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第三部――『きみは、ぼくの花』
■1
しおりを挟む普通、列に並んだとき、前の人間が動けばすぐ詰めるもの。
ところが、誠治(せいじ)の目の前の女の子はそれをしなかった。意識的に模範的な行動を拒む自己中心的な人間というよりも、気づいていない可能性のほうが高いと彼は思った。下を向く彼女の顔は長い髪に隠されて見えないけれど、後ろ姿だけでなんとなくそう感じたのだった。というわけで、彼女の前にはひと一人が立てるくらいの余分な空間がぽっかりと広がっている。
きっとお金を支払うにも時間がかかるだろうなあ。と思っていたら、案の定。
彼女が財布を取り出すと、途端、床に小銭の散らばる独特の音が響き渡った。
数枚ではない。かなりの量だ。
屈む彼女の、ストレートヘアの隙間から見える頬は真っ赤だ。
誠治は見かねて、床に膝をつき、彼女の落とした小銭を拾ってやる。
「はい、どうぞ」
「あ、りがとう、ございます……」
その声は、店内のBGM――コブクロの『桜』にかき消されそうなほどにか弱い。ちょうど、感動的なサビの部分に差し掛かっていた。
目も赤い。誠治とその目を合わせることすらままならず、慌てた様子で立ちあがり、お金を支払った。
誠治が書籍を買い、素早くバッグにしまい終えても、彼女は店の出入り口の真ん中で突っ立ったまま、紙袋と財布をバッグに入れるのにもたついていた。
――邪魔だな。
と誠治は思った。だがその感情を声に変換はしなかった。
彼は、思ったことをなるべく口には出さないようにしている。
そのほうが、誰も傷つかない。
『おまえは、一条の実子ではない』
『だが、一条の人間として、会社を継ぐのがおまえの使命だ。成長などさせなくてよい。変革も、せずともよい。
祖父やわたしの拡大した事業を引き継ぎ、滞り無く経営するのだ』
『おまえの意志など、誰も求めておらん』
『われわれが求めているのは、おまえという人間の器だ。
おまえ自身などではない』
感情は剣。言葉は、刃だ。そのことを、彼は幼い時分から叩きこまれている。
そこに立っていられると、邪魔だよ。
と、彼は言おうと思った。
だが、彼の口から滑り落ちたのは、思いもよらない言葉だった。
『きみ――よかったら、近くの店でお茶でもしない?』
* * *
改めて対面してみても、垢抜けない女性だと思った。
ワンレンの長い髪が野暮ったい。背中の半分まであるだろうか。綺麗と褒め称えるよりは、無駄に長いという印象を拭えない。要するに、貞子。服装も、うえはこだわりのなさそうなTシャツにパーカーを羽織っているだけだし、ロングスカートに至ってはアメリカの田舎のカーテンの生地みたいだ。
化粧っ気もゼロ。たぶん、彼女を褒めたい人間は『肌が白いねー』と言うのだろう。
それが、唯一の長所。
誠治は、女性にはおごる主義だが、カウンターで自分のぶんだけを注文し、先に支払いを済ませたところ、彼女は別段不満を感じた顔も見せず――どうやら、それどころではないらしく。恨めしそうな表情から察するに、小銭を出すのを諦めたようだ。さきほどの出来事からすれば納得。こうして彼女は一円五円十円玉辺りを貯めていくのだろう、財布のなかにずくずくと。
素朴。だが愚鈍。
田舎出身の、一年生。
どうせ寄るなら食事も済ませてしまおうと、大学の近くのマクドナルドに来たのだが、おそらく、彼女がここに入るのは初めてだろう。
まだ、四月の中旬。友達の発見と関係の構築は手探りの段階だろう。ひとりで行動していたことからすると。
とはいえ、誠治もひとりだからひとのことは言えないのだが。
誠治は、アイスコーヒーに口をつけ、自分から口を開いた。「どこ出身?」
「い、しかわ、です……」まだ、目を合わせられない。警戒心の強い彼女は俯くとストローに触れ、「あんま喋ると方言出るんで、恥、ずかしい、んです……」
「別にぼくは、方言は気にしないよ」誠治は、意識的に笑いかけた。彼女が直視することはないと分かっていても。「きみの思うとおりに、話せばいいんだよ」
関西出身の人間は、方言を消し去るどころかむしろ誇りに思う傾向すらあるのに、以外の地方出身者が恥じるのは何故だろう。
内心疑問を感じながらも、誠治がにこやかにそう語りかけてみると、彼女は、「ほんでも。ほしたら、わたしがなに言っとるか伝わらんと違いますか」と焦ったように言う。
東北や甲信越の出身者は、確かに訛りがものすごいが、北陸の人間はさほどでもないと誠治は記憶している。別に。同じ日本語なのだから、会話が成立しないはずがない。
「大丈夫だよ」と誠治は彼女の背中を押す。「いまくらいのだったら、ぜんぜん聞き取れる」
「そう、……ですか」はーっ、と彼女が胸を撫で下ろす。どうやら、その胸のうちは不安でいっぱいのようだ。
よく見れば、華奢な割りにはバストにボリュームのあるほうで……。
誠治は慌てて視線を外す。そして、「あのさあ」と口を開く。
「お札から出すからああなるんだよ。先ずね、小銭をいくら持っているかを確認して、ある場合は、小銭から先に出すの」
あ、と彼女の口が開く。
彼女のうす茶色い瞳を見つめ返し、誠治は、ゆっくりと、自分の意志を伝える。
「それから、……店員は、別にきみをいじめるために接客するわけじゃない。ちょっと、こころを落ち着けて、小銭から出せば、ちゃんと出し終えるまで待ってくれるし、きちんと対応する。むしろそうするのが彼らの職務だ」
「わ、たし……」彼女は頭をかく。なんだか、泣きそうな顔をしている。迷子になった子どもが親を見つけたときに、こんな顔をするのかもしれない。「向こうやと、お金なんかあんないっそいで支払わんし、後ろに行列なんかできんし、……ほんで、ひと待たせとるって思ったら、えっらい焦ってしもて……」
「東京にだって、いろんな人間がいるよ。お金を支払うのに時間のかかるおばあちゃんだっているし、やたら店員に話しかけるおじいさんもいる。別に、ぼくらは、慣れてる。
二十秒程度待たされようが、別にぼくらはどうとも思わない」
一分や十分だったら別だけどね、と誠治は内心でつけ足した。
「そう言ってもらえて、……ほっと、しました……」やっと、彼女が白い歯を見せる。その笑顔は、思いのほかチャーミングだった。着痩せする胸を押さえるその動きも、誠治は気になってしまった。「一条先輩て、……優しいんですね」
誠治は、こころのなかで返事をした。
どんくさいきみを放っておけなかっただけだ。
「いいから、食べよう」誠治は手つかずのハンバーガーを手に取る。彼女はジュースにすら手をつけていない。「きみも、食べよう。これからは、いちいち断りを入れないで食べていいからね。人間関係とは、そういうものだ」
「分かりました」また、笑顔。そうやって笑っていれば結構可愛いのに。
あと、髪も切れば?
服の趣味も、どうにかしたら。
言いたいことはやまほどあったのに。いずれも、声に変換することはならなかった。
誠治の胸中さておき、目の前の彼女はちゃんと手を合わせ、「いただきます」と小さな声で言った。
愚鈍。
だけど純粋。
誠治は、彼女の第一印象をこっそり上書きした。
*
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