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第1章
第8話
しおりを挟むアスカからの問いは、容易に答えられるものではなかった。
答えとしては――生まれて初めて、心から求めた相手がアスカだった。なのだが、ただ、それを言葉にして伝えたところで、理解してもらえる自信はない。
「私は、幼い頃から──ずっと一人だった」
「ぁ……」
けれど、少しでも自分の心が伝わってほしいと願い、リオールは口を開いた。
「知っての通り、我が父はこの国の王だ。ゆえに私は、幼い頃から感情を制御しろと教え込まれてきた。常に『王たる者』として生きよと」
今思えば──本当は、子供らしく遊びたいと思っていたのだと思う。
だが、それは赦されなかった。あれがしたい、これが欲しい、そんな願いはことごとく否定され、ただ『王であるための術』だけが与えられた。
次第に、何かを欲すること自体が無意味に思えてきた。
楽しさや喜び、そういった明るい感情に触れることもなくなって。
そして完全に、心から“感情”が失われたのは──間違いなく、母上が王宮を去ったあの日だった。
正妃ではなかった母は、アルファとしての資質が強すぎるリオールを産んだことで、他の妃たちから激しい嫉妬と憎しみを受けた。
その果てに心を病み、王宮を去らざるを得なかったのだ。
たまに顔を合わせることのできた優しい母。
それを失ったのは、自分のせいだと、リオールは今もどこかで思っている。
──自分なんかを産まなければ。
母上は王宮で、何不自由なく穏やかに暮らしていたはずだった。
自分のような子供がいなければ、酷い仕打ちを受け、心を壊すこともなかった。
「……そう思いながら生きているうちに、──心が渇いてしまった」
「……」
従者に用意させた椅子に向き合って座り、リオールは淡々と語る。
自らの過去を、傷の奥を、隠すことなく──アスカにだけは。
アスカの表情はどこか悲しげで、まるでリオールの痛みを、自らのもののように感じているかのようだった。
「母が去ってから、もう十年が経つ。いまだこの王宮に帰って来られないし、……きっとこの先も、お戻りになることはないのだろうな」
「そ、そんな……っ」
否定しようとするアスカに、リオールはほんのわずか、寂しげに微笑んだ。
「いいや、きっと無い。それに、無くていいのだ」
「……どうして、ですか」
戻ってきてしまえば、母上の心の傷がまた開いてしまうかもしれない。
せっかく瘡蓋で覆われたものを、わざわざ剥がす必要など、どこにもない。
「過去にされたことは、嫌なことほど忘れない。それは──私が王になっても、変わらないだろう」
「……リオール様」
「まあ、それはもう良いのだ。──母上が去って十年、その間に例の訓練が始まった」
アスカが視線を地面に落とす。
少しひんやりとした風が吹き、リオールは持ってきていた羽織りを陽春から預かると、アスカの体が冷えないようにそっと肩にかけた。
アスカは羽織りの端と端を胸元で合わせるように掴む。
「これまで私は、数多くの人間と会ってきた。重鎮から、貴族まで──ただ、民とはほとんど関わることがなかった。そういう意味では、アスカが初めてだな」
「……」
「そしてアスカに出会うまで、八人のオメガと訓練をした」
「……八人、ですか」
リオールは一度頷き、視線を落とす。
「誰にも、何の感情も抱けなかった。ただの訓練相手に過ぎなかった。だから、二度会った者はいない」
「そ、そうなのですか……?」
「ああ。──だからこそ、初めてだったのだ」
あんなにも甘美な香りに包まれ、理性が崩れてしまいそうになるほど心を揺さぶられたのは──。
「誤解を生んで牢に入れてしまったりして、アスカにとっては最悪な日だったかもしれない。けれど、私にとっては特別な日だった。──あの日、まるで心に雨が降ったように、潤いを感じたんだ」
胸の奥が、あたたかくなる感覚を──今でもはっきりと覚えている。
「──私も、あの日のこと、忘れられません」
アスカの声は震えていたけれど、その目はまっすぐにリオールを見つめていた。
「あの時は……怖くて、混乱して……正直、どうしてこんな目に遭わなければいけないんだって思いました。でも、いま……こうして話を聞いていると、なんだか胸が痛くて……」
言葉が途切れ、アスカは羽織の端をぎゅっと握りしめる。
リオールは伸ばしかけた手を、そっと引っ込めて拳を握った。
「私は、家族を守るために、ここに来ました。──それはきっと、リオール様のお気持ちを、利用していることになります」
「……」
「そんな私は、やはりここに居るべきではないのだと思うのです」
「そんなことはない」
リオールの言葉は短く、それでいて迷いのない力強さを持っていた。
「私の気持ちを利用した? 構わない。理由が何であれ、アスカがここに居ることに意味がある」
アスカの肩が、かすかに震える。
「そなたは、私の心を動かした。あれは偶然なんかじゃない。……運命だとは言わない。けれど、私はそなたを選びたいと思ったんだ」
「……でも、わたしは……」
「……アスカ」
リオールはそっと距離を詰め、静かに言葉を紡ぐ。
「そなたが家族を想うように、私もそなたを想っている。一方的かもしれないが……それでも私は、そなたに傍にいてほしい」
ふっと、夜風が吹き抜ける。
羽織が揺れ、ふたりの間に、優しい沈黙が満ちていく。
アスカは小さく息を吐き、顔を上げてリオールを見つめた。
「……本当に、私が居ても、いいんですか」
「ああ」
リオールは穏やかに微笑む。
アスカの震える唇が、かすかに音を紡いだ。
「……あなたが望むのであれば、ここに居ます。──ここで、あなたと共に生きたい」
その瞬間、リオールはようやく、この場所に光が差したような気がした。
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