文バレ!②

宇野片み緒

文字の大きさ
上 下
20 / 23
第七章 ココペリにて

Scene3 大浴場

しおりを挟む
「あ、そうそう、僕も浴衣に着替えることにしたんですっ」
 そう言うや否や、内田が颯爽と寝巻きの上を脱いだ。お前、半裸になるの多くね?
「さっきケチャップがはねちゃって。寝巻きで行ってて逆に良かったです」
 なぜそんなものを持参しているのか、シミ取りスプレーを脱いだ寝巻きの胸元に吹いた。それから、浴衣と寝巻きの上を交互に見てから、ひとまずというふうに上を着た。
「浴衣に着替えるんじゃねえの」
「なんですけど、寝る直前に着替えるのが賢いかなって。まだ汚れる機会ありそうですし」
 ソウル持参の大量のお菓子が入った袋をちらと見て、内田は苦笑した。
「んじゃ、全員揃ったし、今から皆で大浴場行きやすか」
 ジョージが唐突に、良い笑顔ですっくと立ちあがった。
「え、何、お前もう風呂入ったんじゃねえの」
 聞くと、やつは予想外のように目を見開いた。
「でも大浴場っすよ、気になりやせんか? 部屋の風呂はあくまで汗流す用って考えなんだな、俺は。ね、見に行きやせん? けっこう良い設備らしいですぜ」
「オイラは行ってみたいんだぜ」
 速見が親指を立てる。俺もせっかくだから行きたい。内田があざとく頬をふくらませた。
「というか池原さんが、初めの初めに一人で行っちゃったから今、変な流れになってるんですよ。あの時に皆を誘ってくれたらよかったのにっ」
 ヒイロはベッドに入り、時計型のスマートフォンでアラームをセットしているところだった。寝る体制に入るの早すぎ。やつは軽く舌打ちをしたが、無視はせずに答えた。
「入室するなり部屋の風呂に直行したお前が言うな」
「えっへへ、そうでしたっ、ごめんなさあいっ」
 舌打ち再度。内田は、しょんぼりした表情で胸元を指差した。
「でも僕も大浴場行きたいです。飛んだケチャップがどうしても気になって、もう一回お風呂行きたいと思ってたところなんですよ。で、どうせなら違うお風呂に行きたいなーって」
 気づけない程度の汚れなんだが、こいつは気になるらしい。
「四人も行っちゃうんだ。こうなったら池原も行く? 行くなら俺もついてく」
 ソウルがふわふわ微笑む。ヒイロは顔をしかめた。
「お前はもう入っただろ。忘れたのか。行く必要がない。どうした」
 斜め上の回答すぎる。痴呆老人への対応かよ。
「いやあ最近もの忘れがひどくてのう。とか言ってみる」
「糖分の取りすぎはボケを進行させると本で読んだ」
「あっ……そんな真面目にアドバイスくれなくていいんだけどな……」
 我らのヒーローは眠たそうに、俺おかしなことを言ったか、と問うように、とろんと首を傾げた。連れていったら、浴槽で寝てしまいそう。優しいメガネの少年は困り顔で、俺たちとヒイロを順に見た。一人ぼっちで置いていくのはなア、と顔に書いている。
「うん。じゃあ行ってらっしゃい、俺は池原とお留守番してる」
 ソウルはお菓子の袋をたぐり寄せ、パアンッと嬉しそうにポテチを開けた。塩分。

 大浴場の、ヒノキが香る戸を開けた瞬間、
「間違えましたゴメンナサイッ」
 先頭にいた俺は大声で言って閉め、脱衣場に戻ってしまった。
「ど、どうしたんだぜ」「まーさか女風呂と間違えたみたいなベタな」「ふ、ふええ?」
 入口にはためくのれんの文字は、ちゃんと男。だがしかし。
「朝夜入れ替えで、ホテルの人がのれん変え忘れたとかかもしれねえ」
 顔を青くして告げた。一瞬だったが目に飛び込んだのは、艶やかな長い金髪をまとめ髪にした女人の後ろ姿。それから、サラの花のような清廉潔白な香りがあった。
「間違えておりませんよ」
 不意に、湯煙をまとった神々しい声が中から響き、複数の上品な笑い声がクスクス言うのが聞こえた。急に気が抜けて、理解した。戸を威勢よく開ける。
「お前ら、お前らなああッ紛らわしいわお前ら! お前らっていうかお前だわ!」
 聖コトバ学院の連中が、宗教画のように神々しく集っていた。案外どいつも細マッチョという感じで男性と分かるのだが、ミカエルがめちゃくちゃ線細い。湯に触れないよう、髪を低めの位置でだんごにまとめている。おやおや、と口元に指をあてて微笑んだ。腰にタオルを巻いているが、お姉さん巻く位置間違えてません? って感じ。速見が直視できてない。
「池原くんと山ノ内くんは来られていないのですね」
 少し見渡して彼は言った。
「ああ。ヒイロは二時間くらい前に来てたみたいだけど。ソウルは部屋風呂で済ましてた」
 灰色の石で出来ている、つやつやした四角い巨大な浴槽が奥にあった。炭酸風呂と水風呂が、それの一回り小さな浴槽で並んでいる。整然と並んだシャワーの前に座っているのは見渡す限りハーフで、どこか海外にでも来たかのようだ。
「あれっ、柊は来てないんですか」
 内田が驚いた様子で言い「ほんとだ、スノ居ねえ」とジョージが続けた。聖コトバの一年生にいる柊守生スノウという子のことだ。一年生コンビは同期なのでわりと話すらしい。
「ええ、守生が部屋のほうが落ち着くと言ったもので。他にも、何人か来ていない者はおりますよ。あと、来ているのに誰か分からなくなっている者とか。髪の毛が、フ、フッフフ」   
 愉快そうに笑って、ミカエルはシャワーの席にいる一人の男の背を指した。こいつが人のことをいじるなんて珍しい。指差す先には、水で直毛になったヨシュアがいた。失礼極まりないが、新古今の四人揃って盛大に噴いてしまった。ヨシュアは深いため息。
「おいミカエル。余計なことを」「どちら様でしょうか?」「おい」
 こうゆうふうに、年相応なおふざけをしている姿がとても意外に思えた。試合とは離れた時間。内田が笑いをかみ殺しながら、震え声で言った。
「それにしても似合わないですねストレート。えっへへへへ、あのね、あれです、てっぺんがツルンってしてるトーテムポールあるじゃないですか」
「ばかやろう、そうゆうこと言うなや」内田を軽くはたく俺。
「やだなあ小野キャプテン。僕、あるって言っただけで似てるとは一言も」
「ごめんなヨシュアー! 俺が悪かったー!」
 ヨシュアはシャワーを止めて、怒ってない、というふうに寛大に両手のひらを見せた。外国人らしい仕草だ。生まれはカナダ、育ちはキューバ、両親は日本人とスペイン人らしい。
「それより、早く湯につかったらどうだ。立ち話をしに来たみたいになってるぞ」
「おう、その通りなんだぜ。せっかく来たのに意味がないってもんよ」
 速見が勢いよくかけ湯をした。各浴槽ごとに防水の電子パネルが付いていて、説明文を映している。やつは、それをろくに読まず適当に選んだ浴槽に勢いよく飛び込んだ。
「冷てえっ水風呂だったんだぜ! 小野ちゃん気をつけろお、この温泉、水風呂もあるんだぜ。まったく、とんだ罠に引っかかっちまったな」
 さて、どこから突っ込もうか。すぐにあがってきてその横に足を突っ込む速見。
「うおうっ、なんだこれは。シビシビするんだぜ。なんだこれは?」
「炭酸風呂」「詳しい!」「書いてんだよ」
 やっと普通の湯にたどり着いて、やつは肩までつかった。湯が少し増す。俺たちも続けて入る。ミカエルが「では、僕たちはそろそろ」と会釈をして、集団を率いて出て行った。
「気い使わせちまいましたかね、居てくれてもよかったのに」
 ジョージが内田に指てっぽうをくらわせながら言っている。案外筋肉質で、着やせだったのだと気づく。細長い体躯であることに違いはないが、普段ほどひょろい印象はない。
「ちょっとやめてー」
 きゃっきゃと笑い、あざといチビは湯口に洗面器を持っていく。縁すれすれまで溜めて、三倍返しとばかりに同級生に頭からぶっかけた。
「えい」「どぉわっ熱ッ、あつっ!」
 ジョージは一瞬で空になった洗面器をふんだくって、横の水風呂から汲み肩にかけた。ひっでえアトム、とへらえらするかと思いきや、かなり本気な様子で声を荒げた。
「てめ、まじで湯口はねえわ、殺す気か!」
 そんなに?
「アトムちゃん謝んなさい」
 速見が神妙に言った。仲介役はソウルが得意なので、居てほしかった。
「えっ、あ、その、ごめんね遠道」
「ちょっとさすがにキレたわ、超熱かった」
「いつもと反応違ってびっくりした」
「いや、俺のがびっくりした。熱くて」
 そんなに? と呟いて内田が人差し指を湯口に伸ばす。
「ああ熱っうぅあ! これ無理だ本当にごめん」
「だしょ? なんかおごって」
 興味津々で速見も指を突っ込み、ぽかんとした。
「そうでもないんだぜ。確かに湯船のお湯より温度は高めだけどよお、さわれないほどではないというか別にこれアッツーッ」
 途中でばっと手を引いた。
「いけるんちゃうんかい」
「長時間は無理なやつなんだぜ。ぐぬう、罠の多い風呂よのう」
「誰も仕掛けてねえんだよ」
 くだらない会話ばかりして、入浴の時間は過ぎた。
 脱衣場で浴衣を着る。
「部屋に戻ったらヒイロさんもう寝ちゃってるに五ポテチ」ジョージ。
「案外まだ起きてるに三アメ」内田。
「そのかけてる菓子、ソウルが持ってきてくれたやつじゃね?」俺。

 寝てる可能性を鑑みて、静かに戸を開くと、ソウルが口元に人差し指を立て、
「そう、そうです、その入り方正しい。いや、たぶん起きないけど」
 と小声で俺たちを手招きした。
「ヒイロ寝ちゃったか」
「去年と同じく、明日に響くからもう寝るの一点張り」
 まだ十時なんだが。健康優良児はすやすや寝息を立てている。
「うぇーい五ポテチゲット」「やったー」囁き声で小さくハイタッチする一年生コンビ。
「二人とも食える仕組みなのかよ」
「でも、ヒイロさん寝ちゃってるなら騒がしくしないほうがいいですよね」
 内田がポテチを掴もうとした手を止める。俺は不意に昨年を思い出し、遠い目で答えた。
「大丈夫だろ。前の時は、欅平さんが熱唱しても起きなかったくらいだし」
 ベッドを舞台に見立てて乗り、ドヤ顔でエアオルガンしていた先輩が懐かしい。
「ふええっ、そうなんですか。熱唱で起きない、とは?」
「そもそもなんで熱唱する流れになったんすか」
 一年生二人が奇妙な心境の顔をしている。
「眠りを深くしてやろうとか言って、欅平さんがシューベルトの子守唄を熱唱し始めた。なおハチャメチャに上手かった。そしてヒイロは起きなかった」
「人選と曲選が良かったんすかね?」
「かと思って、そしーてー輝くウルトラソウッ(音痴)て叫んだけど起きなかった」ソウル。
「カエルのうたをオイラとミミさんと小野ちゃんで輪唱しても起きなかったんだぜ」速見。
 ここまでの会話は小声だったが、思い立って内田が大声を出した。
「ドーはドーナツーのードー! レーはレモンのレー! え、えっ本当に起きない」
「曲だから起きないんすか?」
 ジョージが寝ているヒイロの顔を覗き込んだ。
「いや、何言ってもわりと起きない。騒ぎ続けたらさすがに起きそうだがな」
 そう返して床に座り、机の上のポテチをつまんだ。パリ、パリ、と静寂に響く。この感じを妙に懐かしく思う。ソウルが不意に声をこぼし、ごめん思い出し笑い、とはにかんだ。
「初めて飲み行った時も、池原だけ寝てたなアと思って」
 そうか。あの時に似ているのか。ジョージが、ええーっと落胆した。
「飲み行ったんすか、そうゆう時は誘ってくだせえよお」
「ジョージまだいなかった時な。速見の十六の誕生日に、二期生だけで行った」
「たっはー、羨ましい。いやそれまじで羨ましいすわ。んじゃあさ、」
 一呼吸ついて、赤毛の後輩は急に真剣な目つきをした。口角を上げる。
「明日、祝勝会で飲み行きやしょうぜ。優勝したら、皆で」
 息を飲んだ。血液が沸騰するように士気が上がる。直後、皆して眉間にしわを寄せた。
「待って、これは、これ遠道が言ったということは、不安しかないですよね」
「ここは大阪なんだぜ、フリという文化があるんだぜ。よ、よもや」
「今どっちのフラグ立った? ジョージわりと不憫属性じゃね? 大丈夫かこれ」
「めっちゃかっこいいこと言えたのに皆の反応ひどすぎ」
 冗談、とジョージの肩を叩いた。大きく息を吸い、
「勝つぞ。絶対に優勝する。祝勝会しようぜ、本当に」
 俺は意気込んだ。示し合わせたように皆が、おうと応える。それと、寝息が一つ。
しおりを挟む

処理中です...