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〈成人編〉
56. 救出
しおりを挟む「ダメ……ッ!」
ローブのフードが外れて、顔が露わになる。凛とした横顔。
迷いない表情から、彼女が何を考えているのかは明白だった。
崖から落ちそうになっている荷台に向けて手を伸ばす少女の姿を目にして、仔狼は大いに慌てた。
『センパイ!』
間に合わない──!
仔狼だけでなく、フェローやラヴィルなど、その光景を目にした者は息を呑んだ。
荷台の端を掴めたとしても、ナギの細腕では崖から落ちるのを止めることなんて、できるはずがない。
【身体強化】スキルを使って端を掴んだとしても、木造の荷台が耐えられないだろう。
伸ばした手が空を切る。
荷台はそのまま崖の下へ落ちていく。
ナギは迷わなかった。
駆け寄った勢いのまま、荷台を追って飛び降りた。
「ナギ……!」
ラヴィルの叫び声。今からでは、いくら俊足の彼女でも間に合わない。
仔狼は勢いをつけて、崖から飛び降りた。
◆◇◆
「まったく! 無茶をする!」
肩で息をつきながら、エドは頬にまとわりつく邪魔な髪を指で払った。
片手はしっかりと大切な少女を抱き締めている。
意識はないようだが、呼吸はある。
高所からダイブして荒波に揉まれたせいで肌は青ざめているが、じきに目を覚ますはずだ。
「心臓に悪い……」
いまだエドの胸は激しく脈打っている。
間に合って良かったと、しみじみとため息を吐いた。
荷台ごと崖から飛び降りたナギはどうにか【無限収納EX】を発動したようで、中にいた獣人の少女ごと収納することに成功した。
が、さすがに自身をスキルの小部屋に送る余裕はなかったようで。
そのまま海面に叩きつけられて意識を失ったところを、元の姿に戻ったエドが回収したのである。
ナギを片手で抱えて陸に上がろうとしたが、激しい波に揉まれて難しい。
無理やり岩場を這い上がろうとすれば、腕の中の少女に怪我をさせてしまうかもしれない。
躊躇している間に高波に流されて、ようやく辿り着けたのは、人気のない岩場。
ちょうどトンネルのように大岩が刳り抜かれた状態になっており、中は小さな洞窟のようだった。
休息にはちょうどいいと判断して、エドはナギを抱き上げて、その岩場に上陸した。
「ベトベトして気持ち悪い」
海で泳いでいる時は気にならなかったのに、陸に上がると、濡れた感触を不快に思う。
抱き締めたナギごと浄化魔法で綺麗にした。
そっとナギを地面に下ろして、ストレージバングルから荷物を取り出す。
まずは自分の服だ。
仔狼の姿から変化したので、今の彼は全裸。
(こんな姿をナギに見られたら困る)
ナギも困るだろうが、彼女の精神は大人だ。きっと見ないふりをしてくれる。
それは分かっているが、思春期の少年であるエドにとっては耐え難い恥辱なのだ。
幸い、仔狼姿の時から装着したままのストレージバングルには、エドのマジックバッグも収納してある。
戦闘時にも邪魔になりにくいウエストポーチ型の愛用品を引っ張り出すと、すばやく着替えた。
「ナギの意識があれば、コテージを出してもらえたんだが……」
あいにくお姫さまは夢の中。
ならば彼女の騎士である自分が環境を整えなければ。
マジックバッグから魔道テントを取り出す。手際よく設置すると、中を確認する。
ナギが実家から持ち出した魔道テントには元々、空間拡張の術が掛けられており、倍ほどの広さがあったが、さらに付与を施して元の五倍ほどの空間へ変化していた。
快適な暮らしを何より大事にしているナギからもらったベッドをテントの中に置く。
足元の岩場が気になるので、ダンジョンでドロップした魔獣の毛皮を地面に敷き詰める。
「ん、これならナギも快適に過ごせるだろう」
満足そうにうなずくと、エドはナギをベッドに寝かせた。
ブランケットで包み込んでやると、安心したように少女の力が抜けていくのが分かる。
「あとは、温かい飲み物」
マジックバッグから小型の魔道コンロを取り出すと、湯を沸かすことにした。
冷えた身体を温めるため、ミルクティーを作ろう。蜂蜜をたっぷり投入すれば、すぐに元気になるはずだ。
無意識に【身体強化】スキルを発動していたのか、ナギに目立った怪我は見当たらない。
かすり傷にはポーションをふりかけておいた。
肌や髪、服まで浄化魔法で綺麗にしておいたので、今の彼女は眠り姫にしか見えない。
「ずいぶんとヤンチャな眠り姫だ」
だが、あのまま彼女が救いの手を伸ばさなければ、獣人の少女たちは皆、命を落としていただろう。
意識がある時ならともかく、薬で麻痺させられ、両腕を魔力封じの魔道具で拘束された状態だったのだ。
(ナギに頼まれていた獅子とクマの二人を放り出してしまったが、優先順位が違う)
後でナギに怒られよう、と覚悟を決めたエドだった。
◆◇◆
全力疾走した直後のように、体が怠い。
肌に何かがまとわりつくような不快感が気になって、ナギは重いまぶたをどうにか持ち上げることに成功する。
「ん……あれ?」
見慣れた天井ではない。
何度か瞬きを繰り返して、ぼんやりと周囲を眺め、ここが魔道テントの中だと理解する。
頬をぺちぺちして、気合を入れる。
何があったのか、少しずつ思い出していた。
「そうだ……。崖から落ちたんだ、私」
意識を集中して確認したところ、ちゃんと荷台ごと【無限収納EX】内の空間へ送ることができたようだ。
「間に合ったのね。良かったぁ……」
そして、魔道テントに寝かされていたということは──
「起きたのか、ナギ」
「エド」
気配に気付いたエドが枕元にやってきてくれた。手には湯気の立つ木製のカップ。
差し出されたカップを受け取り、お礼を言って口をつける。
崖から落ちて、海面に叩き付けられたことは何となく覚えていた。
咄嗟に【身体強化】スキルを使ったことでダメージは減らせたが、衝撃で気を失ったのだ。
(ちょっとだけ、海水を飲んでしまったみたいで喉が痛かったのよね)
海に落ちて、体が冷えていたのもあり、エドの気遣いがありがたい。
蜂蜜をたっぷり投入したホットミルクティーはとても美味しくて、芯から温まった気がする。
「あまり無茶をしないでくれ」
「……うん。心配をかけて、ごめんね」
てっきりお説教が続くと覚悟を決めていたのだが、エドはナギを一度強く抱き締めてから、耳元でそう囁いただけで済ませてくれた。
「うぅ……思い切り叱られたほうが気が楽だったかも」
落ち込んでいる様子がひしひしと伝わってきて、申し訳なさに身もだえする。
「どうせ後で皆から叱られると思って」
「あああ……」
あの場には、サブマスターのフェローだけでなく、ラヴィルもいた。
ラヴィルに目撃されたということは、間違いなくミーシャに報告されるということで。
(ミーシャさんにほっぺをぎゅーってされちゃう!)
ナギはそっと両頬に触れた。
「私のほっぺ、無事ですむかな……」
「ポーションを用意しておいてやろう」
武士の情けだ、といった表情でうなずくエド。そこはスマートに助け出してほしい。
◆◆◆
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