15 / 61
15 来年も、再来年も、その先もずっと
しおりを挟む車を走らせた先に現れたのは、美しい白浜と青い海だった。
「さっき漁港で見た海よりも、真っ青……!」
「白浜だから、よけいに青が映えるのかもしれないね」
「こんなに白い砂浜、初めて見ました。本当に綺麗……」
うっとりしながら外の景色を眺める夕美に、千影がつぶやく。
「敬語に戻ってるなぁ」
からかうような千影の声でハッとした夕美は、彼のほうを向いた。
「あの!」
「ん?」
「敬語はクセになっちゃってるから気を付けるね。それで、別の話なんだけど……聞いてほしいの」
「もちろん聞くよ。どうしたの?」
彼の声色と横顔が心配げなものに変わる。
「あの、千影さんは今日のこと、私の気持ちを優先したいって言ってくれたでしょう?」
「え? ああ、そうだね」
お泊まり旅行に誘われた際、戸惑う夕美に千影が言ってくれたのだ。
ただ、それはすでに夕美が覚悟を決めたあとであり、彼が望むのならそうなってもいいのではないかと、昨夜は寝られずに悩んでいた。
宿に着く前に、その気持ちを伝えておかなければと告白を始めたのである。
夕美は下を向き、膝の上で両手を握りしめた。
「私を気遣ってくれたことが本当に嬉しいんだけど、その……大丈夫って伝えたくて。そういう覚悟を持って今日、ここに来たの。そうじゃなければ、最初からお泊まりなんてしないから」
一気に話したが、上手く伝わらなかった気がする。彼の反応が気になるのに、顔を上げられない。
「ふうん……。そうなんだ」
一瞬の沈黙のあとで、千影の声が耳に届いた。
不機嫌だとか、気を悪くしただとか、そういう返事ではない。だが、聞いたことのない複雑さを帯びた彼の声色に、夕美は焦った。
「あのっ、千影さんにそういうつもりがないというのは重々承知なんだけど……! って、じゃあわざわざ言う必要なかったよね、ごめんなさい……」
千影は本心から下心なく、この旅行に夕美を誘ったのだろう。だから彼は今、複雑な声で返答したのだ。
猛烈に恥ずかしくなった夕美は慌てふためいて、謝罪の言葉を述べたのだが……。
「いや、言ってくれたほうがいい。僕も気持ちを切り替えられるし、この後の行動も変更できる」
「どういう意味……?」
信号で車が停止すると、こちらを向いた千影が微笑んだ。
「準備をしておいてもいいって、ことだよね?」
「え?」
「君を傷つけたくなかったから、今夜は何もするつもりはなくて持ってきてないんだ。街に戻ってもいい? ドラッグストアに寄ろう」
「あ……、うん」
意味がわかった瞬間、夕美の頬がたちまち熱を持った。
買い物を終え、宿に到着する。
そこは海岸沿いに建てられた大人の隠れ家的な宿だった。
エントランスからスタッフに案内され、部屋に向かう。一日限定数組というだけあって、他の客とは遭遇しなかった。
「こちらのお部屋になります。どうぞお入りくださいませ」
靴を脱いで室内に入ったとたん、ふんわりと良い香りに包まれる。
「わぁ……!」
思わず感嘆のため息が漏れ出てしまうほど、素晴らしい部屋だった。
大きな窓の向こうにはテラスがあり、海が見える。広々とした部屋に大きなベッドがふたつ並び、横にはバリアフリーの和室もついている。
テラスの横には露天風呂とプライベートサウナが付いているのが特徴的だ。
荷物を置くと、夕食の時間などを確認したスタッフは、にこやかに部屋を出て行った。
ふたりきりになったとたん、すぐそばにある真っ白いリネンに覆われたベッドに意識が向く。さっきは自分であんなことを言っておきながら、いざ目の前にすると怖じ気づいてしまい、情けないことこのうえない。
「ねえ、夕美」
「はっ、はい」
夕美の体に緊張が走ったその瞬間、千影に手を取られる。
「まだコートは脱がないで。ちょっとテラスに出てみないか?」
「あ……、そうね。行きたい」
動揺する夕美に気づいたのだろう、千影がさりげなくこの場を離れるよう誘ってくれた。彼のこういうスマートな優しさも、好きでたまらなくなる。
「素晴らしい景色ね。手が届きそう」
テラスの下は一面の美しい白浜。そして近すぎる距離に青い海と空が広がっていた。
「下田は二回ほど訪れたが、こんなに海が綺麗に見える時に来たのは初めてだよ」
日はだいぶ傾いてきたが、このあたりは気温が低くなりにくく、天気が良くて風がない日は冬でも暖かく過ごせるらしい。まさに今日がその日だったことに感謝せずにはいられないほど、目の前の景色は感動的だった。
「夏だと、すぐそこから海に入れちゃいそう」
「夕美が言った通り、目の前は宿泊客のプライベートビーチになっているらしいんだ。だから夏もふたりで来ようよ」
「そうなったら嬉しいな」
千影との関係がこのまま続いてくれれば夢のようだ、という気持ちを込めて呟いたのだが、彼の反応は予想外のものだった。
「僕は夏も一緒にいるつもりだよ。来年も、再来年も、その先もずっと。さっきお寺でお願いしたのは『また夕美と来年も来られますように』だったんだから」
夕美の右肩に自分の左手を置いた千影が、こちらを見下ろしている。その表情に必死さを感じたのは、気のせいだろうか。
うぬぼれてしまいそうだが、彼の言葉が夕美の心に強く響いたのは本当だ。
「千影さん……。ありがとう、すごく嬉しい」
「あの、さ」
千影は夕美の肩から手を離し、海のほうを向いた。
「見合いの時に『結婚を前提にお付き合いしたい』と言ったの、覚えてるよね?」
「ええ、もちろん覚えてる」
「僕は夕美のご両親を知っているし、僕の社員だから個人情報もわかっている。でも君は僕のことを知らない。それはフェアじゃないと思って、今ここで僕の家族構成や、僕のこれまでの経歴を聞いて欲しいんだ。いいかな?」
「うん、聞かせてほしい」
こちらを見た千影の顔を見つめると、彼は静かにうなずき、夕暮れ前の海に視線を戻した。
24
あなたにおすすめの小説
包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。
契約結婚のはずなのに、冷徹なはずのエリート上司が甘く迫ってくるんですが!? ~結婚願望ゼロの私が、なぜか愛されすぎて逃げられません~
猪木洋平@【コミカライズ連載中】
恋愛
「俺と結婚しろ」
突然のプロポーズ――いや、契約結婚の提案だった。
冷静沈着で完璧主義、社内でも一目置かれるエリート課長・九条玲司。そんな彼と私は、ただの上司と部下。恋愛感情なんて一切ない……はずだった。
仕事一筋で恋愛に興味なし。過去の傷から、結婚なんて煩わしいものだと決めつけていた私。なのに、九条課長が提示した「条件」に耳を傾けるうちに、その提案が単なる取引とは思えなくなっていく。
「お前を、誰にも渡すつもりはない」
冷たい声で言われたその言葉が、胸をざわつかせる。
これは合理的な選択? それとも、避けられない運命の始まり?
割り切ったはずの契約は、次第に二人の境界線を曖昧にし、心を絡め取っていく――。
不器用なエリート上司と、恋を信じられない女。
これは、"ありえないはずの結婚"から始まる、予測不能なラブストーリー。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
エリート役員は空飛ぶ天使を溺愛したくてたまらない
如月 そら
恋愛
「二度目は偶然だが、三度目は必然だ。三度目がないことを願っているよ」
(三度目はないからっ!)
──そう心で叫んだはずなのに目の前のエリート役員から逃げられない!
「俺と君が出会ったのはつまり必然だ」
倉木莉桜(くらきりお)は大手エアラインで日々奮闘する客室乗務員だ。
ある日、自社の機体を製造している五十里重工の重役がトラブルから莉桜を救ってくれる。
それで彼との関係は終わったと思っていたのに!?
エリート役員からの溺れそうな溺愛に戸惑うばかり。
客室乗務員(CA)倉木莉桜
×
五十里重工(取締役部長)五十里武尊
『空が好き』という共通点を持つ二人の恋の行方は……
恋に異例はつきもので ~会社一の鬼部長は初心でキュートな部下を溺愛したい~
泉南佳那
恋愛
「よっしゃー」が口癖の
元気いっぱい営業部員、辻本花梨27歳
×
敏腕だけど冷徹と噂されている
俺様部長 木沢彰吾34歳
ある朝、花梨が出社すると
異動の辞令が張り出されていた。
異動先は木沢部長率いる
〝ブランディング戦略部〟
なんでこんな時期に……
あまりの〝異例〟の辞令に
戸惑いを隠せない花梨。
しかも、担当するように言われた会社はなんと、元カレが社長を務める玩具会社だった!
花梨の前途多難な日々が、今始まる……
***
元気いっぱい、はりきりガール花梨と
ツンデレ部長木沢の年の差超パワフル・ラブ・ストーリーです。
私の婚活事情〜副社長の策に嵌まるまで〜
みかん桜
恋愛
身長172センチ。
高身長であること以外ごく普通のアラサーOL、佐伯花音。
婚活アプリに登録し、積極的に動いているのに中々上手く行かない。
「名前からしてもっと可愛らしい人かと……」ってどういうこと?
そんな男、こっちから願い下げ!
——でもだからって、イケメンで仕事もできる副社長……こんなハイスペ男子も求めてないっ!
って思ってたんだけどな。気が付いた時には既に副社長の手の内にいた。
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~
cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。
同棲はかれこれもう7年目。
お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。
合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。
焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。
何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。
美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。
私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな?
そしてわたしの30歳の誕生日。
「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」
「なに言ってるの?」
優しかったはずの隼人が豹変。
「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」
彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。
「絶対に逃がさないよ?」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる