心に傷を負った男

中野拳太郎

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五、

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 夜になると強い風と共に雨が降ってきた。日中から重々しい雲が空を支配し、その空が真っ黒になると、ついに本降りとなった。

 まさに怪しい、不穏な空気が漂っていた。

 中部国際空港のターミナルは人、人、人でごった返していた。
 いくつもの新聞社に、ボクシング関係者。それから多くのファン。アメリカからやってきた便を待つ人々で、ターミナル内はかなり混雑していた。
 
 中西英二が日本に帰国した。 

「今回のキャンプはどうでしたか?」

「バッチリです」

「体調の方はどうですか?」

「減量も順調だし、動きもいいです」

 矢継ぎ早に続く質問。

「スパーリングの方はどうでしたか?」

「チャンピオンのマーチンと、手合わせをしたということを訊いたのですが―」

 怒涛のように飛び交う質問の嵐に、神谷に先を促され、英二は早足でこの場を去っていく。
 質問に答えていては、切りがないのは分かるが、少しくらいは・・・・・・。
 そんな時。
「お帰りなさい」
 と、女の声が耳に入ってきた。

「あ、君か」
 やはり、来ていた。そんな気がしたのだ。あるいは居てほしい、という願望だったのか。

「どうだった?」
 皆川綾乃が微笑みながら、すぐ傍らで立っていた。

「東海スポーツの皆川です。こっちが上司の勝田、それから豊田署の板垣さんと北川さんです」

 皆川綾乃が後ろにいた男三人を、英二の耳元に、小声で紹介した。

「豊田署?」
 英二は小首を傾げた。
「どうして刑事さんがいるんですか?」

「いえ、たいしたことじゃないのですが」
 ふくよかで、人の良い顔の男が会釈した。

 そんな中でもフラッシュが焚かれ、他のマスコミの質問が飛び交う。
 時折笑みを浮かべるが、顔が引き攣ってきた。警察? またやっかいなお客を連れてきたものだ。

「あ、妹が来た」
 
 英二が、ターミナルの外にあるバス停の方に向かって手を振った。様々な人が降りてくる中、一人の女が、急ぎ足でスマートフォン片手に歩いてくる。

「まだ来てないの? そう、わかったわ。あとどれくらい?」
 瑠唯の声が段々と耳に入ってきた。
「そうよ。私は、今ターミナルに着いたところ。凄い人だかりができてる。早く来てね、兄貴も到着したから」

 やがて瑠唯は電話を切り、マスコミの輪を潜り抜け、英二のところにやってきた。

「お帰り、今到着したの?」

「ああ」
 その途中でさえ、マスコミの質問が飛んできた。「ちょっと待っていてくれ。もうすぐ終わるから」

「あ、妹の瑠唯」
 英二は、綾乃に紹介した。

 瑠唯は、綾乃に会釈した。
「初めまして」

「初めまして、東海スポーツの皆川綾乃です」
 綾乃は、挨拶を交わした。

 板垣は、英二を見た。
 長いフライト、それから激しいトレーニングによる蓄積された疲労。
 それでもこの男はそれを見せず、光輝いている。こういう男がスターなんだろう。そう思った。

 そんな時、スマートフォンの着信音が響いた。

「あ、俺だ」
 板垣がズボンのポケットをまさぐった。
「はい」

「村上ですが、今宜しでしょうか?」

 監察医からの電話だ。

 板垣は、一旦彼らの輪から抜け出した。
「ええ、お願いします」

「司法解剖の結果が出ました」
 村上は短絡的に切り出した。
「警察官に案内されて、豊田署の霊安室に入り、検事の指揮下で司法解剖に入りました。
 先ず遺体の顔にかけてあった布を取り除きましたが、それは酷いものでした。
 被害者の遺体は焼け焦げで、所々、皮膚、肉なども削げ落ちておりましたが、骨の部分はしっかりと残っていたので、わかったのですが・・・・・・どうも私が得ていた情報と違うんですよね」

「どういうことですか?」

「死因は脳挫傷。頭蓋骨骨折です。後頭部に挫傷があったので、調べてみたのですが、約五センチの強い打撃痕がありました。
 岩か何かと思われる物で、他者から強打されたのか、あるいは自分でやったのか、まだはっきりとわかりませんが」

「何?」
 板垣は突然大きな声を出した。
「それでは、他殺の線が浮上したということですね」

「はっきりとしたことは言えませんが、ハンドルに頭をぶつけてもあれほどの陥没はしませんし、外傷は後頭部です。それに被害者の胃は殆んど空っぽでした。
 死ぬ前、八時間以上は、少なくとも固形物の食事は摂ってはいないと思われます。
 場合によると、朝食後、食事を摂っていないことになります。
 なぜなら人間、食べた物は通常三時間ほど胃で消化され、それで小腸に運ばれて、八時間から十二時間内で排泄されるといわれます。
 ま、食欲がなかった、と言われればそれまでですが。しかし、死のうとする人間が、最後に空腹と闘いますかね」

「う~ん。もしかすると、何者かに、拘束されていたのではないだろうか。だから長時間、食べられなかったのかもしれない」
 板垣は唸るように言った。
「拘束、いや待てよ」

「そうですか。もしかしたら、佐竹は監禁されていたのではないでしょうか」

「いえ、それは違いますね。だって佐竹は、その日会社に来ているのが確認されています。それで五時まで働いていますし、昼の休憩時間に食堂にいたのを見た人もいるんです」

「食堂にいた? そこで何をしていたんでしょうか。食事を摂っていないことは調べだってついているわけですから」
 村上は言った。

「わかりませんね」
 板垣は考え込んでしまった。
「とにかく、他殺の線が浮上したという訳か。それでは、犯人の遺留物か何かは見つからなかったのでしょうか」

「その点については、私からは、何とも・・・・・・」

「そうですか」 

「他殺の可能性に関していえば、いくつかの根拠もありましたので、一先ず、ご報告までに、と思いまして」

「有難うございます。また何かわかりましたら、その時はお願いします」

 板垣はそう言うと、静かに電話を切った。他殺か。では一体何者が佐竹を殺したのか。やはりこの事件は簡単なものではない。
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