15 / 77
本編
10)タバフ男爵とクランストン宰相
しおりを挟む
とある公爵が治める土地であったこの領地に、貴族領主はいない。公爵が指名した男爵が代官として領地を治めていた。
「ようこそ、おいでくださいました」
王都からのクランストン宰相率いる視察一行を出迎えたのは、その代官であるタバフ男爵一家だ。頭を深く下げ、許しが出るまで微動だにしない姿からは、これまで上司である公爵に煮え湯を飲まされてきたという情報が間違っていないということを感じさせる。
補佐官の一人が視察団として名乗りを上げることで、タバフ男爵はようやく頭を上げた。そして視察に来た一行を見渡し、タバフ男爵は一人の青年に視線を定める。
「宰相閣下、お会いできて光栄でございます。ケン・タバフでございます」
「……ぇ」
優雅に貴族としてのお辞儀をするタバフ男爵に対し、声を掛けられた男性・アンドリューは妙な呻き声を上げた。視察団の面々が、瞬時に顔を強張らせる。
事態を理解していないのはタバフ男爵側だ。当主の挨拶になぜこの男が返事をしないのか、そしてなぜ空気が突然、張り詰めてしまったのか。何かしでかしたのだろうかと、タバフ男爵達は顔を青ざめさせた。が、何をやってしまったのか、それがわからない。
「……こほん」
青年の隣、下の方から咳払いが聞こえる。タバフ男爵がそちらに目を向ければ、男の影に小柄な少年が立っていた。その少年は眼帯をしており――そこまで確認して、タバフ男爵はようやく致命的なミスを犯したことに気が付いた。
タバフ男爵は、クランストン宰相の顔を知らなかった。故に、視察団の先頭に立っている明らかに上質な衣装に身を包んだ、貴族然としたこの男性がクランストン宰相その人だと思ったのだ。
しかし、クランストン宰相の異名と言えば『隻眼の大魔術師』。そして『視察団の先頭で男爵と挨拶を交わす立場にある眼帯を装着した少年』が、明らかにちらちらとタバフ男爵に視線を送ってきている。
となれば、ここから導かれる答えは。
タバフ男爵は思わず、目の前の男性に縋るような視線を向けた。アンドリューは黙って、半歩横にずれる。……ずれたところに、少年が滑り込んできた。
「……視察の受け入れ、感謝する。グレン・クランストンだ」
「ひえぇぇっ!! もっ、もっ、もっ、申し訳ございませんっっっ!!!」
「うわっ!」
盛大な勢いで土下座をキメたタバフ男爵に、グレンは思わず身を引いた。それどころか、護衛として半歩後ろに控えていたドーヴィが一歩踏み出してグレンを守るように片手を出している。
グレンがドーヴィの物陰からタバフ男爵を伺えば、男爵本人どころかその後ろの家族も使用人も、全員が土下座をしていた。地面に額を擦りつけている。文字通りに。
「申し訳ございませんっ!! 私の命でどうかお許しを……っ!!!」
「命!? い、いや、間違えられた程度で命は取らないぞ!?」
「何卒! 何卒お許しを……! 家族や使用人には咎はございませぬっ!!!」
「タバフ男爵にも咎はないと思うが!? ま、まさか、以前は家族や使用人を……!?」
上位貴族にこれまで植え付けられた恐怖のせいか、気が動転して全くグレンの言葉を聞かないタバフ男爵と、それが伝染してプチパニックになりつつあるグレン。さらにその困惑が視察団の面々にも伝播し、困ったように顔を見合わせる政務官達。残念ながら、宰相閣下と代官本人の会話に口を挟む権限はもたないのだ。
ドーヴィはひっそりと自分とグレンにだけ幻惑の魔法を張り、そっとグレンの背中に手を当てる。幻惑の魔法のおかげで、ドーヴィがグレンを支えていることに気づく人間はいない。
「グレン、落ち着け」
「はっ!」
「タバフ男爵はパニックになっちまってる。ここで難しい話をするより、『疲れているから先に屋敷へ通せ、沙汰は後で渡す』とでも言えばいいだろう」
「そ、そうか」
「いいか、俺が一瞬だけ大きな音を立てる。そうすりゃこいつらも静かになるだろ」
わかった、とグレンは頷いた。ドーヴィの大きな手が背中にある。そこから伝わるドーヴィの体温が、刺激された過去の記憶を振り払ってくれた。
(そうだ、タバフ男爵も僕と同じ被害者なんだ。事前調査の報告書に書いてあっただろ!)
グレンは大きく息を吐いて、一歩踏み出した。同時に、ドーヴィが両手を大きく打ち付ける。風の魔法を応用したことにより、手を打ち付けた拍手の破裂音は、その場にいた全員に響き渡るほどに増大していった。
突然の音に驚いたタバフ男爵が、怯えたように肩を竦める。自分の父親ほどの男性のその姿を見て、グレンは少しだけやりきれない気分を抱えた。
「タバフ男爵!」
「はっ、はいいぃぃっ!!」
「視察団の中には長旅で疲労が溜まっているものも多い。申し訳ないが、先に屋敷に通して貰えないだろうか」
「は、ひっ……」
グレンは頭を上げたタバフ男爵を見下ろす。膝をついて手を取ってやりたいほどであったが、さすがに先ほどの無礼をなかったことにはできない。
真っ白な顔で怯えたように自分を見るタバフ男爵を、グレンは真顔を作ったまま見返した。
「挨拶は、後程改めて頂きたい。よろしいな?」
「……はいっ、はいっ!!! す、すぐにお通しいたします!」
飛び上がったタバフ男爵は、すぐに使用人たちに指示を出し始めた。張り詰めていた空気が緩み、今度は来客を迎えるための騒々しい空気へと様変わりしていく。
「ク、ク、ク、クランストン宰相閣下は、こ、こ、こちらへ……」
「……うむ」
怯え切った使用人に、爆発寸前の爆弾のごとく扱われつつ。グレンとドーヴィ、そして宰相直属の筆頭政務官であるアンドリューとマリアンヌの合計4名は屋敷の奥へと案内された。
道すがらすれ違う使用人たちは、壁に張り付いて深く頭を垂れたままだ。グレンの視界に入らないよう、必死に息をひそめているように見える。
「こ、こちらが、クランストン宰相閣下のお部屋となります。隣が、護衛の方の控室となっております」
「うむ。案内ご苦労。荷解きや身支度は自分たちで行う。人払いを頼む」
「はっ、はいっ!」
グレン達の世話役として待機していた使用人は、顔を青くしつつも、どこかほっとしたように肩を下ろしてそそくさと部屋を出て行った。
「……はぁ」
「……これはなかなか、前途多難でございますね」
「全くだ」
さきほど、タバフ男爵から間違って挨拶されたアンドリューが苦笑いしながら呟く。同じように頷いたのは、マリアンヌだ。アンドリューは男爵家の三男で、マリアンヌは子爵家の次女である。二人とも家の継承権を持たず、こうして政務官として身を立てている。
既婚者二人は良い年齢で、グレンにとって非常に頼りになる右腕と左腕だった。ドーヴィ不在時に、頼ることができる貴重な人材である。
「アンドリュー、すまないが取り急ぎタバフ男爵と面会して私が怒っていないこと、罰を与えるつもりがない事を伝えてきてくれないか」
「了解しました」
「……あれでは、先走って余計な事をしでかしそうだ」
苦々しく言うグレンに、アンドリューは苦笑しながら頷く。勢い余ってタバフ男爵の首を捧げられても困るし、お詫びに、と年頃の男女を献上されても困る。そういう意図を明確に汲み取ったアンドリューは「では、改めての挨拶時に謝罪をして頂く、という方向で調整しましょう」と言って退室して行った。
「マリアンヌは視察団のメンバーの所在確認とトラブルが起きてないか確認してきてくれ。それから私の部屋の位置も通達しておくように」
「かしこまりました。部屋割については、私の一存で多少変更しても構いませんか?」
「構わん。ただし、タバフ男爵の負担にならない範囲で頼む」
マリアンヌはかしこまりました、と再度言い、礼をして去って行った。
後に残されたのはグレンと護衛のドーヴィのみ。……荷解きも身支度も自分たちでやると言って、使用人ではなく護衛が残るのは貴族としておかしいはずだが、このクランストン宰相閣下の周辺ではもはやそれが当たり前になりつつある。
「ドーヴィ」
「あいよ」
名前を呼ばれたドーヴィは、部屋全体に防音と隠蔽の魔法をかける。これで外に室内の様子が漏れることは一切ない。
魔法の行使を検知したグレンは、大きなため息をついた。そしてそのまま、ドーヴィに抱き着く。
「疲れた……挨拶だけなのに……」
「ははは、お前はよくやったよ。立派な態度だったぜ」
そう言ってドーヴィは甘えてきたグレンをひょいと抱え上げると、ベッドまで運んだ。履いていたブーツを脱がせ、羽織っていたローブを脱がせ、身軽な格好にしてベッドに転がす。グレンはそのままころんと転がった。
「全く、前公爵は一体タバフ男爵達にどんな仕打ちをしていたんだ」
ぶつぶつ、呟きながらグレンはごろりと寝返りを打って膝を抱える。
上位貴族という存在に怯え、何とかやり過ごそうと必死に媚を売り、自分の身を盾にして家族や使用人を守ろうとする姿。
あれは、少し前のグレンの姿だ。
グレンがあの立場から救われたのは、様々な偶然が重なったからにすぎない。ドーヴィや家族はグレンの実力だと褒めてくれるが……グレン自身はそう思ってはいない。計画はアルチェロ側の悪魔が全て立ててくれたし、物資や金銭面はアルチェロから大きな支援をして貰った。
グレンは、ずっとそう思っている。自分のやった事は無駄ではなかったかもしれないが、反乱を成功させたのは他の要素が大きい、と。
……散々に上位貴族や王族に詰られていたグレンの自尊心は、もうほとんど残っていない。宰相として、辺境伯として、それぞれ堂々とした振る舞いができるのは、グレン本人が必死に虚勢を張っているだけだ。
虚勢がはがれてしまえば、後に残されたのは傷だらけの心を持ったままの少年なわけで。グレンは『嫌な事』がじわじわと頭の中を支配していくのを感じていた。
「グレン」
「……ん」
荷解きを終えたドーヴィが、ベッドの上で丸くなっていたグレンを抱え上げた。馬車の中に続いて、またしてもグレンを膝の上に乗せて幼子をあやすように背中を摩る。
グレンはその手の温かさにほっと息を吐いた。その様子を見てドーヴィは苦笑いを零す。
「具合は大丈夫か」
「大丈夫だ」
ドーヴィはグレンを抱えこむように腕の中に入れる。グレンはドーヴィの男らしい分厚い肩に頭を乗せて頬ずりをした。そして先ほどの発言を訂正する。
「……今は、大丈夫だ」
「夜はダメだな、そりゃ」
笑いながらドーヴィが言う。低い笑い声が振動となって伝わってきて、グレンは目を伏せた。
「たぶん、今夜は悪夢を見る」
「そうか。宰相閣下が不眠じゃあ困るよな、明日の視察も」
「そうだ、困るんだ」
王城で仕事に忙殺されている時は良かった。家族と食事をしたり、ドーヴィと軽く魔法の訓練をしたり、そういう時も良かった。それ以外の、少しでも昔の記憶が刺激されるようなことがあると、グレンは一気に体調を悪くする。
これはアンドリューやマリアンヌも知らないことだ。大切な家族と、辺境の使用人と、そしてドーヴィだけが知っているクランストン宰相の秘密。
ぐずるグレンを宥めるように頭を撫でて、ドーヴィは口を開く。
「視察に不具合があっちゃならねえ。こりゃあ宰相閣下の護衛兼秘書官として、今夜はこっちの部屋で過ごさねえとな」
「……そうしろ、ドーヴィ」
「仰せのままに。添い寝もサービスしてやるし……そうだな、温泉も一緒に入るか」
うん、とグレンは小さく頷いた。
本来であれば、護衛と一緒に入浴するなど信じられない行為だ。二人がそういう仲である、と公言しているようなものであるし、何より、風呂場でそういう事をしている、と取られかねない。
それをグレンがしっかり理解しているかは謎だが……ドーヴィとしてはこのかわいそうでかわいらしい契約主の為なら、宰相としての外聞も守りつつグレン個人の精神を守るという高難度ミッションだってこなしてみせる。
「そうだなぁ、風呂場の前には俺の分身体を置いておくか。それで、中にはちゃんと隠蔽魔法を使って」
「……分身? 魔法で?」
ドーヴィにすっかり身を預けてぐったりしていたグレンが、急に顔を上げた。聞き慣れない魔法に興味が刺激されたらしい。
相変わらず魔法バカだなぁ、とドーヴィは内心で笑いつつ、グレンを膝の上に座らせ直した。魔法の話で気が逸れるなら、それで良いだろう。
「おう。俺はあんまりその辺は不得意分野だから、あくまでも見た目と簡単な応答程度しかできないけどな――」
ドーヴィが分身魔法について話し出せば、グレンは途端に目を輝かせて熱心に聞き入っている。暗く淀んだ目をしているよりよっぽどマシだ。
結局、仕事を終えたアンドリューとマリアンヌが戻ってくるまで、ドーヴィによる分身魔法講座は続いていたのだった。
--
立派に年上部下に指示を出しておいて実際のメンタルはぐにゃぐにゃになってて速攻でドーヴィに甘えてぐずるグレンくんは可愛くないですか
可愛いです(自給自足
「ようこそ、おいでくださいました」
王都からのクランストン宰相率いる視察一行を出迎えたのは、その代官であるタバフ男爵一家だ。頭を深く下げ、許しが出るまで微動だにしない姿からは、これまで上司である公爵に煮え湯を飲まされてきたという情報が間違っていないということを感じさせる。
補佐官の一人が視察団として名乗りを上げることで、タバフ男爵はようやく頭を上げた。そして視察に来た一行を見渡し、タバフ男爵は一人の青年に視線を定める。
「宰相閣下、お会いできて光栄でございます。ケン・タバフでございます」
「……ぇ」
優雅に貴族としてのお辞儀をするタバフ男爵に対し、声を掛けられた男性・アンドリューは妙な呻き声を上げた。視察団の面々が、瞬時に顔を強張らせる。
事態を理解していないのはタバフ男爵側だ。当主の挨拶になぜこの男が返事をしないのか、そしてなぜ空気が突然、張り詰めてしまったのか。何かしでかしたのだろうかと、タバフ男爵達は顔を青ざめさせた。が、何をやってしまったのか、それがわからない。
「……こほん」
青年の隣、下の方から咳払いが聞こえる。タバフ男爵がそちらに目を向ければ、男の影に小柄な少年が立っていた。その少年は眼帯をしており――そこまで確認して、タバフ男爵はようやく致命的なミスを犯したことに気が付いた。
タバフ男爵は、クランストン宰相の顔を知らなかった。故に、視察団の先頭に立っている明らかに上質な衣装に身を包んだ、貴族然としたこの男性がクランストン宰相その人だと思ったのだ。
しかし、クランストン宰相の異名と言えば『隻眼の大魔術師』。そして『視察団の先頭で男爵と挨拶を交わす立場にある眼帯を装着した少年』が、明らかにちらちらとタバフ男爵に視線を送ってきている。
となれば、ここから導かれる答えは。
タバフ男爵は思わず、目の前の男性に縋るような視線を向けた。アンドリューは黙って、半歩横にずれる。……ずれたところに、少年が滑り込んできた。
「……視察の受け入れ、感謝する。グレン・クランストンだ」
「ひえぇぇっ!! もっ、もっ、もっ、申し訳ございませんっっっ!!!」
「うわっ!」
盛大な勢いで土下座をキメたタバフ男爵に、グレンは思わず身を引いた。それどころか、護衛として半歩後ろに控えていたドーヴィが一歩踏み出してグレンを守るように片手を出している。
グレンがドーヴィの物陰からタバフ男爵を伺えば、男爵本人どころかその後ろの家族も使用人も、全員が土下座をしていた。地面に額を擦りつけている。文字通りに。
「申し訳ございませんっ!! 私の命でどうかお許しを……っ!!!」
「命!? い、いや、間違えられた程度で命は取らないぞ!?」
「何卒! 何卒お許しを……! 家族や使用人には咎はございませぬっ!!!」
「タバフ男爵にも咎はないと思うが!? ま、まさか、以前は家族や使用人を……!?」
上位貴族にこれまで植え付けられた恐怖のせいか、気が動転して全くグレンの言葉を聞かないタバフ男爵と、それが伝染してプチパニックになりつつあるグレン。さらにその困惑が視察団の面々にも伝播し、困ったように顔を見合わせる政務官達。残念ながら、宰相閣下と代官本人の会話に口を挟む権限はもたないのだ。
ドーヴィはひっそりと自分とグレンにだけ幻惑の魔法を張り、そっとグレンの背中に手を当てる。幻惑の魔法のおかげで、ドーヴィがグレンを支えていることに気づく人間はいない。
「グレン、落ち着け」
「はっ!」
「タバフ男爵はパニックになっちまってる。ここで難しい話をするより、『疲れているから先に屋敷へ通せ、沙汰は後で渡す』とでも言えばいいだろう」
「そ、そうか」
「いいか、俺が一瞬だけ大きな音を立てる。そうすりゃこいつらも静かになるだろ」
わかった、とグレンは頷いた。ドーヴィの大きな手が背中にある。そこから伝わるドーヴィの体温が、刺激された過去の記憶を振り払ってくれた。
(そうだ、タバフ男爵も僕と同じ被害者なんだ。事前調査の報告書に書いてあっただろ!)
グレンは大きく息を吐いて、一歩踏み出した。同時に、ドーヴィが両手を大きく打ち付ける。風の魔法を応用したことにより、手を打ち付けた拍手の破裂音は、その場にいた全員に響き渡るほどに増大していった。
突然の音に驚いたタバフ男爵が、怯えたように肩を竦める。自分の父親ほどの男性のその姿を見て、グレンは少しだけやりきれない気分を抱えた。
「タバフ男爵!」
「はっ、はいいぃぃっ!!」
「視察団の中には長旅で疲労が溜まっているものも多い。申し訳ないが、先に屋敷に通して貰えないだろうか」
「は、ひっ……」
グレンは頭を上げたタバフ男爵を見下ろす。膝をついて手を取ってやりたいほどであったが、さすがに先ほどの無礼をなかったことにはできない。
真っ白な顔で怯えたように自分を見るタバフ男爵を、グレンは真顔を作ったまま見返した。
「挨拶は、後程改めて頂きたい。よろしいな?」
「……はいっ、はいっ!!! す、すぐにお通しいたします!」
飛び上がったタバフ男爵は、すぐに使用人たちに指示を出し始めた。張り詰めていた空気が緩み、今度は来客を迎えるための騒々しい空気へと様変わりしていく。
「ク、ク、ク、クランストン宰相閣下は、こ、こ、こちらへ……」
「……うむ」
怯え切った使用人に、爆発寸前の爆弾のごとく扱われつつ。グレンとドーヴィ、そして宰相直属の筆頭政務官であるアンドリューとマリアンヌの合計4名は屋敷の奥へと案内された。
道すがらすれ違う使用人たちは、壁に張り付いて深く頭を垂れたままだ。グレンの視界に入らないよう、必死に息をひそめているように見える。
「こ、こちらが、クランストン宰相閣下のお部屋となります。隣が、護衛の方の控室となっております」
「うむ。案内ご苦労。荷解きや身支度は自分たちで行う。人払いを頼む」
「はっ、はいっ!」
グレン達の世話役として待機していた使用人は、顔を青くしつつも、どこかほっとしたように肩を下ろしてそそくさと部屋を出て行った。
「……はぁ」
「……これはなかなか、前途多難でございますね」
「全くだ」
さきほど、タバフ男爵から間違って挨拶されたアンドリューが苦笑いしながら呟く。同じように頷いたのは、マリアンヌだ。アンドリューは男爵家の三男で、マリアンヌは子爵家の次女である。二人とも家の継承権を持たず、こうして政務官として身を立てている。
既婚者二人は良い年齢で、グレンにとって非常に頼りになる右腕と左腕だった。ドーヴィ不在時に、頼ることができる貴重な人材である。
「アンドリュー、すまないが取り急ぎタバフ男爵と面会して私が怒っていないこと、罰を与えるつもりがない事を伝えてきてくれないか」
「了解しました」
「……あれでは、先走って余計な事をしでかしそうだ」
苦々しく言うグレンに、アンドリューは苦笑しながら頷く。勢い余ってタバフ男爵の首を捧げられても困るし、お詫びに、と年頃の男女を献上されても困る。そういう意図を明確に汲み取ったアンドリューは「では、改めての挨拶時に謝罪をして頂く、という方向で調整しましょう」と言って退室して行った。
「マリアンヌは視察団のメンバーの所在確認とトラブルが起きてないか確認してきてくれ。それから私の部屋の位置も通達しておくように」
「かしこまりました。部屋割については、私の一存で多少変更しても構いませんか?」
「構わん。ただし、タバフ男爵の負担にならない範囲で頼む」
マリアンヌはかしこまりました、と再度言い、礼をして去って行った。
後に残されたのはグレンと護衛のドーヴィのみ。……荷解きも身支度も自分たちでやると言って、使用人ではなく護衛が残るのは貴族としておかしいはずだが、このクランストン宰相閣下の周辺ではもはやそれが当たり前になりつつある。
「ドーヴィ」
「あいよ」
名前を呼ばれたドーヴィは、部屋全体に防音と隠蔽の魔法をかける。これで外に室内の様子が漏れることは一切ない。
魔法の行使を検知したグレンは、大きなため息をついた。そしてそのまま、ドーヴィに抱き着く。
「疲れた……挨拶だけなのに……」
「ははは、お前はよくやったよ。立派な態度だったぜ」
そう言ってドーヴィは甘えてきたグレンをひょいと抱え上げると、ベッドまで運んだ。履いていたブーツを脱がせ、羽織っていたローブを脱がせ、身軽な格好にしてベッドに転がす。グレンはそのままころんと転がった。
「全く、前公爵は一体タバフ男爵達にどんな仕打ちをしていたんだ」
ぶつぶつ、呟きながらグレンはごろりと寝返りを打って膝を抱える。
上位貴族という存在に怯え、何とかやり過ごそうと必死に媚を売り、自分の身を盾にして家族や使用人を守ろうとする姿。
あれは、少し前のグレンの姿だ。
グレンがあの立場から救われたのは、様々な偶然が重なったからにすぎない。ドーヴィや家族はグレンの実力だと褒めてくれるが……グレン自身はそう思ってはいない。計画はアルチェロ側の悪魔が全て立ててくれたし、物資や金銭面はアルチェロから大きな支援をして貰った。
グレンは、ずっとそう思っている。自分のやった事は無駄ではなかったかもしれないが、反乱を成功させたのは他の要素が大きい、と。
……散々に上位貴族や王族に詰られていたグレンの自尊心は、もうほとんど残っていない。宰相として、辺境伯として、それぞれ堂々とした振る舞いができるのは、グレン本人が必死に虚勢を張っているだけだ。
虚勢がはがれてしまえば、後に残されたのは傷だらけの心を持ったままの少年なわけで。グレンは『嫌な事』がじわじわと頭の中を支配していくのを感じていた。
「グレン」
「……ん」
荷解きを終えたドーヴィが、ベッドの上で丸くなっていたグレンを抱え上げた。馬車の中に続いて、またしてもグレンを膝の上に乗せて幼子をあやすように背中を摩る。
グレンはその手の温かさにほっと息を吐いた。その様子を見てドーヴィは苦笑いを零す。
「具合は大丈夫か」
「大丈夫だ」
ドーヴィはグレンを抱えこむように腕の中に入れる。グレンはドーヴィの男らしい分厚い肩に頭を乗せて頬ずりをした。そして先ほどの発言を訂正する。
「……今は、大丈夫だ」
「夜はダメだな、そりゃ」
笑いながらドーヴィが言う。低い笑い声が振動となって伝わってきて、グレンは目を伏せた。
「たぶん、今夜は悪夢を見る」
「そうか。宰相閣下が不眠じゃあ困るよな、明日の視察も」
「そうだ、困るんだ」
王城で仕事に忙殺されている時は良かった。家族と食事をしたり、ドーヴィと軽く魔法の訓練をしたり、そういう時も良かった。それ以外の、少しでも昔の記憶が刺激されるようなことがあると、グレンは一気に体調を悪くする。
これはアンドリューやマリアンヌも知らないことだ。大切な家族と、辺境の使用人と、そしてドーヴィだけが知っているクランストン宰相の秘密。
ぐずるグレンを宥めるように頭を撫でて、ドーヴィは口を開く。
「視察に不具合があっちゃならねえ。こりゃあ宰相閣下の護衛兼秘書官として、今夜はこっちの部屋で過ごさねえとな」
「……そうしろ、ドーヴィ」
「仰せのままに。添い寝もサービスしてやるし……そうだな、温泉も一緒に入るか」
うん、とグレンは小さく頷いた。
本来であれば、護衛と一緒に入浴するなど信じられない行為だ。二人がそういう仲である、と公言しているようなものであるし、何より、風呂場でそういう事をしている、と取られかねない。
それをグレンがしっかり理解しているかは謎だが……ドーヴィとしてはこのかわいそうでかわいらしい契約主の為なら、宰相としての外聞も守りつつグレン個人の精神を守るという高難度ミッションだってこなしてみせる。
「そうだなぁ、風呂場の前には俺の分身体を置いておくか。それで、中にはちゃんと隠蔽魔法を使って」
「……分身? 魔法で?」
ドーヴィにすっかり身を預けてぐったりしていたグレンが、急に顔を上げた。聞き慣れない魔法に興味が刺激されたらしい。
相変わらず魔法バカだなぁ、とドーヴィは内心で笑いつつ、グレンを膝の上に座らせ直した。魔法の話で気が逸れるなら、それで良いだろう。
「おう。俺はあんまりその辺は不得意分野だから、あくまでも見た目と簡単な応答程度しかできないけどな――」
ドーヴィが分身魔法について話し出せば、グレンは途端に目を輝かせて熱心に聞き入っている。暗く淀んだ目をしているよりよっぽどマシだ。
結局、仕事を終えたアンドリューとマリアンヌが戻ってくるまで、ドーヴィによる分身魔法講座は続いていたのだった。
--
立派に年上部下に指示を出しておいて実際のメンタルはぐにゃぐにゃになってて速攻でドーヴィに甘えてぐずるグレンくんは可愛くないですか
可愛いです(自給自足
31
あなたにおすすめの小説
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
龍の寵愛を受けし者達
樹木緑
BL
サンクホルム国の王子のジェイドは、
父王の護衛騎士であるダリルに憧れていたけど、
ある日偶然に自分の護衛にと推す父王に反する声を聞いてしまう。
それ以来ずっと嫌われていると思っていた王子だったが少しずつ打ち解けて
いつかはそれが愛に変わっていることに気付いた。
それと同時に何故父王が最強の自身の護衛を自分につけたのか理解す時が来る。
王家はある者に裏切りにより、
無惨にもその策に敗れてしまう。
剣が苦手でずっと魔法の研究をしていた王子は、
責めて騎士だけは助けようと、
刃にかかる寸前の所でとうの昔に失ったとされる
時戻しの術をかけるが…
今日もBL営業カフェで働いています!?
卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ
※ 不定期更新です。
虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する
あかのゆりこ
BL
主人公のグレン・クランストンは天才魔術師だ。ある日、失われた魔術の復活に成功し、悪魔を召喚する。その悪魔は愛と性の悪魔「ドーヴィ」と名乗り、グレンに契約の代償としてまさかの「口づけ」を提示してきた。
領民を守るため、王家に囚われた姉を救うため、グレンは致し方なく自分の唇(もちろん未使用)を差し出すことになる。
***
王家に虐げられて不遇な立場のトラウマ持ち不幸属性主人公がスパダリ系悪魔に溺愛されて幸せになるコメディの皮を被ったそこそこシリアスなお話です。
・ハピエン
・CP左右固定(リバありません)
・三角関係及び当て馬キャラなし(相手違いありません)
です。
べろちゅーすらないキスだけの健全ピュアピュアなお付き合いをお楽しみください。
***
2024.10.18 第二章開幕にあたり、第一章の2話~3話の間に加筆を行いました。小数点付きの話が追加分ですが、別に読まなくても問題はありません。
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
告白ごっこ
みなみ ゆうき
BL
ある事情から極力目立たず地味にひっそりと学園生活を送っていた瑠衣(るい)。
ある日偶然に自分をターゲットに告白という名の罰ゲームが行われることを知ってしまう。それを実行することになったのは学園の人気者で同級生の昴流(すばる)。
更に1ヶ月以内に昴流が瑠衣を口説き落とし好きだと言わせることが出来るかということを新しい賭けにしようとしている事に憤りを覚えた瑠衣は一計を案じ、自分の方から先に告白をし、その直後に全てを知っていると種明かしをすることで、早々に馬鹿げたゲームに決着をつけてやろうと考える。しかし、この告白が原因で事態は瑠衣の想定とは違った方向に動きだし……。
テンプレの罰ゲーム告白ものです。
表紙イラストは、かさしま様より描いていただきました!
ムーンライトノベルズでも同時公開。
僕たち、結婚することになりました
リリーブルー
BL
俺は、なぜか知らないが、会社の後輩(♂)と結婚することになった!
後輩はモテモテな25歳。
俺は37歳。
笑えるBL。ラブコメディ💛
fujossyの結婚テーマコンテスト応募作です。
【完結】だから俺は主人公じゃない!
美兎
BL
ある日通り魔に殺された岬りおが、次に目を覚ましたら別の世界の人間になっていた。
しかもそれは腐男子な自分が好きなキャラクターがいるゲームの世界!?
でも自分は名前も聞いた事もないモブキャラ。
そんなモブな自分に話しかけてきてくれた相手とは……。
主人公がいるはずなのに、攻略対象がことごとく自分に言い寄ってきて大混乱!
だから、…俺は主人公じゃないんだってば!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる