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【第一部】国家転覆編

27)トラウマ

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 朝、起きたらまずは医師の診察。次に、ベッドの上で執務を行い。終わったら散歩をして基礎体力を。控えめな食事を済ませ、体調が良ければ執務室で仕事。そして暗くなれば早めにベッドに戻る。眠る前にドーヴィから魔力を譲渡してもらい、体がぽかぽかして眠くなってきたら寝る。

 これがここ最近のグレンの1日だった。

「ドーヴィはまだ眠らないのか?」

 悪魔は睡眠を必要としない、が、人間と同じように睡眠を取ることもできる。グレンはドーヴィと一緒に眠るのが好きで、寝る前にこうして聞くのが恒例になりつつあった。

「さすがにまだ早すぎるんだよなぁ。もうちょい仕事してから寝るわ。お前はさきに寝てろ」

 眠いんだろ? と魔力譲渡のためにドーヴィに握られた手を優しく撫でられ、グレンはこっくりと頷いた。夜更かしは厳禁、と医師にもドーヴィにも言い含められているし、じいやとばあやにも睨まれている。

 どちらにしろ、魔力譲渡をして貰っているとどうしても眠気に抗えない。溶けて消えそうになったあの時のように、全身を温かいものに包まれているようで……。

「ふわぁ……おやすみ、ドーヴィ」
「ああ、おやすみグレン。良い夢を」

 いつもの就寝の挨拶と、おやすみのキスを貰ってグレンは速やかに眠りに落ちた。ドーヴィと手は繋いだままだ。

 これは、寝ている間にも魔力譲渡を続ける為でもあり、グレンの心の平穏の為でもあった。 

 目覚めてからのグレンは男として、辺境伯当主として一皮剥けたようにどっしりと構えるようになった。周囲の人間からも「貫禄が出てきた」と言われるほどだ。
 ……が、それでもひどく傷ついたままの心は突然、不安定になることが多く……特に、夜の間は寝つきが悪いで済むレベルではなかった。

 死んだときのことがフラッシュバックしているのか、ありもしない痛みを幻視し、恐怖に顔を歪めて泣き叫ぶ。いたいいたい、と血を吐くほどの絶叫でベッドを転げまわるグレン。
 そのたびにドーヴィは暴れるグレンを押さえつけ、大人しくさせるために睡眠の魔法を施していた。

 それを見て、怒りを覚えずにいられようか。 

 しかも、これらをグレン本人がほとんど覚えていないと言う。やはり心の奥底に負った傷はあまりにも大きく、もしかしたら、一生治らないのではないかと不安に思う。

(あのクソッタレども、死ぬより残酷な地獄に落としてやる)

 穏やかな寝息を立てるグレンの手を握ったまま、もう片手に例の計画に関する書類を持ってドーヴィは心の中で激しく敵を罵っていた。すっかり魔力譲渡にも慣れたもので、怒りを煮えたぎらせながら書類仕事を片付けつつグレンに優しく魔力を流すこともできるようになった。愛の力である。

 グレンの安眠を取り戻すためにも、どこかでケリをつけなければならない。それはドーヴィも、恐らくグレンも無意識であれ察しているだろう事だった。

 そのための計画は、グレンを除いて順調に進んでいる。辺境と言う立地を逆に有効活用し、上位貴族や王族に悟られないように軍備を進め、マスティリ帝国のアルチェロと手紙や物資のやり取りを行い。

 クランストン辺境領に住む元騎士たちにも、それとなく匂わせて訓練を増やし、アルチェロの配下となる兵士も、徐々に辺境へと集結しつつあった。

 アルチェロが治めるマスティリ帝国の領とクランストン辺境領はずいぶんと離れており、ガゼッタ王国内の領をいくつも越えなければならない。しかし、ケチャが見つかりにくいルートを構築したこと、また「辺境に行くような物好き、落伍者」といったレッテルのおかげで貴族たちは誰も兵士の移動に注意を払っていないようだった。

(それもこれも全部織り込み済みかね、あの黒猫は……)

 ケチャが考えた計画、それを指示通りに進めていくと恐ろしいほどに様々なことがぴたりとハマる。何もしていなくても勝手に進む自動歩道のような恐怖すら覚えるほどだ。

「ん……ぅ……」
「……グレン」

 寝苦しそうに顔を歪めるグレンの声に、ドーヴィは書類から顔をあげた。しばし見守っているが、グレンの顔はどんどん歪んでいき、涙が零れ始める。

 ドーヴィは書類を置いて、グレンのベッドへと潜り込んだ。薄くなった体を抱き寄せ、譲渡する魔力の量を少しだけ増やしつつ、枕元のベルをチリリと鳴らした。

 背中を摩ってやって何とか悪夢から逃がそうとドーヴィはグレンに話しかける。そうしているうちに、ベルの音を聞いたメイド長のフローレンスがはちみつをたっぷり使った子供用のはちみつホットミルクを持ってやってきた。

 フローレンスとアーノルドに限らず、他の使用人もドーヴィがグレンを抱きかかえているのを目撃しても、何も言わない。部屋の外にまで響き渡るグレンの苦痛に満ちた絶叫を聞いていれば、ベッドの中で添い寝しているのがとても大切な事だとわかるからだ。

 万が一、起きたグレンが暴走しても安全なように、フローレンスに結界を張ってからドーヴィはグレンの肩を揺する。

「おい、グレン、起きろ」
「ぅ……うっ、ううっ……い、いたい……いたい……」
「グレン!」
「っ!」

 ドーヴィの強い声に、悪夢から引き戻されたグレンはハッと目を見開き、呼吸を止める。ドーヴィは硬直したグレンの体を抱きしめ、頭を自分の胸に押し付けるようにしながら二人まとめて上体を起こした。

「はっ、はっ……は……ここ、は……」
「ベッドの上だぞグレン」

 ドーヴィの胸に顔を埋めたまま、グレンは両手を木の棒のように突っ張らせたままだ。見開いた目をぎょろぎょろと動かし、必死に焦点を合わせようとする。

「坊ちゃま、また少し魘されていたようですねえ」
「……ばあや……? ぁ……ゆ、ゆめか……」

 フローレンスの穏やかな声を耳に入れ、ようやくグレンは意識を現実に戻したようだった。体から強張りが抜け、ドーヴィの体にぐったりと凭れ掛かる。

「さあ坊ちゃま、喉が渇いたでしょう」

 ドーヴィに支えて貰いながら、グレンはフローレンスに向き直った。フローレンスは優しく微笑みながら、湯気の立つホットミルクを差し出す。グレンはそれを両手で受け取り、カップから立つ湯気と甘い優しい香りに固まっていた顔もふにゃりと崩した。

「うん、怖い夢を見た日は、このホットミルクが一番なんだ」
「そうでしょうそうでしょう。はちみつをたっぷり入れましたからね。甘くておいしいですよ」
「……うん、おいしい」

 一口、二口とホットミルクを口から喉に、喉から胃に落とすたびに、グレンは人心地ついていくのを感じていた。後ろで、すっかり壁になっているドーヴィの分厚い胸に後頭部を預けると、上から大きな手が降ってきて頭を撫でてくれる。

 怖い夢も、これで追い払えそうだ。

「坊ちゃま、おかわりは必要ですか?」
「ううん、この一杯で十分だ。……ばあや、夜中に起こしてごめん」
「ふふふ、坊ちゃまの夜泣きに起こされるのも、ばあやのお仕事ですからね。もう慣れたものですよ」

 すっかり子供扱いされて、グレンは少しだけ恥ずかしそうに視線を逸らした。頭上で、ドーヴィがクッと笑う気配がする。グレンは無言でドーヴィの脇腹を抓った。

「いてえ! なんだよ、ばあやにはあれで俺にはこれかよ!」

 文句を言いつつも、ドーヴィは笑いながらグレンの頭を撫でる。これが不器用なグレンの甘え方だと気づかぬほどドーヴィは鈍感ではない。

「さあさ、坊ちゃまもじゃれてないで朝までまたお眠りなさい」
「うん。ばあや、おやすみなさい」
「ええ、ええ。おやすみなさい、坊ちゃま、ドーヴィ様」

 フローレンスは空になったカップを回収すると、仲の良い兄弟のようにじゃれていた二人に笑いかけてから部屋を出て行った。

「ったく、俺とばあやで態度が違いすぎんだよお前は」

 ため息をつきつつ、ドーヴィはグレンを腕の中に閉じ込めて、無理矢理に押し倒した。

「うわっ!」
「ほら良い子は寝る時間だぞ」

 ベッドの上で押し倒せば、それはもうナニかが始まって欲しいところだが……グレンは本当に真実『良い子』だったので、ドーヴィの言葉に深く頷いてドーヴィの腕の中でもぞもぞと眠る体勢を整えた。

「……グレン。明日、少し大切な話がある」

 気分良さそうにドーヴィの胸に頭を預けていたグレンは、ドーヴィの普段と違う低い声に、頭上のドーヴィを見上げた。柔らかかった顔が、途端に不安げな表情になる。そんなグレンに少しだけ苦笑を零しながら、ドーヴィは努めて明るい声を出した。

「いや、悪い話じゃないんだ。良い話なんだけどな、ちょいと難しくてだな……」
「ドーヴィにも難しい話があるのか?」
「……自分で言うのも悔しいが、俺より数百倍、頭がいい悪魔がいるんだよ、世の中には……」
「へえ! ドーヴィは何でもできると思ってた!」

 何とも、この契約主の厚い信頼がこそばゆい。ドーヴィは変な呻き声を小さく上げてから、首をゆるゆると振った。

「ドーヴィ?」
「あー……あれだ、ほら、ずっと前に俺が他の悪魔とちょっと話してくるって夜にでかけたことがあっただろ」
「……あったな、そういえば」

 あの時の自分の取り乱しっぷりを思い出して、グレンは身を縮こまらせた。今思い返すと、完全に子供の駄々こねで恥ずかしい。それもこれも、ドーヴィが全部悪いんだ、と心の中で適当に責任を押し付け、責任を取ってもらうべくグレンは赤くなった顔をドーヴィの胸に押し付けて隠す。

「なにやってんだよおまえ」

 可愛いが過ぎるだろ、とは続けずに置いておいた。胸元で、耳まで真っ赤にして羞恥に悶えもごもごしている愛らしい契約主をもう一度抱きしめ直す。

 ……こんなに可愛い契約主に重い決断をさせなければならないとは。ドーヴィはそっと深いため息をつく。

「その話がまとまってきたから、明日、な」
「……わかった」

 グレンが返事をしたのを確認してから、ドーヴィは朝までグレンがぐっすり眠れるように、強い睡眠の魔法をかけた。グレンも、それをすんなりと受け入れて目を瞑る。

 次の貴族会議までの日数は減り続けている。まだ不安定なところが多いグレンに厳しい決断をさせるのは避けたかったが、さすがにもう待ってはいられない。

「大丈夫だグレン、俺がついている」

 今度は良い夢でも見てくれていればいい。そう思いながら、ドーヴィはグレンの頭を優しく撫でた。
 



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やっぱりグレンくんはかわいそかわいいしてしまうね……
話を進めたかったのについ……
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