気がつけば彼に抱かれていました

美凪ましろ

文字の大きさ
2 / 27
第一部――『気がつけば彼に抱かれていました』

◇2

しおりを挟む


 トイレから戻ってくると、けいちゃんはキッチンで洗い物をしていた。

 見るからに大きい男の背中に声をかける。「疲れてるでしょ。わたしがやるからいいのに……」

「おまえさき、風呂入ってきな」と彼が顔だけで振り向く。と前に戻り、「あがったら紅茶、いれてやんから」

 ……いいのかな。

 お互いの家で食べたあとは、大概、わたしが洗い物をしている。というのは、一人だとやる気になれないけど、誰かのためだと思うとなんか妙に働く気になれるのだ。

 それでも、つい、ぼやいてしまう。

「……けいちゃん。せっかく早く帰れた日に、ご飯食べる相手がわたしなんかでよかったわけ」

 すると。彼がからだごとこちらを振り向き、す、と手を伸ばすと。

 ふに。と泡まみれの手でわたしの鼻を摘まんだ。

「わ。ちょっとぉ……」いまだ彼の手は離れない。抗議の声をあげてみると、真剣な瞳に囚われる。続いて、彼は怒気をはらんだ声で、


「『なんか』って言うなよ、自分のことを。


 おれは、綾乃といると楽しい。だからそうしているんだ」


 彼の、大きな手が離れていく。

 いまだわたしの鼻は濡れており、必然、風呂に入ることとなる。

 と、ここで思い出したことが。

「あっちゃあ。バスタブにまだお湯張ってないや」

「ゆっくり入ってこいよ、爆買いちゃん」

「誰が爆買いちゃんじゃ!」

 ははは、と肩を揺らして笑う彼のシルエット。

 スーツを脱いだ、ワイシャツの広くて頼もしい男の背中。

 ――すがりつきたい。

 ふと過ぎったその考えにわたしは驚いてしまった。確かに彼は魅力的な男ではある。だからといって、……振られた傷を癒やせというのはちょっとどころかだいぶ違うんじゃないかと。

 それに彼には、本命さんがいるんだし。

 わたしは、彼の恋路を邪魔しちゃいけない。間違っても期待しちゃいけない。彼がわたしに『秘密』だと言ったのだし、その彼の意志はどこまでも尊重されるべきだろう。

 お風呂を沸かす間、彼のパジャマと自分のパジャマを用意するわけだけれど。

 柄にもなく、沈んだ気分でそれを行ってしまったのは内緒だ。


 * * *


 バスルームから出ると、彼は、やかんのお湯をティーポットに注いでいた。用意のいい男だ。「お。あがった?」と彼がわたしを見る。うん、と答えると、彼は顎でさっきまでいたこたつテーブルのほうを指し、「いま持ってくから、さき、座ってな」と命じた。

 彼に背を向け、ちょこんと、座布団のうえに座る。点いていないテレビに向かうかたちとなる。

 その画面に映る白い影が揺れたと思えば、

 突如、部屋の照明が落ちた。

 真っ暗だ。なにも見えないと思えば。

 ぱち、と玄関の照明が点く。この部屋で動ける人間はただ一人。どうやら、けいちゃんの仕業だ。なにごとかと思えば、


「ハーッピバースデイ、トゥー、ユー」


 誰もがよく知るあの曲を口ずさんでいる。

 わたしは床に手を添え、驚きとともに振り返った。

 暗くてよく分からないのだが。小さなお皿のうえに、灯されたろうそくが三つ。おそらく、ケーキが乗っている。

 そのひかりが、どんどん近づいてくる。

 大きくなる声量とともに。

 彼は、さきほどまで自分が座っていたところに座ると、ケーキをテーブルに置く。そのタイミングで歌い終えた。

 わたしの目からは自然と涙が流れていた。

 ぼろぼろ、だった。

 ずっとずっと、泣きたかった。

 ひと目があるから外だからそれをこらえて。苦しくて。平気な表情を作って。装って。

 ――まずい。

 喜ばしい場面のはずなのにわたしのなかから噴出するのは狂おしい苦しい感情だった。こんなの、……けいちゃんに悪い。

 悪すぎる。

 わたしは、けいちゃんに自分の誕生日を言ったことはない。彼氏ができてからは偶然彼氏と会う日に誕生日を迎えたのでプレゼントを買ってもらった。過去二回。

 どうしてけいちゃんは知っているのだろう。

 さっきスーパーで出くわした帰り。おれ、歯ブラシ買ってくるからさき帰ってて、と言って彼はわたしを先に帰らせた。そのときに買ったに違いない。愚かなわたしは彼がケーキの袋を持っているのにちっとも気づかなかった。

 こんなに周りのことが見えていないから、捨てられた。

『来年、結婚するんだ。だから、別れて欲しい』

 彼氏の人生から、追い出されたのだ。

 ――いいや、元彼氏か。

「……どうしたよ、綾乃」彼が、どこか痛むかのように顔を歪める。「嬉しいってより、悲しいって感じ?」

 わたしは、彼にそんな顔をさせたくなかった。

 滂沱と流れる涙をそのままに、わたしは笑みを作って首を振る。「違うの……。ご、めんね。あのね、すごく嬉しいの。でも、今日、振られ、……ちゃって。だから、気持ちを整理するじ、かんを、……」

 胸が詰まる。

 苦しい。

 助けて。助けて。

 たまらず、胸を押さえ、泣きじゃくりをあげる。いったいどうしたっていうのだろう。涙腺がばかになったみたいに――


「おれがいるのに、そんなふうに泣かせてたまるかよ」


 顔をあげたときには、すばやくこちらに移動してきた彼の腕に包まれていた。

 あたたかい。触れる、からだの前方。背中に回される大きな手のひら。ついで頭のうしろを優しく撫でる手つき。

 首の後ろを支えられると、わたしは上を向くかたちとなり――

 目が、合った。

 わたしは彼の瞳の奥にあるものを見た。

 切なさ。悲しみ。苦しさ。愛おしさ。

 柔らかく優しい動きから一変。

 強く、抱きしめられていた。

 わたしに触れる彼の手にちからがこもる。こんな手をわたしは知らない。

 ぎゅうって抱きしめてくれる男の強さと優しさ。

 そのちからとともに、気がつけばわたしはすべてを吐き出していた。


 彼のワイシャツの胸がぐっしょりと濡れてしまうくらい、大泣きしていた。


 *
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!

satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。 働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。 早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。 そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。 大丈夫なのかなぁ?

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...