいだろうが俺の問いにか細い声で答えた。
「そうなのか」
 皇の答えに俺の心は酷く落胆していた。心は震えなかった。心では皇を助ける気は全くなくなった。後は利があるかどうかだがと計算を始めたところで皇の口が続いていく。
「この鬼を殺せなかったことが心残りだが、お前の言うとおり己の全てを吐き出せたんだ妙にスッキリしているよ」
 やり切った顔、皇の顔を俺は美しいと心が湧き上がった。湧き上がる心のままに俺は賞賛を述べていた。
「人間生きていてその境地に達せるのはほんの一握りだ。お前の短い人生に意味はあった」
 俺は死ぬまでにその境地に至れることがあるのだろうか、いや至ってみせる。現に目の前に至った人間がいるんだ、俺だって至れるはずだ。
 羨望と歓喜。目の前に裸にされ苦しむ少女がいるというのに、助けたいと思わず、ただ羨ましいと思い、目標が出来たことに歓喜する。
「おっおい、お前は気が狂っているのか。其処の旋律士、お前は正義の味方だろ。女を見捨てていいのか?」
 俺の賞賛に戸惑った鬼は脇にいた音羽の方に交渉相手を代えた。
「友の判断に託す」
 なにそれ気持ち悪い。
いつ俺とお前が友になった? ルナティックで童心に回帰した影響か? まあ、あの頃なら知り合えば友達と思ったもんだ、一方的だとしても。まあ声に出して否定したところで害はあっても益は無い。だったら黙っているのが合理的だな。
「っ」
 鬼は音羽の言葉に絶句し再度俺を見る。
これ以上は茶番だな。そろそろ幕引きとするか。
「鬼よお前は悪だ。ということはだ。俺がここで此奴を解放しても、はっは約束を守ると思ったか馬鹿めとか言って皇を結局解放しないんだろ。その上アジトに連れ帰って死んだ方がマシなくらいの恥辱を与えるんだろ。
 だったら武人として本懐を遂げた誇りを持って死なせてやるのが武士の情けというものだ」
「そっそんなことはしない」
 鬼が慌てたように否定する。
まあ、遠からずも当たらずといったところか。その疚しい気持ちにつけいらせて貰う。
「信じられるか。だったら誠意を見せてみろよ」
「誠意だと」
「そうだ誠意だよ」
 誠意という言葉は美しいのに、なぜこの言葉は悪ほど多用するのだろう。
 誠意を見せろ。ヤクザかチンピラか、弱い者を追い詰める時に使う言葉。こっちからは具体的なことを言わないのに、なぜか最大限の譲歩を引き出してしまう魔法の言霊。
「調子に乗るなよ」
 俺の言葉に鬼の腕に力が籠もりだし、メリメリと皇の頭蓋骨が響き出す。
 これで皇は綺麗なまま、至福の気持ちを抱いて死ねるだろう。
 そして皇が死んだら、この場で石皮音も殺し手向けにしてやる。
「ああっ」
 喘ぎ声のような声が皇の口から漏れ、耐えかねたような声が響く。
「やめろっ」
 いつの間に気が付いたのか石皮音が鬼に命令していた。
「誠意を見せてやれ」
 石皮音は静かに重く鬼に命じた。
「しっしかし」
「僕の命令だ」
「分かりました」
 鬼が頭を放し、皇が床に着地する。そして健気なことにこれ以上足手纏いならないとばかりに、ふらふらしながらも自力でこっちに歩いてくる。
「はあ、はあ」
 追撃を受けることも無く、ふらつきながらも皇は辿り着き俺の胸に寄りかかってくる。思わず俺は空いている方の手で抱き留めてしまった。
「今は休め」
「甘えます」
 皇は安らかに目を閉じる。
「さあ、どうする? こっちは約束を果たしたぜ」
 してやったとばかりの顔で俺に振り返り問いかけてくる。
 此奴俺の殺気に気付いたな。その上で先手を取って来たか。大した策士だ。
 ここで後顧の憂いを無くす為殺すのが中策。
 だがそれは此奴が最期の敵だった場合だ。雰囲気的に此奴の背後には組織があり仲間がいる。だとしたら、ここで殺してしまっては今後俺は交渉の出来ない相手と認識される。それは本当に交渉したい時に致命的になる。
 今のやり取りで俺の覚悟を読み取った此奴だ、俺に安易に人質が通用しないことは分かっただろう。
 それで良しとするか。
「最期に教えろ。お前等の組織は何と言う?」
「シン世廻しんせかい
 世界を廻らせ廻し、正も邪も生も死も律も歪みも一つに戻す」
 やはり背後に組織があったか。
 俺は石皮音を捕まえていた手を離し、瞬間石皮音を縛っていたスナップバンドが床に落ちた。
 ちっ此奴気絶したふりをしながら拘束を解いていたな。その上で今の取引を行った、俺の真価を探る為に。
「じゃあ、今度こそ帰らせて貰うよ。後始末はよろしくね」
 もう石皮音に油断はあるまい。俺も追撃すること無く素直にどこか勝ち誇るその背を見送った。
これは勝負だな。石皮音が旋律を組み直し俺を組み込むのが先か、俺が石皮音を倒す算段を整えるのが先か。
 俺は時雨さんに惚れて踏み込んだ世界、もう引き返せないことを自覚した。
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