少年人魚の海の空

藍栖 萌菜香

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13-彼の彼との再会

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 夕暮れに染まるプライベートビーチをジャックが勢いよく駆けていく。

 ジャックには、首輪はつけてるけど、リードはいつもつけてない。

 賢いジャックが人を襲うことはないということもあるが、ここら一帯は俺の土地だ。
 ビーチは、ジャック専用のドックランみたいなものだった。


 散歩好きのジャックは、じつにのびのびと砂浜を駆けていく。
 きっと、いまのこの瞬間を心底楽しんでいるんだろう。


 対して俺は、ともすればすぐ上の空になってしまう。
 こうして歩きながらも、昼間の彼が頭の中から消えてくれなかった。

 あの不思議な少年……できることならもう一度会いたい。


 打ち寄せる波の音を聞きながら、あの少年が消えた沖合を見つめた。

 もうそこにいないだろうことは、ちゃんと理解している。
 彼だってきっともう家に帰ったはずだ。


 それでも、俺と彼を繋いでいるのは、あの沖合での一瞬の邂逅だけだ。ほかにはなにもない……。

 ないはずなのに、なんでこんなに彼のことが頭から離れないんだろう。


 これじゃ、まるで曾祖父と同じじゃないか。

 生前の曾祖父も幼い俺をつれて、よくこの浜辺を散歩した。
 船から身投げした彼女を思いながら、毎日、何度も。


 この土地に住みついて彼女の探索を続けた曾祖父は、友人の妹に請われて夫婦になった。

 曾祖父は、家族のことを愛していたし、大事にもしていた。


 でも、死の迫る病床で曽祖父は、俺にだけそっとこぼしたんだ。
 彼女のことを、生涯忘れることができなかったと。

 曾祖父は死の訪れる瞬間まで、彼女に囚われ続けたんだ。


 幼い頃は、曾祖父が語る人魚の話を、海の底に住む人への憧れを感じながらただ聴いていた。

 成長してからは、生涯ひとりの人に恋する曾祖父に対する尊敬と羨望を感じながら。

 いまは……忘れることもできず、ただひたすら探し求め、恋焦がれるだけの報われない人生が、いかに空しく恐ろしいかを……。


 あたたかいはずの潮風に、ふるりと身体が震えた。

 俺もそうなるのか? 彼を思って一生……。
 いや、これは恋じゃない。けど、でも。


 冗談じゃない、と思うのと同時に、そうなるかもしれないという予感は、はっきりとあった。

 まいったな。

 大きな溜め息を波間に吐きだす。

 この海のどこかに……。


 そうしてふたたび、きりもなく彼のことを思い返していると、遠くからジャックの吠えたてる声が聞こえてきた。

 視線をあげると、いつの間にか日は暮れて、辺りは薄暗くなっていた。

 ジャックの声はここまでは届くが、姿は見えない。かなり遠くまで行ってしまったらしい。


 切迫したように響く吠え声に煽られて、小走りになってジャックを探す。

 ジャックは昼間もルークのピンチに反応していた。きっとなにかあったに違いない。


 声を頼りに、人があまり近づかない岩場まで辿り着いた。

 どうも小高い山のようになってるこの岩場の向こうにジャックがいるらしい。

 傾斜はきついが、海側を回ればそう苦労しないで越えれそうだ。
 そう踏んで岩場を斜めに登っていくと、越えた先で小さな入り江を見つけた。

 こんなところにこんな入り江があったなんて……いまでは自分の土地だというのに、まったく知らなかった。


 その入り江の真ん中で、ジャックが飛び跳ねながら吠え続けている。
 いったいなにがあったんだ。

 不安定な足場に気を取られながら入り江におりると、ジャックが俺の足元まで駆け寄ってきた。


 そうして初めて気がついた。

 それまでジャックがいた場所に、白っぽく浮きあがって見えるものが……。

 人が……倒れてる!?

 慌てて駆け寄った俺は、その人を前にしてさらに息を呑んだ。

 彼だ。昼間の、あの彼じゃないか。


「おい、きみっ、しっかりしろ!」

 跪き彼の上体を抱き起こした。
 声をかけても、頬を叩いても、彼は目を開けない。

 手はだらんと横に垂れて、どこもかしこもぐったりと力ないままだ。

 まさか、そんな……。

 脳裏を巡る最悪の事態を必死に否定しながら、彼の鼻先に耳を近づけた。

 耳を澄ますと、穏やかな息遣いが微かに耳をくすぐる。

 ああ、神様……。

 安堵の溜め息を、これ以上ないほど盛大に吐いた。


 どうやら疲労困憊して寝ているだけらしい。

 昼間に会ったあの沖からここまでは、かなりの距離がある。

 船も使わずここまで泳いできたのだとしたら、疲れ果てているのも納得だけど……いやまさか、それはないだろう。


 なら、彼にいったいなにがあったのか……。

 例の豊かなハニーブロンドは半ば乾いている。
 彼が浜にたどり着いてから、随分と時間が経っているらしい。

 全身に纏ってでもいるかのような豊かな金髪を掻き分けて、怪我などがないか確認していくと、驚いたことに彼は全裸だった。


「ちょっと待て。なんだってこんな……本当にいったいなにがあったんだ?」

 目のやり場に困りながらも、全身を軽く検分していく。

 見た限りでは大きな怪我はないようだが、念のため医者に見せた方がいいだろう。


 自分の着ていたシャツを脱いで着せ掛け、彼を抱きあげると、見かけによらずしっかりと重さがあった。

 彼のどこにそんな……。

 うっかりとそんなことを考えて、先ほど目にしたしなやかな裸体を思い返してしまう。


 ほっそりと滑らかなラインを描く素肌は限りなく白く、薄暗闇に沈んだ入江で、自ら発光してるのかと思うほどだった。

 砂を払うときに触れた足は、肌理が細かくとてもすべらかで、まるで絹でも撫でて……。


 いやいや、彼の美しさを反芻してる場合じゃないだろ。

 ひとまず家に連れて帰ろう。
 こんな状態の彼を放っておくことはできない。ルークの命の恩人なんだからなおさらだ。

 俺は、そう自分に言い聞かせながら彼を抱き直し、大手柄のジャックを従えて、その入り江をあとにした。
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