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ジェイコブ・マローンの標的は、間違いなくマックスだった。
── マックス・・・。私の愛する人。
ジェイコブが、信号待ちしているデリバリー業者の若者に声をかけたのを見た時から、嫌な予感はしていた。
もうワンブロック先に行けば、そこはウォレスにも馴染みのあるマックスの叔母の家だったからだ。
ウォレスは、午後のニュースでマックスが退院したことを知っていた。そしてジェイコブ自身もそのことを知っていた。おまけに、マックスが退院後どこへ向かったかもニュースで報じられたため、益々ジェイコブを煽ることになった。
ジェイコブは、マックスが入院している病院に爆弾を仕掛ける素振りを幾度かみせていた。ウォレスはその様子もじっと見ていたが、見張りの警官が多いことに尻込みしたのか、結局ジェイコブは爆弾をしかけることができなかった。
ウォレスが見た限り、ジェイコブがポケットに隠し持っている爆弾の大きさでは、仕掛ける場所をよく考えないと、彼の目標に達する効果は得られない。
ジェイコブはマックスがどこの病室にいるかもわかっていたし、彼が日中どこで過ごすかも知っていた。しかし警察にもメンツがあるせいか、病院は一際警備が厳しかった。おかげで、ジェイコブが近づく隙は1ミリもなかった。
ジェイコブは、早々に断念したようだ。
爆弾をしかけるのを諦めたジェイコブの背中を見送りながら、ウォレスは建物の向こう側に小さく見えるマックスの姿を目に焼き付けた。
ベンチに佇むマックスの隣には、あのハンサムな雑誌記者が寄り添っていた。
── これでいいんだ。これで。
例えマックスが次に選んだ人間がミゲルだったとしても。
それでもウォレスに悔いはなかった。
ミゲルが彼を本気で愛してくれて、彼を幸せにしてくれるのならばいい。
いやミゲルなら、マックスを間違いなく幸せにしてくれるだろう・・・・。
ウォレスは、夜のさめざめしい空気を顔に感じながら、頭の中からその思いを押し出した。今は、目の前の男のすることに集中しなければならない。
一見するとジェイコブは、ありきたりな青年であった。
街の片隅の日陰でひっそりと生活していそうな、存在感のない青年。
その彼が、今はデリバリーの少年をいきなり木製のハンマーで殴りつけていた。
ジェイコブは自分が犯した罪に興奮した様子で、バイクに突っ伏して気絶した少年の頭を掴み、奇声を上げた。頬は赤く上気している。
こういうタイプの人間は、犯罪を犯す罪悪感よりも、力のなかった自分が突然持った権力に興奮して何も見えなくなる傾向にある。そしてどんどん犯罪という魔物に魅入られていくのだ。
こういう人間は大抵、警察署の取調室で正気に戻るか、自惚れた末の判断ミスにより突然訪れる死を前にして「こんな筈じゃなかった」と呟くことになるのだ。
ウォレスは、目の前の男に引導を渡すのは、間違いなく自分の役目だと思っていた。
── それ以上、ハート家・・・いやマックスに近づいてみろ。その喉をかっ捌いてやる・・・。
ウォレスの目には、暗い光が浮かんでいた。
リーナの死を目にし、残された赤ん坊を抱えジェイクの元から逃げ延びてきた時から、もう二度と人を殺めることはしないとリーナの魂に誓ってきた。そしてその誓いが、どんなに大切なことかをベルナルドとシンシアから教わった。
── しかしその誓いも、マックスを守るためなら・・・・。
誓いの背き、また元の苦しい世界に戻ることなど、少しも怖くなかった。
あの翡翠色の瞳の心優しい青年がこの世に生きていると実感できるだけで、ウォレスの魂は十分救われた。
そのために刑務所で一生過ごさなくてはならなくても、いやそれ以上に死の淵に追いやられることになっても、ちっとも苦痛ではなかった。
── それほどまでに、私は彼を愛している・・・。
自分の魂を救ってくれた人。
自分の全てを受け入れようとしてくれた人。
かつて自分のことを、これほどまでに『守ろう』としてくれた人はいただろうか。
リーナは同志だった。
共に苦しみを分かち合い、身を寄せ合ったが、リーナに対するウォレスの気持ちは、今のマックスに対する気持ちとは少し違っていた。
ウォレスは、ジェイコブの後ろ姿を睨み続けながら、心に強く誓った。
── 誰にも、私の天使に手を出させたりはしない・・・。
ジェイコブは少年の身体からデリバリー・ショップの制服を身ぐるみ剥がすと、自身の服の上からそれを着込んだ。少しサイズが大きいようだ。
ジェイコブは少年の身体を道ばたの大きなゴミ箱に投げ込むと、路肩に止めてあるバイクの荷台に乗っていた料理のパッケージを丁寧に開封し、懐から取り出した何かを混ぜ込んでいるようだった。
やがておぼつかない運転でバイクを走らせ始めたジェイコブは、真っ直ぐハート家に向かった。
ウォレスが走って追いかけると、丁度ジェイコブは、ハート家の前に停車するパトカーの窓に毒入りの料理を手渡すところだった。
── 睡眠薬か何かが入った食事を、警察官は気づかずに食べるのだろうか・・・。
商品を渡し終えたジェイコブは、バイクで走り去るふりをしてハート家を見渡せる場所に身を寄せた。ウォレスも、ジェイコブに見られないように木陰に身を寄せる。
しばらくすると、パトカー内の動きが騒がしくなった。
ジェイコブが料理に混ぜたのは、下剤だったらしい。
警官達は次々とパトカーを飛び出すと、ハート家の玄関ドアを叩いた。
警官達がハート家の中に消えると、いよいよジェイコブが動き始めた。
ジェイコブはハート家の周りを急ぎ足でくるくると回ると、突如地面に腰を下ろした。
表通りからは目につきにくい裏庭。
ウォレスはハート家の中に入ったことはなかったので、ハート家の間取りはわからなかったが、家の外壁を這っている配管や電線の様子から推測して、そこがキッチン付近であることは間違いない。ジェイコブは、ガス管を利用して爆弾を爆発させる気だ。
もはやウォレスに躊躇いはなかった。
彼を泳がせることで、彼のバックにいるはずのジェイクの存在に近づけるかもしれない、ひょっとしたらジェイコブの口から手がかりが聞けるかも知れない。そう思って行動を監視するのみでいたが、そんな悠長なことは言っていられなくなった。
マックスの生命を再び危険に晒そうとしているこの男を、これ以上生かしておけるはずがない。
意を決したウォレスの動きは早かった。
闇に完全に紛れ込む真っ黒い上下に身を包んだウォレスは、今やアレクシス・コナーズと呼ばれていた頃の勘を取り戻し、完全に気配を消していた。
ジェイコブにどんどん近づいていくが、ジェイコブは一向に気づかない。
腕のいい殺し屋ほど、ターゲットに近づいて仕事をすることができる。
ウォレスは、腰のポケットから飛び出しナイフを取り出すと、手のひらに握り込んだ。
ジェイコブが、ふと突然感じた背中の風圧に気を取られ、立ち上がった瞬間。
ウォレスは、ジェイコブの背後を取った。
あっという間にジェイコブの両手を背後で締め上げ、もう片方の腕をジェイコブの首に回す。
ジェイコブが驚いて、首だけで背後を振り返った。
彼はそこに蒼く輝くミッドナイトブルーの瞳を見て、目をぐらつかせた。
ウォレスは、ジェイコブの目の前に飛び出しナイフを翳した。小気味よい音がして、鋭く光る刃が飛び出る。
「ひっ!」
ジェイコブの喉が鳴った。
額から汗がだらだらと流れ落ちる。
先ほど料理の配達員を襲った人間とは思えないくらい、ひ弱な声と様子だった。
人を襲う経験は短期間の間に積み重ねてこれたようだが、生命を狙われる経験には全く慣れていないらしい。 ── いや、初めての経験か。
「お前の生命もこれまでだ」
ウォレスが低い声でそう呟くと、ジェイコブが「俺はボスのためを思って・・・!」とひっくり返った声を上げた。
「黙れ」
ジェイコブの声を遮って、ウォレスがナイフを振り上げた、その時。
その腕を、白い手がやんわりと掴んだ。
ウォレスの身体がビクリと震える。
ウォレスの耳元で優しげな声が、こう囁いた。
「今のあなたに、これはもう相応しくない」
ウォレスは両目を見開いた。
「大丈夫。俺を信じて、これを渡して」
ウォレスの腕をゆっくりと辿り、ナイフの根本をやんわりと掴む。
もう片方の手ですっとナイフを持つ手を握られ、ウォレスの手から力が抜けた。
ジェイコブが、「うわぁ!」と怯えた声を上げながら、前に四つん這いで這いずっていく。そのジェイコブの頭が突如グワンと鳴って、ジェイコブはそこに突っ伏した。
ジェイコブの前には、フライパンを両手で持ったレイチェルが立っていた。そして大リーグのバッターがするようにフライパンをぶらぶらと振り、地面に唾を吐いた。
ウォレスの手に触れたまま、白い手の主がウォレスの前に回り込んでくる。
すぐに、あの翡翠色のたまらなく澄んで美しい瞳と出会った。
ウォレスと目が合うと、その瞳はにっこりと微笑む。
「よかった・・・!」
マックスが、ウォレスの身体を抱き締めた。
ウォレスの身体が、ずるずると地面に崩れ落ちていった。
ウォレスの無精ひげだらけの顔を、マックスの手が優しく撫でていく。
涙を浮かべた彼の瞳に、呆然とした自分が映っていた。
「本当によかった。あなたが人を傷つける前に間に合って・・・」
吐息を付くように、マックスが囁く。
「Hey! Yo! 早く重い腰上げて、こいつを締め上げちゃってよ!」
トイレに面する壁をドンドンと叩きながら、レイチェルが怒鳴る。
「もう大丈夫・・・。大丈夫だから」
マックスのその声は、ウォレスにとって正しく天使の声に違いなかった。
「・・・マックス・・・」
ついにウォレスの口から、彼の名前が零れ出る。
正気に戻ったかのようにウォレスは2回瞬きをすると、その瞳から大粒の涙を零した。
「ジム!」
マックスが、感極まってウォレスに熱い口づけをする。
あの日、病院で別れた時と同じ、涙味のキス。
だがこのキスは、決して悲しみに捕らわれていない・・・。
キスを交わす二人の足下には、仕掛けられることのなかった爆弾と、飛び出しナイフが静かに転がっていた。
── マックス・・・。私の愛する人。
ジェイコブが、信号待ちしているデリバリー業者の若者に声をかけたのを見た時から、嫌な予感はしていた。
もうワンブロック先に行けば、そこはウォレスにも馴染みのあるマックスの叔母の家だったからだ。
ウォレスは、午後のニュースでマックスが退院したことを知っていた。そしてジェイコブ自身もそのことを知っていた。おまけに、マックスが退院後どこへ向かったかもニュースで報じられたため、益々ジェイコブを煽ることになった。
ジェイコブは、マックスが入院している病院に爆弾を仕掛ける素振りを幾度かみせていた。ウォレスはその様子もじっと見ていたが、見張りの警官が多いことに尻込みしたのか、結局ジェイコブは爆弾をしかけることができなかった。
ウォレスが見た限り、ジェイコブがポケットに隠し持っている爆弾の大きさでは、仕掛ける場所をよく考えないと、彼の目標に達する効果は得られない。
ジェイコブはマックスがどこの病室にいるかもわかっていたし、彼が日中どこで過ごすかも知っていた。しかし警察にもメンツがあるせいか、病院は一際警備が厳しかった。おかげで、ジェイコブが近づく隙は1ミリもなかった。
ジェイコブは、早々に断念したようだ。
爆弾をしかけるのを諦めたジェイコブの背中を見送りながら、ウォレスは建物の向こう側に小さく見えるマックスの姿を目に焼き付けた。
ベンチに佇むマックスの隣には、あのハンサムな雑誌記者が寄り添っていた。
── これでいいんだ。これで。
例えマックスが次に選んだ人間がミゲルだったとしても。
それでもウォレスに悔いはなかった。
ミゲルが彼を本気で愛してくれて、彼を幸せにしてくれるのならばいい。
いやミゲルなら、マックスを間違いなく幸せにしてくれるだろう・・・・。
ウォレスは、夜のさめざめしい空気を顔に感じながら、頭の中からその思いを押し出した。今は、目の前の男のすることに集中しなければならない。
一見するとジェイコブは、ありきたりな青年であった。
街の片隅の日陰でひっそりと生活していそうな、存在感のない青年。
その彼が、今はデリバリーの少年をいきなり木製のハンマーで殴りつけていた。
ジェイコブは自分が犯した罪に興奮した様子で、バイクに突っ伏して気絶した少年の頭を掴み、奇声を上げた。頬は赤く上気している。
こういうタイプの人間は、犯罪を犯す罪悪感よりも、力のなかった自分が突然持った権力に興奮して何も見えなくなる傾向にある。そしてどんどん犯罪という魔物に魅入られていくのだ。
こういう人間は大抵、警察署の取調室で正気に戻るか、自惚れた末の判断ミスにより突然訪れる死を前にして「こんな筈じゃなかった」と呟くことになるのだ。
ウォレスは、目の前の男に引導を渡すのは、間違いなく自分の役目だと思っていた。
── それ以上、ハート家・・・いやマックスに近づいてみろ。その喉をかっ捌いてやる・・・。
ウォレスの目には、暗い光が浮かんでいた。
リーナの死を目にし、残された赤ん坊を抱えジェイクの元から逃げ延びてきた時から、もう二度と人を殺めることはしないとリーナの魂に誓ってきた。そしてその誓いが、どんなに大切なことかをベルナルドとシンシアから教わった。
── しかしその誓いも、マックスを守るためなら・・・・。
誓いの背き、また元の苦しい世界に戻ることなど、少しも怖くなかった。
あの翡翠色の瞳の心優しい青年がこの世に生きていると実感できるだけで、ウォレスの魂は十分救われた。
そのために刑務所で一生過ごさなくてはならなくても、いやそれ以上に死の淵に追いやられることになっても、ちっとも苦痛ではなかった。
── それほどまでに、私は彼を愛している・・・。
自分の魂を救ってくれた人。
自分の全てを受け入れようとしてくれた人。
かつて自分のことを、これほどまでに『守ろう』としてくれた人はいただろうか。
リーナは同志だった。
共に苦しみを分かち合い、身を寄せ合ったが、リーナに対するウォレスの気持ちは、今のマックスに対する気持ちとは少し違っていた。
ウォレスは、ジェイコブの後ろ姿を睨み続けながら、心に強く誓った。
── 誰にも、私の天使に手を出させたりはしない・・・。
ジェイコブは少年の身体からデリバリー・ショップの制服を身ぐるみ剥がすと、自身の服の上からそれを着込んだ。少しサイズが大きいようだ。
ジェイコブは少年の身体を道ばたの大きなゴミ箱に投げ込むと、路肩に止めてあるバイクの荷台に乗っていた料理のパッケージを丁寧に開封し、懐から取り出した何かを混ぜ込んでいるようだった。
やがておぼつかない運転でバイクを走らせ始めたジェイコブは、真っ直ぐハート家に向かった。
ウォレスが走って追いかけると、丁度ジェイコブは、ハート家の前に停車するパトカーの窓に毒入りの料理を手渡すところだった。
── 睡眠薬か何かが入った食事を、警察官は気づかずに食べるのだろうか・・・。
商品を渡し終えたジェイコブは、バイクで走り去るふりをしてハート家を見渡せる場所に身を寄せた。ウォレスも、ジェイコブに見られないように木陰に身を寄せる。
しばらくすると、パトカー内の動きが騒がしくなった。
ジェイコブが料理に混ぜたのは、下剤だったらしい。
警官達は次々とパトカーを飛び出すと、ハート家の玄関ドアを叩いた。
警官達がハート家の中に消えると、いよいよジェイコブが動き始めた。
ジェイコブはハート家の周りを急ぎ足でくるくると回ると、突如地面に腰を下ろした。
表通りからは目につきにくい裏庭。
ウォレスはハート家の中に入ったことはなかったので、ハート家の間取りはわからなかったが、家の外壁を這っている配管や電線の様子から推測して、そこがキッチン付近であることは間違いない。ジェイコブは、ガス管を利用して爆弾を爆発させる気だ。
もはやウォレスに躊躇いはなかった。
彼を泳がせることで、彼のバックにいるはずのジェイクの存在に近づけるかもしれない、ひょっとしたらジェイコブの口から手がかりが聞けるかも知れない。そう思って行動を監視するのみでいたが、そんな悠長なことは言っていられなくなった。
マックスの生命を再び危険に晒そうとしているこの男を、これ以上生かしておけるはずがない。
意を決したウォレスの動きは早かった。
闇に完全に紛れ込む真っ黒い上下に身を包んだウォレスは、今やアレクシス・コナーズと呼ばれていた頃の勘を取り戻し、完全に気配を消していた。
ジェイコブにどんどん近づいていくが、ジェイコブは一向に気づかない。
腕のいい殺し屋ほど、ターゲットに近づいて仕事をすることができる。
ウォレスは、腰のポケットから飛び出しナイフを取り出すと、手のひらに握り込んだ。
ジェイコブが、ふと突然感じた背中の風圧に気を取られ、立ち上がった瞬間。
ウォレスは、ジェイコブの背後を取った。
あっという間にジェイコブの両手を背後で締め上げ、もう片方の腕をジェイコブの首に回す。
ジェイコブが驚いて、首だけで背後を振り返った。
彼はそこに蒼く輝くミッドナイトブルーの瞳を見て、目をぐらつかせた。
ウォレスは、ジェイコブの目の前に飛び出しナイフを翳した。小気味よい音がして、鋭く光る刃が飛び出る。
「ひっ!」
ジェイコブの喉が鳴った。
額から汗がだらだらと流れ落ちる。
先ほど料理の配達員を襲った人間とは思えないくらい、ひ弱な声と様子だった。
人を襲う経験は短期間の間に積み重ねてこれたようだが、生命を狙われる経験には全く慣れていないらしい。 ── いや、初めての経験か。
「お前の生命もこれまでだ」
ウォレスが低い声でそう呟くと、ジェイコブが「俺はボスのためを思って・・・!」とひっくり返った声を上げた。
「黙れ」
ジェイコブの声を遮って、ウォレスがナイフを振り上げた、その時。
その腕を、白い手がやんわりと掴んだ。
ウォレスの身体がビクリと震える。
ウォレスの耳元で優しげな声が、こう囁いた。
「今のあなたに、これはもう相応しくない」
ウォレスは両目を見開いた。
「大丈夫。俺を信じて、これを渡して」
ウォレスの腕をゆっくりと辿り、ナイフの根本をやんわりと掴む。
もう片方の手ですっとナイフを持つ手を握られ、ウォレスの手から力が抜けた。
ジェイコブが、「うわぁ!」と怯えた声を上げながら、前に四つん這いで這いずっていく。そのジェイコブの頭が突如グワンと鳴って、ジェイコブはそこに突っ伏した。
ジェイコブの前には、フライパンを両手で持ったレイチェルが立っていた。そして大リーグのバッターがするようにフライパンをぶらぶらと振り、地面に唾を吐いた。
ウォレスの手に触れたまま、白い手の主がウォレスの前に回り込んでくる。
すぐに、あの翡翠色のたまらなく澄んで美しい瞳と出会った。
ウォレスと目が合うと、その瞳はにっこりと微笑む。
「よかった・・・!」
マックスが、ウォレスの身体を抱き締めた。
ウォレスの身体が、ずるずると地面に崩れ落ちていった。
ウォレスの無精ひげだらけの顔を、マックスの手が優しく撫でていく。
涙を浮かべた彼の瞳に、呆然とした自分が映っていた。
「本当によかった。あなたが人を傷つける前に間に合って・・・」
吐息を付くように、マックスが囁く。
「Hey! Yo! 早く重い腰上げて、こいつを締め上げちゃってよ!」
トイレに面する壁をドンドンと叩きながら、レイチェルが怒鳴る。
「もう大丈夫・・・。大丈夫だから」
マックスのその声は、ウォレスにとって正しく天使の声に違いなかった。
「・・・マックス・・・」
ついにウォレスの口から、彼の名前が零れ出る。
正気に戻ったかのようにウォレスは2回瞬きをすると、その瞳から大粒の涙を零した。
「ジム!」
マックスが、感極まってウォレスに熱い口づけをする。
あの日、病院で別れた時と同じ、涙味のキス。
だがこのキスは、決して悲しみに捕らわれていない・・・。
キスを交わす二人の足下には、仕掛けられることのなかった爆弾と、飛び出しナイフが静かに転がっていた。
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