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はじまりはじまり。小さな冒険?
446、他人の失敗は、いつも私の予想外の方向へ。
しおりを挟むさて、時計に目をやると、そろそろバーベキューの下拵えを始める時間に近づいていたことに気づき、作業中だった書類を事務机の片側にまとめて、席を立つ。
『このあと、みんなで食べるんだから、ちゃんと綺麗な水でやらなきゃですよ?』
「……水?」
グッと背伸びをして、気合を入れようとした動きが、思わずピクリと止まる。
『はい、お水です。ちゃんと水道の水を使ってくださいよ?バケツに入れっぱなしの、生臭い水使うとかやめてくださいね?』
「バケツ…?えっと……つまり、水道の水、そのまま使っちゃった?」
後輩の予想外な言葉に、私の思考回路が停止した。
バケツに入れてあったのは、塩水だ。
(アサリやシジミの下準備に、砂抜きといって、塩を入れたお水に浸して、砂を吐かせるって聞いたことあるでしょう?)
ホタテも同じように砂抜きをするんだって。
まぁ、普通に売られてるホタテの場合、店頭に並ぶ前に砂抜きはされているから、特に必要はないらしいのだけど。
今回もお店に届くまでに、軽く砂抜きはしてあるのだそうけど。
『食べるまで時間があるのなら、砂抜きしておいたら、もっと美味しくなるよ』と、アドバイスをいただいたので、試していたのだった。
私のデスクの奥……私の上司が使っているデスクから、カタリ、と何か音がした。
『何か問題でも?……貝もぬるぬる汚れてたんで、洗っておきましたから』
「ぬるぬるって…え?あれって簡単に落ちるんだ?」
『貝の表面も、汚すぎですよ!今度からは、ちゃんと綺麗なやつを仕入れてくださいね?!』
「えぇぇ…汚かった?気をつけるね?」
獲ったばかりの、しかもそれをそのまま仕入れてもらっているので、不衛生になる要素は、どこにも無かったはずなんだけど…と、無意識に首を傾げながらだったので、思わず尻上がりな疑問形の返事になってしまった。
その反応が気に入らなかったのだろう、あからさまに見下すような嘲笑とも取れる薄笑いを浮かべながら、大きなため息を吐かれてしまった。
『虫食いみたいな跡だらけでしたよっ?!あんなに汚いホタテは、初めて見ましたっ!』
天然物なだけあって、貝の表面に色々ついていたりはした。
確かに滑りっぽいものもあったような気はしたけど、でもあれは、腐敗などが原因の滑りじゃなくて、海藻のようなやつだったと思うんだ……。
『落ちますよ!ちゃんと洗剤使えばすぐですから!……知らなかったんですか?書いてありますよね?「滑り汚れに効く」って。読めないんですか?』
「洗剤って……えっと、食品用なんて、あったっけ…?」
当時、私は一般事務とともに、庶務も兼任していたから、社内の備品で主に消耗品の管理は全て私が行なっていた。
そして、食品用の洗剤なんて導入した記憶はない。
もし、あったとしても、新規に導入するには……私の直属の上司に、申請しなくてはならない。
(でも、申請した記憶はないんだよね)
ただ、試供品だったり、社員さんが自費で購入して使ってみたけど『合わなかった!』と、寄付してくれるものも、ままあったので、寄付の中にあったのだろうか?と、小首を傾げた瞬間。
「ホタテを確認してきなさいっ!今すぐっ!!」
突如、ダン!と机を叩く音と、女性上司の悲鳴じみた怒鳴り声が耳に響き渡り、反射的とも言える速さで、社員食堂のキッチン内へと向かった。
調理場へ足を踏み入れると、ほのかに塩素系洗剤のツンとした刺激臭がした。
生臭いって言ってたから、バケツでも洗ったのかな…?
いや、その前に、私はバケツなんか使っていない。
食品用のバケツ自体が、存在しない。
そう思いつつ、ホタテを置いておいたシンク付近へと向かう。
「あらら……。これは」
『綺麗でしょう?ちゃんと開いて、食べごろですよ?』
背後から、一緒についてきたのか、私の独り言に反応するように、自慢げな後輩の声がした。
今日の朝、獲れたばかりの天然物のホタテは、綺麗に並べられて、その全てが…不自然なほどに、ぱかりと開かれていた。
貝の隙間に箸を入れて、鮮度を見る…どころか、見事に開いちゃってるので、死んでしまっているのは一目瞭然、さらには無理矢理開いた身に、調味料が丁寧にかけられていた。
「えっと……窒息死かな?……毒殺…?」
『は?何言ってるんですか?』
「いや、何って……新鮮なホタテは、閉じてるの。開いてるのは、死んでるから」
『これ、バタ焼きのホタテですよね?開いてて当たり前じゃないですか!……洗ったら、ちゃんと開きましたよ?』
バケツ…いや、食品用の桶に入れておいたのは、ホタテを受け取った時に、教えてもらった砂抜き用の濃度の塩水で……元を辿れば、水道のお水だから、不潔なんてものではない……のだけど、捨てられちゃったみたいね。
綺麗に並べられたホタテの殻は、作り物と見間違うほど、神経質なまでに綺麗に磨き上げられていた。
(……網で焼くから、貝の付着物の凸凹で、ぐらぐらしない程度に、ちょっとゴリゴリ落とすだけでよかったんだけどなぁ)
どうしたものかと首の後ろに手をやって、後輩へ振り向くと『そんなことも知らないんですか?』と…ふん。と鼻を鳴らしている。
むしろ、私の方が『そんなことも知らないの?』と言い返しそうになって、喉から出かけた言葉を必死に飲み込んでいた。
(女性上司も、私の失態を目の当たりにした時、こんな感情だったのかしら?)
ただ、怒鳴るほどではない……。
けど、女性上司には、確実に怒鳴られるよなぁ……。
何度も「どうしたものか」と、考えが堂々巡りしていると、唐突に違う考えが浮かび上がる。
(ていうか、これ、私の時は『地元の子なら誰でも知ってる事だ!』って怒られたんだっけなぁ。なんだ、知らないじゃん。それとも、この後輩も女性上司の言う『非常識な子』って事なのかしら?……確か『とても常識的な子だ』って、女性上司が採用を決めた子だったよね?)
変な笑いが込み上げてきてしまって、我慢できなくなってしまった。
怒りたい衝動は抑えられたのに、笑いはどうにも我慢がきかなくて、声が震えてしまう。
……我慢に失敗した時の顔って、変に歪んでいるんだろうね。
後輩は思いっきり怪訝な表情になってしまったので、身振り手振りをつけて、必死に説明をした。
「えぇ、えっと……と、閉じた状態で焼き始めるからね?…貝が、ぱかっと開いたところで、バターとか調味料を流し込む感じの調理法なんだよね。だから今開いてたら……」
説明の途中で、食堂の内線が鳴り響く。
後輩がびくり!と飛び跳ねるように、内線の受話器に飛びついた。
少し離れた調理場まで、受話器からギャンギャンと漏れる、女性上司の声が聞こえる中で…。
『だって先輩が……』
震える小さな声で、言い訳を始める後輩。
私、何も言ってないよ?
怒ってない。怒鳴ってない。
……笑っちゃった、いや笑ってない!
変顔には、なってしまったけど!
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