あなたの番になれたなら

ノガケ雛

文字の大きさ
26 / 50
第2章

第9話

しおりを挟む



「アスカ様、おはようございます。本日も林檎をご用意しました」
「ぁ……ありがとう、ございます」


 林檎を食べたあの日以来、アスカは果物であれば少しずつ口にすることができるようになってきていた。
 リオールがきっかけをくれたおかげだ。
 アスカは心の底から感謝をしているのだけれど、まだ喉が痛むのでハッキリとした声が出せないでいる。
 それでも薄らと掠れた声は出せるので、次にリオールに会えた時には、気持ちを伝えようとしていたのだが、忙しいのか、なかなか会うことが出来なかった。

 目の前にある林檎を手に取りながら、傍にいる清夏に顔を向ける。
  

「で、殿下は、お忙しいのですね」
「そのようです。ですが、会いたいとお伝えになれば、お越しくださるかと。お伝えいたしますか?」
「ぁ……いいえ。私に会うくらいなら、少しでも、休んでほしいです」
「……アスカ様にお会いになることで、御心は癒えるのでは?」
「そんな力は、私には、ありませんよ」


 苦笑するアスカだが、清夏は笑わなかった。
 清夏は知っている。アスカに会ったあとのリオールはいつもよりずっと生き生きとしていることを。


「私も、そろそろ、療養を終えないと」
「いけません」
「……でも」
「アスカ様。まだお体が癒えておりません。そのような状態で何をされるおつもりでしょうか」
「……体が、鈍ってしまうので、一先ずは、散策を」
「いけません」
「……」


 再三止められたアスカは、林檎をシャクっと噛みながら視線を下げた。
 治っていないのは喉だけだ。
 ずっと部屋の中というのも息が詰まってしまう。


「少しでも、ですか……?」
「……」
「ずっと、ここにいると、息が詰まりそうで」
「……。──小半刻だけですよ」
「! ありがとう」


 アスカは花が咲いたかのように微笑む。
 清夏はその笑顔を見せつけられ、思わず顔をほんのりと赤く染めた。
 あまりのアスカの美しさに、照れてしまったのである。


「? 清夏さんは、体調が、悪いですか……?」
「いえ、全く問題ございません」
「そう、ですか……」
「そちらを召し上がられましたら、外に出ましょう。少し厚着をしなければなりませんね。外は寒いですよ」
「はい」


 アスカは、出会った当初と比べ、清夏がよく話すようになり、まるで姉のように世話を焼いてくれる存在になったことが嬉しかった。
 

「清夏さん」
「はい。どうされました」
「……いつも、ありがとうございます」
「……。私のような者にそのような言葉は結構です。ですから、どうか、早くお身体を治してくださいね」


 清夏の声は少し冷たいはずなのに、どこか優しさが滲んでいて。
 アスカは自然と頷き、残りの林檎をペロリと平らげた。




 久しぶりの外気に、肌がぴりりと震える。
 白銀の雪が、まるで絨毯のように世界を包んでいた。
 足跡を残しながら、サクサクと歩く。


「アスカ様、小半刻ですからね」
「はい」


 アスカが転けてしまわぬようにと、薄氷がすぐ支えられる位置に立っている。


「薄氷さんは、寒くないですか」
「私は大丈夫です。お気遣い痛み入ります」
「寒くなったら、私の為に、用意してくださった、羽織を着てくださいね」
「! それは、できかねます……」
「では、清夏さんが──」
「私も遠慮します」


 二人に『要らない』と言われ、アスカは唇をツンとさせる。
 しかし、不意に聞こえたざわめきに、顔を上げて辺りを見渡した。


「何か、あるのですか……?」
「少し、聞いてきます」


 近くで大臣たちがざわめいている。
 兵士も、どこか浮き足立っているようだ。

 大臣達の傍に向かった清夏は、少し言葉を交わしてすぐに戻ってきた。
 その顔色はいつになく明るい。


「アスカ様、どうやら、近々王位継承の儀が行われるそうです」
「王位継承……って、で、殿下が……?」
「ええ。そのようです」


 薄氷の表情も明るくなる。
 アスカは、けれど……と不安を抱いた。


「国王陛下は、どうして……?」
「それは……分かりかねますが……」
「……殿下は、大丈夫、かな」
「ご心配であれば……お会いになりますか?」
「……」


 お忙しくはないだろうか。
 暫く地面に視線を落としたアスカは、どこからかザクザクと雪を踏み締める音が聞こえて顔を上げた。


「あ……殿下……!」
「アスカ」


 そこには今しがた話題にしていた渦中の人物が。
 彼の表情は明るく見える。
 しかし、寒いのか鼻が赤くなっていた。


「い、今、声が出たのか!」
「ぁ……少し、ですが……」


 リオールは足元の雪を踏み鳴らしながら駆け寄り、嬉しそうに笑うと、唐突にアスカを抱き上げ──くるりと一回転した。


「わぁっ」
「声が聞けて嬉しいぞ!」
「っ、殿下、は、恥ずかしいので、おろして……っ」


 そう言えば地面に下ろされ、ぎゅっと抱きしめられる。
 寒いのに、心はあたたかい。


「名前を呼んでくれ。ずっと、そなたに名を呼ばれるのを待っていた」
「っ!」
「ほら、早く」


 確か昔、同じようなことがあった気がする。
 アスカはあの頃よりもずっと呼び慣れた彼の名を、そっと紡いだ。


「リオール様。──私も、ずっと貴方のお名前を、お呼びしたかった」
「!」
「私のために、休みなく、動いてくださったと聞いております」


 背の高くなった彼を見上げながら、そっと胸元に手を添えた。


「こんなにも、嬉しいことはございません。──ありがとうございます」


 素直な気持ちを伝える。
 リオールの柔らかな笑顔が、アスカの胸を震わせた。





「王位継承の儀が、近々執り行われることになった」
「……はい。先程、少し耳にしました」


 冬の寒さに耐えられず、ついクシャミを零してしまった。
 するとリオールは慌てた様子で「室内へ」と言い、アスカの住まいに入る。
 火鉢で温まりながら、穏やかな時間を過ごしていた。


「おめでたい事です。──ですが、私は、国王陛下のお考えが読めません……」


 アスカは、こんなことを言っていいのか分からないが……と俯きながら言葉を落とした。

「……考え?」
「……はい。恐れ多くも、過去に行なわれたことが私にとっては、非常に衝撃的で……」
「……あの件については、私も未だ怒っている。──しかし、此度は陛下のお手をお借りしたのも事実。そして……私はこれまで、思い違いをしていたようでな」
「思い違い、ですか」


 リオールはひとつ頷く。
 しかし、アスカの心は晴れなかった。
 それどころか、どうして陛下を庇うのかという気持ちが、心のどこかに生まれてしまう。


「あのお方は、──多くのことを、諦めておられたのだ。しかし、私達を見て、お考えを変えられたらしい」
「……」
「今すぐとは言わぬ。だが、いつかは、陛下を──父上を、信じてほしい」


 アスカは静かに目を伏せる。
 彼の言葉を受け入れたい。しかし、そうしようにも、これまで負った心の傷が深く、簡単には頷けない。


「……はい。ですが、信じるというのは、私にとって、簡単なことではありません」

 
 指先で湯呑の縁をなぞる。
 湯気が静かに立ちのぼり、その向こうにあるリオールの瞳を、少しだけ見づらくさせていた。


「これまでのことを考えると、信じて、裏切られるかもしれないと思ってしまいます。……私は、臆病なのです」



 リオールは何も言わず、ただアスカの隣に座り、そっと手を重ねた。
 その手は、火鉢のぬくもりと同じくらい、優しかった。


「それで構わない。そなたがそう思えるのは、心を持っている証だ」
「……リオール様」
「だが、私は約束する。何があっても、そなたの隣にいる。父上がどうであれ、そなたを一人にはしない」


 アスカの心に、ふわりと何かが舞い降りる。
 信じたいと思ってしまう。この人の言葉だけは。


「……それは、ずるい言葉です」


 そう言って、アスカは微笑んだ。


「私は、信じてしまいたくなるじゃないですか」


 リオールもまた、ほっとしたように笑みを浮かべる。


「なら、信じてくれ。私のことだけでも」
「……はい」


 小さく頷いたその横顔を、火の明かりがそっと照らしていた。

 

──そして、継承の儀が近づくにつれ、王宮の空気が少しずつ変わっていく。
 だがこの時アスカは、たとえ何が起きようとも、リオールの隣にいたいと、心の奥で静かに決意していた。

 



 ザリ……と、絨毯の上に、兵の靴が擦れる音が響いた。
 大広間は、息を呑むような静けさに包まれている。
 並び立つ貴族たちも、正装のまま微動だにせず、ただその瞬間を待っていた。


 天蓋の高みに飾られた王家の紋章。
 壇上の王座の前には、──リオールが、静かに立っていた。


 祝詞を唱える低い声が広がる。
 その言葉に合わせるように、両脇の兵が剣を掲げ、厳かな音が空気を震わせた。  

 王が冠を脱ぎ、跪くリオールの頭にそっと乗せる。

「──今、ここに、新たなる王が誕生しました」


 途端、声高らかに響いた声。
 そこに居た者は皆「国王陛下、万歳」となんども両手を上げる。

 仄かに笑みを浮かべるリオールを、アスカは遠くから目を潤ませ、眺めていた。
 
 まさか、彼が国王となる姿を、こんなにも近くで見られるだなんて。
 ただの平民であったのに。


 リオールはゆっくりと立ち上がり、静かに場を見渡す。
 その顔に浮かぶのは、満足でも驕りでもない。
 凛とした誇りと、深い覚悟の滲む笑みだった。

 
 アスカは、群衆の後方から、その姿を目にしていた。
 胸が熱くなる。呼吸が浅くなる。
 あの人が──リオール様が、ついにこの国の頂に立たれた。

 まさか、こんな日が来るなんて。
 ただの平民として生きていた自分が、この瞬間に立ち会えるだなんて。

 目頭が熱くなるのを感じて、アスカはそっと視線を逸らした。
 涙は似合わない。今はお祝いの席。
 この場に流すべきは、涙ではなく、笑顔のはずだ。


「もう、殿下では無くなるのですね……」
「ええ。これからは──陛下とお呼びしなければなりません」


 清夏が隣で小さく囁き、薄氷がうんうんと頷いた。


「陛下……ふふ、今から練習しておかないと、間違えてしまいそうです」
「それはいけませんね。しっかりと練習いたしましょう」


 三人は小さく笑い合った。
 その声もまた、式の静けさに溶け込むように、穏やかに響いていた。

 アスカは、改めてリオールの姿を見つめる。
 誰よりもまっすぐに、誰よりも優しく、そして強くあろうとした人。
 彼の背に、王の証が重く宿るその姿を、永遠に心に刻むように。


 ──この日、新たな王が即位した。
 王国の歴史が、また一つ、新しい章を刻み始めたのだった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です

ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」 「では、契約結婚といたしましょう」 そうして今の夫と結婚したシドローネ。 夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。 彼には愛するひとがいる。 それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?

夫には好きな相手がいるようです。愛されない僕は針と糸で未来を縫い直します。

伊織
BL
裕福な呉服屋の三男・桐生千尋(きりゅう ちひろ)は、行商人の家の次男・相馬誠一(そうま せいいち)と結婚した。 子どもの頃に憧れていた相手との結婚だったけれど、誠一はほとんど笑わず、冷たい態度ばかり。 ある日、千尋は誠一宛てに届いた女性からの恋文を見つけてしまう。 ――自分はただ、家からの援助目当てで選ばれただけなのか? 失望と涙の中で、千尋は気づく。 「誠一に頼らず、自分の力で生きてみたい」 針と糸を手に、幼い頃から得意だった裁縫を活かして、少しずつ自分の居場所を築き始める。 やがて町の人々に必要とされ、笑顔を取り戻していく千尋。 そんな千尋を見て、誠一の心もまた揺れ始めて――。 涙から始まる、すれ違い夫婦の再生と恋の物語。 ※本作は明治時代初期~中期をイメージしていますが、BL作品としての物語性を重視し、史実とは異なる設定や表現があります。 ※誤字脱字などお気づきの点があるかもしれませんが、温かい目で読んでいただければ嬉しいです。

【完結】可愛いあの子は番にされて、もうオレの手は届かない

天田れおぽん
BL
劣性アルファであるオズワルドは、劣性オメガの幼馴染リアンを伴侶に娶りたいと考えていた。 ある日、仕えている王太子から名前も知らないオメガのうなじを噛んだと告白される。 運命の番と王太子の言う相手が落としていったという髪飾りに、オズワルドは見覚えがあった―――― ※他サイトにも掲載中 ★⌒*+*⌒★ ☆宣伝☆ ★⌒*+*⌒★  「婚約破棄された不遇令嬢ですが、イケオジ辺境伯と幸せになります!」  が、レジーナブックスさまより発売中です。  どうぞよろしくお願いいたします。m(_ _)m

愛しい番に愛されたいオメガなボクの奮闘記

天田れおぽん
BL
 ボク、アイリス・ロックハートは愛しい番であるオズワルドと出会った。  だけどオズワルドには初恋の人がいる。  でもボクは負けない。  ボクは愛しいオズワルドの唯一になるため、番のオメガであることに甘えることなく頑張るんだっ! ※「可愛いあの子は番にされて、もうオレの手は届かない」のオズワルド君の番の物語です。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

流れる星、どうかお願い

ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる) オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年 高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼 そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ ”要が幸せになりますように” オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ 王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに! 一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが お付き合いください!

処理中です...