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第三章 近づく未来、深まる愛
十一話 静かな警告音
いよいよ面接の日が来た。
目が覚めた瞬間、呼吸がいつもより少しだけ浅くなっていた。
緊張のせいか、よく眠れなかったし……
拓巳さんが、「休みだから送ろうか?」と言ってくれたけれど、仕事が決まったら自分で通勤しなきゃならないし甘えてばかりはいられない。
会社への行き方とバスの時間も、余裕を持って着けるように早めのバスで行くことにした。
履歴書も職務経歴書も完璧に準備した。
面接の質疑応答の脳内シミュレーションをしたり、動画を見たりして心の準備も整えてきた。
だけど、どんなに万全に準備したつもりでも不安は残る。
朝食を終えると拓巳さんは何も言わず、私の横で静かにコーヒーを飲んでいた。
背中にそっと触れる温かい手のひらが、私に落ち着きをくれる。
「肩に力入りすぎてる。梓なら大丈夫だ」
「……うん。頑張ってくるね」
「頑張らなくていいんだって」
低くて穏やかな声が、緊張で硬くなっていた私の身体を少し緩めてくれた。
「リラックスして、いつも通りの梓でやってくればいいからな。緊張したら深呼吸だ」
拓巳さんは、私の髪を軽く撫でてから、ジャケットを着せかけてくれた。
その後、いつも私が彼を見送るときと同じようにハグとキスをしてくれる。
「気を付けて行って来いよ。終わる頃に迎えに行くからな」
「うん。ありがとう。行ってきます」
彼の匂いを胸いっぱいに吸い込み、パンプスを履いて部屋を出た。
バスに揺られながら、拓巳さんが教えてくれた深呼吸と、何度もシミュレーションした脳内面接を反芻する。
その合間にふと頭の隅に浮かんだのは、応募前に彼が少しだけ表情を曇らせた瞬間。
「専務の名前……芹沢陸か」
彼がそう呟いた時の微かな違和感が、胸にひっかかっていた。
会社に着き、受付を済ませて案内された部屋は広い応接室だった。
採用面接をする場所にしては、豪奢すぎる雰囲気で違和感を覚える。
面接というより客人扱いされているようで、逆に落ち着かない。
「失礼します」
「どうぞ、おかけください」
人事部の係長だと名乗った女性が穏やかに微笑む。
その隣にいたのは、紺のスーツに身を包んだ若い男。
微笑みを浮かべているつもりなのかもしれないけれど、目は笑っていない。どこかぎらついた光を帯びていた。
その視線が、私の全身を一度でなぞるように動く。
「笹倉梓と申します。本日は、貴重なお時間をいただき、ありがとうございます」
「どうも、取締役専務の芹沢です。笹倉梓さん、こちらこそ今日は時間を作ってくれてありがとう」
声は丁寧なのに、目の奥が妙に鋭い。
その温度差に、手足の先から血管が締まるように、すっと冷えていく。
「では、笹倉さん、簡単に職務経歴を……」
人事担当の女性が話を進めようとしたその時だった。
「へえ、M市に住んでるんだ?」
専務と名乗った男が、女性の言葉を遮るように私に話しかける。
「はい……」
「一人暮らし?」
「……ええ、そうです」
視線が、ほんの一瞬だけ私の膝から胸元へ滑る。
胸の奥に走ったのは、説明のつかない不快感。
「通勤は……どうするの?」
「バスを利用するつもりです」
「ふうん……。で、さ?」
人事の女性の綺麗な顔が、わずかにこわばる。
なぜかわからないけれど、嫌な予感が喉元まで上がってきた。
「笹倉さんは、恋人いるの?」
一瞬、息が詰まってしまう。
面接じゃなかったら、「はあ?」と大声で聞き返すところだった。
どうしてそんなことを聞かれるの?
質問の意図が、全くわからない。
面接とも仕事とも関係がない。
それどころか、そんな質問をしてはいけないはず。
「あの、専務……」
人事の女性が慌てて制止しかけるが、専務の芹沢は気にも留めない。
「いや、別に深い意味はないんだよ? ただ、うちの会社は女性が多いからね。生活の安定性を確認しておきたくてさ」
生活の安定性?――そんな言葉で意図をごまかしても、明らかに不適切な質問なのは変わらない。
「仕事に集中するつもりです」
お腹の底から怒りに近い感情が込み上げてきたけれど、できるだけ穏やかに短く答えた。
「そう……ところで、結婚の予定は?」
その言葉を聞いた瞬間、背中に冷たいものが走った。
肩がぐっと強張ってくるのが分かる。
今感じているのは、緊張じゃなくて怒りと不快感だ。
「専務、それは……」
人事の女性の声が震えていた。
芹沢は、彼女に鋭い視線を送ってから、にやにや笑っている。
けれど、目がまるで笑っていない。
「気にしなくていいよ。これからうちの会社で働いてもらう彼女のこと、もっと知りたいだけだから」
その言い方に、胸の奥で小さな警報が鳴り始める。
会社にふさわしい人材かどうかを見極める場じゃない、私そのものを値踏みされている――そんな感覚。
異様な面接は、一応の形式だけ保って終わった。
建物の外に出た瞬間、心の中に溜まっていた色々なものが、呼吸と一緒にふっと漏れる。
困惑、不快、屈辱、怒り……いろんな感情がないまぜになって、言葉にできない。
ただ、はっきりと言えるのは「普通じゃない」ということだけ。
バッグの中でスマホが震え、拓巳さんからメッセージが届いた。
「迎えに行くよ」──その短い文字を見た途端、胸の奥の緊張がほんの少しほどけた。
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