あなたの番になれたなら

ノガケ雛

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第3章

第3話

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 国王宮にて、この国唯一の王は、勝手に緩む頬に手を添え、ひとつ小さく息を吐いた。


「陽春」
「はい、陛下」


 呼びかけに応じた側仕えに、視線を向けることなく続ける。


「王妃に、逢瀬に誘われた」
「それは、とても良きことでございますね」
「……忍んで、視察に行きたいからだそうだ」
「……」


 陽春がそっと口を閉ざす。


 ──王妃様、それは少々、あまりにも……。まるで、陛下の御心を利用しているように思えてしまいますぞ……


「しかし……王妃は、愛らしいのだ」


 リオールは手元にあった資料を伏せ、顔を上げる。


「私は少し……いや、かなり落ち込んだ。私の恋心を弄ばれている気がしなくも無かったのだ。この心を利用されているのではないかと。……けれど……『愛してる』などと言われて、どうして喜ばずにいられる?」


 思い出し笑いを噛み殺すように、口元を手で覆う。
 自然と浮かぶ笑みに、自分でも少し呆れてしまう。

 陽春は、そんな主の様子に苦笑を零す。


「……王妃様は、とてもお美しいですからね」
「ああ。あまりに愛らしくて……昨夜は、少し無理をさせてしまった」


 けれどその表情は、どこまでも穏やかで甘やかだ。


「……いつ、逢瀬に行けるかな」
「陛下、視察でございます」
「……わかっておる」


 ジロっと陽春を睨みつけるが、彼は痛くも痒くもないようだ。


「視察であれば、早ければ明日にも。本日は……少々、王妃様のお身体が本調子ではないかと」
「ああ……それも、そうだな」
「それに、陛下のご準備もありますよ」
「準備?」


 準備とは、なんのことだ。
 目を細めて見つめてくる陽春に向かい、リオールは小さく首を傾げた。


「王妃様と、初めての逢瀬でしょう。お召し物は如何なさいますか?」
「!」
「それに、王妃様に何か贈り物をする絶好の機会ですよ」
「……流石だな、陽春」


 視察といいながら、陽春も楽しんでいる。
 リオールは一度静かに頷いた。


「よし。最初に王妃に贈るつもりだった宝石も、色々とあって叶わなかったからな。今回は王妃が望むもの、全てを購入しよう」
「はい。きっと王妃様も御喜びになりましょう」


 ──しかし、リオールは知らなかった。
 この視察と称した逢瀬で、醜い感情を知ることになるとは。


 □


 普段の装いとは違い、少し地味だがしかしそれでも美しい姿で街の中にいるのはアスカだ。
 銀色の髪はいつも見ているというのに、太陽に照らされてキラキラかがやいている。

 リオールが人目を避けるように歩み寄ると、アスカは思わず背筋を伸ばす。
 けれどその瞳はきらきらと、どこか浮かれているようにも見える。


「……よく似合っているな、その服」
「本当ですか……? 清夏が、選んでくれました」


目を伏せたまま微笑むアスカに、リオールは手を差し出す。


「では、参ろう。視察という名の──」
「──逢瀬、ですね」


 目が合った瞬間、二人の顔がふわりとゆるむ。
 けれど、そのすぐあとに少しの緊張が戻った。
 王と王妃ではあるけれど、今日はただの夫夫としても隣を歩いている。
 そんな不思議な距離感に、お互い少し戸惑いながらも、心はどこか弾んでいるのだ。


「へ、陛下、今日は……どのようにお呼びすれば……? 王様だとバレてはいけませんから、呼び方を変えたいのですが……」
「なるほど。……ならば、リオールか……エイリークでも構わないし、そうだな……」
「リオール……?」
「!」


 名前を呼ばれ、リオールは肩を僅かに跳ねさせた。
 そんなふうに呼び捨てにされるのは初めてで、これがとても擽ったかったのだ。


「あ、でもさすがに……リオール様とお呼びします」
「いいや、リオールと呼んでくれ」
「……リオール?」
「ああ! アスカ、好きだ」
「! と、突然、なんですか……」
「はは。楽しいな、視察は」
「まだ始まってませんよぉ……」


 リオールは気分よく歩きだし、アスカに手をそっと握る。
 
 にこやかな二人の様子を、少し離れたところで見ていた陽春と清夏、そして薄氷は、楽しそうな主達の姿にほっこりしている。
 そして、そんな主達を守るようにしかし存在感を消して傍に立っている護衛達は、始めてみる王達の緩い姿に驚いたのだった。



 活気に溢れる市街は、朝から人の往来が絶えない。
 焼き立てのパンの香りや、甘い果実の匂いが風に乗って流れてきて、街の鼓動を生き生きと感じさせた。


 そんな中、少し地味な装いのふたりが連れ立って歩く。
 けれどその背筋はどこまでも気品があって、気づかれないのが不思議なくらいであった。


「……わあ、なんだか、すごいですね」
「うん。やはり、実際に歩いてみると気づくことが多い」


 アスカがキョロキョロと周囲を見渡せば、リオールもまた穏やかにその様子を見守る。
 視察とはいえ、今日は特別な逢瀬。
 自然と表情もほころぶのだった。


 露店から漂ってくる香ばしい匂いに、アスカの目が止まる。
 香辛料の効いた肉串が並び、焼きたての熱が空気を揺らしていた。


「……リオール様、あれ……」
「食べてみるか?」
「あ、……少しだけ、いいですか?」


 アスカの頬がふわっと赤くなる。リオールは満足げに頷き、銀貨を手渡した。
 一本の串を手にすると、アスカに手渡し、その小さな口は肉に齧り付いた。
 その様子に、リオールなふっと笑い、美味しかったのかアスカも口元を緩めた。
 まるで恋人同士の休日のようだ。


 そうして通りを抜けた先、小さな装飾品の露店があった。
 陽の光を受けてきらめくガラス玉や銀の細工が目を引く。


「アスカ、何か欲しいものはあるか?」
「え……いえ、そんな……」
「視察の記念だ。好きなものを、ひとつ選んでくれ」


 急に言われて戸惑った様子のアスカ。けれど、店先に並ぶ品々をそっと眺め、そのうちのひとつに指を伸ばす。


 ──それは、深い藍色の耳飾りだった。


「これにします……」
「これか? なぜ?」
「……リオール様の瞳の色に、似てるから」


 一瞬、時が止まったようだった。


「っ……アスカ」
「え、あ、ちが……っ、ちがいませんが、あの……っ」


 慌てて目をそらそうとするアスカの頬はすでに真っ赤。
 リオールはと言えば、口元を緩めたまま動かない。


「うれしい」
「……!」
「それを贈る。今日の記念に」


 耳飾りを包んでもらいながら、リオールは優しくアスカの肩に手を添えた。


「さ、もう少し歩こうか」
「……はい!」


 視察はまだ始まったばかり。
 けれど心はすでに満ちていた。
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