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14 お泊まりデート(2)
しおりを挟むふたりで訪れるのは、静岡県の下田市。
伊豆半島の南東に位置し、白浜のビーチや温泉街などが有名だ。また、日本が開国した際に重要な役割を担った歴史を持つ場所でもある。
「私、伊豆って初めてだから、とても……楽しみ」
語尾に「です」を付けたくなるが、どうにか我慢して敬語をやめる。
「海が近いから魚介類が美味いし、温泉があちこちにあるんだ。僕もゆっくり滞在したことはないから、すごく楽しみだよ」
千影の楽しげな声を聞いて、夕美も嬉しくなる。
彼に誘われたはいいものの、嫌われないように、失礼のないようにということばかり考えていたが、それはやめよう。
一緒に楽しむことが彼の幸せにつながるのだ、きっと。
(推しに幸せでいてほしい。それが一番大切なんだから、忘れないようにしよう)
そう思ったら、夕美の肩から力が抜け、緊張がほどけた。
山側を進んでいた車は、下田市で高速を降りる。下田市街を進み、駐車場に車を停めた。
「寒くない?」
車から降りた千影が、後部座席に置いていた夕美のコートを手渡してくれる。
「大丈夫。こっちも暖かくて良かった」
コートを羽織りながら答えた。
東京よりずっと南にある地域だから暖かいのかもしれない。空は相変わらず雲ひとつない快晴で、柔らかな太陽の日差しが体を温めてくれる。
駐車場から徒歩一分のペリーロードに向かった。
下田市をネットで検索していたら、すぐにオススメで登場した観光地だ。ぜひ行ってみたいと千影に話し、彼も散策したいとのことで即決した。
海のそばに建てられたペリーの記念碑からスタートし、ペリーロードへ。
黒船で来航したペリーが下田に入港し、日米和親条約付録下田条約締結のため、了仙寺を交渉の場とした。下船したペリーたちが了仙寺の参道を通っていたので「ペリーロード」と呼ばれるようになったのである。
平滑川沿いの美しい石畳と柳並木には、ガス灯がいくつも立っている。それらと、建ち並ぶ古民家があいまって、情緒溢れる雰囲気を醸し出していた。
「建物も町並みも、全部素敵……!」
感激の言葉が自然にこぼれるくらい、素晴らしい景色だった。
古民家には「なまこ壁」という伝統的な工法を用いた建物が多い。斜めの格子状の目地を海の生物のなまこのように漆喰で盛り上げるため、「なまこ壁」の名称が付いたようだ。
この古民家を利用したギャラリーや骨董店、雑貨店などが至るところにあり、ふたりは見学や買い物をして楽しんだ。
「あ、あっちも行ってみた――」
「はい、可愛い」
カシャという音と千影の声が同時に届く。振り向くと、彼がスマホではなくカメラをこちらへ向けていた。
「あっ、カメラ! 今、私のこと撮ったの?」
後ろ姿か、もしくは横顔か。変な顔をしていたらどうしようと尋ねたのだが……。
「おあいこだよ。……なんてね」
「え」
千影の言葉に動揺する。
おあいこということは、今朝、夕美が彼の後ろ姿を隠し撮りしたのが、バレていた……!?
「最近買ったコンデジなんだけど、早く使ってみたかったんだ。スマホのカメラも進化してるとはいえ、やっぱりカメラが好きで、今年はこれで四台目。散在してるんだよなぁ」
隠し撮りがバレていたらまずいが、彼の話しぶりからそうではなさそうだ。
話しが流れたのをいいことに、夕美も話題に乗ることにした。
「コンデジって一眼レフカメラとは違うの?」
「コンデジはコンパクトデジタルカメラの略で――」
楽しそうに説明する千影を見つめながら、夕美の「推し」情報がアップデートされていく。
(カメラが好きだったなんて初耳だわ。さっきは焦ったけど大丈夫みたい。彼の好きな物を、もっと色々知りたい……!)
楽しげに話しながら、お互いを撮影し合ったり、道行く人に頼んで二人で撮ってもらったりと、思い出を積み重ねた。
気づけばとっくにお昼を回っていたので、 椿がたくさん咲いている路地を通り、ランチを取れる店に入る。
こちらの古民家もまた独特の雰囲気があった。
店内の隅にシンプルなクリスマスツリーが飾られ、ガスストーブの炎がチラチラ揺れている。ちょうど客が引けた時間のようで、店内は夕美と千影意外に、ふたりしかいない。
静かな店内で温かなシチューを味わいながら、夕美はなんともいえない幸福感に包まれていた。
千影も同じように感じていたのか、口数は少なかったが、目が合えば優しく微笑み「美味しいね」とだけ言って、食事を続けた。そんな彼の仕草が再び、夕美を幸せにしてくれる。
こんなことを思うのはおこがましいかもしれないが、もしかして彼とは、似ているところがあるのかもしれない。
千影と一緒に過ごす内に、食事の好みだけではなく、物の感じ方や気づきに、彼と似たものを感じているようになっていた。
ペリーロードの終着地点、ペリーが交渉の場とした了仙寺でお参りをする。
了仙寺はジャスミンの寺としても有名であり、境内から参道にかけて数百株のアメリカジャスミンが植えられている。ジャスミンの花は五月に咲き乱れるようだ。
冬も緑が美しい境内に入ると、お参りを終えた三人組の若い女性が歩いてきた。すれ違った後、「顔、良~」「イケメンすぎ」という言葉が、夕美の耳に届く。
これは今に限ったことではなかった。今朝、カフェで彼と偶然あった時も注目されていたし、高速道路のサービスエリアに寄った時も、そして下田に来てからもずっと、彼に女性の視線が注がれていることに気づいていた。
(やっぱり誰が見ても、私の推しは素敵だということが証明されて嬉しい。でもその反面、隣にいるのが私でいいのかって、どうしても気になっちゃうな……)
プライベートでは対等でいたいと言ってくれたが、こうして現実を前にするとなかなか難しいものがある。
本堂の前でお参りを終えると、千影が顔を覗き込んできた。
「何をお願いしたの?」
「この旅の安全と、楽しく過ごせますようにって。千影さんは?」
「僕も、同じ。いや、もっと欲張りなことをお願いしたかな」
「欲張りなことって?」
「……ヒミツ」
いたずらっぽく笑う千影に胸がきゅんと痛くなりながら、そんな顔をされたら「ずるい」という気持ちを込めて訴える。
「私は教えたのにな」
「宿に着いたら教えてあげる」
「あ……」
ふいに手を取られ、彼のコートのポケットに入れられた。大きくて温かな手が、夕美の手を包む。
「こうするとあったかいから」
ね? と笑顔向けられた夕美は、顔を熱くしてうなずくしかない。
千影の手をそっと握ると、彼の手が強く握り返してくる。そしてすぐに離れたと思ったら、夕美の指に、自分の指を絡めてきた。
(もしかしてこれは、恋人つなぎでは……?)
恋愛初心者の夕美は、このつなぎ方をしたことがない。
きゅっと握られたそこから彼の熱が伝わり、夕美の体中が火照ってくる。コートを脱いでしまいたいほどだ。
恐る恐る、絡められた指を握り返してみる。すると千影の指が、さらに強く握ってきた。
夕美は、体を使って交わす言葉というものを初めて知った。
これくらいでは済まされないすべてを、この先、近い未来には千影に教わるわけで……。
夕美は口を引き結び、彼の手を強く握って決意を固める。……このあとの告白のために。
ペリーロードを引き返したふたりは車に乗り、今夜の宿に向かった。
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