Amazing grace

国沢柊青

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act.90

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 食事の後、マックスとレイチェルは、今もハート家に残されているマックスの部屋にワインを持ち込んだ。
 ナイロンバッグや段ボールに入っている荷物をクローゼットに片づけるマックスを眺めつつ、ベッドに腰をかけたレイチェルが訊いた。
「その服どうしたの?」
「うん、マイクがね。くれたんだ。その他にも会社の人達が届けてくれたりとか」
「へぇ。まぁ、あんたの私物、軒並み燃えちゃったものねぇ・・・」
「アルバムはこっちに置いといてよかったよ」
 マックスが、レイチェルの手にあるグラスを取り上げて、赤ワインを飲む。
「またアパート探さなきゃ」
 レイチェルにグラスを返して、マックスは溜息をつく。
「いいじゃない、しばらくここにいたら? その方がママも喜ぶし」
 レイチェルの言葉に、マックスは肩を竦めた。
「警備がついているといっても不安だよ。また狙われたりしたら・・・」
「あ、そういえば」
 レイチェルがポケットからメモ用紙を取り出した。隣に座れとベッドを叩く。
 マックスが腰を下ろすと、レイチェルはメモ用紙をマックスに手渡した。
 そこには、クラウン地区の住所が書かれてある。
「なに、これ」
「ケヴィンが借りてた秘密の部屋の住所」
 マックスが目を見開いて、レイチェルを見る。
「まさか!」
 マックスの脳裏に、あの錆びた鍵が思い浮かんだ。
 レイチェルは苦笑いしつつ、肩を竦める。
「といっても、そこの住所一帯には、たくさんのアパートメントがあるから、絞り込むのが大変だけどね」
「でもこれ、どうやって調べたの?」
 レイチェルがニヤニヤと笑う。
「仲間内の情報でね。セスには悪いけど、警察が全く興味を示してない筋よ。ケヴィンには幼馴染のハロルドという男がいて、そいつがパソコンオタクというか、ネットオタクなのよ。ハッキングや違法なソフト開発をしてることはケヴィンからも聞いてた。ケヴィンは彼の情報網で調べものをしてたの。ハロルドはケヴィンの事件を知って、それがヤバいデータだとすぐにわかったのね。ヤツはデータそのものも消去していたし、データのこともきれいさっぱり忘れたって言ってた」
「忘れたぁ?」
「もちろん、そんな戯言、信じる訳ないでしょ」
 レイチェルが、あのキンキン声で笑い声を立てる。
「ちょっと絞ってやったの。そしたら、データのことは話したくないけど、ケヴィンが最近借りたっていうアパートのおおよその場所は知ってるって言ったから、それで許してやったの」
「それがこれ?」
「そ」
 マックスは喉が渇いたのか、自分のグラスに新たなワインを注ぐと、ゴクゴクと一気に飲み干した。
 彼は部屋を出て地図を取ってくると、再びレイチェルの隣に腰を下ろした。
 バサバサと地図を広げる。
「丁度この辺ね」
 メモの住所は、クラウン地区の端にある1ブロックを指している。確かに賃貸アパートメントが乱立していて、この中から一室を特定するのは、なかなか根気が必要なようだ。
「大家は数人だと思うから、そっちから調べてみるわ。不動産屋を回ってみるつもり。セスは相変わらずラボに缶詰状態にされてるから、頼るわけにはいかないしね」
「気を付けろよ・・・。どこで誰が見てるかわからないから」
 レイチェルは「誰に向かって言ってるつもり?」とマックスの身体を抓ると、マックスの手元からメモ用紙を取り上げて、マックスの部屋を出て行った。
 マックスはレイチェルを見送った後、再び地図を見下ろした。
 ── 何かひっかかるんだけど・・・。なんだっけ。
 マックスはレイチェルが指さした場所をじっと見つめたが、ついに思い浮かばなかった 。


 暗がりの中に一筋の湯気がふらりと上がる。
「ああ、やっときたよ」
 パトカーの窓が開いて、その中に湯気を上げるカップと大きな紙袋が差し込まれる。
「17ドル25セントになります」
 赤と青でカラーリングされたキャップを目深に被ったディナーデリバリーの店員が、か細い声で言う。
 パトカーの中の警官は20ドルを差し出したが、その店員は「お釣りがないんです」と答えた。
「ええ? 釣りがないって、どういうことだ」
 デリバリー専門の店なのに・・・と悪態をついても仕方がない。
「じゃ、もういいよ。チップにとっておけ」
「すみません」
 ブカブカのズボンを引っ張り上げながら、店員は闇の中に消えて行く。
「なんか冴えない店員だな」
 二人の警官は、互いに顔を見合わせて肩を竦めると、紙袋を開けた。
 美味そうな匂いが、無機質なパトカーの中に拡がる。
 ハンバーガーやビーンズの煮込み料理。ジャガイモのグラタンなどなど・・・。ボリュームもそこそこあって、味もいい。最近警官の間で流行っているデリバリーだ。
 ここのところ、連続爆弾事件の煽りをくらって、交通課の人間も警備にかり出されている。ミラーズ社やその社長、幹部らの家、そしてここ ── ハート家。新聞社にも警官が回されているから、人手不足もいいところだ。
「本当にいい加減にしてもらいたいよなぁ」
 今日だけでも、何度こう呟いたろう。だが、うかうかしていると、捜査の指揮を取っているハドソン刑事に呼びつけられることになる。
 マスコミに警察の無能振りを取りざたされる度に、ハドソンの機嫌は益々下降曲線を辿っていくのだ。
 二人が愚痴を零しているのを見透かしたように、無線がガーガーと鳴り響く。神経質な女性の声で、『そちらは異常なしですか?』と訊いてきた。
「異常なし、どうぞ」
 思わず冷や汗を垂らしながら、慌てて無線機を取って答える。
「おい、早く食べちゃおうぜ」
 警官は二人して慌て気味に、温かい食事を口に突っ込んだ。


 外灯の陰に隠れるようにジェイコブ・マローンが様子を窺っていると、パトカーの中の様子がすぐにおかしくなりはじめた。二人ともそわそわと落ち着きがなくなり、身体をモジモジと揺すり始める。
 ── 直にあの二人は、パトカーを飛び出して行くだろう。
 ジェイコブはポケットから、すっかり空になった下剤の箱を取り出して、通りにある大きなゴミ箱の中に放り込んだ。
 デリバリーした液体の料理全てに、ありったけの下剤を混ぜ込んである。普通の胃袋の持ち主なら、耐えられるはずがない。
 案の定、一人が耐えられなくなったのか、パトカーを出て、すぐ側の家のドアを猛然と叩く。
 ドアが開いて、若い女が怪訝そうに警官の姿を見た。
 数秒のやり取りの後、警官は家の中に消えて行った。
 パトカーに残ったもう一人もしばらくは頑張っていたが、我慢の限界が訪れたらしい。同僚の後を追って、ドアを叩く。再び女が出て、益々怪訝そうな顔をして見せた。
 バタンとドアが閉まる。
 ── 今だ。
 ジェイコブは、洒落た作りの古い住宅に近づいた。
 今日の報道で、あの憎たらしい『女』が、この家に帰って来ていることを知っている。
 ── 最初は、ちょっと懲った演出を狙い過ぎた。今度は確実にこの家ごと吹き飛ばしてやる。
 ジェイコブは、家の周りをぐるっと回った。
 ジェイコブのポケットに入っている爆弾は、先のアパートで仕掛けたものより小さかったので、仕掛ける場所を吟味しなければならない。
 小窓からキッチン用品が見える場所を見つけた。
 ── そうだ。ここがいい。
 壁際にパイプが這って、室内に引き込まれている。
 ガス管だろう。
 ここにしかければ、爆発した後に大きな炎が上がるはず。家ごと丸焼けだ。
 ジェイコブは思わず沸き上がってくる笑い声を、身体の奥底に抑え込んだ。
 高らかに笑うのは、この家が焼け落ちるのを眺めながらでいい。
 ジェイコブは、ポケットから可愛い『我が子』を取り出したのだった。
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