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第71話 楓の作戦

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 翌日。
 もちろん楓はきちんと歯を磨いて寝た。
 あまりスッキリとしない目覚めだが、起きないわけにはいかなかった。
 楓の提案は日を改めて行うこととなった。
 朝顔が疲労している中で攻めることは、よさそうに見えてそうではないというのが茜の言い分だった。
 楓も向日葵も茜も、皆が疲れているのだから、無理に急ぐことはないということで当日の決行は見送られた。
 そもそも、楓の提案は受け入れてもらうまでに時間がかかった。
 理由は楓が前線に出るからだ。
 しかし楓は、自分のことであると理解したことで譲らなかった。
 結局、渋々ながらも向日葵と茜に提案を納得させ、楓は今、夏目邸の前に立っていた。
 再三、
「無理しちゃダメだからね」
 と向日葵にも茜にも釘を刺されて家を出てきた。
 力がないと思い込んでいた楓にとって、唯一の武器を発揮する時が来たのだ、と楓は思っていた。
 道中の自然を気にする余裕もなく、楓は歩いて移動を済ませた。
 逃げ出したい思いは常にそばにある。だが、ここで引き返すわけにはいかない。
 胸に手を当てると、心臓が早く鼓動していることがわかる。
 自然と速くなる呼吸を、できる限り平常時のペースに戻してから、楓はドアを開け、屋敷に足を踏み入れた。

 家に誰かが入ってきた。
 体の中を虫が這うような感覚がして、朝顔は目を覚ました。
 寝ぼけまなこをこすり、状況を探る。
 結界は張っていないものの、侵入は把握できるようにしていた。
 そもそも入れるようにしておくのは、入れないことが策にならないからだった。
 入られたところで特に問題はない。
 むしろ、楓を閉じ込めておきたいのだから、楓が入れないのでは困ってしまう。
 まだ寝起きだったが、人の気配ですっかり目が覚めてしまった。
 相手によっては呪いでもかけて退散させようかと思ったが、誰が入ってきたのかわからない。
 それだけで、朝顔は屋敷に楓が入ってきたことがわかった。
 それも一人で。
 昨日の出来事で、まだ気持ちは向日葵から移っていないと思っていたが、そうではなかったのだと朝顔は思った。
 でなければ一人で屋敷に来るはずがない。
 危険を承知で戦いに来たのなら、護衛に姉のどちらかか、もしくは両方ともを連れてくるはずだからだ。
「やった。やった」
 と言いながら朝顔はベッドから飛び起きると、小躍りした。
 少しの間喜びに浸っていたが、我に返ると慌てておめかしを始めた。
 意中の相手に会うのだから、寝巻きのままというわけにはいかない。
 どこまでもかわいがり、かわいがってもらわなければならない。
 そうして、愛し愛される関係になるためにも、衣服はきちんとしなければならない。
 楓が玄関以外のドアを開けたならば、朝顔の部屋に入ってきてしまう。
 間が悪く、着替えのタイミングで入ってしまい、気まずい思いをさせないためにも、朝顔は手早く衣服を考え、能力で取り替えた。
 前の服がどこへいくのかは知らない。
 今の服がどこから現れているのかは知らない。
 だが、無から有を作り出し、有を完全に無にすることができないのは、あくまでも人間の話だ。
 神の力を使えば不可能ではない。
 よくお人形さんのようだと褒められる、お気に入りのゴシックロリータへと着替えを済ませ、朝顔は楓が来るのを心待ちにしていた。
 しかし、急いで服を変えたものの楓はなかなかやって来ない。
 どの部屋の扉を開けても、朝顔の部屋に入ることができるのを知らないのか、どの部屋だったのか律儀に考えているようだった。
 そうは言っても、こちらから迎えるのも芸がない、と朝顔は考えた。
 それに、出迎えてしまえば、来てくれたことに驚きつつも喜ぶ反応ができるシチュエーションではなくなってしまう。
 朝顔は待った。楓が以前開けた部屋を見つけ出すことを待った。
 いつ来てもいいように、人形だけを持って待った。
 そして、その時はすぐに来た。
 ガチャリとドアは開かれた。
 一人でお人形遊びをしている風を装っていた朝顔は、ドアの開く音で顔を輝かせて振り向いた。
「かえ姉! 来てくれたの?」
 朝顔は手に持っていた人形を放り出し、楓の前まで駆けた。
「うん。朝ちゃんと遊びに来たよ」
 楓の声も晴れやかだった。
「本当? 嬉しい。ひま姉とあか姉は?」
「一緒じゃないよ。僕一人」
「いいの?」
「いいんだよ。でも、まだ少し心残りがあるから、まずは踏ん切りをつけるためにお話ししようと思って」
 楓はそう言うと、肩にかけていたカバンを探った。
 朝顔はカバンをのぞき込んだものの、何を取り出そうとしているのかわからなかった。
 何が出るのか楽しみにするために、真剣に見なかった。
「ジャジャーン」
 と言って、楓はお菓子を取り出した。
「お菓子?」
「そう。まだ手作りはできないけど、キレイに包むくらいはできるから」
「ありがとう。嬉しい!」
 朝顔は楓からお菓子を両手で受け取り、跳ね上がった。
 すぐに丸テーブルとイス二脚を部屋の中央に作り出し、朝顔は片方に座った。
 丸テーブルの上に出した皿に、楓の持ってきたお菓子を並べると、朝顔はもう一つのイスの座面を叩いた。
「かえ姉も座って! 立ってたら疲れるでしょ」
「ありがとう」
 楓が優しい笑みを浮かべるだけで、朝顔の胸の内は暖かくなった。
 ずっと笑っていてほしい。
 むしろ、そのままの姿で保存しておきたいと思った。
 だが、人を形だけ複製したものは、どれだけ同じように作られていても感じ方が違った。
 写真でさえ愛おしいが、本物には劣った。
 状況と会話などが伴って、初めて嬉しさが出てくる。
 朝顔にとって、ただ笑顔を切り取ればいいわけではなかった。
「せっかくのお菓子なら紅茶もいるよね」
 朝顔は聞いた。
「そうだね」
 楓が頷くのを見てから、朝顔は天高く手をかかげ、パチンと指を鳴らした。
 楓は不思議そうに部屋の中をキョロキョロとしていたが、やがて何も起きないことに首をかしげた。
 そんな様子に朝顔は笑った。
「え、指パッチンしただけ?」
「まあまあ、慌てないでかえ姉」
 続けて朝顔はテーブル上に向けて、パチンと指を鳴らした。
 すると、丸テーブルやイスを出した時のように紅茶入れとカップがとともに現れた。
「うわ、この急須みたいなのに入ってるの初めて見たよ」
「そう? 一応お金持ちの家だからね。こういうのにも気を使ってるの」
 朝顔は手際よくカップに紅茶を注いだ。
「そっか。すごいね。おしゃれだね」
「でしょ?」
「でも、これは大丈夫なの? 神様の能力で出された物は抵抗ないけど、食べ物は少し抵抗があるんだけど」
 楓は言いながら、楓はカップに注がれた紅茶をしげしげと見つめていた。
 言葉通り警戒しているようで、なかなかカップを持とうとすらしなかった。
 朝顔は最初の指パッチンで、屋敷内のお手伝いさんに紅茶をいれるよう指示し、それから次の指パッチンでいれた紅茶を移動したことを知っていた。
 つまり、能力で生み出したのではなく、移動のために能力を使ったのだが、楓はその工程を把握していない。
 なんと伝えれば伝わるだろう、と朝顔は思案した。
「大丈夫だよ。別に朝顔の体からできてるわけじゃないから」
「そう?」
「それに、紅茶は紅茶で、いれたものを移動してるだけだから」
「なんだ。早く言ってよ! それなら全く問題ないね」
「うん!」
 説得も済ませると、二人は楓が持ってきたクッキーやスコーンを食べながら話を始めた。
 他愛ない会話だった。
 朝顔にとって、こうしてとりとめのない会話をするのは初めての経験だった。
 いや、向日葵や茜とはしていたが、他の人間とはほとんどしたことがなかった。
 いつも業務連絡ばかりで、雑談をしてこなかった。
 朝外は、楽しそうに他の人間と会話する姉二人を、いつも冷めた目で見ていた。
 二人は笑顔でいたものの、朝顔の興味は湧かなかった。
 楽しみは一人でも享受できる。周りを意識しなくていいことは、より楽しみに没頭できる。
 そう思っていた。
 だが違った。
 きっかけは楓が朝顔の部屋を訪れたことだった。
 それは、人間の運命の人という概念を面白いと思い取り入れた制度だった。
 朝顔は、ランダムで決められた人しか、部屋に入れないように設定していた。
 何かのまぐれで部屋に入った人がきっと運命の人だろうと思ったからだった。
 だがそれも、形だけやっていただけで現れるとは思っていなかった。
 可能性を試すならば、もっと人の出入りのある場所を選ぶべきだった。
 それを朝顔は人の入ってくることのない屋敷を選択したのだ。面白いと思っていつつも、半ば否定していた。
 しかし、扉は開かれた。
 楓が運よく近くに住んでおり、都合よく屋敷を訪れ、偶然にも部屋に訪れた。
 朝顔はまさに運命だと思った。
 今も話をしてお菓子をつまんでいるものの、朝顔は何よりも楓を見つめていた。
「美味しい?」
 少し不安そうに楓が聞いた。
 朝顔は思わず、目を見開いてしまった。
「美味しいよ? どうして?」
「その、なんだか、朝ちゃんが僕ばっかり見てる気がして。それに、あんまりお菓子を食べる手が進んでないから、味が好みじゃないけど、言うまいとしてくれてるのかなと思って」
「そんなことないよ。美味しいよ。ただ、恥ずかしいんだけど……」
「だけど?」
「あか姉から目が離せなくて。その、あれだよ? 別に自分にほれ薬を飲ませて興奮してるとかじゃないよ? じゃなくて、なんて言えばいいのかわからないんだけど……」
 朝顔は言葉に詰まった。
 本当に何を言えばいいのかわからなかった。
 これから、楓を自分だけのものにするというのに、こうして楓からやって来られると、強引にやるよりもドギマギしていた。
 これが恋だろうかと朝顔は考えた。
 これが向日葵が体験しているものなのかと考えた。
 ドキドキと心臓が脈打つ。それは早鐘のようだった。
 思考もうまくまとまらず、いつもならばぱくぱくと食べられるはずのお菓子も、あまり喉を通らなかった。
「大丈夫だよ。ゆっくりでいいよ。時間が必要なら、一度他の話に移ってもいいし」
 楓が言った。
「本当?」
 朝顔は楓の優しい提案を聞き返した。
 ゆっくりと笑顔で頷く楓に、朝顔はまた胸がぽかぽかする気分だった。
 人間は思っていたよりも暖かいことを知った。
 だからこそ、もっと温もりを感じたくなった。
 もっと深く体感したいと思った。
 もっと他と関わりを断って、楓は朝顔とだけいればいいと思った。
「もっと刺激的な話をしようよ」
 そう言うと、楓は席を立ち上がった。
「急にどうしたの?」
 朝顔は聞いた。
 楓は動きを止めず、咄嗟のことに驚いて朝顔も席を立った。
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