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【第一部】国家転覆編
28)決断
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大切な話がある、と言われていたグレンは早々に日常の仕事を済ませ、ドーヴィと執務室に二人きりとなった。ドーヴィがかなり強めの防音結界を張ったことで、グレンにも緊張が走る。
「グレン。これを読んで欲しい」
ドーヴィが執務机に差し出したのは、例の計画に関するさまざまな報告書をまとめた資料の束、つまり計画書であった。
グレンはそれを怪訝そうな顔で手に取り、一枚、また一枚と紙を捲っていく。徐々にそのスピードは上がっていき、最後の一枚までグレンは一通り目を通して大きな息を吐いた。
そこに追加で、ドーヴィは未開封の封書をグレンに渡した。グレンはちらりとドーヴィの顔を伺ってから、封を開ける。中身を確認し、グレンは天を仰いだ。
「少し、どころじゃなくて、とてつもない話じゃないか、ドーヴィ……!」
グレンは震える声でそう言って、ドーヴィから渡された封書を執務机の上に置いた。激しい動悸が収まらない。吐き気すら催す口元を手で抑えて、机の前に立つ悪魔を見上げる。
ドーヴィは、ただ心配そうにグレンを見つめるだけだった。
「……だが、これが、今のお前に一番必要なものだとお前もわかるはずだ。追い詰められたクランストン辺境領を救うためには、これしかないだろうよ」
「……」
それには答えず、グレンは一通の封書を再度眺める。豪華な封蝋を施されたそれの差出人は――マスティリ帝国第五王子・アルチェロ。グレンとは何の面識もなければ、よほどのことがなければ親交を持つこともないだろう相手だった。
グレンは意味もなく、閉ざされたままの右目を撫でる。眼帯の布が指先に固い感触を残した。
「反乱軍、か。……まさか、アルチェロ殿下にも悪魔が憑くとは……」
「他言無用だぞ」
「わかってる」
短く答えてグレンは親書を畳んだ。華奢なグレンには似合わない重厚な執務椅子に背を預けて、グレンは息を吐く。
ドーヴィはその様子を見守りつつ、予想以上にグレンが冷静であることに内心で驚きを感じていた。顔色は悪くなっているが、激昂するでもなく、怯えるでもなく、淡々と計画書を読む。その姿は、クランストン辺境伯としてこの執務室によく似合っていた。
「本当は、もっと前から計画自体はあったんだけどな。……お前の状況を考えて、保留にしてあった」
「……それは、そうだろうな」
壮絶な死を経験し、一度消失した自我を自らの力で取り戻し、再構築したグレン・クランストンは、確かに成長していた。周囲から見てもわかるほどに。
自分のことを『私』と呼ぶ姿は、必死に背伸びをして父や兄の真似をしていた頃とは違う。辺境伯当主としての覚悟を決めた少年の姿だった。
「もっと早くお前に教えてりゃ、お前はあんな苦しい思いをしなくて済んだ。俺は、それを後悔しているよ」
自嘲気味に言うドーヴィに、グレンは首を振る。
「……ドーヴィの見立て通り、以前だったら……きっと、僕はこの計画を受け入れることができなかったと思う。自分のことも、辺境領のことも、無力だと思い込んで恐怖に震えるだけの以前だったら。ドーヴィの実力も信じきれなくて、何でも一人でやろうとしていた以前だったら」
グレンは計画書の表紙に両手を置き、ゆったりと微笑んだ。空元気の作り笑いでもなければ、上位貴族に媚びる笑みでもない。ただただ、凄みを滲ませた、人々を守る立場の人間としての笑顔。
「だけど、今は違う。僕には死んでも守らなければならない人たちがいて、そして僕を守ってくれるドーヴィがいる。それなら、僕にはもう恐れるものなんてない」
「グレン、お前は」
計画書の表紙に乗せられたグレンの両手に、力が入る。作られた握り拳には、力強さがあった。
「やるぞ、ドーヴィ。ここまで皆が準備をしてくれて、私が尻込みするわけにはいかない」
「……ああ」
グレン・クランストン辺境伯の決断に、ドーヴィは重く頷いた。
グレンは自らの意思で決めた。貴族にとっての絶対的存在である王族に反旗を翻すことを。そうなれば、少なくない血が流れることを。
(姉上……)
グレンを含めたクランストン辺境領が反乱を起こさぬように人質として王城に身柄を囚われたままのセシリアを想う。計画書には、セシリアについても言及されていた。
アルチェロが動かせる配下を使って対応は進めてくれているらしい。身分を偽り、城の兵士として潜入し、囚人を担当するところまで。だが、この短期間でその潜入者がセシリアの身を預かれるほどの立場になるのは、困難だろう。
セシリアを見捨てるだけで、反乱が成功する確率は一気に上がる。逆に、見捨てなければ……アルチェロ側が、舞台から降りる可能性もある。それはアルチェロ王子からの親書にも薄っすらと匂わされていた。
「ドーヴィ」
「なんだ?」
「……姉上の身柄を確保することはできるか?」
「もちろん、と言いたいところだが……反乱直前にセシリアの姿が無くなれば、向こうが俺達を警戒するだろうからな。それは、やるなとアルチェロ側から言われている」
厳密にはケチャから釘を差されている、だ。セシリアの事を指摘したドーヴィに「それはおれの盤面にはない駒だ」とケチャは切って捨てた。実際、ケチャとアルチェロが欲しいものはガゼッタ王国そのものと、それを手に入れるためのグレン・クランストン辺境伯という旗印のみ。
セシリア・クランストンは不要なもの、むしろアルチェロ側から見れば足を引っ張りかねない障害であった。
「そうか……それなら」
グレンはドーヴィを見上げて、ニヤっと笑う。珍しい笑い方に、ドーヴィは興味深そうにグレンを見返した。
「ドーヴィ、ぱっと向こうに行って姉上にこの計画を伝えて、ついでになんかいい感じの加護でも渡してきてくれないか」
「ぶっ、お前なあ……!」
「なんだよ、だってドーヴィが何だってやれるって言ったじゃないか」
ドーヴィは思わず、このいたずら小僧の頭を上からがっしりと押さえつけてわしゃわしゃと髪をかき混ぜた。
「うわっ!」
「お前、いきなり思い切りが良くなりやがって! 男子三日会わざれば刮目して見よってか!?」
「腹を括ったんだよ!」
そう言ってドーヴィの大きな手から逃れたグレンは、乱れた髪を手で整えつつ、口を開いた。
「……だが、もし、ドーヴィの都合が悪いなら無理はしないで欲しい。その、あまり派手な行動をすると天使の介入があるのだろう? 情けない話だが、今、ドーヴィを失ったら……たぶん、僕は立ち直れなくなる」
僕は今、倒れるわけにはいかないんだ、とグレンは小さな声で続けた。俯いて、小さくなったグレンは……やはり、ドーヴィから見て守るべき、弱い人間で。
ドーヴィはそんなグレンの不安を、鼻で笑い飛ばしてやる。
「まあそれぐらいなら、大丈夫だろうよ。お前の時みたいな強い加護は無理だろうが、万が一の場合に適当な場所に脱出転移するお守りぐらいは、持って行ってやる」
「本当か!」
グレンには明かせないが、既にマルコを通して天使とは密約を結んである。あくまでもこの計画の主体が人間であるグレンとアルチェロであることを条件に、ドーヴィとケチャの行動についてはかなりの部分まで許されることになっていた。
以前であれば契約主以外のセシリアに加護を渡すという事も許されなかっただろうが、今はそれも黙認してくれるだろう。ただ、問題はまだある。
(……問題はそんな細かい加護を俺が作れるかって話なんだけどな)
そう、ドーヴィは加護作りが苦手だ。天使に怒られない程度の小さい細やかな加護なんて、論外である。
「ありがとうドーヴィ、これで姉上も助かる可能性がぐんと上がるぞ!」
「そうだな……」
しかし、セシリアの身の安全を確保できそうだということにすっかり喜んで嬉しそうにしているグレンを見ていれば、ドーヴィはそんな情けないことを言えるわけもない。
ここは仕方なく、天使マルコに加護作りを習いにいくしかない。いけ好かない天使の顔が脳裏をよぎって、ドーヴィは思わず身震いをした。
☆☆☆
味のしない、それどころか何か苦みすら感じる冷たいスープを飲み干して、セシリアは冷えた牢の中で震えていた。冬は間違いなくそこまで迫ってきている。
なんとか暖を取ろうと手に息を吹きかけ、足を摺り寄せて簡素なベッドの上で膝を抱えていた。
と、牢の外から誰かが歩いてくる音がする。もう時刻は夜になって、労役のタイミングは過ぎているはずだ。何か悪い事でもあるのではないかと、セシリアは怯えたように壁に背を貼り付けて、近づいてくる音を待った。
そうして、暗闇から現れたのは――弟・グレンの護衛の男だった。
「っ!?」
声を上げそうになったセシリアは慌てて両手で口を塞ぐ。それを見た護衛の男は少しだけ目を丸くして、その対応が正解だと褒めるかのように頷いた。
牢の扉を、男は平然と潜ってセシリアの元へ跪く。混乱していたセシリアは男が鍵も持たずに扉を開けたことに気づいていなかった。
「セシリア嬢、弟のグレン様より差し入れです」
「ぇ……ど、どうやってここに……あなたは……」
「グレン様の護衛です。ただの護衛です」
強く言う姿に、触れてはいけないことだと察したセシリアは口を噤んだ。
男は腰につけていた小さな革袋を外し、中身をベッドの上に広げる。
「手袋に靴下、それから日持ちのする保存食……」
一つ一つ、説明しながら男は品物を並べている。……手袋と靴下を見た瞬間、セシリアは零れてくる涙を抑えきれなかった。毛糸で作られた暖かそうな手袋と靴下に、セシリアのイニシャルが編み込まれている。その癖のあるイニシャルは、間違いないくメイド長のフローレンスが編んだものであることを示していた。
「ううっ、ばあや……っ!」
「……どうぞ、ハンカチです」
涙を流すセシリアの手に、男は小さなハンカチを握らせた。そこにも、セシリアのイニシャルが刺繍されている。
セシリアはハンカチで涙を拭うと、きゅっと唇を引き結んだ。この劣悪な環境下で、泣きじゃくることは大切な体力を無駄に消費するだけの行為にしかならない。
「……っとに、そういう我慢強いところも姉弟そっくりで……」
「……? あの、なにか?」
「いいえ、何も」
「……お見苦しい姿をお見せしました」
涙声を抑えて、セシリアは淑女らしくゆったりと会釈をする。それを男は黙って受け入れ、話を進めた。
「それから、こちら、加護がついたお守りです。必ず身につけ、絶対に離しませんよう……」
赤い石のついた、小さなイヤリングを渡された。それは着飾るためのアクセサリーではなく、あくまでもお守りであると主張するかのように、目立たない色の土台に光沢のない赤い石がはめ込まれているだけの簡素なものであった。
セシリアはそれをすぐに左耳につける。罪人となれども、貴族令嬢として伸ばした髪は切られることなくそのままだ。そのおかげで、セシリアがイヤリングをしていることに気づく者はいないだろう。
「ここの門番には差し入れのことを話してありますが、他の人間は知らないかもしれません」
「……わかりました、見つからないようにします」
門番にだけ話を通すとはいったい、この男は何をどうしてこういった形で『差し入れ』に来たのか。セシリアには何もわからないが、ただ、今ある目の前の事象を受け入れ、これらを差し入れてくれた弟の事を信じるしかない。
「今、グレン様はとある大きな仕事に取り掛かっています」
「グレンが……あの子……」
「詳しくは申し上げられません。ただ、何か大きなことがある、とだけ覚えておいてください」
はい、と小さく返事をしてセシリアは目を瞑った。大きな事、詳しく話せない事、グレンが携わる大きな仕事。それらが結びつき、セシリアの心に期待と不安が入り混じった影が落ちる。
「それでは、私はこれで。また来ます」
「はい、差し入れありがとうございました。グレンにも……グレンを、よろしくお願いします」
「……ええ、もちろんです」
それまで無表情だった男は、セシリアのその言葉にだけにやりと反応し、暗闇に消えていった。
(夢……ではないわ……だって手袋も靴下もあるもの……)
セシリアは貰った手袋と靴下をすぐに身に着けた。とても暖かく、心までもがじわりと緩んでいく。これだけで寒さが完全に防げるわけではないが、無いよりは格段に楽になった。
貰った保存食、ドライフルーツも一粒革袋から取り出して口に含んだ。久方ぶりの甘味が体に染みわたっていく。
(……グレン……無理はしないでね……)
温かさと甘さに癒されながらも、セシリアは遠いところで一人奮闘しているだろう弟に思いを馳せ、弟の無事を神に祈った。
---
かわいい受けちゃんが好きですがやるときはやるかっこいい男らしい受けちゃんも好きなので全部盛り込んである受けちゃんいいですよね
ところでペース配分失敗したのと土日に急用が入ってしまったのでもしかしたら土日更新ないかもしれませんすみません
「グレン。これを読んで欲しい」
ドーヴィが執務机に差し出したのは、例の計画に関するさまざまな報告書をまとめた資料の束、つまり計画書であった。
グレンはそれを怪訝そうな顔で手に取り、一枚、また一枚と紙を捲っていく。徐々にそのスピードは上がっていき、最後の一枚までグレンは一通り目を通して大きな息を吐いた。
そこに追加で、ドーヴィは未開封の封書をグレンに渡した。グレンはちらりとドーヴィの顔を伺ってから、封を開ける。中身を確認し、グレンは天を仰いだ。
「少し、どころじゃなくて、とてつもない話じゃないか、ドーヴィ……!」
グレンは震える声でそう言って、ドーヴィから渡された封書を執務机の上に置いた。激しい動悸が収まらない。吐き気すら催す口元を手で抑えて、机の前に立つ悪魔を見上げる。
ドーヴィは、ただ心配そうにグレンを見つめるだけだった。
「……だが、これが、今のお前に一番必要なものだとお前もわかるはずだ。追い詰められたクランストン辺境領を救うためには、これしかないだろうよ」
「……」
それには答えず、グレンは一通の封書を再度眺める。豪華な封蝋を施されたそれの差出人は――マスティリ帝国第五王子・アルチェロ。グレンとは何の面識もなければ、よほどのことがなければ親交を持つこともないだろう相手だった。
グレンは意味もなく、閉ざされたままの右目を撫でる。眼帯の布が指先に固い感触を残した。
「反乱軍、か。……まさか、アルチェロ殿下にも悪魔が憑くとは……」
「他言無用だぞ」
「わかってる」
短く答えてグレンは親書を畳んだ。華奢なグレンには似合わない重厚な執務椅子に背を預けて、グレンは息を吐く。
ドーヴィはその様子を見守りつつ、予想以上にグレンが冷静であることに内心で驚きを感じていた。顔色は悪くなっているが、激昂するでもなく、怯えるでもなく、淡々と計画書を読む。その姿は、クランストン辺境伯としてこの執務室によく似合っていた。
「本当は、もっと前から計画自体はあったんだけどな。……お前の状況を考えて、保留にしてあった」
「……それは、そうだろうな」
壮絶な死を経験し、一度消失した自我を自らの力で取り戻し、再構築したグレン・クランストンは、確かに成長していた。周囲から見てもわかるほどに。
自分のことを『私』と呼ぶ姿は、必死に背伸びをして父や兄の真似をしていた頃とは違う。辺境伯当主としての覚悟を決めた少年の姿だった。
「もっと早くお前に教えてりゃ、お前はあんな苦しい思いをしなくて済んだ。俺は、それを後悔しているよ」
自嘲気味に言うドーヴィに、グレンは首を振る。
「……ドーヴィの見立て通り、以前だったら……きっと、僕はこの計画を受け入れることができなかったと思う。自分のことも、辺境領のことも、無力だと思い込んで恐怖に震えるだけの以前だったら。ドーヴィの実力も信じきれなくて、何でも一人でやろうとしていた以前だったら」
グレンは計画書の表紙に両手を置き、ゆったりと微笑んだ。空元気の作り笑いでもなければ、上位貴族に媚びる笑みでもない。ただただ、凄みを滲ませた、人々を守る立場の人間としての笑顔。
「だけど、今は違う。僕には死んでも守らなければならない人たちがいて、そして僕を守ってくれるドーヴィがいる。それなら、僕にはもう恐れるものなんてない」
「グレン、お前は」
計画書の表紙に乗せられたグレンの両手に、力が入る。作られた握り拳には、力強さがあった。
「やるぞ、ドーヴィ。ここまで皆が準備をしてくれて、私が尻込みするわけにはいかない」
「……ああ」
グレン・クランストン辺境伯の決断に、ドーヴィは重く頷いた。
グレンは自らの意思で決めた。貴族にとっての絶対的存在である王族に反旗を翻すことを。そうなれば、少なくない血が流れることを。
(姉上……)
グレンを含めたクランストン辺境領が反乱を起こさぬように人質として王城に身柄を囚われたままのセシリアを想う。計画書には、セシリアについても言及されていた。
アルチェロが動かせる配下を使って対応は進めてくれているらしい。身分を偽り、城の兵士として潜入し、囚人を担当するところまで。だが、この短期間でその潜入者がセシリアの身を預かれるほどの立場になるのは、困難だろう。
セシリアを見捨てるだけで、反乱が成功する確率は一気に上がる。逆に、見捨てなければ……アルチェロ側が、舞台から降りる可能性もある。それはアルチェロ王子からの親書にも薄っすらと匂わされていた。
「ドーヴィ」
「なんだ?」
「……姉上の身柄を確保することはできるか?」
「もちろん、と言いたいところだが……反乱直前にセシリアの姿が無くなれば、向こうが俺達を警戒するだろうからな。それは、やるなとアルチェロ側から言われている」
厳密にはケチャから釘を差されている、だ。セシリアの事を指摘したドーヴィに「それはおれの盤面にはない駒だ」とケチャは切って捨てた。実際、ケチャとアルチェロが欲しいものはガゼッタ王国そのものと、それを手に入れるためのグレン・クランストン辺境伯という旗印のみ。
セシリア・クランストンは不要なもの、むしろアルチェロ側から見れば足を引っ張りかねない障害であった。
「そうか……それなら」
グレンはドーヴィを見上げて、ニヤっと笑う。珍しい笑い方に、ドーヴィは興味深そうにグレンを見返した。
「ドーヴィ、ぱっと向こうに行って姉上にこの計画を伝えて、ついでになんかいい感じの加護でも渡してきてくれないか」
「ぶっ、お前なあ……!」
「なんだよ、だってドーヴィが何だってやれるって言ったじゃないか」
ドーヴィは思わず、このいたずら小僧の頭を上からがっしりと押さえつけてわしゃわしゃと髪をかき混ぜた。
「うわっ!」
「お前、いきなり思い切りが良くなりやがって! 男子三日会わざれば刮目して見よってか!?」
「腹を括ったんだよ!」
そう言ってドーヴィの大きな手から逃れたグレンは、乱れた髪を手で整えつつ、口を開いた。
「……だが、もし、ドーヴィの都合が悪いなら無理はしないで欲しい。その、あまり派手な行動をすると天使の介入があるのだろう? 情けない話だが、今、ドーヴィを失ったら……たぶん、僕は立ち直れなくなる」
僕は今、倒れるわけにはいかないんだ、とグレンは小さな声で続けた。俯いて、小さくなったグレンは……やはり、ドーヴィから見て守るべき、弱い人間で。
ドーヴィはそんなグレンの不安を、鼻で笑い飛ばしてやる。
「まあそれぐらいなら、大丈夫だろうよ。お前の時みたいな強い加護は無理だろうが、万が一の場合に適当な場所に脱出転移するお守りぐらいは、持って行ってやる」
「本当か!」
グレンには明かせないが、既にマルコを通して天使とは密約を結んである。あくまでもこの計画の主体が人間であるグレンとアルチェロであることを条件に、ドーヴィとケチャの行動についてはかなりの部分まで許されることになっていた。
以前であれば契約主以外のセシリアに加護を渡すという事も許されなかっただろうが、今はそれも黙認してくれるだろう。ただ、問題はまだある。
(……問題はそんな細かい加護を俺が作れるかって話なんだけどな)
そう、ドーヴィは加護作りが苦手だ。天使に怒られない程度の小さい細やかな加護なんて、論外である。
「ありがとうドーヴィ、これで姉上も助かる可能性がぐんと上がるぞ!」
「そうだな……」
しかし、セシリアの身の安全を確保できそうだということにすっかり喜んで嬉しそうにしているグレンを見ていれば、ドーヴィはそんな情けないことを言えるわけもない。
ここは仕方なく、天使マルコに加護作りを習いにいくしかない。いけ好かない天使の顔が脳裏をよぎって、ドーヴィは思わず身震いをした。
☆☆☆
味のしない、それどころか何か苦みすら感じる冷たいスープを飲み干して、セシリアは冷えた牢の中で震えていた。冬は間違いなくそこまで迫ってきている。
なんとか暖を取ろうと手に息を吹きかけ、足を摺り寄せて簡素なベッドの上で膝を抱えていた。
と、牢の外から誰かが歩いてくる音がする。もう時刻は夜になって、労役のタイミングは過ぎているはずだ。何か悪い事でもあるのではないかと、セシリアは怯えたように壁に背を貼り付けて、近づいてくる音を待った。
そうして、暗闇から現れたのは――弟・グレンの護衛の男だった。
「っ!?」
声を上げそうになったセシリアは慌てて両手で口を塞ぐ。それを見た護衛の男は少しだけ目を丸くして、その対応が正解だと褒めるかのように頷いた。
牢の扉を、男は平然と潜ってセシリアの元へ跪く。混乱していたセシリアは男が鍵も持たずに扉を開けたことに気づいていなかった。
「セシリア嬢、弟のグレン様より差し入れです」
「ぇ……ど、どうやってここに……あなたは……」
「グレン様の護衛です。ただの護衛です」
強く言う姿に、触れてはいけないことだと察したセシリアは口を噤んだ。
男は腰につけていた小さな革袋を外し、中身をベッドの上に広げる。
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「ううっ、ばあや……っ!」
「……どうぞ、ハンカチです」
涙を流すセシリアの手に、男は小さなハンカチを握らせた。そこにも、セシリアのイニシャルが刺繍されている。
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「……っとに、そういう我慢強いところも姉弟そっくりで……」
「……? あの、なにか?」
「いいえ、何も」
「……お見苦しい姿をお見せしました」
涙声を抑えて、セシリアは淑女らしくゆったりと会釈をする。それを男は黙って受け入れ、話を進めた。
「それから、こちら、加護がついたお守りです。必ず身につけ、絶対に離しませんよう……」
赤い石のついた、小さなイヤリングを渡された。それは着飾るためのアクセサリーではなく、あくまでもお守りであると主張するかのように、目立たない色の土台に光沢のない赤い石がはめ込まれているだけの簡素なものであった。
セシリアはそれをすぐに左耳につける。罪人となれども、貴族令嬢として伸ばした髪は切られることなくそのままだ。そのおかげで、セシリアがイヤリングをしていることに気づく者はいないだろう。
「ここの門番には差し入れのことを話してありますが、他の人間は知らないかもしれません」
「……わかりました、見つからないようにします」
門番にだけ話を通すとはいったい、この男は何をどうしてこういった形で『差し入れ』に来たのか。セシリアには何もわからないが、ただ、今ある目の前の事象を受け入れ、これらを差し入れてくれた弟の事を信じるしかない。
「今、グレン様はとある大きな仕事に取り掛かっています」
「グレンが……あの子……」
「詳しくは申し上げられません。ただ、何か大きなことがある、とだけ覚えておいてください」
はい、と小さく返事をしてセシリアは目を瞑った。大きな事、詳しく話せない事、グレンが携わる大きな仕事。それらが結びつき、セシリアの心に期待と不安が入り混じった影が落ちる。
「それでは、私はこれで。また来ます」
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「……ええ、もちろんです」
それまで無表情だった男は、セシリアのその言葉にだけにやりと反応し、暗闇に消えていった。
(夢……ではないわ……だって手袋も靴下もあるもの……)
セシリアは貰った手袋と靴下をすぐに身に着けた。とても暖かく、心までもがじわりと緩んでいく。これだけで寒さが完全に防げるわけではないが、無いよりは格段に楽になった。
貰った保存食、ドライフルーツも一粒革袋から取り出して口に含んだ。久方ぶりの甘味が体に染みわたっていく。
(……グレン……無理はしないでね……)
温かさと甘さに癒されながらも、セシリアは遠いところで一人奮闘しているだろう弟に思いを馳せ、弟の無事を神に祈った。
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家族も屑ばかりで、母親(男)は美しく生まれた息子に嫉妬して、徹底的にその美を隠し、『醜い』子として育てられた。
前世の記憶があるから、本当は自分が誰よりも美しいことは分かっている。
前世の記憶チートで優秀なことも。
だけど、こんな家も婚約者も捨てたいから、僕は知られないように自分を磨く。
愚かで醜い子として婚約破棄されたいから。
秘匿された第十王子は悪態をつく
なこ
BL
ユーリアス帝国には十人の王子が存在する。
第一、第二、第三と王子が産まれるたびに国は湧いたが、第五、六と続くにつれ存在感は薄れ、第十までくるとその興味関心を得られることはほとんどなくなっていた。
第十王子の姿を知る者はほとんどいない。
後宮の奥深く、ひっそりと囲われていることを知る者はほんの一握り。
秘匿された第十王子のノア。黒髪、薄紫色の瞳、いわゆる綺麗可愛(きれかわ)。
ノアの護衛ユリウス。黒みかがった茶色の短髪、寡黙で堅物。塩顔。
少しずつユリウスへ想いを募らせるノアと、頑なにそれを否定するユリウス。
ノアが秘匿される理由。
十人の妃。
ユリウスを知る渡り人のマホ。
二人が想いを通じ合わせるまでの、長い話しです。
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