Amazing grace

国沢柊青

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act.102

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 目の前の光景に愕然としたレイチェルだったが、すぐさま冷静さを取り戻し、携帯電話を取り出して、新聞社に問い合わせをした。
 火災は既に鎮火しているようだった。この分だと、他の誰かが先に取材に来ているはずだった。
 事実、レイチェルのよみは正しかった。
 電話に出た同僚は、「火災の取材を終えた記者が今しがた戻ってきたところだ」とレイチェルに告げた。しかも「そこにいるなら、事後処理の模様を写真に収めてきてくれ」と逆に頼まれる羽目になった。
 レイチェルは、舌打ちをする。
「残念だけど、あなたとはここでお別れよ」
 レイチェルはテイラーを振り返り、そう告げた。
「あれだけうじゃうじゃ警察関係者がいるんだから、二人で一緒にいるところを見られるのはよくないわ。アタシはこれから、新聞社の仕事をするフリをして探ってみる。悪いけど、例のもの貸してもらえる?」
 携帯電話を懐に戻しながら、一眼レフカメラをバッグから取り出しつつ、レイチェルは言う。テイラーは躊躇いがちに例の鍵をレイチェルに差し出した。
「大丈夫か?」
 不安げな表情を浮かべるテイラーに ── 堅物なだけじゃなく、案外人のいい男なのかもしれない ── 、レイチェルは鼻で笑った。
「大丈夫よ。この状況でまた襲われることなんて絶対にないから。それに、一人の方が動きやすい。アタシは正真正銘の報道カメラマンなんだしね。いずれにしても、この件について話し合う必要があるわ。チャンスがあったら、セスに伝えてくれる? 近いうち、ジムの家で会いたいと。もちろん、あなたにも来てもらえたら嬉しいけど」
「わかった。段取りを整えておく」
「お願いね」
 黒いスーツの後ろ姿が通りの向こうに消えるのを見届けてから、レイチェルは火災現場に向かった。


 アパートメントの出入口にはイエローのテープが張り巡らされ、消防関係者や警察官などでごった返していた。鎮火してしばらく経つのか、現場の様子は比較的落ち着いている。
 レイチェルがテープを越えようとすると、若い制服警官に押さえられたが、新聞社のIDを見せると、取り敢えず通された。ただし、現在出火原因を調べる作業に移っているため、邪魔にならないように捜査官の指示にしたがって取材するようにと釘を刺された。
 現場にはレイチェルの他にライバル社の記者もいたが、殆どの記者は取材を終え、夕刊に間に合わせるようにと今頃急いで記事を上げている頃だ。だが、現場の状況が既に落ち着いたせいか、警察の対応も比較的緩やかだった。
 レイチェルは建物の中に通され、遠巻きながらも三階の焼けこげた一帯側まで近づく事ができた。
「ハイ、メンビル」
 レイチェルは知り合いの警官を見つけ、声を掛けた。
 初老の私服警察官は、意外そうな顔をしてレイチェルを振り返った。
「C・トリビューンなら、さっき取材して行ったぞ」
「鎮火後の捜査状況についてフォローを頼まれたのよ。いい写真が欲しいって」
 レイチェルがカメラを翳すと、メンビル捜査官は肩を竦めた。
 彼もレイチェルの写真の腕を知っている。彼はセスとも顔なじみだった。
 レイチェルは、消防局の火災調査員が現場を探る様子をファインダーに収めながら、メンビルにさり気なく質問した。
「放火の疑いがあるんですって? ここの住人は無事だったの?」
「随分前から人の出入りはなかったらしい。ここの貸し手も先月分の家賃を踏み倒されたって嘆いてる」
 ケヴィンがその借り手だとしたら、払いたくても払えないだろう。なぜなら、彼はもうこの世にいない。
「それで? 借り手の名前は?」
「ホリーだ。ウィリアム・ホリー。現在放火の容疑者として手配をかけようとしている」
 ホリー。── ケヴィンの奥さんの名だ。
 ケヴィンは用心に用心を重ね、偽名でこの部屋を借りていたのだろう。
 クラウン地区では、偽名でも簡単に部屋が借りられるらしい。おそらく、相手が言う家賃に色を付けて支払っていたのだろう。
 レイチェルはそのことを口に出さず、燃えた室内の様子がもっと見渡せる位置に歩み寄った。
 ファインダーの向こうに見えるのは、真っ黒焦げになった室内。割れてガラスがすっかりなくなってしまった窓枠。
 部屋の区切りがないガランとした室内は、家具が燃え落ちた跡も僅かで、元々室内にあまりものがなかったことを窺わせる。
 捜査官の一人が、窓際で燃え落ちているガラクタをひっくり返しながら覗き込んでいた。
 レイチェルはシャッターを押しながら、訊く。
「それで? 放火犯についての目撃者はいるの?」
「はっきりとした目撃談じゃないが、年配の男が出入りしていたって話だ。その男がホリーじゃないかと見ている。部屋の中にあまりにも『ものがない』ことから、つまるところ家財道具をあらかた運び出した上に、家賃を踏み倒して逃げたんじゃないかって話になってる」
「じゃ、燃えたものはなかったのね?」
 規則正しいシャッター音に合わせて、小気味よく会話が続けられる。
「いいや。多少はあったようだ」
「例えば?」
「パソコンとか、筆記用具とか・・・。妙な話なんだが」
 ふいにシャッター音が止まる。
「パソコン?」
 レイチェルは望遠レンズの焦点を更に伸ばし、捜査官が今ひっくり返したガラクタに目を凝らした。
 確かに、真っ黒く炭化して歪んだノート型パソコンの残骸のように見えた。


 マックスは、ウォレスの寝室のクローゼットを覗き込み、そこにかかるスーツを少し寄せると、自分の分の真新しいスーツを数着並べてかけた。
 今日は久しぶりに、ひとりで外出をした。
 ウォレスの馴染みの紳士服店に出向き、数着スーツを新調した。
 その店は、マックスがミラーズ社に初出勤した時にスーツを購入するようにと命令を受けて行った店だった。
 あの時のようにウォレスのクレジットカードを持って、あの時のように恐る恐る店のドアをくぐると、事前に連絡を受けていた店主は喜んでマックスを出迎えてくれた。
 店員の誰もがマックスの無事を喜び、握手を交わした。
 彼らの目は明らかにマックスを英雄扱いで見つめており、中にはマックスの元気な姿を見て、涙ぐむ店員までいた。
 マックスの衣類が殆ど燃えてしまっていることを知った店主は、フォーマルからカジュアルまで、一通りの洋服を構えてくれた。どれもマックスによく似合う色や仕立てを見立ててくれていて、靴も揃えてくれた。しかもその中の数点は、店がプレゼントしてくれるという大盤振る舞いだった。
 ウォレスのお金で買い物をしなければならないことに相変わらず抵抗を感じるマックスだったが、「その方が私の気分が晴れる」と言ってくれた彼に甘えて、今回は遠慮なく使わせてもらうことにした。
 ウォレスは、いまだにマックスの部屋の爆破事件に対して負い目を感じており、マックスの私物が殆ど燃えてなくなってしまったことを憂いていた。
 確かにマックスにとってもそれは辛いことであったが、ウォレスと同じ屋根の下で暮らせるようになった今となっては、これから新しい思い出のものを、今度はウォレスやシンシアと共に作っていけることを思うと、そちらの方の喜びが大きく、過去の損失はあまり気にならなかった。
 久しぶりに仕立てのいいスーツを着て帰宅すると、まだ自宅学習を続けていたシンシアが飛び上がって喜んだ。
「凄く、凄くステキよ」
 濃いグレーのジャケットを撫でながら、シンシアがうっとりとした顔つきで言う。
「パパが帰ってくるまでそれを着ていたら? パパ、きっと惚れ直すと思う」
 ウォレスは今日、ミラーズ社に顔を出していた。
 来週から本格的に職場に復帰することを受けての前打ち合わせに出かけていた。
 できれば、マックスもそれに合わせて復職するつもりでいたが、実際はもう少し先のことになるだろう。
 マックスもウォレスも、確実に元の生活サイクルを取り戻そうとしていた。
 ── だが・・・。
 心配事が全てなくなった訳ではなかった。
 夕方になって、レイチェルから『例の部屋』が放火され、中の物が完全に燃やされたことを知らされた。
 それは、ジェイク・ニールソンに繋がる筈の手がかりが、灰と消えてしまったことを意味していた。まるで、自分たちの追跡の手が及ぶのがわかっていたかのように・・・。
 いずれにしても、気分のいい話ではなかった。
 ウォレスにも一応連絡を入れたが、その問題について話をするのは皆が集まってからにしましょうと伝えた。
 正直な話、自分もウォレスもニールソンの影に怯えることに疲れを感じていた。
 二人でいれば、怖くはない。
 確かに自分はそう言ったが、不安が何もないというのは正直嘘だった。
 だから二人切りでいる時は、そういうことを考えたくない・・・。
 これから先、ずっと問題に背を向けていく訳にはいかないが、今自分達に必要なのは心の休息だった。
 だから、レイチェルやセス、テイラー達三人が自分達を支えてくれていることをとても心強く思った。
 彼らが一緒にいる時でなら、勇気を持ってその問題に目を向けることができると思う。
 マックスは、自分の弱さを痛感すると共に、つくづく人は一人で生きていけないものだと実感していた。
 

 マックスがクローゼットの中に今日買ってきた衣類をしまい込んだところで、ウォレスが帰宅をした。
 階段下から、シンシアがマックスを呼ぶ声がする。
 マックスはウォレスの寝室を出て、階段を下りた。
 玄関口に立つウォレスが、目を細めてマックスの姿を見つめる。
 マックスは少しテレ臭そうに肩を竦めながら、「似合うかな」と呟いた。ウォレスが微笑む。
「とてもよく似合うよ」
 マックスがウォレスの前に立つと、ウォレスがそっと抱き締めてきた。
 マックスはウォレスの頬にキスをする。
「不思議だな。以前より着慣れている感じがする」
 ウォレスはもう一度マックスのスーツ姿を見つめ直してそう言った。
「そうかな」
 身体は以前に比べ少し華奢になったマックスだが、最近大人の落ち着きが出てきたのだろうか。上等な仕立てのスーツも難無くしっくりと着こなしている。
 髪型が幾分男らしくなったので、ウォレス御用達の店の硬質な好みのスーツがよく似合っていた。
 ウォレスがゆっくりとマックスの唇を奪い、それにマックスが応えた時、ふいに彼らの背後でシャッターの音がした。
「やっぱりパパったら、マックスに惚れ直しちゃったみたいね」
 マックスがぎょっとして振り返ると、シンシアがポラロイドカメラを構えてニヤリと笑っていたのだった。
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