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35.命の重み*

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 バタンと扉が開き、ドカドカと足音が入ってくる。

「生まれそうだと!? なぜもっと早く呼ばないのだ。ささ、宰相閣下こちらです」

「初産にしては早いのだな」

「おや? 第三妃様はどちらだ? 」

「なぜこの部屋はこんなにも暑いのだ?窓を開けろ」

 めいめいに好き勝手言いながら、入ってきたのは立会いの宰相三人と、ガガドナ老師だった。

「やや! 誰だこんなところに衝立を置いたのは。これでは宰相閣下にご覧いただけないではないか。どけよ」

 ガガドナ老師が騒ぎ出して衝立を退け、窓を開けようとする。

「窓をあけてはいけません!お子様方が冷えてしまいます」

 肛門保護をしながら、キッと後ろを振り返った。
 衝立がなくなるのは(世継ぎ確認のため)百歩譲ったとしても、部屋が冷えてしまうのは許されない。ただでさえ早産なのだ。低出生体重児は低体温となると命に関わる。

「おっ、お前は! 誰の許しを得てここにいる! 私は許可した覚えなどないぞ」

「私は皇帝陛下の命により参りました。お疑いならば、問い合わせてみてはいかがです」

「くっ……どけっ! 」

 宰相の手前罵るのは避けたが、ガガドナ老師は、私に体当たりするようぶつかると、レミアン様の前から退かせた。

「ちょっ、何をなさいます! 」

「皇族方のお産をとりあげるのは、大賢師である私の役目。部外者は引っ込んでいてもらおう」

 そういいながら、腕まくりすると乱暴に内診し始めようとする。

「手! 洗ってください」

 慌てて注意するが、全く意に介した様子はない。

「女人の陰壷(性器を表す言葉)はもともと穢れているもの、綺麗にしたところで何の意味もないではないか」

「生まれていらっしゃるお子様方は、病気に対する抵抗力が弱いのです。それに、傷などできれば、そこから病が入ります」

 後ろの宰相にも聞こえるように大声で注意する。

 お前の手の方がよっぽど汚いわ!

「ちっ、煩い奴め」

 渋々ユズルバさんの差し出した洗面器で手を洗い、消毒した後、内診をはじめた。

 かなり乱暴に内診したためか、陣痛もきていないのにレミアン様が呻く。

 こういうデリカシーのない男が一番嫌いだ。女性は大切に扱え!

「おお、これはこれは、間も無く生まれますぞ。一晩待たずにすみそうですな」

 ガガドナ老師は後ろを振り返って、宰相たちへ媚びへつらった。そういう言葉はまずレミアン様にするべきなのに、ガガドナ老師の頭には、宰相達しかいないらしい。

「フーーうっ!ううぅ」

 レミアン様のお股に、ガガドナ老師が陣取っているため、陰部の状況は分からないが、声や表情から児頭が下降してきているのだろう。怒責どせき(いきみ)誘導しなくても、自然な怒責で下降してきているのはありがたい。早産の場合、不必要な怒責は児にストレスとなる可能性があるからだ。

 私は適時、滅菌ガーゼを巻いたトラウベ聴診器で胎児心音を確認する。あくまで聴診なので感覚的なことにはなるが、第一子は早発一過性徐脈(児頭が産道で圧迫されるために生じることが多い)がみられ、二子は正常脈だ。

 三人の宰相が見守る中で分娩介助が始まった。

 私は、どうしても退かないガガドナ老師の真横に陣取り、異常時に備えた。すんなり下降してくる児をとりあげることよりも、生まれた後の児の蘇生を優先したからだ。レミアン様は初産婦だが、小ぶりな児の娩出では、それほど大きな傷はつかないだろう。二度裂傷(会陰の筋層までの裂傷)くらいなら私でも縫合できると思う……

「なかなか出てこんな」

 ガガドナ老師は、内診指をこねくり回して、どうにか早く産ませようとしている。

 まったく頭にくることばかりだ

「レミアン様、今の呼吸法でいきましょう。大変お上手ですよ。ここは焦りが禁物です」

 優しく声をかけると、レミアン様の視線は私にだけ向けられていた。

「お子様の頭が出ましたら合図します。そうしたら、ハッハッハッと短い呼吸に変えてください。お子様は小さめなので、無理ないきみだと飛び出してしまいますから」

 飛び出した時に、この老師が対応できるとは思えない。今更だが、この化石のようなご老人より、何人も出産経験のある一般女性の方が何倍も増しなのではと思ってしまう。

 レミアン様は了承していただけたのか、目を閉じたまま頷かれた。

「そらそら! 目をお開けなさい。母君が寝ると、お子も寝てしまいますぞ! 」

 まったくもって根拠のない自論を展開してくる老師に、ほとほと呆れる。

「大丈夫です。お痛みのない時は、目を閉じてうとうとされてください。今はお子様がくれた大切な休憩時間です」

 老師と私の双方の言い分が異なっていて、混乱しないかと心配したが、杞憂だった。

 レミアン様は相変わらず私だけを見つめている。命を救ってくれる者を、本能的に感じとっている目だ。

 この期待には応えねばならない。

 私は、蘇生用のガーゼと、サノス師手製の蛇腹スポイト(簡易吸引用)を近くに用意して、児の娩出を待つ。

 バシャっと音がして、破水した。羊水混濁は見られない。

「あうっ」

 破水とともに、急速に児が下降してきている。陰裂からは黒髪がチラチラ見えはじめた。頭髪の隙間から覗く頭皮はピンク色で、児の状態が良好だとわかった。

 よし、

 第三回旋(児の後頭結節が母体の恥骨弓下を滑脱する)を行う児頭を、トリッキーな待ち方で掴む老師に不安を抱く。勿論、(裂けないように)会陰保護などするわけはない。それでも児は、母のため上手に滑脱して第四回旋も素直に回った。

 赤ちゃんがとても良い子で助かった……

 私は児頭が娩出すると、すかさず顔を拭き、蛇腹スポイトで口腔と鼻腔に残った不要な羊水を除去した。

 これで、啼泣しやすくなったはず。

「ぎゃぁぁ、ぎゃぁぁぁ」

 一人目は第一前方後頭位ですんなり生まれた。早産だが、第一啼泣はとても力強く筋緊張もしっかりあった。

 小さな体で一生懸命に啼いている。

 なんて可愛いのだろう……

 良かった。早産で心配したけど、元気そう。この後のケアをしっかりして、呼吸障害や低体温や低血糖を防がないと。

 私はすぐさま児を奪い取ると、体を拭き、気道確保などの初期措置をとる。

「おお! 姫君でございますな。男児ではございません」

 ガガドナ老師は女児であったことにご満悦だ。宰相達も近くに寄って、女児であると確認する。

 赤ちゃんを保温しながらレミアン様にそのお顔を見せる。

「レミアン様、可愛らしい女の子です。元気に啼いていますね。これから身体が冷えないように温めましたらお母様のもとにお連れします」

「ああ、わたくしの……」

 涙でぐちゃぐちゃの顔でレミアン様は微笑んでいた。

 そうです。あなたは母となったのですよ。

 老師が宰相らと話している隙に、結紮前に臍帯をミルキング(しごいて)した。早産児の臍帯結紮前のミルキングは、児の重要臓器への血流を増加させ、貧血や脳内出血のリスクを軽減させると論文にも書かれている。

 児が出生した後は、老師はあまり興味がないらしく、まだ話に夢中だ。

「ユズルバさん、お願いします」

 臍帯を結紮、切断した児をすぐにユズルバさんへ受け渡す。保温と全身状態の観察は教えてあるため、お願いする。

 さぁ、二人目だ!

 双胎分娩はこれからが本当の勝負言ってもいい。第一子娩出後は子宮口が段々と閉じはじめるだけでなく、胎盤の早期剥離や臍帯脱出の危険が高いからだ。

 すぐに第二子の胎児心拍を確認して、清潔な布越しに胎勢を確認する。

 胎勢は……骨盤位だろうか? 不明確だ。

 幸い、胎児心拍には異常はない。

 現時点では胎児は元気だが、刻一刻と状況は変化する。速やかに分娩を進行させ、児を娩出させなければならない。

 しかも、産後には双胎のため、子宮壁の過伸展による子宮収縮不良も予測される。

「テンダさん、ガーゼの五枚一繋ぎを何個か作っておいてください」

「はい奥様」

 真剣な表情でテンダさんが作業に取り掛かると、話が一息ついたのか、ガガドナ老師が戻ってきた。

「どれ」

 私が胎児心音を確認しているのを退けると、遠慮もなく内診を始める。

「や!これは?」

 やけに難しい顔で長時間内診しているのが気になる。
 大きな声で驚くのはやめてほしい。レミアン様が不安になってしまう。

 もしかして、

「私も内診してもいいですか? 」

 老師は、見てみろとばかりに無言で顎をしゃくった。

 そっと内診すると、しっかりした膜の向こうに、小さな硬いものが一つだけ触れる。

 っつ、

 これは、不全足位だ。

 片足だけ真っ直ぐ先進させ、もう片方は蹴り上げるように上に伸ばしているのだろう。明らかな胎勢異常だ。唯一の救いは、一絨毛膜一羊膜双胎(一つの膜の中に両児が存在する)でないことくらいか。その場合、今頃第一子娩出とともに羊水が流れ出し、臍帯圧迫による胎児仮死となっていた危険が高い。

 この状況は元の世界だと、間違いなく緊急帝王切開が選択される。ひと昔前は第二子の外回転術(腹壁越しに胎児を回転させる)が行われていたらしいが、私には経験がない。

 どうするべきか。

「どうしたのですか? 二人目はいつ頃になりそうですの? 少し痛みが和らいでよかったわ」

 か細い声が私に問う。

 痛み(陣痛)が弱まったのは、先進部が片足だからだ。胎勢異常による微弱陣痛になってしまっているのだ。

 どうする

 どうするべきなの

 両足が恐怖で震え、喉がカラカラになる。

 ふと、帝王切開が頭をよぎる。

 だめだ!

 ガガドナ老師にさせたらレミアン様が死んでしまう。代わりに私が行うことも考えるが、機械出し(手術時の直接介助者)で覚えた程度の技術で大丈夫なのか……

 私が逡巡していると、ずいと前に出たガガドナ老師が 自信たっぷりに言った。

「お二人目は逆子です。このままでは生まれないため、私としては腹部切開をいたそうと思う」

「腹を切るのですか」

「さよう、お二人目は男児かもしれませぬ。将来の皇帝陛下をここで失ってはいけませぬ」

「わっ、わたくしはどうなるのですか? 腹を切った後は……」

 すがる瞳が私を見た。

「適切に縫合すれば、命に別状は――」

「祈るしかありませんな」

 無情な老師の言葉が私達を打つ。

「そんな……」

「国母の栄誉に授かれるのですぞ! 皇子の命を救うため何を迷うのです」

「それは……我が子は何より大切です。でも……」

 迷うのは当然だ。ガガドナ老師は、暗に子のために死ねと言っているのだから。

「お待ちください老師、腹部切開はすぐに行えますよね? その前に、試させてほしいことがあるのです」

「だめだ! 異国の産婆風情が!何をするかわかったもんじゃない。だいたい、こんな足を突き出した逆子に何をしたって無駄だ」

 そう言うと、また荒々しく内診しはじめた。

 すると、

 パシャっと音がした。

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