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第72話 楓の作戦2

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「ほら、歩いた方がいいアイデアが出るって言うでしょ?」
 楓はあくまで笑顔で言った。
 しかし、動きは朝顔に追るようだった。
 急な対応の変化に、朝顔は楓両手を突き出しながら、ゆっくりと遠のいた。
「刺激的な話って?」
 朝顔は聞いた。
「別に朝顔が刺激的だと思う話ならなんでもいいよ。今日は朝顔の元にいる踏ん切りをつけるためのお話に来ただけだから」
 楓の言葉で朝顔は考えた。
 人に話すようなことがあったか記憶を探った。
 だが、人と話し慣れていない朝顔には、どれが刺激的な話題かわからなかった。
 そもそも、会話のタネとして使えるものの選別方法を知らなかった。
 少なくとも、服装だけ見れば楓の趣味嗜好が朝顔と違うことはを明らかだと思った。
 朝顔はあんまり待たせては悪いと思い、楓の友人について話をすることにした。
「じゃ、じゃあ、まずは冬広椿って子のことでもいい?」
 朝顔は聞いた。
「椿を知ってるの?」
「もちろん知ってるよ。かえ姉の友達だもん」
「なんだか照れ臭いけど、椿がどうかしたの?」
「彼女はかえ姉に感謝してるよ」
「僕に?」
「そう。それで、友情とも恋ともつかない感情に迷っているの。今はひま姉と楓が付き合ったから、前より葛藤してるみたいだよ」
「椿が?」
「うん。朝顔の目に狂いはないよ」
 驚いた様子の楓に向けて、朝顔は胸を叩いた。
 ファッションの好みはわからずとも、人間関係については細かく調べた。
 楓以外の人間の心の動きならば、朝顔には手に取るようにわかる。
 楓が朝顔の部屋を訪れることができたのも、人徳のなせる業だったのかもしれないと朝顔は思った。
「他には?」
 刺激的と言う言葉を使っただけあり、楓はまだ満足していないようだった。
 朝顔を追う動きも止まらず、心を読めない朝顔には楓が何をしようとしているのかを理解できない。
 楓が飲んだのは正真正銘、ただの美味しい紅茶だった。
 自分にも入れていないように、楓にもほれ薬を入れていない。
 人間と関わりが少ない朝顔は知らないだけで、実は流行っているのかもしれないと思ったが、奇怪な動きすぎてそうは思えなかった。
 どうやら楓は、本当に二人から離れることを決めたらしいと思い、朝顔はその気持ちに答えることにした。
「他には、じゃあ次は春野桜って子。あの子は女の子が好きだけど、それと同時に男の子に強い警戒を抱いてるみたい」
「あの桜が? 女子が好きなのは知ってたけど、男子を警戒してるのはちょっと信じられないんだけど」
「今はほとんどわからないようになってきたみたいだけど、まだやっぱり引きずってるみたいだよ」
「本当に?」
「うん。朝顔の目に狂いはないよ」
 朝顔は再び胸を叩いた。
 今度も楓は驚いた様子だった。
 だが、朝顔が知る限りは事実だった。
 そして、桜のことを調べている時、朝顔は参考になると思った。
 朝顔が人間関係が面倒臭いと思うのは、感情によってかなりの部分を左右されるからであった。
 楽しみに費やすための余力が奪われてしまう。
 しかし、それは運命の人がいないからだった。
 朝顔は今、楓を邪魔とは思っていなかった。
 むしろ、必要としていた。
 運命の人はいるだけで、経験に楽しみをプラスしていた。
 一緒にいなくとも、どこかで同じ時を過ごしていると思うと、それだけでいない時よりも楽しかった。
 だから、他がどうなっても構わない。
 そんな思考は、時たまある桜の女の子だけいればいい、という思考から生まれたのだった。
 朝顔としては十分話したつもりだったが、楓の好奇心の火は消えていないらしく、目はらんらんとしていた。
「次はあか姉のこと。あか姉はかえ姉が生まれる前後の世界を改変して、生まれてくる子供の性別をいじったみたいだよ」
 朝顔は次を求められる前に言った。
「性別をいじる?」
「具体的には生まれる確率をいじってたってこと」
「通りで共学なのに女の子が多いわけだ。でもどうして?」
「かえ姉の性別を直接決められないからだと思うよ」
「男だと問題あったのかな?」
「大切な妹を男と関わらせたくなかったんじゃない?」
「うーん。妹がいるとわかるような。でもそっか。茜ちゃんの嫉妬は、僕が来る前から始まってたのかな」
 楓は遠くを見ていた。
「それに、ひま姉に風邪をひかせたのもあか姉だよ」
「え、本当に? そこまでしてたの?」
「うん。私を実験台にして作ったみたいだよ」
 楓は考えるように口に手を当てた。
 まだ踏ん切りはつかないらしい。
 しかし、あと一押しだと朝顔は思った。
 あと一押し入れば、楓の踏ん切りがつきそうな気がした。
「最後に、ひま姉について。ひま姉はかえ姉に隠し事をしてるよ」
「向日葵が? でも、向日葵は今までも神様であることを隠してたし、まだまだ色々隠しててもおかしくない気もするけど」
「もっと大事なことだよ。この世界は、かえ姉のいた世界じゃないってこと」
「え? まあ、なんとなくわかってたけどね」
「本当?」
「うん。同じ世界ならできそうなことができなかったし」
「だから、もう家族には会えないんだよ?」
「まあ、死んでも家族と会えるってのは都合がよすぎるからね」
 楓は力無く笑った。
「でも、もしかしたらって思って、色々計画もしてたから、実際知るとショックかな」
 朝顔が出せるものは全て出した。
 あとは楓がどう動くのかを見守るだけだった。
 話している間、迫り続ける楓から距離を取りながら、朝顔は話し切った。
 特別激しい運動をしたわけでもないはずが、すでに息が上がっていた。
「こんなところでどう?」
 朝顔は小首をかしげて聞いた。

「うん。ありがとう」
 楓は頷いた。
 衝撃は大きいが、
「今の朝顔の言葉は虚言も混じっているだろう」
 と茜から忠告もされていたため、ダメージは抑えられたと思った。
 もちろん、全てが嘘ではないだろうが、どこからどこまでが本当かわからなかった。
 もしかしたら、茜が嘘をついている可能性もある。
 しかし、ここでは何が真実かどうかは関係なかった。
 楓は真っ直ぐ朝顔の顔を見つめたまま距離をつめた。
 ただ闇雲に歩いて朝顔を追っていたわけではなかった。
 楓の顔を見て、振り返らずに歩いていただけあり、朝顔は背中に壁が当たったことで、ようやく逃げ場がないことに気づいたようで、驚いたように目を丸くした。
 楓はすかさず距離を詰め、壁に右手をつく。
 反対側に逃げようとする朝顔を逃さないため、すぐさま左手も壁につく。
「僕の覚悟はできたよ。自分がしたんだから、朝ちゃんだってされる覚悟があるんだよね?」
「えと、その。これは一体?」
「僕はもう我慢できないよ。強引に閉じ込めようとするほど思ってくれてるんだ。いいってことでしょ?」
 朝顔は目をしばたかせていた。
「でも、ほら、人間には手順があってAとかBとかCとかって言って、順序を踏むんでしょ?」
「じゃあ順序を踏んでAからにしようか。僕と向日葵は出会った日に済ませたよ?」
「でも、かえ姉はもっと大人しいって。そんなに積極的じゃないって話してたよ? 朝顔が引っ張ってかないとって人じゃないの?」
「よくしてくれて返さないのは罪ってものでしょ」
「えーと、ほら、そのーんんー!」
 しばらくうなっていたが、ようやく観念したように朝顔は目をつむった。
 楓は小さな朝顔の顔に自らの顔を近づけた。

「これまでの感じからすると、朝顔は僕に手を出せない。触れるのもまだためらってる」
 楓は言った。
 今の朝顔を攻めるスキがあるとすればこれしかないと楓は考えていた。
「本当に?」
 向日葵に聞かれ、楓は即答できなかった。
「確証はない。でも、僕が朝ちゃんに触ろうとしてスキを作り、そのタイミングで茜ちゃんが封印するのは、試す価値があると思う」
「そうね。私もただ行って帰ってきたのではなくて、朝顔ちゃんの部屋に細工もしてきた。スキがあれば十分可能だと思うわ。それに、何もしないんじゃいずれ捕まる。失敗しても時期が早まるだけ」
 茜は言った。
「お姉ちゃんは淡々と言うけど、楓は私の彼女だよ? 彼女の大事なんだよ? 止めてよ」
 向日葵は茜を揺さぶりながら言った。
 しかし、茜は首を横に振った。
「だからこそよ。わかるでしょ。これは楓の問題でもあるの。楓が動くと言うなら尊重してあげるべきでしょ」
「わかるよ。私は楓が自分から、あれやろうこれやろうってあんまり言わないのも知ってるから、わかるよ。でも……」
 向日葵は口ごもった。
 どうしても納得できないらしかった。
 楓も向日葵を困らせたいわけではない。
 あくまで朝顔の手中に収まる方が、向日葵を困らせると判断しただけだ。
 楓は向日葵の両肩を掴んだ。
「向日葵。お願い。ここは僕に任せて。僕を信じて。僕を頼って。頼られるだけが彼女じゃないでしょ」
「うーん……わかった。わかったよ」
 向日葵は観念したように言った。
「でも、絶対に無理しちゃダメだからね。楓ちゃんは人間なんだからね」
「約束する」
 楓ははっきりと頷いた。
「で、私は何をしてたらいいの?」
「家で大人しくしてることね」
「また留守番?」
「今回は僕の帰還を待つ重要な仕事だから」
「いい? 無茶はダメよ」
 茜の言葉にも楓は頷いた。

 楓は目を見開いて過呼吸のようになっていた。
 目には涙が溜まり、頬には裂傷。
 不意の痛みで意識が飛びかけた。
 ただ目の前だけを見つめていた。
「かえ姉もそう言うことするんだ。あれだね。乙女の純情を弄ぶってやつだね」
 朝顔が言った。
 朝顔は無事だった。
 すんでのところで茜の封印を回避したらしかった。
 もうすでに朝顔の力は茜の力を上回っていた。
「今やっと思いついたよ。最初から素直に言えばよかったのかな。かえ姉が大好きだから見つめちゃうって」
 朝顔は淡々としていた。
 楓は最初から朝顔にキスするつもりなどなかった。
 装って、楓が部屋の写真に触れることで位置を特定し、茜が出現して朝顔を封印する算段だった。
 だが、かわされた。
 茜が封印から切り替え、全力で回避に向かわなければ、朝顔のカウンターで致命傷を負わされていたことを楓は悟った。
 相手は正真正銘の神様だったのだ。
 向日葵や茜と関わって、畏敬の念を忘れていたことを思い出した。
 友達なのは茜だけ、彼女なのは向日葵だけ。力を使い、支配しようとする朝顔は完全に二人とは違った。
 少なくとも今の朝顔はそうだった。
「大丈夫?」
 茜に聞かれ、
「うん。なんとか」
 と楓は頷いた。
 楓の怪我は頬をかすった程度で済んでいた。
 それでも備えていなかっただけに未だヒリヒリと痛んだ。
 気をそらすため、見えているものに集中する。
 朝顔の周りには触手がうごめいる。
 楓を攻撃し汚れたからか、血のついた部分は切り取られ床に落ちていた。それでもまだ生命力があるようにピクピクと動いている。
 そのまま朝顔は左手を伸ばした。
 一瞬、肘から先がなくなった。戻ってくると、向日葵が投げ飛ばされ、部屋中央の倒れたテーブルへとぶつかった。
「向日葵!」
 楓は叫んでいた。
 飛び出そうとするのを、茜に掴まれ止められた。
「大丈夫だよ。気絶してるだけだから」
 朝顔が言った。
 みるみる強くなった朝顔は動かずとも結界を破り、向日葵を気絶させ、部屋まで連れてきたらしかった。
「かえ姉には最後のチャンスをあげるよ。私とともに一生を過ごすか、それともひま姉を犠牲にしていつもの日常に戻るか」
「え?」
「二人で考えるといいよ。次来る時は決まった時ね。もちろんいつまでも待つわけじゃない。一日で十分だよね」
「何を言ってるの?」
 楓の質問に朝顔は答えなかった。
 ただ腕を前に出しただけだった。
 身構えるものの何も起きない。
 まばたきを繰り返して辺りを見回していると、楓は目線が低くなっていることに気がついた。
 正確には床の感覚がなくなり、体が沈んでいた。
 下を見ると大穴が開いている。
 途端、楓は自分の体が落下しているのだと理解した。
 床の端を掴もうにも、とても届く距離にない。
「茜ちゃん!」
 叫んだものの返事がない。
 茜は楓が飛び出さないよう必死に掴んでいるだけで、力を使いすぎたのか、気を失っているらしかった。
 そのまま二人は、なすすべなく穴を落ちていった。
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