気がつけば彼に抱かれていました

美凪ましろ

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第三部――『きみは、ぼくの花』

■2

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「もう、登録済みなら手遅れだけれど、国際政治学の講義は、あまりおすすめしない。毎年、自分の出版した一冊三千五百円の本を売りつけるあこぎな商売をしている輩の行う授業だからね。講義自体も自分の本を声に出して読むだけの退屈極まりない内容だ。良ければ、去年のぼくのノートと本を貸すよ。買う必要はない。出席は、最低限の三分の一を確保すればいいさ」

 棚にある書籍を手にとった女性が、誠治を見あげた。

「また、会ったね」誠治は、自然とこぼれ出る笑みを抑えなかった。「これから、時間ある?」

「はい……」

 一度マックで食事をしたきりで、携帯のアドレスも交換していなかった。

 このだだ広いキャンパスで、二度会える可能性に彼は思いを馳せた。

 偶然。それとも必然。

 前回よりもよっぽどスムーズに彼女は、店を出た。

 誠治は、彼女のうなじを盗み見る。雪のような白さだ。

 長い髪は横に流し、すっきりとまとめられている。

 割りと、からだにフィットしたTシャツを着ていた。

 彼女が書籍を手に取るために屈んだ動きは、彼女のバストの大きさを際立たせていた。


 素材はいいのになあ。


 と、誠治は思った。


 * * *


「別に最初からみんな、あんなに速く歩けたわけじゃないよ。

 都会にいると、いろんなものに簡単に素早くアクセスできるから、その便利さに慣れすぎて、無駄を省くようになるんだ。……都会っていうか、そもそもの現代人の特徴かもしれないけどね。

 生まれたときから、ティッシュ配りのひとを見かけてれば、五歳になる頃には自然と無視できるようになる。……三歳児くらいだったら、食いつくけどね。

 慣れだよ、慣れ」

「そう、……ですか」本日の議題は、『何故、みんなあんなに速く歩くのか』。

 東京生まれで東京育ちの誠治は、逆に地方に行くと、ひとびとの寛容さに驚かされることがある。ゆっくり、おだやか。彼と仲のいい沖縄出身の人間のパーソナリティがまさにそれだ。

「あとは、まあ、単純に、時間に追われてるんだろうね。決まった時間になにかをするってひとは多いから……。

 きみは、なにかバイトはしている?」

「これから、探すところで、……履歴書も、買わんと」

「ふーん」コーヒーに口をつけ、ふと思いついたことを誠治は言ってみる。「じゃあ、ぼくと一緒にバイトしてみる?」

「えっ」ぱっ、と喜びの感情が彼女の顔に走るのを誠治は見た。だが瞬時に彼女はそれを押さえ込み、「でも、……いいです」と首を振る。

 ちょっと失望しつつ誠治は尋ねる。「どうして?」

「だって、……一条先輩。いろいろとわたしによくしてくれとるし。いまのバイトの話やって、わたしに合わせて、本当はやりたくないがに、してくれとるんかなあって思ったら、なんか、暗くなってしもて……」

 信用がないなあ。

 誠治は、内心でため息を吐く。

「ぼくは、自分のしたくないことは、しない主義だ」そうは言うものの。それは彼の『真実』ではないことに、彼自身気づいていた。「アルバイトは、実を言うとぼくは、したことがないんだ。二十歳間近になってさすがにそれはどうかと思ってね。社会勉強したいんだ。きみとのことを、きっかけに」

 なにやら含みのある言葉が出てしまったが。

 どうやら彼女はそれには気づかず。「一条先輩がいいんやったら、いいんですけど……」と、ストローをすする。

「ずっと気になってたんだけどさ。その、『一条先輩』っての、どうにかなんないの?」と、誠治は自分のストローを手で揺らす。「……確かに学年は一つ上だけどさ。だからって、『先輩』ってのは、なんか、落ち着かないよ」

「わたし、上下関係が厳しい部活に入っておったんで、逆に、先輩って呼ばんと落ち着かんがです。……先輩見かけたら廊下の隅寄ってきっちーんと礼せな目ぇつけられっし、やから先輩の悪口言うなんてありえんことで、絶対逆らえん、神みたいな存在やったんです。それが、中高の六年間やったもんで、からだに染みついておる感じで……」

「……部活って。なに」と誠治は身を乗り出す。

「吹奏楽部です」

「なに。ブラバンって、そんな厳しいの?」

「一見文化系やのにスパルタ体育会系でした」苦いものを混じえて彼女は笑う。「中学三年間やってこりごりやって思ったんに、高校入っても結局また入ってしもて……」

「そんなに、きみを惹きつけるものがなにか、あったんだろうね」

「え? ……そう。そう、です、ね……」真っ直ぐに誠治に見据えられ、なにか照れたように目を逸らす。

 こっちを向かせたい。

 それは、誠治の胸の奥から生じる、抗えない欲求だった。

 いつも、まともに見つめると彼女は目を逸らす。

 そのたびに、もどかしさで、誠治はこころをかきむしられそうになる。

 よくも知らない人間に、ここまで腹を割って話すのは、一条誠治にとって初めての体験だった。

 彼にとって世界は、常に薄い透明な膜を通して存在していた。

 人生とは、ロールプレイだった。

 たまに刺激的、だけど大概は退屈極まりない。

 家族には、本当は『一条誠治』ではないのにも関わらず『一条誠治』であることを求められ。

 学校や友達も同様だった。誠治の出生の秘密を知ったうえで、貰われっ子と陰口を叩く人間もいた。だから、彼は人間が簡単には信用できなくなった。

 ところが、小銭が散らばる音を聞き。床に散る茶色や、銀色の小銭を見たときに――

 急に、世界が色づいて見えたのだ。

 ああ、ここは自分が動くべき場面なのだと勝手にからだが動いた。

 それは、小さなことであっても、彼が自分の存在価値を信じられた貴重な機会だった。

 拾うのはなにも、『一条誠治』に限らず、『おれ』であればそれで良かったのだった。


 こころを開いたからには、開いて欲しいと思うのが人情だ。


 だから、彼は彼女に語りかける。


 ――おれを見つめ返せ。松岡(まつおか)綾乃。


 誠治は、ほかにも知っている。

 彼女の笑顔が実に魅力的であることも。

 ダサ目の衣服に隠された均整のとれたプロポーション。

 髪型と化粧と服さえ変えれば『化ける』可能性も掴めていた。

 だが、誠治は、待った。

 変わりたいのなら、彼女が自分から変わるときを待てばいい。

 おれは、ただそれを見守るだけ。


 だから、誠治は決めた。

 大学生活の残りの三年間は、彼女と同じバイト先でバイトをしようと。


 *
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