あなたの番になれたなら

ノガケ雛

文字の大きさ
30 / 50
第2章

第13話

しおりを挟む



 柔らかな朝の光が天蓋越しに差し込む。
 リオールはゆっくりとまぶたを開け、隣に眠るひとつの気配を感じて、自然と口元がほころんだ。


 ──昨日は、夢のようだった。


 視線の先には、アスカはまだ浅い眠りの中にいた。
 肩から掛け布が滑り落ち、白い肌が朝の光に照らされている。

 最後まで体を重ねることができたわけではない。
 しかし、それでも、これまでよりも深くまでアスカを感じることができて、心が踊ってしまった。
 なので、それでも満足している。

 リオールはそっと手を伸ばし、アスカの頬にかかる髪を払う。
 ふ、と小さな寝息が漏れたのを聞いて、愛しさが胸いっぱいに広がった。


「……アスカ」
「……ん」


 ぷにっと柔らかい唇に指先で触れれば、ムニムニと口を動かして、眉間に皺を寄せた彼は、ゆっくりと目を開ける。
 震える長いまつ毛の奥、琥珀色の瞳がぼんやりと宙を見た後、視線が交わった。
 
 その瞬間、アスカは花が咲いたかのように美しく微笑んで、リオールの心を鷲掴みにした。
 きゅぅっと苦しくなるほどの愛おしさに、「はっ……」と息を吐いて固まってしまう。


「おはよう、ございます」
「……」
「……? リオールさま……?」


 まだ眠たそうな、おっとりした声。
 リオールは激しくなる一方の動悸を抑えようと、アスカから目を逸らした。


「ぇ……ぁ、リオール様……?」


 すると、どこか不安そうに名前を呼んでくるアスカに、リオールはひとつ咳払いをする。


「アスカ、少し、待ってくれ」
「……、はい……」


 深く息を吐いたリオールに、上体を起こそうとしていたアスカの肩が揺れる。


「ぁ……お、お怒り、ですか……? 私が、下手だった、ばかりに……」
「──!? 違う!」
「では……あ、呆れて、いらっしゃいますか……?」
「それも違う!」


 リオールはあわてて否定し、不安げにこちらを見るアスカを前に、眉を八の字にさせた。


「違うんだ、アスカ……」

 そうして、アスカの肩を引き寄せる。
 抵抗することなく、すんなり腕の中に納まった彼が、愛しくてたまらない。


「可愛すぎて、どうにかなりそうだった……。朝から見とれてしまって、言葉が出なかっただけだ」
「……え」
「昨夜のことも……今日こうして隣にいてくれることも、全部、嬉しくてたまらない」


 許されるのなら、このまま、ずっとくっついていたい。
 しかし、リオールには仕事がある。

 昨日断罪した大臣らの処遇。葉月とその妹のこと。
 本来ならば、こんな悠長に朝を迎えている訳にはいかないのだ。


「今日は忙しくなる。おそらく、会いに行くことが叶わない」
「ぁ……ええ。私のことはお気になさらず」


 ほんの一瞬だけ、寂しげな表情をしたアスカ。
 それを見逃さなかったリオールは、すぐに笑顔を作った彼にムッとした顔を見せる。


「なんだ。寂しくないのか。私はこんなにも寂しいのに」
「なっ、ち、違います……。だって……陛下のお荷物には、なりたくないのです」


 シュン、として掛布を鼻下まで持ち上げたアスカに、心が踊らされる。
 なんとも愛おしい仕草に、やはり政務など放り出したくなる。


「っ、……わかっている。冗談だ。愛おしいな」
「! へ、陛下は、意地悪になられました……!」
「はは、そうか? しかし、そなたが可愛くて」


 モフっと頭まで隠れてしまったアスカ。
 リオールは低く笑いながら、そんなアスカの丸い頭をよしよしと撫でる。


「私は政務に行くが、アスカはまだしばらく、ここで休んでいて良いからな」
「え、」
「初めてのことで、緊張しただろう。体も驚いてるかもしれん。ゆっくり休んでから、宮に戻れば良い」


 ちろっと掛布から顔を出したアスカは、眉を八の字に下げる。


「次の……次の練習は、いつになさいますか……?」
「!」


 アスカが次のことを考えてくれている。
 次も触っていいのだとわかると、嬉しくて思わず『今夜』と言ってしまいそうになる。
 しかし、さすがに仕事のこともある上に、急いているようにしか見えないだろうと、一度息を吐く。


「うん。では、三日後はどうだろう」
「……良いの、ですか……?」
「何がだ」
「……私は、三日の間も、貴方様に触れられることを待たなくてはいけないのが、難しく思えて」
「な、んと……」


 リオールは万歳をして喜びたかった。
 触れ合うのに、三日も待てないと言ってくれている。
 喉がゴクリと鳴る。


「で、では、明日……」
「! はい!」


 いい笑顔である。
 リオールは歓喜で踊り出したくなる心を鎮めた。


 リオールは「そろそろ……」と準備を促す陽春の声を聞き、名残惜しさを抱えながら、アスカの額に軽く口づけを落とすと、寝台を離れた。

 昨夜と今朝の甘い記憶が、まだ体のどこかに温もりを残している。
 しかし、王には、果たさなければならないことがある。

 衣を整えたリオールは、外に続く扉に手をかけてから、もう一度だけ振り返った。


「……いってくる。また、明日な」


 小さく囁いた声に、掛け布中からちろりと覗いた琥珀の瞳が、恥ずかしげに瞬く。
 その光景を胸に刻み、リオールは扉を開けた。





 政務室へと歩く道中では、侍従や侍女たちが一斉に頭を下げる。
 王の姿は、たとえ昨日即位したばかりでも、否応なく人々に緊張をもたらすらしい。

 重厚な扉の先で、すでに数名の大臣らが待機していた。
 彼らの視線がリオールに集まり、その場の空気が引き締まる。


「おはようございます、陛下」
「ああ。すぐに始めよう」


 リオールは椅子に腰を下ろし、目の前に並べられた文書へと視線を落とす。
 その中央にあるのは──アルドリノール卿の件だった。


「……この者の処遇について、意見はまとまったか?」

 問いかけに、一人の大臣が一歩前に出て静かに頷く。


「はい、陛下。アルドリノール卿の不正を裏付ける帳簿は確かであります。また、関わりのあった者たちからも、その罪状を認める証言が出ております」


 リオールは頷き、静かに瞳を伏せた。
 政の裏で私腹を肥やし、弱者を踏みにじった男──それは決して見逃してはならない。


「……ならば、刑を執行せよ。アルドリノール卿には、死をもってその責を取らせる」


 その場の空気がわずかに揺れた。
 リオールの声音は決して強くなかったが、誰よりも重く響いた。


「畏まりました。処刑の準備は、粛々と進めさせていただきます」
「ああ。だが、静かに、誰にも気づかれることのないように」
「御意に」

 
 このことがアスカの耳に届いたら、おそらく彼は──。
 とても心優しい人だ。自身のせいで、誰かの命が失われたと知れば、心を痛めてしまうだろう。その時のことを考えるだけで、胸が苦しくなる。


 うなずく大臣に目を向け、一度目を閉じ、一呼吸を置いてから、リオールは次の案件に目を向ける。


「葉月と、その妹の件は?」


 今度は陽春が、控えめに進み出て答えた。


「姉の葉月は解放し、無事に保護した妹と共におります。妹の方は多少の衰弱が見られましたが、医師の診立てによれば安静にすれば回復するとのことです」
「そうか……」

 リオールは小さく息を吐き、背凭れに深くもたれた。
 あの姉妹は、アルドリノール卿によって翻弄され、苦しい日々を送るしかなかった被害者だ。
 

「二人は、王宮で保護する。葉月には再び、女官としての仕事を与えよう。妹も体調が回復次第、下働きから始めれば良い。学問や教養も受けられるように準備を」
「はっ……女官として、でございますか?」
「十分に勤まるはずだ。それに……安心して暮らせるようにしてやらねばならん」


 その言葉に、周囲は静かにうなずいた。
 ただ力で治めるのではない。人の痛みに寄り添い、癒すこともまた、王なのである。


「──他に、報告はあるか」


 王のその言葉で、次の議題が上がる。
 リオールはそれに静かに耳を傾けた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です

ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」 「では、契約結婚といたしましょう」 そうして今の夫と結婚したシドローネ。 夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。 彼には愛するひとがいる。 それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?

夫には好きな相手がいるようです。愛されない僕は針と糸で未来を縫い直します。

伊織
BL
裕福な呉服屋の三男・桐生千尋(きりゅう ちひろ)は、行商人の家の次男・相馬誠一(そうま せいいち)と結婚した。 子どもの頃に憧れていた相手との結婚だったけれど、誠一はほとんど笑わず、冷たい態度ばかり。 ある日、千尋は誠一宛てに届いた女性からの恋文を見つけてしまう。 ――自分はただ、家からの援助目当てで選ばれただけなのか? 失望と涙の中で、千尋は気づく。 「誠一に頼らず、自分の力で生きてみたい」 針と糸を手に、幼い頃から得意だった裁縫を活かして、少しずつ自分の居場所を築き始める。 やがて町の人々に必要とされ、笑顔を取り戻していく千尋。 そんな千尋を見て、誠一の心もまた揺れ始めて――。 涙から始まる、すれ違い夫婦の再生と恋の物語。 ※本作は明治時代初期~中期をイメージしていますが、BL作品としての物語性を重視し、史実とは異なる設定や表現があります。 ※誤字脱字などお気づきの点があるかもしれませんが、温かい目で読んでいただければ嬉しいです。

【完結】可愛いあの子は番にされて、もうオレの手は届かない

天田れおぽん
BL
劣性アルファであるオズワルドは、劣性オメガの幼馴染リアンを伴侶に娶りたいと考えていた。 ある日、仕えている王太子から名前も知らないオメガのうなじを噛んだと告白される。 運命の番と王太子の言う相手が落としていったという髪飾りに、オズワルドは見覚えがあった―――― ※他サイトにも掲載中 ★⌒*+*⌒★ ☆宣伝☆ ★⌒*+*⌒★  「婚約破棄された不遇令嬢ですが、イケオジ辺境伯と幸せになります!」  が、レジーナブックスさまより発売中です。  どうぞよろしくお願いいたします。m(_ _)m

愛しい番に愛されたいオメガなボクの奮闘記

天田れおぽん
BL
 ボク、アイリス・ロックハートは愛しい番であるオズワルドと出会った。  だけどオズワルドには初恋の人がいる。  でもボクは負けない。  ボクは愛しいオズワルドの唯一になるため、番のオメガであることに甘えることなく頑張るんだっ! ※「可愛いあの子は番にされて、もうオレの手は届かない」のオズワルド君の番の物語です。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

流れる星、どうかお願い

ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる) オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年 高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼 そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ ”要が幸せになりますように” オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ 王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに! 一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが お付き合いください!

処理中です...