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縫いぐるみと治安維持

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「いやぁ、剣を構えていない皇女殿下を見るのは久しぶりだ」

椅子の背に腕を置いた状態で、クリストハルトがにこにこと見詰めている。
リリーアリアは、縫いぐるみをちくちくと修繕していた。

「縫いぐるみには聖女の癒しの力が使えない分、面倒ですわね」

折角だからと中に入っていた綿を全部交換して、千切られた耳を縫い付けると傷口を花の刺繍で覆い隠す。

「さあ、出来ましたわ。洗って乾かしておいて頂戴。明日までには乾くでしょう」

侍女が来て、縫いぐるみの兎を受け取ると、静かに退室していく。

「では、弓の稽古に参りましょう」
「仰せのままに、皇女殿下」

恭しく頭を下げた隻眼の騎士に、くふふ、と笑って、庭に面したガラス張りの扉から庭へと出た。
庭に出た二人は、的の前にのんびりと歩いて行く。

「そういや最近、王都の治安が悪化してるという噂があるんですが」
「まあ、それは父上や母上と共に、兵士たちが国境付近の戦場にいるからかしら?」
「そうでしょうね」

話をしながらも、リリーアリアは弓をつがえては、狙いを定めて引き絞る。
練習の時には普通の木製の弓を使用していた。
狙いを定める感覚と、弓を引く筋力を上げるためだ。

「では、わたくしが囮になりましょう。手配をしてくださる?」
「まあ、2、3日頂ければ…」
「くふふ、では、1日で十分ですわね?」

矢を放ちながら、笑うリリーアリアに、クリスハルトは呆れ笑いを零す。

「人遣いが荒い所は父親そっくりだ」
「だって、被害者が増えたら意味の無い事ですもの。戦場は待ってはくれませんのよ」
「ま、違いない」

リリーアリアの癖を直しながら、クリストハルトは楽しそうに笑った。


「リリーおねえさまー」

2歳年下、現在3歳の小さなエリーゼが、部屋に入ってくるとリリーアリアに無邪気に抱きついた。
一緒に来たのはエリーゼの兄で、1歳年下のアルフレートである。

「先日は有難うございました。母上もお礼に伺う予定だったのですが、政務の方が忙しく…」
「宜しいのです。子供の喧嘩等で煩わせるわけには参りませんもの」

甘えるエリーゼの頭を優しく撫でながら、リリーアリアは微笑んだ。

「さあ、エリーゼ。うさぎさんは退院致しましたよ」

エリーゼの目の届かない棚の上にあった、うさぎの縫いぐるみを目の前に出すと、エリーゼがわああと歓声を上げた。

「ミルヒェが妖精さんみたい!綺麗!リリーおねえさま、ありがとう」
「まあ、お名前がありましたの?ミルヒェはもうエリーゼの元に帰れて寂しくないわね」

ぎゅうっとミルヒェを抱きしめたエリーゼが、幸せそうにもちもちと揺れているのを見て、
リリーアリアが嬉しそうにくふふ、と笑いを漏らした。

「エリーゼは何て可愛らしいのかしら」

褒められたエリーゼは嬉しそうな笑顔を向けると、またリリーアリアに甘えるように抱きついた。

「さあ、折角ですからお茶に致しましょう」

二人の姿を笑顔で眺めていたアルフレートを促して、子供達の小さなお茶会が始まった。


翌日、朝も早くからリリーアリアは馬車に揺られていた。
王家専用の紋章入りの馬車ではなく、金持ちが好んで使用している豪奢な馬車である。
護衛も一見して騎士と分からないように、傭兵のような姿で馬に乗り、馬車に併走していた。
見た目からして目立つクリストハルトは、馬車の中に押し込められて窮屈そうにしている。

「まるで檻に囚われた野生の獣のようですわね」

くふふ、とそんなクリストハルトを見て笑うリリーアリアを、溜息交じりでクリストハルトは見詰めた。

「馬車の中では広い方なんでしょうが、馬に乗るほうが気が楽です」

「でも貴方の赤い髪も隻眼も目立つのですもの。敵がおびき寄せられませんわ。さあ、続きを聞かせて」

リリーアリアが促すと、クリストハルトは馬車の床に広げた地図に沿って、
今まで参加してきた戦場の説明を始めた。
すぐに罠に食いつくとは限らないので、勉強の時間としても使う為にリリーアリアが用意したのだ。
本では馬車酔いしてしまうかもしれないので、大きな地図を床に敷き、
それを元にして実践的な話をクリストハルトから聞くことにした。

のんびりとした時間を過ごしていたが、突然バッとクリストハルトが馬車の窓に顔を向けた。
視線に気づいた外の騎士に、手振りでクリストハルトが指示を出す。

「殿下、絶対に馬車の中から出ないで下さい」
「分かりましたわ、クリス」

言うが早いか、クリストハルトはドアを開け放って、騎士が手綱を引いていた馬に、馬車から飛び乗って走り去る。
去る前に足で蹴ってドアを閉じたのを見て、リリーアリアはくふふ、と笑った。

「でもね、折角の装備が無駄になってしまうのは勿体無いのですもの」

剣戟の音が聞こえるまで近づいた所で、合図を送って馬車を止めさせると、リリーアリアは外套のフードを下ろし
姿を隠した。

街道と呼ぶには簡素な土の道に、両側は森の木立が生い茂っていた。
馬車が横転しかかって、森の木に斜めに立てかかっている。
護衛の騎士達は無残にも倒され、剣を構えているのは僅か二人、身分の高そうな貴族と、それを庇う満身創痍の騎士だ。
クリストハルトは今にも殺されそうな騎士に向かって剣を振り上げた襲撃者に、ナイフを投げて片付けた。
突然の加勢に驚いた襲撃者達は、新手の騎士達に構え直す。

リリーアリアは、木立の中に身を隠しながら近づき、弓で狙いを定めた。
クリストハルト達は心配ないが、倒れている馬車には公爵家の家紋が刻まれている。
古くから仕えているインテグラ家の紋だ。
治安が悪くなっていたとしても、何か狙いがなければ公爵家の馬車を襲うとは思えない。

リリーアリアは、新手のクリストハルト達よりも公爵達を狙おうとする襲撃者達を撃ち始めた。
構えて動きのない者は目を、切りかかろうとする者は腕や胸を狙う。
腕や胸を狙う時は、魔力の矢を使った。
普通の矢では鎧で防がれてしまう可能性が高いからだ。

「二人とも、馬車の後ろに隠れて」
「ですが、中には子供達が…」
「大丈夫ですわ、護ります」

相手から視線を逸らせないまま、声に応答した公爵と騎士は、庇いに入ったクリストハルトを見て、
馬車の後ろに急いで身を隠した。

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