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第一部――『気がつけば彼に抱かれていました』
◇2
しおりを挟むトイレから戻ってくると、けいちゃんはキッチンで洗い物をしていた。
見るからに大きい男の背中に声をかける。「疲れてるでしょ。わたしがやるからいいのに……」
「おまえさき、風呂入ってきな」と彼が顔だけで振り向く。と前に戻り、「あがったら紅茶、いれてやんから」
……いいのかな。
お互いの家で食べたあとは、大概、わたしが洗い物をしている。というのは、一人だとやる気になれないけど、誰かのためだと思うとなんか妙に働く気になれるのだ。
それでも、つい、ぼやいてしまう。
「……けいちゃん。せっかく早く帰れた日に、ご飯食べる相手がわたしなんかでよかったわけ」
すると。彼がからだごとこちらを振り向き、す、と手を伸ばすと。
ふに。と泡まみれの手でわたしの鼻を摘まんだ。
「わ。ちょっとぉ……」いまだ彼の手は離れない。抗議の声をあげてみると、真剣な瞳に囚われる。続いて、彼は怒気をはらんだ声で、
「『なんか』って言うなよ、自分のことを。
おれは、綾乃といると楽しい。だからそうしているんだ」
彼の、大きな手が離れていく。
いまだわたしの鼻は濡れており、必然、風呂に入ることとなる。
と、ここで思い出したことが。
「あっちゃあ。バスタブにまだお湯張ってないや」
「ゆっくり入ってこいよ、爆買いちゃん」
「誰が爆買いちゃんじゃ!」
ははは、と肩を揺らして笑う彼のシルエット。
スーツを脱いだ、ワイシャツの広くて頼もしい男の背中。
――すがりつきたい。
ふと過ぎったその考えにわたしは驚いてしまった。確かに彼は魅力的な男ではある。だからといって、……振られた傷を癒やせというのはちょっとどころかだいぶ違うんじゃないかと。
それに彼には、本命さんがいるんだし。
わたしは、彼の恋路を邪魔しちゃいけない。間違っても期待しちゃいけない。彼がわたしに『秘密』だと言ったのだし、その彼の意志はどこまでも尊重されるべきだろう。
お風呂を沸かす間、彼のパジャマと自分のパジャマを用意するわけだけれど。
柄にもなく、沈んだ気分でそれを行ってしまったのは内緒だ。
* * *
バスルームから出ると、彼は、やかんのお湯をティーポットに注いでいた。用意のいい男だ。「お。あがった?」と彼がわたしを見る。うん、と答えると、彼は顎でさっきまでいたこたつテーブルのほうを指し、「いま持ってくから、さき、座ってな」と命じた。
彼に背を向け、ちょこんと、座布団のうえに座る。点いていないテレビに向かうかたちとなる。
その画面に映る白い影が揺れたと思えば、
突如、部屋の照明が落ちた。
真っ暗だ。なにも見えないと思えば。
ぱち、と玄関の照明が点く。この部屋で動ける人間はただ一人。どうやら、けいちゃんの仕業だ。なにごとかと思えば、
「ハーッピバースデイ、トゥー、ユー」
誰もがよく知るあの曲を口ずさんでいる。
わたしは床に手を添え、驚きとともに振り返った。
暗くてよく分からないのだが。小さなお皿のうえに、灯されたろうそくが三つ。おそらく、ケーキが乗っている。
そのひかりが、どんどん近づいてくる。
大きくなる声量とともに。
彼は、さきほどまで自分が座っていたところに座ると、ケーキをテーブルに置く。そのタイミングで歌い終えた。
わたしの目からは自然と涙が流れていた。
ぼろぼろ、だった。
ずっとずっと、泣きたかった。
ひと目があるから外だからそれをこらえて。苦しくて。平気な表情を作って。装って。
――まずい。
喜ばしい場面のはずなのにわたしのなかから噴出するのは狂おしい苦しい感情だった。こんなの、……けいちゃんに悪い。
悪すぎる。
わたしは、けいちゃんに自分の誕生日を言ったことはない。彼氏ができてからは偶然彼氏と会う日に誕生日を迎えたのでプレゼントを買ってもらった。過去二回。
どうしてけいちゃんは知っているのだろう。
さっきスーパーで出くわした帰り。おれ、歯ブラシ買ってくるからさき帰ってて、と言って彼はわたしを先に帰らせた。そのときに買ったに違いない。愚かなわたしは彼がケーキの袋を持っているのにちっとも気づかなかった。
こんなに周りのことが見えていないから、捨てられた。
『来年、結婚するんだ。だから、別れて欲しい』
彼氏の人生から、追い出されたのだ。
――いいや、元彼氏か。
「……どうしたよ、綾乃」彼が、どこか痛むかのように顔を歪める。「嬉しいってより、悲しいって感じ?」
わたしは、彼にそんな顔をさせたくなかった。
滂沱と流れる涙をそのままに、わたしは笑みを作って首を振る。「違うの……。ご、めんね。あのね、すごく嬉しいの。でも、今日、振られ、……ちゃって。だから、気持ちを整理するじ、かんを、……」
胸が詰まる。
苦しい。
助けて。助けて。
たまらず、胸を押さえ、泣きじゃくりをあげる。いったいどうしたっていうのだろう。涙腺がばかになったみたいに――
「おれがいるのに、そんなふうに泣かせてたまるかよ」
顔をあげたときには、すばやくこちらに移動してきた彼の腕に包まれていた。
あたたかい。触れる、からだの前方。背中に回される大きな手のひら。ついで頭のうしろを優しく撫でる手つき。
首の後ろを支えられると、わたしは上を向くかたちとなり――
目が、合った。
わたしは彼の瞳の奥にあるものを見た。
切なさ。悲しみ。苦しさ。愛おしさ。
柔らかく優しい動きから一変。
強く、抱きしめられていた。
わたしに触れる彼の手にちからがこもる。こんな手をわたしは知らない。
ぎゅうって抱きしめてくれる男の強さと優しさ。
そのちからとともに、気がつけばわたしはすべてを吐き出していた。
彼のワイシャツの胸がぐっしょりと濡れてしまうくらい、大泣きしていた。
*
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