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第四章
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第四章
こうして、僕には初めての恋人ができた。でも浮かれたりはできなかった。まだやることは残っている。
あの後、彼女の返事に僕は、ありがとう、じゃあまた学校で、と答えてうちに帰った。あの子は練習を休んだ埋め合わせの最中だった。その邪魔はしたくなかった。
帰ってすぐ、恭平と村瀬さんにメールする。
「報告があるから、明日も一緒に登校してくれるかな?」
十分も経たずに返信が来た。
「おう」「もちろん。いつもの所ね~」
次の日、着替えて朝食を取り、待ち合わせ場所に向かう。近くまで行くと二人とも既に来ており、自転車を降りて、真剣な眼差しでこっちを見ていた。
僕は二人の前で止まり、自転車に乗ったまま口を開く。
「昨日あの後、服部さんに返事しに行ってさ。それで、まあ、付き合うことになった」
二人の表情がゆるんだ。
「それでいいんだよ。突き飛ばして悪かったな。これから頑張れ」
「いつでも相談乗るからね」
「うん、ありがとう」
僕にはこんなにいい幼なじみがいる。
翌日の昼休み。授業が終わってすぐ服部さんのの席に向かった。
「団長に謝りに行こう。僕も着いてくから」
勉強道具を片付けていた服部さんは、決然とした面持ちで僕を見上げる。
「ううん、一人で行く」
「いや、着いていくから。僕も無関係じゃないし」
有無を言わせない口調で返す。
本当は他人事でないからだけじゃない。この子の歩く道に付き添うって決めたから。
服部さんは少し迷った様子だったが、やがて、「わかった。よろしく」と言った。
団長のクラスの入り口に着く。
「ありがとう。ここまでで大丈夫」
彼女は静かに告げて、教室に入っていった。
団長は教壇のまん前の席に座っていた。服部さんは彼に向かって頭を下げる。応援合戦、ずる休みしました、そうだったのか、あんまり褒められたことじゃないよな、はい、すみませんでした、という会話が聞こえてきた。
それでいい。こうやって、一緒にしなきゃいけないことしていこう。
話を終えた彼女は、教室から出てきて、寂しさと真剣さが混じったような口調で、
「次は一の六ね」
「――うん」
かなり抵抗があるけど、逃げるわけにはいかない。
一年六組の入り口から二人で中をのぞきこむ。呼ぼうとすると、神田はこっちに気づき、何かを覚悟したような表情で歩いてきた。
彼が出てきたのを確かめて、場所を変えようとすると、「人少ねえし、ここでいいだろ」と、神田が静かに言った。
服部さんが口を開く。
「洋人、私た」
「今までありがとな、紗江。体育祭の日、校門でお前らの話してたことは、クラスのやつから聞いた」
もうちょっと場所選べよな。服部さんの発言を潰した神田は、諦めたように笑ってつぶやく。
何も言えない僕たち。
「やっぱ俺、自分の彼女には俺を一番優先してほしい。わがままかもしれんけど、そう思うんだよ。だから」
彼は僕の肩に手を置いた。
「これが一番いいんだろ。ダンス本番前のお前、マジで輝いてたぜ。紗江にどこまでも着いてってやれ。じゃあな」
神田は手を離し、教室に入っていく。僕はそっちに向かって声を張り上げた。
「また部活来てよ。赤崎も、次は止めてやるって張りきってるしさ」
服部さんも叫ぶ。
「洋人と会えて良かった! 今までありがとー、」
彼は振り向かずに右手を上げた。
どこまでも着いていけって? そんなこと言われるまでもない。
自分の教室に向かって、隣同士で歩く。次は体育。もう昼食を取る時間はない。
「大庭君、改めて、これからよろしく」
控えめな声が隣から聞こえた。
「うん、こちらこそ」
前を見たまま返す。
「私、やっぱり自分ルールは曲げない。それと、クラスの子も大切にしたいから、君とべったりはできない。まだみんなとは喋れてなくて、見せつけるみたいなことしたくないから」
「うん」
彼女は少し間を置いて、口を開く。
「だけど、ときどきはこうやって喋ろうよ」
身体がふわっと浮いた気がした。心臓が跳ねる。
やっと実感が湧いてくる。僕には彼女ができた。
「うん」
答えながら、緩みそうな表情を引きしめる。
体育祭も終わり、部活は通常通りの時間に戻る。一年生大会が二週間後なので、その日まで学年別に練習するらしかった。一年生はキーパー一人を含めて十一人、僕もフル出場することになる。
その日は、全体でのアップ、ポストシュートなどをした後、学年を分けたミニゲームをした。キーパーは別の場所で専用練習だったので、五対五だった。
僕は頑張って攻め上がるのだが、敵チーム、ディフェンスに入っていた赤崎にことごとく止められる。
「上坂!」
僕からボールを奪った赤崎が、グラウンダーのスルーパスを出す。シュートが決まる。
「はいナイッシュナイッシュ」
真面目な顔で、ぱんぱん手を叩く赤崎。このミニゲームは、間違いなくこいつが仕切っている。
練習後の部室、みんな着替えをしている。
赤崎は、カッターシャツのボタンをはめながら、隣におどけた様子で話しかけている。
「いややばいわ、安達さんちょーかわいいわ」
体育祭の本番待たずにペアの子に告白して、OKされたらしい。部室戻ってきてからにやけっぱなしだった。
僕は黙っておこう。浮かれてるって思われたくないし。
そんなことを考えていると、赤崎が急にこっちを見た。既に真顔になっている。
「で大庭、お前服部妹と付き合ってんの?」
靴下脱ぎかけで、足を上げたまま固まる。みんなの視線が集まるのを感じた。
「……なんでそう思うの?」
「今日昼休み、お前ら二人とすれ違ったろ? そんときの雰囲気的に」
しんとなる部室。
――仕方ないか。
「ま、まあね」
極小の声が出た。
赤崎はにやっと笑う。
「そういやいつかの練習試合、お前らなんかこそこそしてたな。ってかお前やるなー。一年のトップ取りやがって」
やっぱりあの人はそういう評価なのか。
いつから? どっちから? 他の子からも質問に、ぼそぼそと答える。
できたら秘密にしときたかった。知られてしまうと、みんな僕が何かするたびに、彼女がいるからどうのとか思うだろうし。でも、こうやって退路なんか無くしてしまった方がいいのかもしれない。
その日の夜、僕はうちの近くの公園で、服部さんとしたように、ダッシュして少し休んでを繰り返した。本数はあの時以上。今日からこれを毎日することに決めていた。
正直しんどいけど、僕が落ちこぼれのままだと、あの子が苦しむことになるから。部での立ち場が良くなって、勉強もサッカーもできる完璧超人って評判立てば、彼女も笑顔でいられるはず。釣り合いって面で僕にもプライドがあるし。
翌日の昼休み、昼食を終えた服部さんは、勉強道具と椅子を持って僕の席に来る。
一年生大会の四日後には期末テストがあり、教室は少しずつ、勉強モードになっている。昨日のメールで、僕は今日、彼女に数学を教えることになっていた。
僕たちは、昼は一緒には食べないことにしていた。彼女とのことをみんなに伝えたわけじゃないけど、教室で、男女二人がずっと一緒に昼食取ってたりすると、雰囲気が悪くなる。
でも、勉強教えるのは恋人とか関係ないし、あんまり頻繁にでなけりゃ大丈夫だろう。
服部さんは、僕の席の前で、持ってきた自分のいすに座っていた。シャーペンを持ち、僕の机に置いた自分のノートを見ながら、浮かない顔でつぶやく。
「場合の数ってほんと頭こんがらがるよね。CとかPとか、一つ固定したり丸と棒に置き換えたり」
「うん。これはちゃんと勉強しないと点取れないと思う」
高校の勉強はやっぱり難しい。社会や理科も、中学と比べて覚えることが格段に多い。
服部さんは数学が苦手のようで、中間テストもけっこう赤点が危なかったようだ。勉強がおろそかになるとサッカー辞めさせられるらしいので、僕も全力で協力しようと思っていた。色々世話にもなったし。
「これってなんで解答こうなの?」
彼女はノートを指差して尋ねた。
「ほら、この問題は部屋の区別ないから、区別あるときの答えを3の階乗で割ってるんだよ」
「あー、なるほど」
服部さんは、真面目な顔でメモ書きをし、終わるとノートを閉じた。
「次体育だし、そろそろ戻るよ」
「うん、またいつでも教えるから」
彼女は満足気な表情で、僕の目を見た。
「今日はありがとうね」
そんなストレートに言われると、結構困る。顔が赤くなってるかもしれない。
照れくさくて、彼女と目を合わせることができない。自分の机を見て、なんとか返事をする。
「どういたしまして」
その日の最後の授業は、書道室での書道だった。昔から割と字はきれいな僕は、この授業で褒められることが多く、今日も、授業で書いた「大志」がみんなの前で絶賛された。先生は書道部の顧問で、部員の勧誘をしているみたいで、授業後に熱っぽく書道の素晴らしさを僕に説き、入部を進めてきた。僕サッカー部入ってるんで、と何回言っても聞いてもらえず、いらいらして会話の途中で逃げた。
僕は走って教室に帰る。もう部活は始まっているだろう。早く行かないと。
教室の入口に着く。誰もいないと思ったけど、中から声がする。
「……あの二人付き合ってるらしいよ。智昭が言ってた」
ほかのクラスだろうか、知らない女の子の声だった。
「前からべったりだったもんね。紗江、あたしにはもう話しかけにもこないのよ」
この声は金沢さんだ。かなり不機嫌そう。彼女はさらに続ける。
「あたしって踏み台よね。大庭君の前で、友達多いアピールするための踏み台。確かに大庭君、結構かっこいいし。ダンスもあれ、なんか仕組んでペアになったのよ、絶対」
教室に入ることもできず、僕は立ち尽くしていた。
こういうとき、彼氏の僕はどうしたらいいんだろう。
翌日、校内に入ると、靴箱に服部さんがいた。靴箱を開けた彼女は、僕に気づいて微笑んだ。
「おはよう、大庭君」
「おはよう」
自分の靴箱に近づく。服部さんは待ってくれるようで、靴を履き替える僕の方を見ていた。
上靴を履き終える。
「ごめん。じゃあ行こうか」
「うん」
微妙に距離を開けて歩く僕たち。彼女が口を開いた。
「昨日は時間とらせてごめんね。期末、なんとかなりそうな気がしてきた」
「ああ、良かったよ」
しばらくお互い無言で階段にさしかかる。
思い切って聞いてみるか。
「あのさ、差し出がましいかもしれないんだけど、ちょっと聞いときたいことがあって」
「うん、何?」
「あれから金沢さんと仲直りというか和解というか、できた?」
返事がこない。
何を言おうか迷っていると、彼女は、さっきまでより静かな声で
「うん、心配してくれてありがとう。えっとね、実はまだなの」
と言った。
「――そうなんだ」
服部さんは立ち止まってしまう。歩き過ぎて振り向くと、彼女は俯いており、目には涙が浮かんでいた。
「……やっぱり私、冷血女なのかな。私のやり方っておかしい? みんなみたいに、友達とは普段から遊んだりして、悩み聞くのは自分のことに支障出ない範囲でって方が、友達大事にしてるってことになる? どう思う?」
「そんなことないって。前も言ったけど、考え方の違いだよ。僕、色々助けてもらってほんと嬉しかったから。……だからそんなこと言わないでよ」
こっちまで泣きそうになってしまった。
彼女は手で涙を拭って顔を上げた。無理に作ったような笑顔だった。
「ありがと。そう言ってくれて嬉しい」
こんなのだめだ。こんなのこの子らしくない。
僕はできるだけ明るい声で、
「あのさ、また、フログモスだったよね、の試合か練習見に行っていいかな。一度、服部さんがサッカーしてるとこ見たかったんだよ。例のルール的にも問題ないでしょ?」
と、無理やり話題を変える。
「うん。ぜひ来てよ。テスト終わってからでいいからさ。カッコいいところ見せてあげる」
彼女は弱々しく笑ったまま答えた。
「一年生大会頑張ってね」
「うん」
この子は、周りが思うほど強くない。僕がちゃんと守っていかないと。
その日の練習も学年ごとだった。一年生大会まで同じようにするらしい。いつものメニューに加えて、そこそこ広めのコートにゴールをひとつだけ置いて、オフェンスは攻めるだけ、ディフェンスは守るだけの練習をした。
「大庭ー、マークもっとしっかり付けー」
左サイドバックの位置にいる僕に、キーパーから指示が飛ぶ。
反復横跳びは割と人並みで、反射神経はそこまで悪くないんだけど、コートがこのくらいの広さになったら、スピード差という心配が生まれる。自主練のダッシュをもっと頑張ってなんとかするしかない。
一年生大会当日。会場はうちの高校だった。二年生は、副顧問の引率で練習試合に行くらしかった。
早く目が覚めてしまった僕は、家にいても仕方がないので、学校へ行く。集合時間三十分前だったので、まだ誰も来ていないと思ったけど、部室には赤崎がいた。スパイクの靴紐を結んでいた彼は、僕に気づいたようだが顔を上げずに、
「おはよう」
と、低い声で言った。
「おはよう」
「おう。今日頑張ろな。相手も一年だから、集中してればそうバカスカはやられんから」
「うん」
着替えの終わった赤崎は、よしとつぶやいて立ち上がり、僕の目を見て、
「マジで頑張ろな。というか勝とな。キャプテンも勉強忙しい中見に来てくれるらしいし、みっともないとこは見せれんから」
と、有無を言わせない口調で言った。
「うん。絶対勝とう」
大丈夫。今日まであれだけ走ったんだ。
コートの準備を終えて、アップに入る。センタリングシュートをしていると、制服姿で鞄を持ったキャプテンが、自転車置き場からグラウンドの方へ向かって歩いてきた。
「「こんにちはー!」」
アップを中断してみんなで挨拶をする。キャプテンはそれに答えて手を上げた。
アップが終わり、一年生はベンチ前で先生中心の円になる。キャプテンもそこに加わっていた。
先生が口を開く。
「今年の結果によっては、うちは一年生大会、三部落ちもありうる。勝てない相手ではないので、お前らの後輩のためにも頑張っていこう。先生からは以上。服部なんかあるか」
キャプテンは、それを受けて話し始めた。
「はい、今日は俺ら引退してから、一年生がどれくらい成長したか見せてもらいます。正直、期待してるんで、気合入れて試合臨んでください。以上です」
「「っした!」」
その後、先生からポジションが発表された。僕は右サイドバックだった。
両チーム、タッチライン上に並んで、笛の音とともに礼をしてグラウンドに入る。ハーフウェーラインで相手チームと握手する。相手選手の肩ごしに見えるサッカーコートは、今日も広い。いつか狭く思える日が来るのだろうか。
相手キックオフで試合開始。高校初、というか中学で一度も出てないから、人生初の公式戦。
しばらくは左サイドばかりにボールが行っており、マークを気にしていただけなので、息が上がるようなことはなかった。
前半五分、敵の左サイドバックがボールを持つ。それを見たサイドハーフの6番が走り始め、マーカーの僕もついていく。
ロングボールを受けた6番は、中に上げようとするが、スライディングでなんとか阻止。ボールはラインを割る。
敵のコーナーキック。ゴール前に上がるが、がっちりキャッチしたキーパーは、
「上がれ!」
と発破をかける。
――なんかおかしい。異常なまでに息が切れる。今日のために過去最高に頑張った。体力は上がりこそすれ、下がっているはずがない。
相手にボールを細かく回される。縦パスをペナルティアーク付近で受けたフォワードは、振り向いて左のアウトで僕の裏に転がす。それを受けた6番、ワントラップしてシュート。僕も必死に追うが、間に合わない。ゴール右隅に決まり、0対1。
「大庭、しっかり見てくれ」
赤崎がこっちを振り向き、懇願するような口調で言う。
僕は肩で息をしながら、
「ごめん」
と返した。
「大庭頑張れ。今日は代わりいないから」
キーパーからも言われる。そうだ、うちは十一人ちょうどだから交代はできない。無理でもなんでもやるしかない。
直立した僕は、はじめの位置に帰りながら、絶対やれる、と自己暗示をかけるように何度もつぶやく。
しかし、今日はとにかく息が上がる。そして、集中力が持たない。
ゴールに背を向けてボールキープする6番。僕は膝に手を置きながらマークする。こんな選手、どこにもいないだろう。
6番は後ろに戻すが、味方ボランチがカットする。
敵センターバックからのロングボールが出る。それが絶妙な位置に落ちて、6番はダイレクトでシュート。足が動かない。0対2。
「大庭ー、何とかならんかー?」
ベンチから、キャプテンの責めるような声が聞こえる。
そのままハーフタイム。先生の前に集まる。
「まず聞いておくが、大庭いけるのか?」
肩で息をしていた僕は、顔だけを上げて答える。
「はい、ハーフタイムで体力戻します」
先生は少し迷ったが、
「わかった。ポジションはこのままでいく。二点ビハインドなので点取りに行こう。ちょっと今日はうち元気ないな。後半はもっと声出していけ」
「「はい!」」
解散になり、僕は歩きながら深呼吸して精神を集中する。
後半キックオフ。ボールは下げられ、ボランチから僕にパスが来る。インサイドで止めて蹴りこむが、6番の左足に当たり、僕の後ろにボールが転がる。6番との純粋なスピード勝負。僕の方がボールに近いが追い抜かされ、奪われる。フォローの赤崎がスライディングでコート外に出す。
「大庭、マジ頼む」
前半と違い、落ち着いた口調に、
「おう」
と、かすれた声で返す。
そこから先は悪夢だった。
左サイドからのセンタリングをクリアしようとするが、思うように足が上がらずレガースに当たって、オウンゴール。0対3。
誰も僕に声をかけない。
敵のコーナーキック。マーク相手に振り切られてダイレクトで決められる。0対4。
みんな呆然として初めの位置に戻る。
敵のロングキックを足の裏で止めようとするが、足の上げすぎでファール。フリーキックを合わされる。0対5。
後半は、ほぼ十分ごとに一点取られた。僕はひたすら惨めだった。
タイムアップの笛がなり、ハーフウェーラインに集まる。
「5対0で、永田高校の勝利」
主審の静かな声。礼の後、みんなとぼとぼとベンチ前に集まり、挨拶した。
「よし、集合」
先生の低い声に、僕たちは従う。
「まあ、残念だったな」
と言った先生は次に、感情の読めない目で僕の方を見た。
「大庭、やっぱりどこか悪いのか」
泣きながら鼻をすすっていた僕に、軽い声で問う。
「すいません。なんか今日は異常にバテてしまって」
「オーバートレーニングってことはないか」
「……わからないです」
「一回病院で見てもらえ」
「……はい」
先生は僕から全員の方に向き直った。
「終わったことは仕方ない。気落ちせずに、明日から頑張っていこう」
「「はい」」
キャプテンはもういなくなっていた。塾の時間が来たからか、それとも、僕があまりにも酷いので、失望して帰ってしまったのか。
試合後の片づけが終わり、部室に向かっていると、
「よし、ちょっとミーティングしようぜ。着替えるの待ってくれ」
と、僕の後ろにいる赤崎が軽い感じで呼びかける。
みんなパイプ椅子に座り、円になる。赤崎は体を前に傾け、両肘を膝につけて手を組んで僕の目を見た。
「大庭、お前はまず病院行け。後のことはその結果聞いてから考えよう」
静かな声だった。
「うん」
返事が潤む。
赤崎は姿勢を正した。
「それは置いといて、一点も取れんかったのはマズイよな。畑、お前、ボール離すの遅い」
「そうかな」
「うん、絶対」
「まあもうちょい考える。でも赤崎さ……」
さっきの試合が頭の中を巡って、みんなの発言はまともに耳に入らない。
オーバートレーニングってどういう症状が出るんだろう。普段の練習量多過ぎると、ばてやすくなるのかな。
今回こうなったのは、本当にトレーニングし過ぎなんだろうか。走ったら壊れる、走らなかったら周りについていけない。いったいどうすればいいんだ?
ミーティングの間、誰一人として僕を責めたりしなかったが、それはそれで辛いものがあった。
一年生大会は今日が初戦。あと三試合あるから、早くなんとかしなきゃいけない。
母さんに、今日はこのまま病院に行くことを伝えようと、携帯電話を取り出す。スリープから解除すると、メールが入っていた。
「大事な話があるから、校門で待ってて」
服部さんからだった。キャプテンからメールか何かで、今日のこと聞いたのだろうか。
大事な話って一つしか思いつかないけれども。いつまで経ってもクズな僕に愛想尽かして、みたいな? 今日の試合なんか過去最悪の結果だったし。
……まあでも仕方ないか。元々、あの子の彼氏は、僕には務まらないんだ。それに、なんだかんだ一人でいるのは楽。嫌なことがあったとき、好きなだけ暗くなれる。
ゆっくりと自転車を漕いで校門に向かう。死刑台に向かう囚人の気持ちって、こんな感じだろうか。
校門には服部さんがいた。出口の真ん中を防いでおり、その表情は固く、何を考えているのか読めない。
僕は彼女のすぐ近くで自転車から飛び降りた。
「大事な話って何?」
キツい言い方になってしまった。
服部さんは顔つきを変えずに、
「試合のことは知ってるよ。最近、家でどのくらいトレーニングしてた?」
意外なことを聞かれた。
「ああ、一緒にしたダッシュの練習、一日四十本を毎日」
低い声で答える。
「やりすぎよ。なんでそこまで走ったの?」
僕は呼吸を整えた。もう全部言ってしまおう。
「僕がこんなままだと、服部さんが辛い思いすることになるから。だから何がなんでも強くなって、みんなに一目置かれて、君を守れるようにって。それと僕にもプライドがあるから。好きな子より下じゃ嫌だから」
なぜ涙が出るんだろう。
「でも、いくら頑張っても僕は甲斐性なしなままな訳で。どう思う? 僕は何をどうしたらいい?」
彼女は、初めて笑顔を見せた。
「簡単なことよ。私のこととかプライドとか、全部考えるの辞めなさい。色々抱えると、小さなことで落ち込んだりすることになるしね。
サッカー始めた理由は、そりゃあ人によるわよ。お金のためって人もいれば、自分高めるためって人もいる。でもね、長くやり続けてると、ピッチに入ったらスイッチ切り替わって、全力出すことしか考えられなくなるの。君はそこまで至ってない。サッカーやるのに私がどうのとか、プライドがどうのとかどうでもいいことを持ち込んでる。だから、まだ落ち込む権利なんかないの」
「うん」
「それにさ、サッカー抜きにしても、男が女守るとか、どっちが上とか、別にどうでもいいじゃん。守るってのはたぶん、私が例のルールのせいで疎まれることからってことなのよね。うん、それなら大丈夫。君が教えてくれたよね。私のスタンスは間違ってるわけじゃないって。だから一人でやっていける。逆に誰かが君を悪くいうようなことがあったら、何したって辞めさせてみせるから。上映会のときみたいにさ」
「うん」
涙が止まらない。ただその理由は変わっていた。
服部さんは、特大の笑顔とともに嗚咽する僕の肩を握った。
「何泣いてるのよ。病院行って、トレーニングし過ぎならはやくなんとかして、んで練習。それしかないでしょ?」
僕は、声を出さずにうなずいた。
本当に、あなたは僕にはもったいないぐらいだよ。
こうして、僕には初めての恋人ができた。でも浮かれたりはできなかった。まだやることは残っている。
あの後、彼女の返事に僕は、ありがとう、じゃあまた学校で、と答えてうちに帰った。あの子は練習を休んだ埋め合わせの最中だった。その邪魔はしたくなかった。
帰ってすぐ、恭平と村瀬さんにメールする。
「報告があるから、明日も一緒に登校してくれるかな?」
十分も経たずに返信が来た。
「おう」「もちろん。いつもの所ね~」
次の日、着替えて朝食を取り、待ち合わせ場所に向かう。近くまで行くと二人とも既に来ており、自転車を降りて、真剣な眼差しでこっちを見ていた。
僕は二人の前で止まり、自転車に乗ったまま口を開く。
「昨日あの後、服部さんに返事しに行ってさ。それで、まあ、付き合うことになった」
二人の表情がゆるんだ。
「それでいいんだよ。突き飛ばして悪かったな。これから頑張れ」
「いつでも相談乗るからね」
「うん、ありがとう」
僕にはこんなにいい幼なじみがいる。
翌日の昼休み。授業が終わってすぐ服部さんのの席に向かった。
「団長に謝りに行こう。僕も着いてくから」
勉強道具を片付けていた服部さんは、決然とした面持ちで僕を見上げる。
「ううん、一人で行く」
「いや、着いていくから。僕も無関係じゃないし」
有無を言わせない口調で返す。
本当は他人事でないからだけじゃない。この子の歩く道に付き添うって決めたから。
服部さんは少し迷った様子だったが、やがて、「わかった。よろしく」と言った。
団長のクラスの入り口に着く。
「ありがとう。ここまでで大丈夫」
彼女は静かに告げて、教室に入っていった。
団長は教壇のまん前の席に座っていた。服部さんは彼に向かって頭を下げる。応援合戦、ずる休みしました、そうだったのか、あんまり褒められたことじゃないよな、はい、すみませんでした、という会話が聞こえてきた。
それでいい。こうやって、一緒にしなきゃいけないことしていこう。
話を終えた彼女は、教室から出てきて、寂しさと真剣さが混じったような口調で、
「次は一の六ね」
「――うん」
かなり抵抗があるけど、逃げるわけにはいかない。
一年六組の入り口から二人で中をのぞきこむ。呼ぼうとすると、神田はこっちに気づき、何かを覚悟したような表情で歩いてきた。
彼が出てきたのを確かめて、場所を変えようとすると、「人少ねえし、ここでいいだろ」と、神田が静かに言った。
服部さんが口を開く。
「洋人、私た」
「今までありがとな、紗江。体育祭の日、校門でお前らの話してたことは、クラスのやつから聞いた」
もうちょっと場所選べよな。服部さんの発言を潰した神田は、諦めたように笑ってつぶやく。
何も言えない僕たち。
「やっぱ俺、自分の彼女には俺を一番優先してほしい。わがままかもしれんけど、そう思うんだよ。だから」
彼は僕の肩に手を置いた。
「これが一番いいんだろ。ダンス本番前のお前、マジで輝いてたぜ。紗江にどこまでも着いてってやれ。じゃあな」
神田は手を離し、教室に入っていく。僕はそっちに向かって声を張り上げた。
「また部活来てよ。赤崎も、次は止めてやるって張りきってるしさ」
服部さんも叫ぶ。
「洋人と会えて良かった! 今までありがとー、」
彼は振り向かずに右手を上げた。
どこまでも着いていけって? そんなこと言われるまでもない。
自分の教室に向かって、隣同士で歩く。次は体育。もう昼食を取る時間はない。
「大庭君、改めて、これからよろしく」
控えめな声が隣から聞こえた。
「うん、こちらこそ」
前を見たまま返す。
「私、やっぱり自分ルールは曲げない。それと、クラスの子も大切にしたいから、君とべったりはできない。まだみんなとは喋れてなくて、見せつけるみたいなことしたくないから」
「うん」
彼女は少し間を置いて、口を開く。
「だけど、ときどきはこうやって喋ろうよ」
身体がふわっと浮いた気がした。心臓が跳ねる。
やっと実感が湧いてくる。僕には彼女ができた。
「うん」
答えながら、緩みそうな表情を引きしめる。
体育祭も終わり、部活は通常通りの時間に戻る。一年生大会が二週間後なので、その日まで学年別に練習するらしかった。一年生はキーパー一人を含めて十一人、僕もフル出場することになる。
その日は、全体でのアップ、ポストシュートなどをした後、学年を分けたミニゲームをした。キーパーは別の場所で専用練習だったので、五対五だった。
僕は頑張って攻め上がるのだが、敵チーム、ディフェンスに入っていた赤崎にことごとく止められる。
「上坂!」
僕からボールを奪った赤崎が、グラウンダーのスルーパスを出す。シュートが決まる。
「はいナイッシュナイッシュ」
真面目な顔で、ぱんぱん手を叩く赤崎。このミニゲームは、間違いなくこいつが仕切っている。
練習後の部室、みんな着替えをしている。
赤崎は、カッターシャツのボタンをはめながら、隣におどけた様子で話しかけている。
「いややばいわ、安達さんちょーかわいいわ」
体育祭の本番待たずにペアの子に告白して、OKされたらしい。部室戻ってきてからにやけっぱなしだった。
僕は黙っておこう。浮かれてるって思われたくないし。
そんなことを考えていると、赤崎が急にこっちを見た。既に真顔になっている。
「で大庭、お前服部妹と付き合ってんの?」
靴下脱ぎかけで、足を上げたまま固まる。みんなの視線が集まるのを感じた。
「……なんでそう思うの?」
「今日昼休み、お前ら二人とすれ違ったろ? そんときの雰囲気的に」
しんとなる部室。
――仕方ないか。
「ま、まあね」
極小の声が出た。
赤崎はにやっと笑う。
「そういやいつかの練習試合、お前らなんかこそこそしてたな。ってかお前やるなー。一年のトップ取りやがって」
やっぱりあの人はそういう評価なのか。
いつから? どっちから? 他の子からも質問に、ぼそぼそと答える。
できたら秘密にしときたかった。知られてしまうと、みんな僕が何かするたびに、彼女がいるからどうのとか思うだろうし。でも、こうやって退路なんか無くしてしまった方がいいのかもしれない。
その日の夜、僕はうちの近くの公園で、服部さんとしたように、ダッシュして少し休んでを繰り返した。本数はあの時以上。今日からこれを毎日することに決めていた。
正直しんどいけど、僕が落ちこぼれのままだと、あの子が苦しむことになるから。部での立ち場が良くなって、勉強もサッカーもできる完璧超人って評判立てば、彼女も笑顔でいられるはず。釣り合いって面で僕にもプライドがあるし。
翌日の昼休み、昼食を終えた服部さんは、勉強道具と椅子を持って僕の席に来る。
一年生大会の四日後には期末テストがあり、教室は少しずつ、勉強モードになっている。昨日のメールで、僕は今日、彼女に数学を教えることになっていた。
僕たちは、昼は一緒には食べないことにしていた。彼女とのことをみんなに伝えたわけじゃないけど、教室で、男女二人がずっと一緒に昼食取ってたりすると、雰囲気が悪くなる。
でも、勉強教えるのは恋人とか関係ないし、あんまり頻繁にでなけりゃ大丈夫だろう。
服部さんは、僕の席の前で、持ってきた自分のいすに座っていた。シャーペンを持ち、僕の机に置いた自分のノートを見ながら、浮かない顔でつぶやく。
「場合の数ってほんと頭こんがらがるよね。CとかPとか、一つ固定したり丸と棒に置き換えたり」
「うん。これはちゃんと勉強しないと点取れないと思う」
高校の勉強はやっぱり難しい。社会や理科も、中学と比べて覚えることが格段に多い。
服部さんは数学が苦手のようで、中間テストもけっこう赤点が危なかったようだ。勉強がおろそかになるとサッカー辞めさせられるらしいので、僕も全力で協力しようと思っていた。色々世話にもなったし。
「これってなんで解答こうなの?」
彼女はノートを指差して尋ねた。
「ほら、この問題は部屋の区別ないから、区別あるときの答えを3の階乗で割ってるんだよ」
「あー、なるほど」
服部さんは、真面目な顔でメモ書きをし、終わるとノートを閉じた。
「次体育だし、そろそろ戻るよ」
「うん、またいつでも教えるから」
彼女は満足気な表情で、僕の目を見た。
「今日はありがとうね」
そんなストレートに言われると、結構困る。顔が赤くなってるかもしれない。
照れくさくて、彼女と目を合わせることができない。自分の机を見て、なんとか返事をする。
「どういたしまして」
その日の最後の授業は、書道室での書道だった。昔から割と字はきれいな僕は、この授業で褒められることが多く、今日も、授業で書いた「大志」がみんなの前で絶賛された。先生は書道部の顧問で、部員の勧誘をしているみたいで、授業後に熱っぽく書道の素晴らしさを僕に説き、入部を進めてきた。僕サッカー部入ってるんで、と何回言っても聞いてもらえず、いらいらして会話の途中で逃げた。
僕は走って教室に帰る。もう部活は始まっているだろう。早く行かないと。
教室の入口に着く。誰もいないと思ったけど、中から声がする。
「……あの二人付き合ってるらしいよ。智昭が言ってた」
ほかのクラスだろうか、知らない女の子の声だった。
「前からべったりだったもんね。紗江、あたしにはもう話しかけにもこないのよ」
この声は金沢さんだ。かなり不機嫌そう。彼女はさらに続ける。
「あたしって踏み台よね。大庭君の前で、友達多いアピールするための踏み台。確かに大庭君、結構かっこいいし。ダンスもあれ、なんか仕組んでペアになったのよ、絶対」
教室に入ることもできず、僕は立ち尽くしていた。
こういうとき、彼氏の僕はどうしたらいいんだろう。
翌日、校内に入ると、靴箱に服部さんがいた。靴箱を開けた彼女は、僕に気づいて微笑んだ。
「おはよう、大庭君」
「おはよう」
自分の靴箱に近づく。服部さんは待ってくれるようで、靴を履き替える僕の方を見ていた。
上靴を履き終える。
「ごめん。じゃあ行こうか」
「うん」
微妙に距離を開けて歩く僕たち。彼女が口を開いた。
「昨日は時間とらせてごめんね。期末、なんとかなりそうな気がしてきた」
「ああ、良かったよ」
しばらくお互い無言で階段にさしかかる。
思い切って聞いてみるか。
「あのさ、差し出がましいかもしれないんだけど、ちょっと聞いときたいことがあって」
「うん、何?」
「あれから金沢さんと仲直りというか和解というか、できた?」
返事がこない。
何を言おうか迷っていると、彼女は、さっきまでより静かな声で
「うん、心配してくれてありがとう。えっとね、実はまだなの」
と言った。
「――そうなんだ」
服部さんは立ち止まってしまう。歩き過ぎて振り向くと、彼女は俯いており、目には涙が浮かんでいた。
「……やっぱり私、冷血女なのかな。私のやり方っておかしい? みんなみたいに、友達とは普段から遊んだりして、悩み聞くのは自分のことに支障出ない範囲でって方が、友達大事にしてるってことになる? どう思う?」
「そんなことないって。前も言ったけど、考え方の違いだよ。僕、色々助けてもらってほんと嬉しかったから。……だからそんなこと言わないでよ」
こっちまで泣きそうになってしまった。
彼女は手で涙を拭って顔を上げた。無理に作ったような笑顔だった。
「ありがと。そう言ってくれて嬉しい」
こんなのだめだ。こんなのこの子らしくない。
僕はできるだけ明るい声で、
「あのさ、また、フログモスだったよね、の試合か練習見に行っていいかな。一度、服部さんがサッカーしてるとこ見たかったんだよ。例のルール的にも問題ないでしょ?」
と、無理やり話題を変える。
「うん。ぜひ来てよ。テスト終わってからでいいからさ。カッコいいところ見せてあげる」
彼女は弱々しく笑ったまま答えた。
「一年生大会頑張ってね」
「うん」
この子は、周りが思うほど強くない。僕がちゃんと守っていかないと。
その日の練習も学年ごとだった。一年生大会まで同じようにするらしい。いつものメニューに加えて、そこそこ広めのコートにゴールをひとつだけ置いて、オフェンスは攻めるだけ、ディフェンスは守るだけの練習をした。
「大庭ー、マークもっとしっかり付けー」
左サイドバックの位置にいる僕に、キーパーから指示が飛ぶ。
反復横跳びは割と人並みで、反射神経はそこまで悪くないんだけど、コートがこのくらいの広さになったら、スピード差という心配が生まれる。自主練のダッシュをもっと頑張ってなんとかするしかない。
一年生大会当日。会場はうちの高校だった。二年生は、副顧問の引率で練習試合に行くらしかった。
早く目が覚めてしまった僕は、家にいても仕方がないので、学校へ行く。集合時間三十分前だったので、まだ誰も来ていないと思ったけど、部室には赤崎がいた。スパイクの靴紐を結んでいた彼は、僕に気づいたようだが顔を上げずに、
「おはよう」
と、低い声で言った。
「おはよう」
「おう。今日頑張ろな。相手も一年だから、集中してればそうバカスカはやられんから」
「うん」
着替えの終わった赤崎は、よしとつぶやいて立ち上がり、僕の目を見て、
「マジで頑張ろな。というか勝とな。キャプテンも勉強忙しい中見に来てくれるらしいし、みっともないとこは見せれんから」
と、有無を言わせない口調で言った。
「うん。絶対勝とう」
大丈夫。今日まであれだけ走ったんだ。
コートの準備を終えて、アップに入る。センタリングシュートをしていると、制服姿で鞄を持ったキャプテンが、自転車置き場からグラウンドの方へ向かって歩いてきた。
「「こんにちはー!」」
アップを中断してみんなで挨拶をする。キャプテンはそれに答えて手を上げた。
アップが終わり、一年生はベンチ前で先生中心の円になる。キャプテンもそこに加わっていた。
先生が口を開く。
「今年の結果によっては、うちは一年生大会、三部落ちもありうる。勝てない相手ではないので、お前らの後輩のためにも頑張っていこう。先生からは以上。服部なんかあるか」
キャプテンは、それを受けて話し始めた。
「はい、今日は俺ら引退してから、一年生がどれくらい成長したか見せてもらいます。正直、期待してるんで、気合入れて試合臨んでください。以上です」
「「っした!」」
その後、先生からポジションが発表された。僕は右サイドバックだった。
両チーム、タッチライン上に並んで、笛の音とともに礼をしてグラウンドに入る。ハーフウェーラインで相手チームと握手する。相手選手の肩ごしに見えるサッカーコートは、今日も広い。いつか狭く思える日が来るのだろうか。
相手キックオフで試合開始。高校初、というか中学で一度も出てないから、人生初の公式戦。
しばらくは左サイドばかりにボールが行っており、マークを気にしていただけなので、息が上がるようなことはなかった。
前半五分、敵の左サイドバックがボールを持つ。それを見たサイドハーフの6番が走り始め、マーカーの僕もついていく。
ロングボールを受けた6番は、中に上げようとするが、スライディングでなんとか阻止。ボールはラインを割る。
敵のコーナーキック。ゴール前に上がるが、がっちりキャッチしたキーパーは、
「上がれ!」
と発破をかける。
――なんかおかしい。異常なまでに息が切れる。今日のために過去最高に頑張った。体力は上がりこそすれ、下がっているはずがない。
相手にボールを細かく回される。縦パスをペナルティアーク付近で受けたフォワードは、振り向いて左のアウトで僕の裏に転がす。それを受けた6番、ワントラップしてシュート。僕も必死に追うが、間に合わない。ゴール右隅に決まり、0対1。
「大庭、しっかり見てくれ」
赤崎がこっちを振り向き、懇願するような口調で言う。
僕は肩で息をしながら、
「ごめん」
と返した。
「大庭頑張れ。今日は代わりいないから」
キーパーからも言われる。そうだ、うちは十一人ちょうどだから交代はできない。無理でもなんでもやるしかない。
直立した僕は、はじめの位置に帰りながら、絶対やれる、と自己暗示をかけるように何度もつぶやく。
しかし、今日はとにかく息が上がる。そして、集中力が持たない。
ゴールに背を向けてボールキープする6番。僕は膝に手を置きながらマークする。こんな選手、どこにもいないだろう。
6番は後ろに戻すが、味方ボランチがカットする。
敵センターバックからのロングボールが出る。それが絶妙な位置に落ちて、6番はダイレクトでシュート。足が動かない。0対2。
「大庭ー、何とかならんかー?」
ベンチから、キャプテンの責めるような声が聞こえる。
そのままハーフタイム。先生の前に集まる。
「まず聞いておくが、大庭いけるのか?」
肩で息をしていた僕は、顔だけを上げて答える。
「はい、ハーフタイムで体力戻します」
先生は少し迷ったが、
「わかった。ポジションはこのままでいく。二点ビハインドなので点取りに行こう。ちょっと今日はうち元気ないな。後半はもっと声出していけ」
「「はい!」」
解散になり、僕は歩きながら深呼吸して精神を集中する。
後半キックオフ。ボールは下げられ、ボランチから僕にパスが来る。インサイドで止めて蹴りこむが、6番の左足に当たり、僕の後ろにボールが転がる。6番との純粋なスピード勝負。僕の方がボールに近いが追い抜かされ、奪われる。フォローの赤崎がスライディングでコート外に出す。
「大庭、マジ頼む」
前半と違い、落ち着いた口調に、
「おう」
と、かすれた声で返す。
そこから先は悪夢だった。
左サイドからのセンタリングをクリアしようとするが、思うように足が上がらずレガースに当たって、オウンゴール。0対3。
誰も僕に声をかけない。
敵のコーナーキック。マーク相手に振り切られてダイレクトで決められる。0対4。
みんな呆然として初めの位置に戻る。
敵のロングキックを足の裏で止めようとするが、足の上げすぎでファール。フリーキックを合わされる。0対5。
後半は、ほぼ十分ごとに一点取られた。僕はひたすら惨めだった。
タイムアップの笛がなり、ハーフウェーラインに集まる。
「5対0で、永田高校の勝利」
主審の静かな声。礼の後、みんなとぼとぼとベンチ前に集まり、挨拶した。
「よし、集合」
先生の低い声に、僕たちは従う。
「まあ、残念だったな」
と言った先生は次に、感情の読めない目で僕の方を見た。
「大庭、やっぱりどこか悪いのか」
泣きながら鼻をすすっていた僕に、軽い声で問う。
「すいません。なんか今日は異常にバテてしまって」
「オーバートレーニングってことはないか」
「……わからないです」
「一回病院で見てもらえ」
「……はい」
先生は僕から全員の方に向き直った。
「終わったことは仕方ない。気落ちせずに、明日から頑張っていこう」
「「はい」」
キャプテンはもういなくなっていた。塾の時間が来たからか、それとも、僕があまりにも酷いので、失望して帰ってしまったのか。
試合後の片づけが終わり、部室に向かっていると、
「よし、ちょっとミーティングしようぜ。着替えるの待ってくれ」
と、僕の後ろにいる赤崎が軽い感じで呼びかける。
みんなパイプ椅子に座り、円になる。赤崎は体を前に傾け、両肘を膝につけて手を組んで僕の目を見た。
「大庭、お前はまず病院行け。後のことはその結果聞いてから考えよう」
静かな声だった。
「うん」
返事が潤む。
赤崎は姿勢を正した。
「それは置いといて、一点も取れんかったのはマズイよな。畑、お前、ボール離すの遅い」
「そうかな」
「うん、絶対」
「まあもうちょい考える。でも赤崎さ……」
さっきの試合が頭の中を巡って、みんなの発言はまともに耳に入らない。
オーバートレーニングってどういう症状が出るんだろう。普段の練習量多過ぎると、ばてやすくなるのかな。
今回こうなったのは、本当にトレーニングし過ぎなんだろうか。走ったら壊れる、走らなかったら周りについていけない。いったいどうすればいいんだ?
ミーティングの間、誰一人として僕を責めたりしなかったが、それはそれで辛いものがあった。
一年生大会は今日が初戦。あと三試合あるから、早くなんとかしなきゃいけない。
母さんに、今日はこのまま病院に行くことを伝えようと、携帯電話を取り出す。スリープから解除すると、メールが入っていた。
「大事な話があるから、校門で待ってて」
服部さんからだった。キャプテンからメールか何かで、今日のこと聞いたのだろうか。
大事な話って一つしか思いつかないけれども。いつまで経ってもクズな僕に愛想尽かして、みたいな? 今日の試合なんか過去最悪の結果だったし。
……まあでも仕方ないか。元々、あの子の彼氏は、僕には務まらないんだ。それに、なんだかんだ一人でいるのは楽。嫌なことがあったとき、好きなだけ暗くなれる。
ゆっくりと自転車を漕いで校門に向かう。死刑台に向かう囚人の気持ちって、こんな感じだろうか。
校門には服部さんがいた。出口の真ん中を防いでおり、その表情は固く、何を考えているのか読めない。
僕は彼女のすぐ近くで自転車から飛び降りた。
「大事な話って何?」
キツい言い方になってしまった。
服部さんは顔つきを変えずに、
「試合のことは知ってるよ。最近、家でどのくらいトレーニングしてた?」
意外なことを聞かれた。
「ああ、一緒にしたダッシュの練習、一日四十本を毎日」
低い声で答える。
「やりすぎよ。なんでそこまで走ったの?」
僕は呼吸を整えた。もう全部言ってしまおう。
「僕がこんなままだと、服部さんが辛い思いすることになるから。だから何がなんでも強くなって、みんなに一目置かれて、君を守れるようにって。それと僕にもプライドがあるから。好きな子より下じゃ嫌だから」
なぜ涙が出るんだろう。
「でも、いくら頑張っても僕は甲斐性なしなままな訳で。どう思う? 僕は何をどうしたらいい?」
彼女は、初めて笑顔を見せた。
「簡単なことよ。私のこととかプライドとか、全部考えるの辞めなさい。色々抱えると、小さなことで落ち込んだりすることになるしね。
サッカー始めた理由は、そりゃあ人によるわよ。お金のためって人もいれば、自分高めるためって人もいる。でもね、長くやり続けてると、ピッチに入ったらスイッチ切り替わって、全力出すことしか考えられなくなるの。君はそこまで至ってない。サッカーやるのに私がどうのとか、プライドがどうのとかどうでもいいことを持ち込んでる。だから、まだ落ち込む権利なんかないの」
「うん」
「それにさ、サッカー抜きにしても、男が女守るとか、どっちが上とか、別にどうでもいいじゃん。守るってのはたぶん、私が例のルールのせいで疎まれることからってことなのよね。うん、それなら大丈夫。君が教えてくれたよね。私のスタンスは間違ってるわけじゃないって。だから一人でやっていける。逆に誰かが君を悪くいうようなことがあったら、何したって辞めさせてみせるから。上映会のときみたいにさ」
「うん」
涙が止まらない。ただその理由は変わっていた。
服部さんは、特大の笑顔とともに嗚咽する僕の肩を握った。
「何泣いてるのよ。病院行って、トレーニングし過ぎならはやくなんとかして、んで練習。それしかないでしょ?」
僕は、声を出さずにうなずいた。
本当に、あなたは僕にはもったいないぐらいだよ。
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