最推しと結婚できました!

葉嶋ナノハ

文字の大きさ
13 / 61

13 お泊まりデート(1)

しおりを挟む
 無事に仕事納めを迎え、翌日の二十五日となった。

「忘れ物は、なし。ヘアメイクも、服装も大丈夫。……よね?」

 朝から二十回以上鏡を覗いているが、もう一度全身鏡の前に立ってみる。
 先日買ったミディアム丈のモカ色ワンピースは、ウエストのリボンは小さめで、それほど甘くない印象だ。神原に会わせてヘアスタイルも大人っぽくまとめてみたが、彼の隣にいる自信は以前と変わらず、ない。

「だからって、これ以上どうにもならないのは変わらない。とにかくもう出かけちゃおう!」

 夕美は部屋を回って、窓の戸締まりを確認した。

「待ち合わせの時間には早いけど、部屋でずっとウロウロしてるよりはマシよね。昨夜だって、ほとんど眠れなかったんだから」

 布団に入ったものの、目が冴えてしまい、四時近くまで起きていたのだ。結局、二時間ほどしか睡眠は取れなかった。

 ガスと電気を点検したあと、バッグを持って玄関を出る。

「いいお天気……!」

 昨日のクリスマスイブは曇り空だったが、今朝は真っ青な冬晴れだ。気温もそれほど低くはなく、過ごしやすい陽気になりそうだと天気予報でも言っていた。
 夕美は首に巻いたストールを外して手に持ち、駅へ向かって歩き始めた。


「いらっしゃいませ」

 待ち合わせにはまだだいぶ時間があるため、お気に入りのカフェに入る。注文したカフェモカを受取り、窓際の席に移動した。

 急ぎ足で駅へ向かう人々に目をやりながら、夕美は口元を緩ませる。
 朝から一日中、いや、明日まで「推し」と一緒にいられるのだ。つい先日までは考えも及ばなかったことである。

 人生何があるかわからない……、としみじみ思いながら、ふと視線を上げると、メガネをかけてマスクをした男性が、こちらのほうへ歩いてくるのが見えた。

(あれって……、お隣さんじゃない? 彼もこのカフェを利用してたんだ。近くの席に来たらちょっと気まずいかも)

 夕美はとっさにスマホに目を落として、知らんふりをする。しばらくしてそろりと見回してみたが、ここからは見えない席に座ったようだ。
 ホッとした夕美は温かいカフェモカを口にする。ほどよくビターなチョコレートの味がお気に入りだ。

(社長から送られてきた今日訪れる場所は、温泉街が有名だった。周辺の観光場所をもう一回SNSでチェックしよう)

 スマホを見ながらカフェモカを飲んでいると、気持ちが落ち着いてくる。あまりに浮かれていると神原に引かれる恐れがあるので、カフェに来たのは正解だった。
 ただ、寝不足なのは心配だ。

(時間的に夕方頃に眠くなりそう。でも興奮してるから大丈夫かな? とにかく社長に失礼のないようにしないと)

 カフェモカを飲み終わると、時刻は待ち合わせの十五分前になった。ちょうど良さそうなので席を離れた、その時。

「あっ、社長?」

「奥寺さん……!」

 コーヒーカップを片付けようとしている神原に出くわした。彼は驚いた顔で夕美を見下ろす。

「社長もカフェにいらしていたんですね。気づきませんでした」

「楽しみだったから、早く着きすぎちゃって」

「私もなんです」

 バツが悪そうに笑う神原と、同じように笑みを交わす。
 その時、何気なくホールを見回したが、どこにも隣人の男性はいなかった。

(あの人、いつの間にかお店を出ていたのね)

 夕美が座っていた窓際は、カフェに出入りする人が見えたのだが、スマホに目をやっていて気づかなかったのだろう。神原が来たのもわからなかったのだから。

「どうしたの?」

「あ、いえなんでもないです」

 ふたり一緒に店を出て、神原の車へ向かう。近くの駐車場に停めているそうだ。
 彼はボストンバッグを手に持っている。そのバッグも、彼が着ているコートもズボンも、履いている靴も初めて見た。
 彼の貴重なプライベートの姿だ――。

 夕美は彼の後ろをついて行きながら、スマホを取り出す。そして、気づかれない速さでカメラアプリを使い、彼の後ろ姿をこっそり撮影した。

「楽しみだね。晴れて良かったよ」

「へぁっ、ほっ、本当にそうですよねっ!」

 急に振り向かれて飛び上がりそうになる。

「気温も下がらないようだから、観光も楽しそうだ」

 変な声を上げた夕美のことは気にならないらしく、神原は楽しげな声で言った。

(いくらチャンスだからって、すぐ後ろで隠し撮りは無茶すぎた。気を付けないと)

 夕美は急ぎ足で歩き、彼の隣に並んだ。


 駐車場から車を出した神原がいったん車を降り、助手席のドアを開ける。

「どうぞ」

 助手席に促された夕美はコートを脱いで手に持ち、そろそろと車へ乗り込んだ。

「お邪魔、します……。失礼します……」

「……くっ、ははっ」

「え、あの、変でした?」

「いや、お化け屋敷にでも入るような声で言うから、おかしくて。大丈夫、普通の車だから、何も出やしないよ」

 神原は笑いながら助手席のドアを閉め、運転席に回って車に乗り込んだ。

「すみません、変な感じになっちゃって。社長のプライベート用の車に乗るなんて恐れ多くて、つい」

 推しの隣、助手席に座るのは言わずもがな、普通の車とは言えない高級車なのだから、余計にそう思うのだ。

「君の立場はわかるが、今日からそんなふうに思わなくていいよ。プライベートでは君と対等でいたいんだ」

 神原は車を発車させながら言った。彼の声は穏やかだが、譲らない意思の強さを言葉の中に感じた。

「わかりました。急に変えるのは難しいですけど、努力します」

 なかなか自覚が持てないとはいえ、結婚を前提に神原と付き合うことになったのだ。自分を卑下ばかりするのは、彼に対しても失礼に値する。ここは心を切り替えて――。

「ということで、ふたりでいるときは敬語と社長呼びはやめてほしいんだけど、いいかな?」

「え、ええっ!?」

 突然切り出されて、夕美は突拍子もない声を上げた。しかしすぐに、これも「対等なお付き合いなんだ」と自分に言い聞かせる。

「はい、じゃあ僕のこと呼んでみて」

「か……かん、ばらさん」

 ひとりの推し活中でも、そんな呼び方はしたことがない。
 赤信号で車が停止した。ひとりでぜいはぁしている夕美に、神原が言った。

「そこは千影って呼んで欲しいんだけどな」

「なっ、そんないきなり、ハードル高すぎますよ……!」

「……ダメ?」

 甘えたようにこちらを見つめながら首を傾ける神原と目が合い、夕美は意識がもうろうとしてきたような感覚に陥る。数秒ごとに推しの素晴らしい姿を間近で見てしまうのだから、体がそう反応するのは仕方がないだろう。
 気づけば、彼のお願いを受け入れる言葉を呟いていた。

「ダメじゃない、です」

「じゃあ、呼んで」

 これ以上見つめ合っていたら、どうにかなってしまいそうなので、夕美は顔を伏せた。

「ち……ちか、ちかげ……、さん」

 勇気を振り絞ったが、出て来たのは蚊の鳴くような声である。

「ありがとう、夕美」

「っ!!」

 いきなり名前を呼ばれて、びくんと体が揺れてしまった。
 青信号になったらしく、車が発車する。夕美は頭を上げて、彼の横顔を見た。夕美の顔も頭も心臓のあたりも、全部が熱いままだ。
 そんな夕美の気配に気づいたのか、千影は意味深な笑みを浮かべて口をひらいた。

「夕美、夕美、夕美――」

「はっ、恥ずかしいです……っ!」

「あははっ、可愛いなぁ。あ、敬語もやめようね?」

「はい。……うん」

「それでいい。夕美は素直で可愛いよ」

「うぅ……」

 次々と好意の言葉が降ってきて、夕美はただただ両頬を手で押さえて、赤くなるしかなかった。

 千影との距離がどんどん縮まっていく。
 これ以上関係が近くなったら、いったい自分はどうなってしまうのか――。
 夕美はなるべく想像しないようにして、車窓の美しい空に視線を置いた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」 母に紹介され、なにかの間違いだと思った。 だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。 それだけでもかなりな不安案件なのに。 私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。 「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」 なーんて義父になる人が言い出して。 結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。 前途多難な同居生活。 相変わらず専務はなに考えているかわからない。 ……かと思えば。 「兄妹ならするだろ、これくらい」 当たり前のように落とされる、額へのキス。 いったい、どうなってんのー!? 三ツ森涼夏  24歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務 背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。 小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。 たまにその頑張りが空回りすることも? 恋愛、苦手というより、嫌い。 淋しい、をちゃんと言えずにきた人。 × 八雲仁 30歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』専務 背が高く、眼鏡のイケメン。 ただし、いつも無表情。 集中すると周りが見えなくなる。 そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。 小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。 ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!? ***** 千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』 ***** 表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end** ◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です! https://estar.jp/novels/26513389

定時で帰りたい私と、残業常習犯の美形部長。秘密の夜食がきっかけで、胃袋も心も掴みました

藤森瑠璃香
恋愛
「お先に失礼しまーす!」がモットーの私、中堅社員の結城志穂。 そんな私の天敵は、仕事の鬼で社内では氷の王子と恐れられる完璧美男子・一条部長だ。 ある夜、忘れ物を取りに戻ったオフィスで、デスクで倒れるように眠る部長を発見してしまう。差し入れた温かいスープを、彼は疲れ切った顔で、でも少しだけ嬉しそうに飲んでくれた。 その日を境に、誰もいないオフィスでの「秘密の夜食」が始まった。 仕事では見せない、少しだけ抜けた素顔、美味しそうにご飯を食べる姿、ふとした時に見せる優しい笑顔。 会社での厳しい上司と、二人きりの時の可愛い人。そのギャップを知ってしまったら、もう、ただの上司だなんて思えない。 これは、美味しいご飯から始まる、少し大人で、甘くて温かいオフィスラブ。

ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?

春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。 しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。 美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……? 2021.08.13

ハメられ婚〜最低な元彼とでき婚しますか?〜

鳴宮鶉子
恋愛
久しぶりに会った元彼のアイツと一夜の過ちで赤ちゃんができてしまった。どうしよう……。

鬼上官と、深夜のオフィス

99
恋愛
「このままでは女としての潤いがないまま、生涯を終えてしまうのではないか。」 間もなく30歳となる私は、そんな焦燥感に駆られて婚活アプリを使ってデートの約束を取り付けた。 けれどある日の残業中、アプリを操作しているところを会社の同僚の「鬼上官」こと佐久間君に見られてしまい……? 「婚活アプリで相手を探すくらいだったら、俺を相手にすりゃいい話じゃないですか。」 鬼上官な同僚に翻弄される、深夜のオフィスでの出来事。 ※性的な事柄をモチーフとしていますが その描写は薄いです。

処理中です...