竜の末裔と生贄の花嫁

２・「竜の花嫁」 前

「おはようございます、お義父とう様、お母様」

　義父であるカレンベルク伯爵に呼ばれたアメリアは、行き先が伯爵の執務室ではなく居間であったことにちょっと驚いた。用があるときはたいてい執務室へ呼びつけて、アメリアを立たせたまま命令するように伝えるのが普通だったから。

　そして入室すると、珍しいことに母も同席していた。これにも驚いたけれど、そのようなことはおくびにも出さず、いつもの通りに挨拶をした。

「ああ、座りなさい」

　カレンベルク伯爵は野心家として知られ、目的のためならば手段は選ばない。必要とあらばお世辞も振りまくし陰湿な噂も流す。領地では飴と鞭を使い分けて巧みに税を取り立て、王宮の各所への贈り物は欠かさない。
「出世欲の権化」。アメリアは義父のことを、ひそかにそう呼んでいた。

　その伯爵が、珍しくアメリアに笑顔を向けている。今までで最も上機嫌の部類と言って良い。

　―――これは、ついにひょっとするかしら？

　アメリアは内心身構えた。義父のカレンベルク伯爵とは血の繋がりはないとは言え、アメリアは戸籍上、正式なカレンベルク伯爵令嬢だ。今年で十八歳、そろそろ結婚の話を出されるのかも知れない。

「畏れ多くも陛下直々に、我がカレンベルク伯爵家にとって、非常に名誉なお話をいただいた」

　―――この上機嫌はただ事じゃないわ。そうとう良い見返りがあるってことね。


　貴族の娘なら当然だし、ましてこの人が義父である以上、完全に政略結婚の駒にされるだろうと分かっていた。相手が老人だろうが変態だろうが、アメリアの幸せなど問題外。すべては伯爵の益になるかどうかで決まるだろう、と。

　それは避けられない運命であり、自分ばかりがそうだというわけでもない。そう思って、早くから覚悟して、自分にできる準備と心構えをしてきたアメリアだった。


　しかし、降りかかってきた運命は、アメリアの予想を超えていた。

「アメリア、お前は『竜の花嫁』に選ばれた」

「……!!」

　たとえ誰と結婚しろと言われても、受け入れるつもりだった。それなのに、さすがのアメリアも真っ青になり、すぐには言葉が出なかった。

　横で母親が、口元を押さえて涙を流している。それでも昔から、この義父に口答えなどただのひとつもしたことがない母だ。それ以上アメリアのために何か言ってくれることはないと分かっていた。


「……もう、決まったことなのですね？」

　ようやく口から出た言葉は、いっそ優しいほどに穏やかだった。もっとも伯爵は、そんなアメリアの変化など気にもとめない。

「そうだ。来月の春の祭までに、準備を整えておくように」

「……かしこまりました、お義父様」

　アメリアは一礼して立ち上がり、そのまま振り返らずに部屋を出た。


『竜の花嫁』。王宮内では、聞こえよくそんな言い方をされているが、巷ではそんなふうに言う者などいない。誰もが本当は『竜の生贄』だと思っている。





　建国一千年を越える歴史を持つ、バルシュミット王国。

　建国当時は、未だ神話の世界との境界が曖昧だった。ために魔物やら妖精やら竜やら、今は伝説の中にしかいない存在に出会うことも、しばしばあったと伝えられている。そしてそのころの人間の世界はまだまだ不安定だった。小さな新しい国が、泡のように次々と立ち上がっては消えていった。

　そんな中で若くしてバルシュミット王国を興し、初代の王を名乗ったゲオルグは、周囲の国を恐れる必要のない大国たらんと強く欲した。そのために自らの妹を竜に差し出し、国の加護を願ったという。

　やがてゲオルグは妻を娶り、身籠った王妃は月満ちて王子レオンを産んだ。長じた王子は鬼神のような強さを備え、周囲の国を次々に滅ぼしては飲み込んだ。

　バルシュミット王国はゲオルグの願い通り、並ぶもののない強大な国として発展を遂げた。―――その栄光の陰に、竜の「加護」ではなく「呪い」を宿して。

　
　そして現在まで、王国は近隣に比類なき強国として君臨し続けている。一方で、隠し通された黒い歴史と悪しき風習も……現在まで持ち続けてきたのだった。

　すなわちそれが「竜の花嫁」だ。建国神話からも詳細は削除され、王家が厳重に秘匿しているため、真実は一切伝えられていない。
　世間で知られているのはこれだけだ。

「王国のどこかに『竜』が住む城がある。その竜が成年を迎えると、王様は王家の血を引く娘を『生贄』として捧げなくてはならない―――」