Amazing grace

国沢柊青

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 爆弾魔が逮捕されたことで、ミラーズ社の関係者に対する警備体制は解除されることになった。
 C市警は事件が終息を迎えたことを公式記者会見で宣言し、間もなくマローンは起訴されることを示唆した。
 マックスと、マックスに再び迫りつつあった危険を未然に防いだジム・ウォレスという人物に対する取材攻勢については、ミラーズ社の広報部が迅速に対処してくれた。
 マックスはミラーズ社の社員であったし、ジム・ウォレスについても同様だったからだ。
 ウォレスの出していた辞表は、彼の娘との再会が終わった後のホームパーティーの席上で、ベルナルド・ミラーズ自らがそれを破り捨てた。
 素朴でささやかなホームパーティーの出席者であった副社長のビル・スミス夫妻やウォレスの同僚であるエリザベス・カーターは、目尻に浮かんだ涙を隠しながら微笑みを浮かべ、拍手をした。
 その場の誰もが、ジム・ウォレスの帰還を心から喜んだ。
 百戦錬磨のミラーズ社広報部は適切な手を打ち、マスコミのヒートアップをうまくコントロールした。
 マックスは会社のプレス室にて記者会見を行うことになってしまったが、結果的にはそのお陰で、マスコミから執拗に追い立てられることはなくなった。
 マスコミはウォレスについても会見を開いてもらえるようにと交渉してきたが、警察の捜査に関わるとの理由から、広報部がシャットアウトした。
 世界的に力のある大企業が出す公式の見解は、警察の発表より威力を発揮した。
 その気になれば、他所の会社を難無く消し去ってしまうミラーズ社に向かって逆らうマスコミは、ひとつもなかった。
 ジェイコブ・マローンが正式に起訴されると共にマスコミも落ち着きを取り戻し、やがてC市郊外で起きた大規模な列車事故にマスコミの興味は移っていった。


 久しぶりに帰るマイホームの内部は、うっすらとだが、軽く埃が被っていた。
 人の生活が途切れた家独特の、静かで物寂しげな空気に包まれていて、どこか余所余所しい表情をみせている。
 その空気を、若い女の子の明るい歓声が切り裂き、家具に掛けられた白い布が次々と剥がされた。
「やっと帰って来られたわ!」
 シンシアはまるで幼い少女がするようにソファーに荒々しく座りながら、身体を何度もバウンドさせた。舞い上がった埃を手で払い、咳払いをしたのはマックスだ。
「はしゃぐのは、掃除がきちんと終わってからにしようよ」
「だって! ここは私の家よ! 私の家で何をしようと勝手でしょ」
「シンシア」
 顔を顰めるマックスの腕を、シンシアは強引に引っ張る。バランスを崩したマックスは、ソファーに倒れ込んだ。
「シンシア!」
 声を荒げるマックスの両頬を包んで、シンシアが微笑む。
「そしてじきにここは、あなたの家にもなるの。そうでしょ?」
 マックスはしばらくの間シンシアを見つめた後、照れ隠しのようにシンシアの視線から顔を逸らし少しだけ微笑むと、二、三回頷いた。
「そう願うよ」
 シンシアとマックスが、背後の人物にゆっくりと視線を向ける。
 彼らの愛する人は、複雑な顔をして、そこに立っていた。
「ジム」
 マックスが彼の名を呼ぶと、彼は頼りなげな微笑みを浮かべた。
「今、君やシンシアとこの家に戻るのは・・・正直言って、躊躇いがあるよ」
 マックスがソファーから立ち上がり、ウォレスの両手を握る。
「まだ危険は去っていない。そう思っているんでしょう?」
 爆弾魔が捕まったことで、この事件は解決した筈だった。だが、ウォレスがそれに納得していないことは、彼のすっきりとしない表情を見てわかっていた。
 ウォレスは、ジェイコブ・マローンの陰にあのジェイク・ニールソンがいると信じていた。悪夢はまだ終わっていないと思っているようだった。
 ジェイクがどれだけ冷酷で残忍な男であるかは、テイラーからも聞かされている。
 ジムがまだアレクシスだった頃にどんな仕打ちをされてきたかまでは直接聞くことはできなかったが、彼の身体の傷は間違いなくジェイクから与えられた傷に違いなかった。
 ウォレスは、ジェイクの手が自分やシンシアに及ぶことを危惧しているのだ。
 彼は、見えない影に怯えていた。
 だが、例えジェイク・ニールソンがどれほど恐ろしい男でも、自分達が引き下がる必要はないとマックスは思っていた。
 怯えることはない、と。
 マックスは、にっこりと微笑んだ。
「俺が最も恐れていることがわかりますか?」
 ウォレスの蒼い瞳が、躊躇うように瞬く。
「あなたの傍にいられなくなることです。一緒にいることで危険が及ぶのなら、それは運命だったということ。そんなことは、ちっとも恐れていません」
「そうよ、パパ」
 シンシアが立ち上がる。
「パパ、前に言ったわよね。誰だって、愛する者を失うことは耐えられないはずだって。一緒にいられないのなら、失ったも同じよ」
「一緒にいれば、危険にだって立ち向かえる。そうでしょ?」
 ウォレスは、少し驚いたような表情を浮かべ、恋人と娘の顔を交互に見つめた。
「君達は、本当に・・・」
 ── 強くなったんだな。私の知らない間に。
 ウォレスは最後までそう言うことができなかった。
 声を詰まらせた自分が恥ずかしくて、ウォレスは緩く首を振り、俯いた。
 そのウォレスを包んだ四本の腕は、大きさこそ違え、とても温かかった。


 本当のところ、配送部の小生意気な部長を家族共々、市の共同墓地の片隅にある“ジェンソン家”の墓廟に押し込んだのは、ジェイクの仕業だった。
 ジェイクがベン・スミスと名を偽ってC・トリビューンの配送部で働いていた頃、あの若い部長は、自分より年上の部下を醜く怒鳴りつけるのが趣味のいけ好かない男で、実に不愉快なヤツだと思っていた。
 いつか機会があれば黙らせてやろうと思っていたが、いいきっかけができた。
 ジェイコブが警察に捕まったことで、配送部にもじき捜査が及ぶとわかったからだ。
 配送部には失業生活から何とか免れた男達がごったがえして働いており、誰も同僚のことなど気にかけるような連中ではなかった。問題があるとすれば、配送部の事務所に残っている顔写真と、ベンとジェイコブの関係を知っている部長だけである。
 真夜中に部長の家に忍び込んだジェイクは、その家の様子を見てニヤリと笑った。
 部長の家には、彼のサラリーには見合わない家電製品や調度品がたくさんあって、この家庭が借金まみれであることを想像させた。
 現に、部長夫妻と子どもの首を順に絞め殺した後、夫婦の寝室にあるクローゼットを物色したら、無数のカード会社からの請求書が出てきた。うまく処理すれば、この殺人を隠すことはそれほど難しくないことをジェイクは咄嗟に思った。
 案の定、いつまで経っても部長家族の失踪は、報道されなかった。
 いくらマスコミがついに捕まった爆弾魔に夢中だったとしても、家族全員が殺人事件に見舞われたのなら、ニュースで報道されてしかるべきだった。それがないということは、そういう判断をされていないからだ。
 ことは全てジェイクが思った通りに進んでいた。
 後は、“あの女”がこれから何をしようとしているか、だ。
 女を消すことはいつでもできたが、ただし波風を立てないように彼女を消すのは、配送部の部長の時ほどは容易くなかった。
 女は、ジェイクが殺した痩せぎすの新聞記者の同僚であり、どうやら警察にも関係者がいるらしい。
 だが、自分の存在に女が気づいたとしたら。
 もはや躊躇いはしないだろう。
 もう二度と独房に戻るのはごめんだ。
 塀の中で受けた屈辱を思い出せ。
 何十年とかけて脱獄の手はずをつけた。
 それから今日に至るまで、うまくやってこれた。
 この調子でいけば、この先もきっとうまくやっていける。
 この一件がうまく片づいたら、この街を離れ、また金を貯めるんだ。
 そうすれば、腰を据えて『アイツ』を探し出すことに専念できる。
 自分の手元から逃げ延び、この国に隠れて生きていると本土で噂されていたアイツ。
 この世で最も純粋な愛情を注いだというのに、それを裏切った男。
 ── 俺に深い悲しみを味わわせた男に、あの頃と同じだけの悲しみとそして愛情を味わわせてやるのだ。絶対に。
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