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第2章
第16話
しおりを挟む朝陽が薄く覗く寝室で、リオールはゆっくりと目を開けた。
腕の中には、穏やかな寝息を立てるアスカの姿。
昨夜のことを思い返し、リオールはそっと微笑んだ。
香油の効果で、アスカは自分でも信じられないほど乱れていた。恥じらいながら、それでも快感に抗えず、必死にしがみついてくる様が、あまりにも愛しくて、胸を締めつけられた。
「……我慢して、正解だったな」
ぽつりと呟きながら、アスカの頬にかかる髪を指先で払う。
赤くなっていた瞼も、涙の跡も、今はすっかり落ち着き、無垢な寝顔がそこにあった。
この穏やかさを守りたいと思う。
ずっと、こうして、幸せな時間の中で共に朝を迎えたいと。
「アスカ……」
名を呼んでも、彼はまだ目を覚まさない。
けれど、その手がきゅっとリオールの寝衣を掴んだ。
夢の中でも、そばにいてほしいと思ってくれているのだろうか。
その仕草ひとつに胸が熱くなる。
「子供、か……」
昨夜、アスカが言った問いを、リオールは改めて思い出す。
『陛下は、子を、お望みですか……?』
あの時の、少し震えた声。
不安と、願いと、覚悟が混ざっていた。
リオールは、確かに望んでいる。
アスカとの子を、この手に抱きたいと思った。
だが同時に──今はまだ、もう少し、二人の時間を味わいたいとも思う。
ふと、アスカが小さく身じろぎをした。
リオールは、そっとその額に唇を落とす。
「おはよう、アスカ。よく眠れたか?」
瞼が、ゆっくりと開いて、琥珀色の瞳がリオールを映す。
まだ夢の余韻にあるような、ぼんやりとした表情で──しかし、見つめられるだけで、リオールは胸がいっぱいになった。
この人を愛していると、改めて思った。
そして、次の練習はいつにするか、そう問われたリオールは穏やかな笑顔を見せた。
「もう、練習は良いだろう。──私も、我慢できそうになくなってきた」
「えっ!」
「近々、婚姻の儀も行われる。その日を、本番にしようか」
その提案に、アスカは目を瞬き、そして静かに頷いた。
リオールに触られることに対して、不安が無くなったのだろう。
そうできたことは、リオール自身も嬉しい。
「あ、陛下」
「なんだ」
「あの……婚姻の儀には……家族を呼ぶことは、できますか……?」
恐る恐るといった様子で問いかけてきたアスカに、リオールは「ああ」と頷く。
「その時だけでなくとも、そなたに会いに来ていただくのは、かまわないぞ」
「え!?」
「ん?」
「ほん、本当に……!?」
まさか、そんな許可が降りるとは思っていなかったのだろう。
リオールとしては、アスカが望むことはできるかぎり叶えてあげたいのである。
「ああ、かまわない。なんなら迎えを送ろう」
「ぁ、いえ、でも……急だと、驚いてしまうかもしれないので……」
「なら、いつも通り、文を送ろう」
「……いつも通り?」
「あ……」
リオールはポロッと口を滑らせた。
というのも、アスカが王宮にやって来て一ヶ月経った頃のこと。
アスカ自身が家族と連絡を取っていないことを知った。
それには何かしらの理由があるのだろうと思ったが、家族は不安に思っているのではないかと、秘密裏に文を送っていたのだ。
「ど、どういうことですか、陛下」
「いや、なんでもない。聞かなかったことにしてくれ」
「それは、それは難しいです……!」
「許してくれ……」
アスカに詰められるのは初めてだ。
胸元に触れる手が、こちらを見上げる目が、いつもより怒っているように見える。
「どうして秘密にしていたのですか……!」
「……アスカが、文を送らないことに、理由があると思って……」
リオールは珍しくタジタジになってしまう。
近くにいた陽春も、二人の様子に驚きつつも、主のその姿に小さく笑みをこぼした。
「もう……どうせなら、一言、仰ってくださってもよかったのに……」
「すまない……」
「……いいです。きっと、陛下は、私のことを気遣って下さったのでしょう。私が……家族を思い出して寂しい思いをしないようにと、考えて下さったのだと、思いますから。──ですが、」
一度言葉を区切ったアスカは、ジロっとリオールを見上げた。
「次からは、ちゃんと教えてください。私を仲間はずれにしないでくださいね」
「! 当たり前だろう」
「……ふふ。なら、かまいません」
少し怒った表情から一転。
柔らかい笑みを浮かべたアスカに、リオールはほっと胸を撫で下ろした。
柔らかな笑みが部屋を包んだその時、リオールは陽春を呼んだ。
「陽春、式の準備はどうなっている?」
「はい。先日の事件があり、一時中断しておりましたが、王位継承の儀が終え、その後処理を終えてからは再開しております」
「そうか」
陽春とリオールの会話を聞いたアスカは、視線を床に落とす。
リオールが成人してからというもの、怒涛の日々を送っていたことを思い返したのだ。
いい事もあったが、悪い事の方が多い。
そうして暗い表情をしていたアスカの頬を、リオールの両手が包む。
「どうした。体が辛いか?」
「ぁ、いえ。少し……忙しい日々だったと、思いまして」
リオールは一度頷いて、そっとアスカを抱きしめる。
「すまない。私がそなたを愛してしまったばかりに、苦労をかける」
「っ! そんな! それは、違います……」
「だが、許してくれ。私はそなたと共に在りたい。一緒に生きたいと思ったのだ。だから──きっとこれから先も、苦労をかけることになる。それでも、共に、生きてくれ」
リオールは心からの言葉をアスカに伝えた。
あの日、初めてあった翌日の、アスカを王宮へ呼び戻した時のことを思い出す。
あれから、『一緒に生きたい』という思いは、色褪せてはいない。
「──生きます。貴方様と、共に」
そして、アスカも、一度抱えた想いを手放すことはしなかった。
初めての夜の散策で、伝えたことを、忘れた日はない。
「ああ、アスカ……」
「ん……」
そっと唇を重ねる。
そばで話を聞いていた陽春は、まだ二人の時間を過ごしてもらおうと、いそいそと部屋を出た。
「式は、いつ頃になるでしょうか」
「なるべく、早く準備を終わらせるよ」
リオールは優しく撫でた。
「しかし、それでも数日はかかかるだろう。その間に、家族へ手紙を送ろう。そなたの手で、書けるな?」
「……はい。書きます。ちゃんと、気持ちを込めて」
うなずいたアスカの声は少し震えていたが、そこには確かな決意があった。
どれほどの時間、心の奥にしまっていた想いだっただろう。
家族のこと、未来のこと、そしてリオールとのこれからのこと──すべてを胸に抱きながら、アスカは筆を取ることになるのだろう。
アスカは笑顔を浮かべている。どこか頼もしさすら感じさせるその顔を見て、リオールは胸の奥が温かくなるのを感じた。
そしていよいよ、ふたりの未来が、公のものとなる日が近づいていた。
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