少年人魚の海の空

藍栖 萌菜香

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57-少年人魚の大婆様初対面

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「おばあさま!」
 人魚の里へ戻り、おばあさまはどこだと大急ぎで探し回る。その中で、以前の里とは違う雰囲気を感じ取った。

 僕の姿を見た人魚たちが一斉にざわめいて、僕が行く先々で道を開けるようにして遠巻きにする。


 こんなこと初めてだ。
 なぜか僕にちょっかいをかけたがるクリスたちの他には、これまで、人魚の里で僕を気に留める者などいなかった。みんな自分磨きに夢中で、僕に構ってるほど暇じゃないって感じだったのに。

 いまは、みんなが僕を見て、なにやらひそひそと囁き合っている。


 そんな違和感に警戒心を露わにしながら進んでいくと、人魚岩の隣の岩に、藻でグルグル巻きに括りつけられているおばあさまを見つけた。

 なんて酷いことをするんだろう。
 僕を地上に逃がしたあと、おばあさまがどんな経緯で拘束されたのかと想像すれば、腹の底が煮える思いだった。


 おばあさまの周りにも見張り役らしい恰幅のいい人魚が何人かいた。けれど、僕が構わず突進すると、邪魔するでもなく、スルリと道を開けてくれる。

 一瞬、『罠か?』とも思ったけど、それでもいい。早くおばあさまを助けなきゃ……。


「おばあさま、待ってて。いま救けるから」
 おばあさまのそばに寄って声をかけながら、何重にも巻きついてる藻を掴む。

 でも、どんなに引っぱっても藻は解けなかった。落ちていた貝殻を拾ってきて、それで掻き切ろうとしたけど、それでもほんの少しずつしか切れない。

 もっと鋭利な……人間が使うナイフとかをキングから借りてくればよかった。なんの準備もしないで敵地とも言える場所に乗り込むなんて……僕は相変わらずのバカだ。


「ベリルのお馬鹿さん。帰ってきたりして……」
 僕が思っていたことをズバリと口にしたのはおばあさまだ。

 いつも意地悪そうに話すおばあさまが、いまはひどく弱々しい。何日もこんな格好で拘束されていたのなら、弱ってて当然だ。

「いま助けるから。あと少しだから」
 少ししか切れない藻に苛立ちながら、それでも手はとめなかった。諦めるもんか。


「おまえが、ベリルかい?」

 背後から急に声をかけられて、思わず「ええっ!?」と大きな声をあげてしまった。だって、その声が、おばあさまとそっくりだったから。

 振り向くと、そこにはもうひとりのおばあさま……じゃない、別の人がいた。たぶん、この人がおばあさまの姉、大婆様だ。


 さすが姉妹……おばあさまとよく似てる。

 同じ人魚王の血を継ぐ者として似ているのは当然かもしれないけど、きっと性格も随分と似てるんじゃないだろうか? 理知的な雰囲気がそっくりだ。

 人間とほぼ同じように年を取るほかの人魚と違って、人魚王の血筋であるこの二人は長命だ。実年齢では数百歳を数えるけど、見た目はもっとずっと若く見えるし、美しい。


 でも、おばあさまと違って、大婆様はもっとこう……禍々しい美しさを秘めている感じがした。
 つまるところ、おばあさまよりも、もっとずっと怖い感じなんだ。

 それでも、ビビってる場合じゃない。


「僕がベリルです。お呼びだと聞いて、お話をうかがいに来ました。でもその前に、おばあさまを放してください」

 おばあさまを背に庇い、大婆様に向き直る。

「ああ、私もそうしてあげたいのは山々なんだけど~……人質を先に解放してしまうバカはいないよねぇ」

 う……たしかに。

「じゃあ、話を先に聞きます。話が終わったら、おばあさまを解放すると約束してください」

「約束ねぇ……ベリルにはお願いがあるんだよ。そのお願いを聞いてくれたら、ってことなら、その約束をしてあげてもいいんだけどねぇ」

 にっこりと笑う大婆様はいっそう怖い。


「お、お願いって、なんですか?」
 クリスが言っていた交尾だけはヤダ。そんなことできない。

 交尾ってことは、キングに触ってもらったとき、気持ちよさのあまりに出してしまったあの精子を、今度はメスの体内に出すってことだ。

 人魚のオスがどこからどんなふうに精子を出すのかは、よく知らない。

 それでも以前、イルカが交尾してるところなら見たことがある。番になった二匹が寄り添い合って求愛したあと、何度となく身体の一部を繋げていた。あれが交尾だ。


 あれを……僕が?

 好きでもない人とあんなにくっついて、相手の中に精子を出すなんて……僕にできるわけがない。

 人間のときには、キングに精子をかけてしまったけど、あれだって相手がキングだからできたんだ。ほかの人に精子をかけるなんて、考えたくもなかった。


 ……キング…………もしかしたら、キングとなら……交尾もできるかもしれない。

 ああ、いや、キングはメスじゃないんだし、キングの体内にって言っても、どこにどうやって……。

 あれ、やだな、僕。こんなときになに考えてるんだろう。

 頬を撫でる海水が妙に冷たく感じる。ひとりで変なこと考えて、勝手に照れてる自分がことさらに恥ずかしい。もう顔もあげられない。


 こっそりと恥ずかしい妄想をひとりで巡らせていた僕をよそに、大婆様がお願いの内容を口にした。

「いま里には、繁殖期のメスたちが四十匹以上いるのよね。その全員を孕ませてほしいのよ~」

 やっぱり……。
 熱くなっていた脳内が一気にさめる。

「できません」
 僕が大婆様に即答すると、
「おや、なぜだい?」
 と、さも不思議そうに大婆様が問い返した。


「好きでもない人との交尾なんて、できません」

 キングと出会う前の僕だったらどう答えたかはわからない。けど、僕はもうキングと出会ってしまったから。

「試してみないとわからないだろう? おまえの前にいたオスは、喜んでみんなを孕ませてまわっていたよ。まあ、二百年以上も昔の話だけどね」

 にやりと笑った大婆様が手をあげると、クリスが僕の前に滑り込んできた。
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