あなたの番になれたなら

ノガケ雛

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第2章

第6話

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「──殿下、少々よろしいでしょうか」


 時間にして、昼を過ぎたころ。
 王に会う許可が出るのを静かに待っていたリオールに、薄氷の控えめな声が掛けられた。


「ああ、どうした」
「先程、アスカ様のご様子に関する報せが届きました。しばし、席を離れてもよろしいでしょうか」
「……それは、かまわないが。アスカがどうかしたのか?」


 薄氷は苦悩の色を浮かべると、静かに頭を下げる。

「……お食事を、召し上がられないそうです。おそらく、毒を盛られたことにより、『食事を取る』という行為そのものに、恐怖を感じておられるのだと思います」
「なんと……」


 リオールは額を押さえ、小さく息を吐いた。

 ──食べることは、それ即ち、生きることだ。

 その行為にさえ怯えるというのなら、体も、心も──いずれ本当に壊れてしまうかもしれない。



「薄氷、そなたはすぐアスカのもとへ向かってやってくれ。アスカが少しでも食べることのできそうなものがあれば、食料庫からいくらでも持っていきなさい」
「はっ……」
「私は──陛下との話が終わり次第、そちらに向かおう」


 静かに瞼を閉じる。

 陛下がどこまでを知っているのか。
 なぜ、これまで明かさなかったのか。
 そして、どうして手を貸してくださったのか。

 その全てを知りたいが、その為にはきっと、こちらも何かしらの犠牲を払わなければならない。


「──殿下、国王陛下からのお返事が届きました。──国王宮で待つ、と」


 陽春の声が届き、目を開ける。
 そこに迷いは一切無く、何かを決意したように強い意志が灯っている。


「さあ、向かおう」
「はい」


 確かな足取りで、国王宮を目ざした。





 そこは緊張感で満たされていた。
 玉座に座る陛下は、薄く笑いながらリオールを見下ろしている。


「皇太子よ。お前のオメガは息災か」
「……ええ。なんとか、回復しつつあります」
「そうか。それならば良い。──しかし、そなた、これしきのことで手こずっているとな」
「……お恥ずかしながら、陛下のお力をお借りしたく、こうして馳せ参じました」


 頭を下げれば、陛下は厳しい声を落としていく。


「小春という女官を捕らえている。今は近衛兵が尋問をしている最中だ。──まあ、粗方事情は掴んでおるのだがな」
「……陛下はなぜ、小春の存在を……?」
「──オメガが毒を盛られた話を聞いた。そなたらが尋問をし、その後釈放したとも──」


 王は言葉を区切ると、冷たい色を宿した瞳をリオールに向ける。


「甘すぎる。そう思ってな、尋問した者たちを秘密裏に監視していた。そうすれば、動いたのは一人の女──小春だった」
「……」
「深夜に、王宮から出ようとしていた。そのような行動、ただの女官がする理由がない」
「……その通りです。ですが、きっと彼女は……恐れていたのです。この事が露呈し、命を狙われることを」
「ふむ。ならば、なぜ毒などという手段を選んだ?」
「……それは、誰かに命令されたからでしょう。小春は……操り人形に過ぎなかった。私は、そう考えています」


 王は鼻を鳴らすと、指先で軽く玉座の肘掛けを叩いた。まるで退屈を紛らわすような仕草。


「それに気づいたのが今か。──遅い。あまりにも、だ」


 その言葉に、胸の奥が灼けるように熱くなる。だが、リオールはただ黙ってそれを受け止めた。


「──小春の背後には、必ず誰かがいる。その者は、私のように動くこともできよう。お前がそれを捉えるには、並の手では届かぬ」


 王はゆるやかに立ち上がった。玉座を背に、階段を一歩一歩、静かに降りてくる。
 そして、その場に立ち止まり、鋭く言い放った。


「──この国の王になるつもりがあるのならば、その程度の輩、一人で炙り出せ」


 鋼のような視線が、リオールをまっすぐに射抜く。
 それは問いではなかった。試練であり、宣告だ。

 王たる者とは、全てを見通し、制し、冷徹でなくてはならぬ。
 ──その責を負う覚悟が、お前にあるのか、と。

 しばらくの沈黙を破り、リオールは目を伏せるでもなく、まっすぐ前を見据えたまま口を開く。


「……必ず、突き止めてみせましょう。そして、アスカを、誰にも傷つけさせはしない」

 その声音には、震えも、迷いもなかった。
 言葉は静かに、だが深く響き渡る。

 王はふっと唇をゆがめた。
 微笑とも、皮肉ともつかぬその笑みに、ほんのわずか──ごくわずかだが、満足の色が滲んでいた。


「──皇太子よ。そなた、帳簿も確認したのであろう? 何か、わかることはあったか? ──いや、あるはずがない」


 言葉に込められる重みが、音より先に胸に落ちる。


「証拠など、何一つ残ってはおらぬ。金の流れも、何もかもだ。あらゆる痕跡が見事に拭い去られていた。──だがな」


 王の声が、一段と低く、鋭くなる。


「だからこそ、『違和感』というものがあるのだ」
「違和感……ですか」
「そうだ。完璧すぎる偽装というものは、時にそれだけで異物なのだ。人の手で造られた『完全』など、自然の中にはあり得ぬ」


 王の瞳が、どこか遠くを見ている。


「やがてそれは、形を取る。糸のほつれとなって現れる。──その兆しを掴み取るのが、王の目というものだ」
「……しかし、それは直ぐに形となるものでしょうか」
「さあな。──だが、一先ずは小春という女官の処遇をどうするか、だ」


 リオールは、強い目で王を見つめた。

「私に、お任せくださいませんか」
「──よかろう。──炎昼えんちゅう
「ここに」

 王は側仕えを呼び、それに応えた炎昼が静かに現れる。


「案内してやれ」
「かしこまりました。──殿下、こちらへ」


 リオールは王に言われるがまま、炎昼について外に出た。

 案内されたのは、リオールも知れない地下牢でった。
 湿度の高くカビの臭いが鼻につく。
 思わず顔が歪むが、足を止めることはしない。

 そうして、暗がりのなか、囚われている一人の女がいた。
 服は汚れ、髪は乱れている。
 

「──そなたが、小春か」
「っ、……?」


 俯いていた彼女は、ゆっくりと顔を上げると、怯えた表情でリオールを見た。

「こっ、皇太子、殿下……」
「……ああ。こんなところから、早く出たいであろう。私に、事の一切を話せ」
「っ、」


 同じ目線の高さになるよう、リオールは膝を折る。
 陽春は驚きに目を見張ったが、何も言うことなく、じっとしていた。


「わ、私は……私はっ、言われたことを、したまでで……っ」
「なぜ、あのような事を?」


 リオール達は事件の真相を確信していない。
 何かが混入されたが、いつ、どこで、何が混入されたのかは、わからなかった。
 だからこそ、誘導してでも答えさせねばならない。


「……っ、渡されたのです。あの薬を、入れろと。決して、誰にもバレるものではないから、と」
「……その薬は、何だったんだ」
「……」

 
 黙って俯いてしまった彼女に、それでもリオールは根気強く問いかけた。


「話してくれ」
「……私が聞いたのは、あれは、透熱粉とうねつふん、だと」
「透熱粉……それは、痰切り薬のはずだが……。──まあ、良い。それで、指示を出したのは誰だ」
「それは……っ、」

 
 小春の声が震えている。
 何かに酷く脅えているようだ。
 その対象は目の前のリオールではない。


「──妹がいるのです」

 小春は震える声で、ぽつりと呟いた。

「……まだ、小さい子です。両親はいません。私が働かねば、生きてはいけなくて……。あの子は……弱い子で、薬がなければ……っ」


 嗚咽が混じる。肩が震え、顔を覆っている手から涙がぽたぽたと落ちていた。
 リオールは、何も言わずにその涙を見つめた。


「最初は──ただ荷物を届けるだけでした。次は、誰かの行き先を教えるだけ。そうして、だんだん……その要求は大きなものになって……」

 一度、言葉が区切られる。
 リオールは何を言うことも無く、黙って小春が話すのを聞いていた。


「『あの方』は、言いました。私が断れば、妹の薬は届かないと」


 それが、彼女が背負っていたものであった。


「誰かの命と、妹の命……そう言われたら、私は……っ」

 リオールはそっと目を伏せる。
 弱き者を狙うそのやり方が、あまりにも卑劣だ。
 しかし、それでも。

「……小春。そなたのしたことは罪だ」
「……はい。わかっています。謝って許されることではないとも……」
「──だが、しかし、そなたは今、自白してくれた。そして、そなたを動かしていたのは恐怖だ。だからこそ、そなたを脅した者を、私は許せない」

 リオールの声は、冷たく、そして深く静かだった。
 小春は希望を込めた目でリオールを見上げる。


「妹の居場所はわかるか?」
「……っはい、王都の外れの、診療院に。妹は、何も知りません。どうか、どうか、あの子には……っ」
「わかった。そなた代わりに、私が妹を保護しよう。──だから、小春。最後に、もうひとつだけ聞かせてくれ」


 リオールは目を細め、静かに問いかけた。

「『あの方』とは──どんな人物だった?」
「……っ」

 小春は一度、怯えたように息を呑み、だが覚悟を決めたように口を開く。

「顔は、見たことがありません。けれど……男の方で、話し方は穏やかで……でも、どこか、冷たい声でした」
「何か、癖のようなものは? 話し方でも、仕草でも……。些細なことでも構わない。何か、無いか?」


 小春はグッと眉間に皺を寄せ、記憶を遡る。
 そして、ある瞬間ハッとした表情を見せた。


「……あ、ありました。一つだけ……その方は、話の終わりに、必ず『お気をつけて』と言うんです」
「お気をつけて……?」
「はい。必ず、いつもです。まるで……何かがあった時は、切り捨てられるような……。有難いお言葉なはずなのに、どこか冷たくて……。いつも、漠然とした不安を感じておりました……」


 目を伏せた小春に、リオールは小さく息を吐いた。


「ありがとう。妹は必ず我々が保護する。そなたはもう少し、ここで身を隠しておいてほしい。何があるか分からない」
「……私は罪人です。私はどうなっても構いません。ですから……妹だけは、どうか」
「ああ。……そなたの、本当の名は、なんだ」


 小春は顔をゆがめ、涙を流す。


「葉月で、ございます」
「……葉月。妹のことは安心しなさい」

 頷いた──葉月を見て、リオールは立ち上がる。
 そうして静かに地下牢を後にした。


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