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第三章 近づく未来、深まる愛
八話 優しい檻の外から、あなたを想う
お昼過ぎ、拓巳さんからメッセージの返信が入って来た。
着信の音に思わずビクッとしてしまう。
『面接日、決まって良かったな。明日、朝こっちに来れる? 久しぶりにあの喫茶店で朝飯食べないか?』
短いメッセージなのに、心がふんわりと温かくなる。
「明日の朝、そっちに行くね」と短くメッセージを入力して、スタンプと一緒に送信した。
ほっとした反面、感じるのは、胸がきゅっと縮むような感覚。
警察官っていう大変な仕事をしている彼と、これからも並んで生きていきたい。
だから、私は一人の大人として、自分の足で立ちたいんだ。
翌朝、交番近くで拓巳さんと落ち合った。
彼の表情には、僅かに当直明けの疲労が見え隠れする。
けれど、私を見つけると、いつもの柔らかい笑顔で手を振ってきた。
「梓、おはよ。……こっちに来てくれてありがとう」
「ううん、全然。それより眠くない?」
「昨夜、ちょっと忙しくて仮眠とれなくてさ。でも、梓の顔見たら元気が出てきた」
引っ越しした日の翌日に、拓巳さんと来た喫茶店。
店に入ると、あの日の女性店員さんが声を掛けてきた。
隣に立っている私と拓巳さんを交互に見て、大きな目をぱちくりさせている。
「いらっしゃいませ……って、……田島さん、もしかして……?」
「はい。でも、同僚には秘密にしといてくださいね。ばれたらうるさいから」
店員さんはいたずらっぽく笑って見せる。
「了解しました。どこでもお好きな席へどうぞ」
サンドイッチをかじる表情は、制服のときよりずっと年相応で、
どこか無防備に見える。
不意に、近くの席の女性二人が、小声で呟くのが聞こえた。
「え、あの人……交番の……?」
「いや、私服だし違うんじゃない?」
拓巳さんは全く気付かずに、背もたれに身体を預けて、私に話しかけてくる。
「そういえば、梓はこっちにスーツとか持ってきてるのか?」
「うん。前の会社で使ってたの、部屋に置いてる」
「……面接の日、非番だから迎えに行こうか?」
私は、どこかくすぐったい気持ちでコーヒーを啜った。
この人のいろんな顔を知ってるのは、私だけ。
喫茶店を出た後、そのままスーパーへ向かう。
「今日の夜どうしよっか。梓は何か食べたいものある?」
「うーん……じゃあ、安い材料選んで、何作るか決めよっか」
「そういうとこ、ほんとしっかりしてるよな――ほっとする」
献立を相談しながら並んで歩いていると、まるで夫婦の買い物みたいだ。
拓巳さんが持ってくれている買い物かごに、どんどん食材が増えていく。
私が財布を出そうとしたら、拓巳さんがそっとその手を押し戻した。
「いいよ。俺が払うって前に決めたんだから」
「でも……」
「あーずーさ、君の財布はしまいなさい」
「……わかった。私の仕事、決まったらちゃんと話し合おうね」
笑って頷いた拓巳さんの表情が、僅かに曇った気がした。
けれど、それを確信する間もなく、彼はさっさとレジに並ぶ。
さりげない優しさに、いつも甘えてしまっている自分が、ほんの少し後ろめたかった。
アパートの拓巳さんの部屋に、当たり前のように二人で戻る。
シャワーを浴びて、昼ご飯を食べ終えた直後、拓巳さんは箸を置いた瞬間に大きく伸びをして……そのままラグの上に寝転ぶ。
「……疲れてたのに、ごめんね」
「こっちこそ、食べてすぐ後にごめん……でも、梓の前だと、安心するんだよ……」
言い終わらないうちに、拓巳さんはあっという間に眠りに落ちていた。
相当疲れてたのに、無理して買い物まで付き合ってくれたんだ――
そう思うと、たまらないくらい愛おしくなる。
彼の大きな身体にそっとブランケットを掛け、食器を片付けてから私の部屋にスーツを取りに行った。
引っ越しをした時と変わらない部屋は、まるで生活感がなくてどこか冷たい。
クローゼットに突っ込んでいたグレーのスーツを取り出して、拓巳さんの部屋に戻る。彼はすうすうと穏やかな寝息を立てていた。
彼を起こさないよう、そっとアイロン台を広げ、しばらく袖を通していなかったスーツに、ピシッと音がしそうなくらい丁寧に皺を伸ばしていく。
転職という新しい挑戦をすることは、嬉しい反面、不安もあった。
出会ってまだ一か月程度なのに、こんなに拓巳さんとの生活に馴染んで、彼と一緒に過ごすのが当たり前になっている。
自分のことなのに、なぜか不思議だ。
「……何してんだ、梓、そんなところで」
低い声が静寂を切り裂いた。
振り返ると、眠っていたはずの拓巳さんが目を細めつつ、こちらを見つめている。
「久しぶりに出してきたから……スーツにアイロンをね」
蒸気が白く上がる。
その向こうで、彼の目がいつになく仄暗く沈んでいた。
「履歴書……できたのか?」
「え? ああ、一応できたよ」
「……どれ、見せて? ……最初が肝心だからな」
クリアファイルに入れておいた履歴書と職務経歴書を、拓巳さんに渡す。
彼は、私の隣に腰を下ろすと、大きな指で履歴書の端をなぞった。
整えられた文字を追う彼の指先が、私の名前のところで止まる。
「どう? おかしいところあったら教えて」
「……いや……それより梓」
「ん、なに?」
「二十六日……この服を着て、あの会社に行くのか」
問いかけというより、それは諦めのように聞こえた。
彼はアイロンの熱が残るスーツの袖を、わざと皺を寄せるように強く握りしめる。
「……今日、あんまり離れたくない。俺の匂いが消えなくなるくらい、梓をしっかり抱きたい」
掠れた声が耳元を這う。
手首を掴む彼の熱に、私の選択を裏切りだと断罪されているようで。
その深い檻のような腕の中に、自分から飛び込んでいた。
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