虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する

あかのゆりこ

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【第一部】国家転覆編

17)虐げられる、ということ

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「いかがですか、この素晴らしい壺」
「……若輩者の私から見ても、素晴らしいかと。さすが、ドラガド侯爵の審美眼には恐れ入ります」
「ほっほ……」

 どこが素晴らしい壺だよ、とドーヴィは必死に殺気を押し殺していた。もしグレンが事前に「何があっても侯爵には手を出すな」とドーヴィに命令していなければ、今頃このドラガド侯爵の首は宙を飛んでいただろう。

 ドラガド侯爵とグレンが挟む応接テーブルの上には、どう見ても素人が作ったとしか思えない崩れかけの壺が置いてあった。

「クランストン辺境伯との友好を願いしまして、この素晴らしい壺を、格安にてお譲りしようかと思いましてねえ」
「それは、ありがたいことです。……おいくらほどでしょうか」

 グレンが小さく唾を飲み込む音を、ドーヴィは聞き逃さなかった。間違いなく、ドラガド侯爵はとんでもない金額を吹っ掛けてくるだろう。……その予想通り、ドラガド侯爵は壺一つの値段とは思えない金額をグレンに申し渡した。
 グレンの顔色が目に見えて悪くなる。払えなくもないが、払ってしまえばクランストン辺境領としてはかなりの痛手になる。もちろん、先日にライサーズ男爵が支援してくれた金も全て吹き飛んでしまうだろう。

「……それは……その金額は、さすがに私の一存では……一度、領に戻って検討したく……」
「おや! クランストン辺境伯当主ともあろうお方が、この金額を一存では決められないと? まさか、まだ辺境領にしがみついている下賤な身分の執事や補佐官の意見を聞き入れるだなど……そのような事はありませんよなぁ?」

 グレンが絞り出した答えを、ドラガド侯爵はニタニタとした気持ち悪い嘲笑と共に踏みつぶした。

「いけませんぞ、クランストン辺境伯。君はまだ幼いのだから、一人で判断も付きにくいという事もわかる。しかし、かといって家畜の言葉を聞いて何の参考になる? 私や妻なぞ、平民の声を聞くだけで耳が腐ると言うのに……」
「……」
「ああ失敬、失敬。クランストン辺境にはまともな貴族もおらず、薄汚い平民が獣の鳴き声を上げているだけでしたか。その中で育てば、家畜の言葉も理解できるし耳に心地よいということですかな! ハッハッハ!」

 ドラガド侯爵の笑い声にあわせて、部屋の中にいたドラガド侯爵家のメイドや護衛、補佐官がクスクスと笑い声を零す。……当主同士の会話に、使用人が反応するなどというのは、非常識であった。逆に言えば、それだけグレンが見下されているということ。
 部屋の隅に立っていたドラガド侯爵の護衛騎士の男が「ブゥブゥ」と小さく豚の鳴き声を真似し、部屋中にさらに笑いが広がった。もちろん、ドラガド侯爵は護衛騎士のそんな不始末を詫びることはない。

 黙ったままのグレンに、ドラガド侯爵はさらに言葉を続ける。

「さてはて、家畜の言葉が大好きであられるクランストン辺境伯が一人で決められぬと言うなら、牢にいるセシリア嬢をお頼りになりますかな? となれば、セシリア嬢には、貴族権限回復のためにもさらに労役に励んで頂くことになりますが」
「っ!」
「先日も労役の途中でお倒れになったようでしてね……」

 ドラガド侯爵はそこで言葉を切ると、沈黙を保ったままのグレン見下ろすように応接ソファにふんぞり返った。そして獲物を甚振る肉食獣のごとく、応接テーブルを蹴りあげる。テーブルの上にあった壺が音を立てて転がり、ガシャン、とテーブルから落ちて瓦礫になった。

「これ以上の労役でセシリア嬢が死んでも、私は一向にかまいませんよ、クランストン辺境伯。むしろ、辺境の豚が一匹死んでせいせいするほどだ」

 もはやドラガド侯爵はその悪を隠すことなく、そう言い放った。その態度からはハッタリでもなく、状況が許すのであれば今すぐにでも死刑にしたいとの苛立ちすら見え隠れしている。
 魔力が豊富だから、というだけで辺境伯と言う地位についているクランストン辺境一族は歴史ある高貴なドラガド侯爵家にとって、唾棄すべき下賤な者であった。貴族たる矜持も持たず、平民のためになどと走り回る姿は虫唾が走る。視界にも入れたくないほどに、ドラガド侯爵はクランストン辺境家の人間を嫌っていた。

 それを知っており、ドラガド侯爵であれば本当にく『セシリアの死刑』をやりかねないと感じ取ったグレンは真っ青な顔のまま、震える唇を開いた。

「……では、ドラガド侯爵のご厚意に感謝いたしまして、その値段で壺をお譲り頂きたく」
「ハッハッハ、最初から素直にそう言えば良いものを。子供は素直が一番だよ、クランストン辺境伯。その瓦礫を大事にするといい」
「ありがとうございます……」

 ドラガド侯爵が顎で合図をすれば、メイドの一人が瓦礫を手で集めてそのままグレンの両手に押し付けた。グレンはその、壺ですらないたいそうに高級な瓦礫の山を一片たりとも落とすことなく両手で抱きしめる。ここで欠片一つ落とそうものなら、ドラガド侯爵がそれを見咎めてまた難癖をつけてくることは経験上、容易に予想できたからだ。

「クランストン辺境伯を客室へ案内……いや」

 立ち上がったドラガド侯爵は俯いたままのグレンの頭頂部を眺めて、醜悪な笑みを浮かべた。

「クランストン辺境伯は、我々より家畜とともにお過ごしになるのがお好きなようだ。豚小屋に案内してやりなさい。晩餐も、豚と同じ残飯で良かろう。……そうだな? クランストン辺境伯」
「……はい、ご配慮、誠に、ありがたく、思います……」
「うむ、素直な子供は可愛いものだよ、クランストン辺境伯。今日の晩餐はぜひ豚と一緒に残飯をたっぷり楽しんでくれたまえ」

 グレンから上がった震え声による感謝の言葉に、ドラガド侯爵は上機嫌に頷いた。再び、応接室に嘲笑する小さな響きが満ちていく。

――が、それらを破る騒動が廊下から近づいてきた。

 何やら騒がしい音が近づいてくることに気づいたドラガド侯爵は、怪訝そうな顔をする。それと同時に応接室の扉が勢いよく開かれた。

「緊急事態です! 厨房で火災が発生しています!」
「なに!?」
「被害状況はわかりませんが、侯爵様におかれましては念のために避難を! 油に燃え移って火の勢いが強まる可能性があります!」
「ぐっ……」

 ドラガド侯爵は失火をした料理人に対して怒りで顔を真っ赤に染め上げた。だが、騎士に再度促されて仕方なく避難することを決意する。

「……グレン様、このような状況で我々がドラガド侯爵様のお世話になるのは、ご迷惑になるでしょう。宿泊は辞退なさったらいかがですか」

 突然の事に呆然としていたグレンは、ドーヴィのその言葉にハッ!と意識を取り戻した。そして、ドーヴィがさらっとグレンの両手にあった瓦礫の山をどこからか取り出した袋にいれて、グレンの手を取る。ドーヴィはもう一度、グレンの耳に「ドラガド侯爵様にご挨拶を」と囁いた。

「こっ……このような緊急事態ですので! 宿泊はご迷惑になりますでしょうから! 私共は野営いたします!」

 すでに廊下に走り出していたドラガド侯爵の背に、グレンは大きな声で投げかけた。返事は「勝手にしろ!」との、怒り声だけだ。

「よし、帰るぞ」
「あ、ああ……」

 何事もなかったかのようにドーヴィはそう言って、誰もいなくなった応接室からグレンの手を引いて歩き出した。目まぐるしい展開にグレンが目を回し、ドラガド侯爵城の使用人や騎士が緊急事態に慌てて走り回る中をドーヴィはスタスタと歩く。

 馬房に預けていた馬を勝手に回収し、荷物を載せ、グレンの手と馬の手綱を引いてドーヴィはドラガド侯爵城を出た。城の喧騒を背に、賑わっている城下町をグレンと歩く。

「……まさか、ドーヴィ……」
「侯爵に手を出すなとは言われたが、別に食料庫の食料に手を出すなとは言われてねえからなぁ」

 飄々と言うドーヴィを見上げたグレンは文句を言おうかと思って、口を噤んだ。首を振った後に、小さい声で「ドーヴィ、ありがとう」と言う。ドーヴィとつないだままの手を、思わずきゅうと握り返した。
 ドーヴィはそのグレンの小さな手を、包むように握りこんだ。そのまま、馬を引きながら二人は足早に城下町を歩く。少しでもドラガド侯爵から離れた方が良いとのドーヴィの判断であったし、グレンも長居はしたくないと無意識に考えて足を速くする。

「豚小屋に泊まるなんてごめんだからな。……いつも、ああいう感じなのか」
「……ああ。一度、領に持ち帰ると言えば許してくれることも、たまにはある。今日はダメだったが……」

 それは単にたまの甘い飴でグレンが喜ぶのを見て、後から絶望させるだけの撒き餌ではないか、とドーヴィは思ったが黙っておいた。
 
「豚小屋に泊まらされたことも、あるし……残飯を、食べたこともある。……あの時、一緒についてきてくれた護衛騎士には本当に申し訳ない事をした」

 今日はそうならなくて助かったよ、とグレンは泣きそうな顔を歪めて無理に笑顔を作って、ドーヴィに笑いかけた。その痛々しさに、やはり食料庫ではなく城自体を全て燃やし尽くしてやろうかとドーヴィは内心で舌打ちをする。……さすがに、クランストン辺境伯来訪のタイミングで城が燃えたら、真っ先にグレンが疑われるからやらないが。

「グレン、今日のうちに次の領まで行って野営にしよう。侯爵領にいると次に何の難癖がつけられるかわからん」
「ああ、私もそれがいいと思う。次のアリングベア伯爵は……早めに魔力補充の仕事をして、宿泊を辞退するとしようか」

 アリングベア伯爵も、クランストン辺境伯に好意的とは言い難い。ドラガド侯爵ほどの嫌がらせをすることはないが……むしろ、辺境伯の地位を狙ってきているのか、グレンの寝込みを娘や息子に襲わせることが多かった。薬を盛られたこともある。それでも何とか貞操を守って来れたのは、今でもまだクランストン辺境伯家に忠誠を誓う騎士達と、天使マルコの加護のおかげだった。

「早めに行って辞退申し出りゃ、まだ間に合うだろ。晩餐の準備までされちまったらちょいと厳しいが」
「うむ。……僕は、貴族のごちそうよりも、ドーヴィの作ったご飯食べて野営している方が楽しい……」

 ぐす、と鼻を鳴らして肩を落とすグレンの頭をドーヴィの大きな手が慰めるようにぽんぽんと叩く。

「……今日は一緒に寝るか。俺サイズの寝袋がないからってばあやが特別に作ってくれたんだけどな、今度は逆に大きすぎてお前ひとり分ぐらい入りそうな大きさになっちまってよ。あんなでっかい寝袋に一人じゃあ、隙間風が吹いて夜寒くて寝られやしねえ」
「! よ、夜の見張りは……ああ、ドーヴィは結界も張れるのか……じゃ、じゃあ、今夜は僕もドーヴィの寝袋に入る……!」
「おう、たまにはそういうのもいいだろ」

 1.5人分の大きさの寝袋を渡された時はオイオイと思ったものだが……さすが、ばあやの慧眼には恐れ入る。

 機嫌を直したグレンが背筋を伸ばして馬を走らせるのに合わせて、ドーヴィも馬の腹を蹴り上げた。
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