僕の痛み

晴珂とく

文字の大きさ
2 / 8
僕の痛み 2枚目

愛したいひと

しおりを挟む
 配信されたばかりの映画を観て、ボジョレー・ヌーボーを空けたら、別のワインが出てきた。有一の作った美味しい料理をつまみながら、気持ちよく酩酊する。
 働かなくなった頭の片隅で、ときどき思い返す。今自分がどこにいるのかと。
 有一がシャワーから出てきたときには、十二時をまわっていた。
 道弥は、ソファの座面に片足を乗せ、脚の上に買った画集を開いていた。有一がソファの背もたれに手をついて覗き込む。
「まだ飲んでるの」
「すません。美味しくてつい……」
 グラスに残っていた、僅かなワインを呷り、飲み干した。彼が、道弥の手からグラスを取り、テーブルに置く。
「もうおしまい。さすがに二日酔いになっちゃうよ」
 彼はソファに深く座った。開いた画集のサイズの分だけ、距離がある。
 その適度な距離から、彼の姿を視界に収め、恍惚と眺める。背もたれに片方の肩を沈め、頭を乗せた。シャワーを浴びたばかりの彼は半袖を着ている。整ったEラインに、視線を巡らせた。顎から首筋にかけての筋張った曲線、半袖から伸びる腕の筋肉。
「なに? なんか、すごい視線感じる……」
 はにかんだ顔は片手で隠された。
「や……、このカッコイイ筋肉を、魅力的に描けるかなぁって、考えて……」
「え、かっこいい? やった」
 彼は左腕を前に伸ばし、右手でさすった。
「でも道弥くん、あんまり人物描かないよね。描くとしても、挿絵のライトなタッチのやつとか……」
「よく知ってますね」
「まあね」
 彼の眉毛が片方あがり、得意げな視線を寄越す。
「ドヤ顔しないで、そんなことで」
 彼の肩を、手のひらで軽く叩いた。顔の熱を逃すように手元の画集をめくっていく。
「でも人物描くの、練習したいと思ってて……」
「それ、今日本屋で買ったやつ?」
 有一は、画集の右端を持って座り直した。肩が触れそうなほど距離が近づく。画集のサイズだけ、空いていたはずの余裕が一気に詰められ、右半身に意識が集中する。
「あ、そうです……」
「へぇ。こういうの、資料として買うの?」
「資料用に買う本もありますけど、この人のは、ただ単に好きで……」
「あー、JUNジュンだっけ」
 彼は、背もたれから体を起こし、画集の表紙を覗き込んだ。
「前にも同じ人の、買ってたよね」
「この人、今回のこれで人物描いてて……。いつも描いてないのに。僕も参考にしよう……」
「いろいろ画集買ってるけど、特にこの人が好きだよね」
「え、あ、わかりますか?」
「うん、わかる」
「どのへんで……」
「えー、なんとなくだけど……、色使いとか、道弥くんっぽいというか、好きそうって思うかな」
 喉がつかえ顔に熱が籠る。彼から目を逸らし、手元の画集をそっと閉じた。顔の筋肉が引きつっているのを隠すため、前髪を触った。
「まあ、でも俺は、道弥くんの絵とかデザインのほうが好きだな」
「はは。お世辞でも……、嬉しいです」
「お世辞じゃないよ! 道弥くんの創るものって、なんか優しくて明るくて、翳りがない感じで、俺はそれが好き」
「なにそれ。初めて聞いた」
「そうだっけ。俺が入社したての頃にさ、道弥くんのデザイン見て、キミのこと気になり始めたんだよ」
「知らなかった……」
「この子、見た目おとなしいのに、創るもの弾けてるっていうか、イメージ違うなぁと思って」
「それ、どう受け取ればいいの」
 心地よく酔いがまわっていた。視界がちかちかと霞んで、シーリングライトが目に眩しい。
 白いTシャツを着た、彼の体のラインと、石鹸の匂い。
 みぞおちから胸のあたりまで、焦れるように気持ちが込み上げる。体が熱をもつ。
 ――キスしたい。
 だけど、できない。その先へ進むことができない罪悪感が、ブレーキをかける。
 セックスはおろか、触ることさえ満足にできない恋人を、彼はいつまで許容してくれるのか。
 更けていく夜と、深まる静けさ。独りの闇に飲み込まれる前に、手を取って欲しい。いつか離されるとしても、今だけは。

 全面ガラス張りのオフィスは、自然光がよく入り、夏場は暑い。フリースペースでは冷房の風が当たる場所に座る。木製のテーブルにノートパソコンを広げ、座り心地のよい回転チェアに深く腰を下ろした。午後一時近く、昼休憩から戻った社員たちが、雑談をかわしながら行き交う。午後の業務が始まる前のさざめき。
都築つづきさん、お疲れさま」
 有一が、コーヒーを片手に声をかけてきた。
「え……、お、お疲れ様です……」
「ここ、いい?」
 彼は当然のように、同じテーブルの椅子を引いて着席した。
「仕事、戻らないんですか」
「このコーヒー飲んだら行くよ」
「はあ……」
 正解がわからず、パソコンに視線を戻す。
「都築さん、お酒飲めないんだね」
 急に転換された話題に、思わず「え」と聞き返した。
「この前、言ってたじゃん」
「ああ、飲み会の……」
「あーもしかして、方便だった?」
「あの、何か用ですか」
「……ごめんね、仕事の邪魔したね」
 立ちあがろうと、体を前に傾けた彼の腕を咄嗟に掴む。
「いや、追い払いたいわけではなく……」
「そう? じゃあもう少しだけ」
 彼は口元を緩め、座り直した。
「本当は、お酒飲めるの?」
「その話題、続きますか」
「他の人に言ったりしないよ」
「まあ……、嫌いじゃないです」
「へぇ。普段何飲むの。ビールとか?」
「ビールは苦いんであんまり……。チューハイとかリキュールとか、フルーツ系が好きです」
「そうなんだ。俺も同じ。ワインが一番好き」
「あー、ワイン……。ロゼが好きです」
「いいね」
 彼は口角を上げた。
「ねえ、一人暮らし?」
「そうです」
「飲み会嫌いなら、宅飲みしようよ。今週の金曜あいてる? おすすめのロゼ、持ってくよ」
「え、嫌ですけど……」
「ええっ」
 断られるとは全く予想していなかったのか、彼は目を丸くした。
「なんで」
「逆にこっちがなんでって感じですけど……。それに、今週の金曜は、リアタイで映画観るんで」
「一緒に観ればいいじゃん。今度の金ロー、何やるの」
「いや、うち狭いんで……」
「あっ。もう行かなきゃ。とりあえずライン教えて」
「あの」
「早く、早く。ごめんけど、午後から外出だったんだよね」
 言われるがまま、連絡先を交換すると、彼は颯爽と営業部に戻って行った。五分もしないうちに、鞄を持って戻ってくると、片手で手を振って出かけて行った。

 高校を卒業してから住んでいる、狭い1Kの部屋に、人が訪れたのは初めてだった。
 白く安っぽいローテーブルに広げられた、コンビニのおつまみと、缶ビールに缶チューハイ。ポテトチップスを口に放り込みながら、度数が高めのお酒を缶のまま飲んだ。
白川しらかわさんの、こういう強引なところが、やっぱ苦手だなぁ」
「え、え、本人を目の前にして、苦手とか言っちゃうの?」
 有一は慌てた様子で片膝を立て、身を乗り出してきた。
「前から思ってましたけど、とうとう家にまで来られちゃって、いよいよ言っとかないとな、と思いました」
「そんな律儀に言われても……。ひどいじゃん。傷つく……」
 手のひらを顔にあて、泣き真似のような仕草をする有一に「酔ってんすか」と言うと、「酔ってないっつの」と返ってくる。
「まあでも、強引だったか。そこはごめん」
「そういう、形だけの謝罪もいらないですし」
「さすがに塩すぎない? まじで傷つくよ?」
「はいはい……」
 不機嫌な自覚はあった。無意識のうちに歯を食いしばっていた。頭の中で繰り返すのは、映画の内容だ。
 主人公が困難に直面し、心を閉ざしていく。彼女は、自分の中の悲しみと向き合うことで、人生の歓びを知ることができた。
 生きていくことで、失うものもある。失って、空いたところに、どんな歓びを築いていくか。それが、自分が自分らしくあるための哲学だ、というストーリー。
 鋭利な刃物で何度も胸を刺すようだった。震える手で、服の胸元を掴む。喉が詰まるような感覚を、肩を上下させて腹の底へ沈める。
「白川さんは、その……、どうしても受け入れられない、コンプレックスみたいなものってありますか? その……、絶対に、人に知られたくないレベルの」
「あー、どうだろ。多少あっても、そこまでのはなぁ」
 彼は、後ろに手をついて、斜め上に視線を投じた。
「道弥くんは、あるってこと?」
「いや……、いえ、何でもないです。忘れてください」
「コンプレックスってさあ、人に指摘されたり、否定されたりして芽生えるものだから、結局は、人の価値観に左右されてる状態だよね。ありのままの自分を受け入れるっていうことが、大事みたい。それが難しいんだけどね」
「へぇ。なんでそんなこと知ってるんですか」
「俺さぁ、自分で言うのもアレだけど、目立つ外見してるじゃん」
「……はぁ」
「いや真面目な話! 無駄に目立つから、これでも苦労してるんだよ。一時期さ、人心掌握とか、心理学に関する本を読みまくってたの」
「そうですか……」
「そう。でさ、話戻るけど、コンプレックスに支配されてる状態って、人の価値観に支配されてるってことだから、この映画の主人公みたいに、自分の人生の軸というか、歓びを見つけることが出来ないんだよね。さっきの主人公でいうところの、挫折したままの状態」
 彼のよく通る声が、夜中の空気に嫌に浮く。立てた片膝を抱え俯いた。部屋にはアルコールと、おつまみのジャンクなにおいが充満している。
「そういうのってだいたい、身近な人が関係してることが多いらしいけど、自分が何に傷ついたのか、自覚するところから始める。ただよくあるのは……」
「……るっせぇよ……」
 彼は瞬時に口を閉じ、え、と小さく漏らした。
「うるっさいって、言ってんの。……んな簡単な話じゃないって話だよ。馬鹿なんじゃないの、あんた」
 言ったそばから体が重くなり、背中を丸める。頭の重さを支えるように、立てた膝に額をつけた。感情が昂っているのは、きっとアルコールのせいだ。
 体の右側に、気配を感じた。彼がそばに座ったらしく、肩に手を置かれる。
「ごめん。調子に乗って喋りすぎた。無神経だった。ごめんね」
「別に……、あなたが謝ることじゃないです。ちょっと、飲みすぎました……。すみません」
 顔を左に逸らし、一応の謝罪をした。右半身に体重をかけられ、バランスを崩す。左手をついた。
「ちょっと……」
「俺のほうこそ飲みすぎたぁ。ごめぇん。嫌わないで……」
「いや重いんですけど。寄りかかんな」
 右腕で彼の体を押し戻す。
「一人くらい……、白川さんのことが嫌いな人がいたっていいでしょ」
「え、本当に嫌いになった?」
「全員に好かれないと気が済まないんですか。難儀な人ですね」
「いや違うよ。キミにだけは嫌われたくないんだよ」
「あー、はいはい。それも心理学の手練手管ですか……」
「違うって!」
 急に大きな声を出され、反射的に肩を上げ目を固く瞑る。
「いや、ごめん……、大声出して。あーもう……、お酒の勢いで言いたくなかったんだけど……」
 膝に置いていた右手に、手を重ねられた。
「好きなんだ、キミのことが……」
 真っ直ぐな視線を向ける彼の瞳には、星屑が舞っていた。
 酔いがまわった働かない脳みそと、右手に伝わる熱。テレビから流れる淡々としたニュースに、疲れを溜め込んだ週末の重い体。
 膝を右側へ倒して、彼のほうへ向き直し、頭をベッドに凭れた。重い瞼を下ろすと、知らないうちに眠りに落ちていた。
 この日のことは、今でもときどきなじられる。


 外は夏のように暑かった。もう十月も半ばだというのに、日中は未だ半袖がちょうどよい気候だ。
 駅で待ち合わせて、有一の部屋までの道を並んで歩く。楽しみを上回る、不安な気持ち。ポートフォリオを、初めて見てもらうときのような落ち着かなさ。
 オートロックのマンションの彼の部屋は、道弥の部屋よりも広くて、垢抜けていた。家具は木製で、深みのあるブラウンで統一している。ファブリックの色合いは寒色系でまとめ、キッチン前カウンターに置かれた小さめのパキラとガジュマルは、アクセントカラーだ。調和のとれたトンマナは、隙がない。
「あーなんか、白川さんの部屋って感じの部屋だな」
 率直な感想が口から出ていた。
「それ、いい意味で言ってる? それとも貶してるの」
「貶してはないですよ……。隙がないデザインだなぁって、褒めてます」
「えー、なんかあんまり褒められてる感じがしないけど……。隙があるほうが、可愛げがあるって言うんでしょ」
 有一はキッチンの戸棚を開けて、何かを取り出す。
「道弥くん、コーヒーでいい?」
 はいと答え、彼のそばに寄り、コーヒーメーカーに豆を入れる手元を眺めた。
「何。どした」
「一人暮らしで、コーヒーメーカーがあるっていうのがもう」
「あ、隙がない?」
「ないですね。しかも、ウォーターサーバーに、ワインセラーもあるし……」
 振り返り、存在感を放つそれらを一瞥した。
「わ、どうしよ。好感度下がってる?」
「ふっ。いいんじゃないですか。白川さんらしいし」
 有一の顔を見上げると、彼は微かに口角を上げた。コーヒーの芳ばしい香りと、コーヒーメーカーの電子音。半袖から伸びた、筋肉のついた腕。大きな手のひらが、頬に触れた。この空気が向かうところを、知っている。
「……あ、あの、白川さん……」
「なあに」
「えっ、と……」
 穏やかな表情を浮かべる彼から、目を逸らし、俯いた。
「なんていうか、今言うのもアレですけど……、やでも、今言わないと、アレなんですけど……」
「うん。ゆっくりでいいよ」
 彼は、道弥の手をとって、両手で包んだ。その手のひらは滑らかで、柔らかい。
「僕……、付き合うの、初めてで……」
「そうなんだ。意外」
「あの……、白川さんは……、なんで僕と付き合うことにしたんですか」
 口に出してから、顔が熱くなる。
「え、好きだからだけど? 俺から告白したじゃん」
「でも今までは、女の人と付き合ってきたんですよね」
「まあ、そうだね……。いや、自分でも想定外だったけど。女性を好きになるのと同じ感覚で、男性も好きになれるんだっていうのは」
 彼はあまりにも、フラットに言ってのける。
「それって……、抵抗とか、葛藤はなかったんですか?」
「ああ、同性同士ってことに?」
「そうです。僕は……、この歳になるまで、自分が、ゲ、ゲイってことに……、抵抗があったというか……」
 汗が、脇の下を流れる感覚があった。顔の熱は増すばかりで、鼓動が早くなる。
「そっか。俺はむしろ……、ぜんぜん抵抗はなかったかな。性別って関係ないんだなって思ったけど。逆にキミはなんでOKしてくれたの」
 彼の質問で思い出す、温かい気持ち。深く、ゆっくりと呼吸する。
「白川さんが……、僕はそのままでいいって言ってくれたからですよ」
 顔をあげると、目が合った。ただそれだけで、空気が甘い。彼の顔が近づく。
「あ、の……、白川さん」
「うん?」
「なので、僕……、付き合うの、初めてで……」
「うん、わかった。いいよ」
「い、いいっていうのは……」
「セックスが怖いなら、待つから大丈夫。ゆっくりでいいよってこと」
「あ……」
 セックス、という直接的なワードが突然出てきたことに視線が泳いだ。再び顔が熱を持つ。
「え、うそ。違った? そういうことじゃなくて……?」
「違くないです……」
 瞼を伏せて、彼の首元に額を預けた。顔の熱が収まらず手が震える。
「……ねぇ、顔見せて」
「イヤですけど……」
「じゃあ、キスは? していい? それも抵抗ある?」
「……して、いいです……」
 頬に、手のひらが触れた。彼の胸元から顔を離し、僅かに顔をあげると、彼の顔が近づいた。鼻が触れそうなくらいの距離で、様子を窺うように、少しずつ近づく。ゆっくりと、優しく触れるキスをした。何度も柔らかく、唇を重ねると、自分の存在が肯定されるような気がしてくる。
「……ねぇ、舌は? 入れていいでしょうか……」
 律儀に確認を取る彼に、「どうぞ」と許可を出す。
 口を開け、舌を絡める。お互いの口内を、まさぐるように、柔らかく、大きな舌を追いかけた。記憶の中のキスよりも、優しくて、官能的だった。
「触るのはどう。いい?」
「触る……」
 忽ち我に返る。胸の高鳴りとは別の動悸がしてきた。
「えっと……、ど、どこ……、どこを……」
 言葉を探していたら、不意に抱きしめられた。
「ごめん……、また調子乗ったわ。ゆっくりでいいって言っといて……」
「いや……、こっちこそ、すみません……。二十四にもなって、え…えっ、ち、できないとか……」
「いいんだよ。人それぞれだから。付き合うって、エッチだけじゃないでしょ」
「……でも」
 密着した体に、彼の硬くなった陰部があたる。肩を掴まれ、体が離された。
「ごめん、勃ってるけど! これはしょうがないって……。ほっとけばそのうち収まるから、気にしないで」
 彼は、頬にキスをした。道弥の肩を掴んでいた手を離すと、マグカップを取り出す。
「ミルクと砂糖は入れる?」

 ブラウンのローテーブルに、コーヒーの入ったマグが二つ。洒落たシーリングライトの下で、ソファに並んで座る二つの体。日曜の昼下がりの、どことなく気怠い、アトモスフィア。
「あ、道弥くんが観たいって言ってた映画、もう配信されてるよ。観る?」
「あの、白川さん」
「なに」
「さっきの話の続きなんですけど……」
「うん」
 彼はリモコンをテーブルに置き、体を僅かにこちらへ傾けた。
「僕……、自分で触ったりとかも……、あんまりしなくて……」
「オナ……、自慰をしないってこと?」
 黙って頷いた。
「それって、でも……、不健康じゃない? 夢精とかしないの」
「しないように、最低限だけ出してる感じです」
「そうなんだ。そういう、性的なこと全般が苦手…なのかな。それは……、どうしてって聞いてもいいの」
「……なんていうか、抵抗感が強くて……、悪いことしてる感覚が、耐えられなくなってくるというか……。上手く言えないんですけど……」
 涼しい部屋の中で、顔だけがやたら熱く、額に汗をかく。
「だから……、普通の、恋人同士……、みたいなこと、ずっとできないかもしれない……。最初に言わなくてごめんなさい。無理だったら……、今フってください」
 両腕を交差させ、体を抱えるように背中を少し丸めた。鼓動が早くなるのを抑え込むように、唇を固く結ぶ。大きなため息が聞こえ、心臓が小さく跳ねた。
「…見縊みくびらないでよ。エッチできないくらいで別れるとか……、その程度だと思ってた?」
 顔を上げ、彼のほうを見ると、手を取られ両手で握られた。
「それが目的で、付き合ってって言ったわけじゃないよ。そういうのって、お互い同じ気持ちでしたいと思ってなきゃ意味ないと思うから。一緒にいられるだけでいいよ」
 真っ直ぐに向けられた眼差しは、柔らかい。
 ウォールナットで揃えた家具に、ブルー系の色でまとめたソファやラグ。目の端には、控えめなパキラとガジュマル。一見、隙がないまでに、統一されたトンマナは、ただ丁寧に、手を入れているだけ。
 愛が深いだけだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

僕の歓び

晴珂とく
BL
道弥と有一は、交際一年半。 深い関係になってからは、さらに円満なお付き合いに発展していた。 そんな折、道弥は、親に紹介したいと有一から打診される。 両親と疎遠になっている道弥は、有一の申し出に戸惑い、一度は断った。 だけど、有一の懐の深さを改めて思い知り、有一の親に会いたいと申し出る。 道弥が両親と疎遠になっているのは、小学校6年生のときの「事件」がきっかけだった。 祖母に引き取られ、親と離れて暮らすようになってからはほとんど会っていない。 ずっと仄暗い道を歩いていた道弥を、有一が救ってくれた。 有一の望むことは、なんでもしてあげたいくらいに感謝している。 有一の親との約束を翌日に控えた夜、突然訪ねてきたのは、 祖母の葬式以来会っていない道弥の母だったーー。 道弥の学生時代の、淡く苦い恋が明かされる。 甘くてしんどい、浄化ラブストーリー。 === 【登場人物】 都築 道弥(つづき みちや)、25歳、フリーランスデザイナー 白川 有一(しらかわ ゆういち)34歳、営業部社員 常盤 康太(ときわ こうた)道弥の同級生 === 【シリーズ展開】 前日譚『僕の痛み』 時系列 『僕の痛み』→『僕の歓び』

青龍将軍の新婚生活

蒼井あざらし
BL
犬猿の仲だった青辰国と涼白国は長年の争いに終止符を打ち、友好を結ぶこととなった。その友好の証として、それぞれの国を代表する二人の将軍――青龍将軍と白虎将軍の婚姻話が持ち上がる。 武勇名高い二人の将軍の婚姻は政略結婚であることが火を見るより明らかで、国民の誰もが「国境沿いで睨み合いをしていた将軍同士の結婚など上手くいくはずがない」と心の中では思っていた。 そんな国民たちの心配と期待を背負い、青辰の青龍将軍・星燐は家族に高らかに宣言し母国を旅立った。 「私は……良き伴侶となり幸せな家庭を築いて参ります!」 幼少期から伴侶となる人に尽くしたいという願望を持っていた星燐の願いは叶うのか。 中華風政略結婚ラブコメ。 ※他のサイトにも投稿しています。

ショコラとレモネード

鈴川真白
BL
幼なじみの拗らせラブ クールな幼なじみ × 不器用な鈍感男子

宮本くんと事故チューした結果

たっぷりチョコ
BL
 女子に人気の宮本くんと事故チューしてしまった主人公の話。  読み切り。

雪解けを待つ森で ―スヴェル森の鎮魂歌(レクイエム)―

なの
BL
百年に一度、森の魔物へ生贄を捧げる村。 その年の供物に選ばれたのは、誰にも必要とされなかった孤児のアシェルだった。 死を覚悟して踏み入れた森の奥で、彼は古の守護者である獣人・ヴァルと出会う。 かつて人に裏切られ、心を閉ざしたヴァル。 そして、孤独だったアシェル。 凍てつく森での暮らしは、二人の運命を少しずつ溶かしていく。 だが、古い呪いは再び動き出し、燃え盛る炎が森と二人を飲み込もうとしていた。 生贄の少年と孤独な獣が紡ぐ、絶望の果てにある再生と愛のファンタジー

同居人の距離感がなんかおかしい

さくら優
BL
ひょんなことから会社の同期の家に居候することになった昂輝。でも待って!こいつなんか、距離感がおかしい!

君のスーツを脱がせたい

BL
 学生兼モデルをしている佐倉蘭とオーダースーツ専門店のテーラー加瀬和也は絶賛お付き合い中。  蘭の誕生日に加瀬はオーダースーツを作ることに。  加瀬のかっこよさにドキドキしてしまう蘭。  仕事、年齢、何もかも違う二人だけとお互いを想い合う二人。その行方は?  佐倉蘭 受け 23歳  加瀬和也 攻め 33歳  原作間  33歳

好きなわけ、ないだろ

春夜夢
BL
放課後の屋上――不良の匠は、優等生の蓮から突然「好きだ」と告げられた。 あまりにも真っ直ぐな瞳に、心臓がうるさく鳴ってしまう。 だけど、笑うしかなかった。 誰かに愛されるなんて、自分には似合わないと思っていたから。 それから二人の距離は、近くて、でも遠いままだった。 避けようとする匠、追いかける蓮。 すれ違いばかりの毎日に、いつしか匠の心にも、気づきたくなかった“感情”が芽生えていく。 ある雨の夜、蓮の転校の噂が流れる。 逃げ続けてきた匠は初めて、自分の心と正面から向き合う。 駅前でずぶ濡れになりながら、声を震わせて絞り出した言葉―― 「行くなよ……好きなんだ」 誰かを想う気持ちは、こんなにも苦しくて、眩しい。 曇り空の下で始まった恋は、まだぎこちなく、でも確かにあたたかい。 涙とキスで繋がる、初恋の物語。

処理中です...